(3)

 どかーん、とものすごい音がして爆発が起こる。太一は、しばし呆然と立ち尽くした。確かに非情に強い力が働いた場だとは思ったけれど、まさか爆発を起こすなんて。

「ほお、これが彼奴らの住処か」

爆発を引き起こした張本人の琉翔姫は、物珍しそうに辺りを見回してそんなことを言った。

「琉翔姫、少しパワーを押さえてくれよ」

「何を言うか、たーちゃん。こういうことは初めが肝心。なめられぬようガツーンとやってやらねばな」

「んな滅茶苦茶な・・・」

太一は頭を抱えた。力の強い者へのこの妙なライバル意識、どうにかならないだろうか。

 そろそろとアルバイトの少女と店主が奥へと逃げかける。

「逃げるとは卑怯」

琉翔姫はさっと飛ぶと、尻尾の先を店の主のペンダントにかけてぎっと引っ張った。

「いたたたた」

首を絞められて店主が後ろにひっくり返る。

「こら琉翔姫!」

太一が叫ぶ。琉翔姫は、つるり、尻尾を放した。

「すみません、あの、久遠様の使いで参りました」

太一は店主を助け起こしながらそう告げた。

「久遠殿の?」

店主ことエスクリットが首を押さえながら立ち上がる。太一は、書状を渡した。

「はい。これをお渡しするように、と・・・」

 どれどれ・・・と書状を開きかけたエスクリットは、殺気を感じて身を固くした。何やら恐ろしく嫌な予感がする。

「・・・好みじゃ」

太一とエスクリットのやりとりを眺めていた琉翔姫は、そう言うと、いきなり、ぐるぐるとエスクリットに巻き付いた。

「お師様!」

エネルギーを吸い取られ、エスクリットが倒れ込みそうになる。あまねと太一は、慌ててそれを支えた。さすがに本気で怒った太一が、今までになく声を荒げる。

「琉翔姫っ!」

「そう怒るな、冗談じゃ」

琉翔姫は言いながら、するりとエスクリットから離れた。

「すみません、すみません」

太一が平謝りするが、琉翔姫は、けろりとしたもの。

「何もたーちゃんが謝ることはないぞえ。この程度で倒れるとは情けない。こ奴らは恐ろしく丈夫じゃによって、心配はいらぬ」

「そういう問題じゃないだろ。ほら、謝って」

「いーやじゃ」

ぷいっと横を向く。

「いーやじゃ、じゃない。謝れったら」

謝れ、謝らない、と押し問答になる。ああもう、この竜め、太一はだんだん頭が痛くなってきた。

「それで久遠殿は?」

ようやく、少し落ち着いたエスクリットが尋ねた。

「久遠様は、今朝早くお発ちになりました」

「そうですか。書状、しかとうけとりました。返事は、どうしましょう」

「必要ないとのことでしたが・・・」

「そうですか」

「どうもうちの竜が失礼をしました。ほら、琉翔姫、謝って」

重ねて、太一が促す。が、琉翔姫はといえば、相変わらず、とんとその気がない。

「何を謝ることがあるというのじゃ?用が終わったなら、さっさと帰るべし、じゃぞ」

「すみません・・・」

太一は、再び、そう謝った。

「いえ。お気遣いなく」

苦笑交じりにエスクリットがそう返す。それより早くこの竜から解放されたいところである。と、それを読んだかのように竜がにぃぃぃ、と笑った。

「あ、琉翔姫!」

太一が止めるまもなく、また、ぐるぐるぐるっとエスクリットを軸にとぐろを巻く。

「琉翔姫!いい加減にしないと玉に封じるぞ!」

太一が怒る。が、琉翔姫の方は呑気なものである。

「おお、たーちゃんそのように頭から湯気を立てるでない。体に悪いぞえ」

怒らせているのは誰だ、太一は思ったが、言わなかった。これ以上ここで押し問答をすると、店主に迷惑がかかるばかりである。

「分かった分かった、解放してやる」

ようやく琉翔姫はエスクリットを解放すると、恐ろしく上機嫌で言った。

「なかなか面白いところじゃな、気に入ったぞ。また来るによって、そのつもりでいてたも。妾の好物はな、甘酒じゃ」

 一人と一匹が出て行き、ようやく、店内に落ち着きが戻った。滅茶苦茶になった店内に、あまねは、怒り心頭である。

「一体何なの、あれ!」

「あまね、申し訳ありませんが光水を少し取っていただけますか」

エスクリットはぐったりしたまま言った。あの竜、エネルギーを大方吸い取って行った。引き裂いていいというなら、あの程度、どうということもないが、それができない場合にはどうにも扱いに困ってしまう。向こうもそれを見透かしてやってきているのだから、始末が悪い。

 水を飲み下し、少し落ち着いたところで、久遠からの書状とやらを開いてみた。何もあんな迷惑なものに配達させなくても、式神に届けさせるなり、自分で投げ込むなりすればよいものを----そんなことを思う。

 さらさらと見事な文字で巻紙に書き付けてある。

「うわー、読めないや」

脇からのぞきこんだあまねが言った。

「これ何?月?えーとそれから・・・」

「月下氷人・・・仲人のことです。これは、仲人の依頼ですね」

「仲人?お師様、仲人さんするの?」

「急な依頼が入ったとかで、久遠殿がこの地を離れる間、二人を取り持つ役をしろと・・・」

エスクリットははああ、と重たい息をついた。久遠、一体何を考えているのやら。

「取り持つって誰と誰の?」

「この書状をもってきた人物と例の妖犬の依代です」

迷惑客No1とNo2である。あまねは、顔をしかめた。

「どうしてお師様がそんなことしなきゃいけないの」

「・・・ですよね」

エスクリットはくしゃくしゃっと書状を丸めるとぽいっとゴミ箱へ投げ捨てた。人間の方は別に構わないが、あの妖と竜はエスクリットにとっては、鬼門中の鬼門である。極力関わりたくない。

 けれども。

 久遠がそこにぬかりのあろうはずはなかった。




 下校時刻である。校門の前で待ち伏せというのも芸がないが、まさかいきなり家に押し掛けるわけにも行かない。

----この神社の祭主の配偶者は、普通の人間にはつとまらん。ところが普通でない人間で、なおかつ適齢期というのはそうそういるもんじゃあない。彼女に会ったのは僥倖。逃がすなよ----

久遠の無責任な言葉が胸によみがえる。全くみんな滅茶苦茶なんだから。

 確かに久遠の言うことも一理あるにはある。が・・・何分相手のある話なのである。

----彼女にとっても悪い話ではないはずだ。何しろこれまた稀にみる妖魔引き寄せ体質だからな----

久遠はそう言っていたけれども、こればかりは、それですむ問題ではない。

「いいね、琉翔姫、絶対、絶対、絶対に暴れないでくれよ」

太一はそう琉翔姫に念押しした。この前妖魔に襲われた一件以来、玉に琉翔姫を封じることは祭主から固く禁じられている。

「分かっておる。ここで暴れなければよいのであろう」

分かっているのかいないのか、琉翔姫はあっけらかんとして言った。

「面倒な」

そんなことを言ってぼやく。

 青稜子の気配が近づいてきていた。頭上でめらめらと琉翔姫が気炎を上げ始めるのが分かる。太一はそれを止めようとするかのように言った。

「琉翔姫!」

「分かっておる!」

 たったったったった、あかりが走り出てくる。

「あの、桜木さ・・・」

太一が声をかける以前に、もう琉翔姫と青稜子は睨み合いを始めていた。

「琉翔姫!」

太一が声をかける。

「分かっておるわ。そこの青いの、ここで暴れては皆に迷惑がかかる」

「・・・だから?」

と青稜子。彼らにとって人の迷惑なぞというものは元々「知ったこっちゃない」のである。

「というわけで、良い場所がある。そこで思う存分戦うて決着をつけようぞ」

「いいだろう。おかしな真似をすると・・・」

「妾をだれじゃと思うておるか。赤竜琉翔姫様だぞよ。姑息な真似はせぬわ!来やれ!」

さっと琉翔姫が飛ぶ。青稜子もすぐさまそれを追いかけた。

「こら琉翔姫!」

「たーちゃん、先に行くぞえ。行き先は星風館じゃ!来るまでには片づけておくによって安心してたも」

「青稜子!駄目、帰ってきて」

あかりも言うが、青稜子も聞いてなぞいない。

「敵前逃亡なぞできるか。そこのうすのろに連れてきてもらえ!」

あっという間に見えなくなる。完全にコントロール不能。まああの星風館であれば大丈夫といえば大丈夫だろうけれども・・・

 あかりと太一は顔を見合わせ、深いため息をついた。


「あまね、伏せて!」

エスクリットがあまねに覆い被さるようにしてかばう。

どがーん!!

大爆音がして店内中のものが飛び散った。赤い竜と青い犬。きっとにらみ合っている。青稜子の依代も、琉翔姫の主も見あたらない。どうやら依代と主を放ったまま来たらしい。

「こりゃ、そこの!ちゃっちゃと結界を張り直さぬか。外に影響が出るであろう」

偉そうに琉翔姫が言う。

「出るであろうってあなたねーっ」

あまねが怒る。

「それに青稜子まで。何しに来たのよ!」

「決闘だ」

青稜子はうーっとうなりながら言った。

「けっとぉぉ?」

エスクリットが外へ走り出て行く。今の爆音の印象を消し、結界を張り直すためである。

 ぐらぐらぐら、建物全体が大きく揺れた。

「何故ここでわざわざするんです」

とエスクリット。真っ青な顔色をして、脂汗をにじませている。

「外でやったら、皆に迷惑がかかるであろう」

と琉翔姫。

「こっちだって迷惑だよっ」

とあまね。

「迷惑の度合いが違うわ。・・・ええい、気が散る、話しかけるでない!」

言って琉翔姫は鋭い気を放った。

「ふん、甘い」

青稜子がひょいと頭を下げてさける。その気は壁に当たって見事なひびわれを作った。

「食らえ!」

青稜子が今度は攻撃に回る。

「なんじゃこのひょろひょろは」

ぺしっ。琉翔姫はそれを尻尾の先ではじき返した。鏡に当たって鏡が粉々になる。

「しからば!」

青稜子が飛びかかり、琉翔姫が巻き付いて青稜子を締め上げようとする。二匹が暴れるものだから天井が床に床が天井になるほどの騒ぎである。

「ぎゃわわわ」

ひゅっと光の矢が側をかすめてあまねが驚いた声を上げる。

「やめて下さい!」

エスクリットが叫ぶが効果なし。エスクリットはあまねをかばうように抱えたまま弱り切っていた。結界を閉じてしまったのであまねを外に出せない。外に逃がすには結界を一度ほどくほかないが、今一瞬でも解けばこの騒ぎが外へ影響してしまう。

 ぎゃーっ、ふーっ、がーっ・・・どったんばったんどったんばったん

「ほれ、降参せぬか!」

「何を!そっちこそ!」

ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー。

「お師様大丈夫?」

「な・・・なんとか」

エスクリットは青い顔をしたままぐったりと言った。


 とにかくあの二匹がこれ以上の騒ぎを起こす前に、取り押さえなくてはならない。やむを得ず太一は飛竜を呼び出した。目を丸くしているあかりを乗せ、自分も乗って星風館へと向かう。

「すごーい」

足下に流れて行く町並みを見ながらあかりは歓声を上げた。それを見て太一がくすりと笑う。

 星風館近くの人気のない通りで竜を降り、星風館に向かう・・・が、何故か見あたらない。

「桜木さん見えます?」

太一が尋ねる。あかりも首を振った。

「そっか・・・さすがにあの人はかなりの術者なんだな」

太一はすっとかがみ込むと地面に手をついて何事か念じ始めた。

「・・・」

「お師様?」

あまねが怪訝そうな顔をする。

「主人が追いついてきたようです」

エスクリットは低く言うと念話を返した。

----聞こえますか----

----はい。重ね重ね申し訳ありません。うちの竜がまたとんでもないことを・・・あの、結界があって見いだせないのですが----

----でしょうね。ですが、今これをほどくと辺り一帯に影響が及びます----

結界というのもなかなか面倒なものなのである。

----彼女を支配下に置くのにどの程度時間が必要ですか?----

エスクリットはそう尋ねた。

----すぐにでも----

----桜木さんはどうしていますか?----

----一緒に来ています----

話している間にも、はねとばされた箱がごいん、と吹っ飛んでくる。それをはたき落としながらエスクリットは話を続けた。

----分かりました、一瞬だけ結界を解きますから、同時に琉翔姫を押さえて下さい----

「主人たちが、追いついてきました。結界をほどきます。このカウンターの影から、絶対出ないで下さいね」

エスクリットは、あまねにそう言い置くと、立ち上がった。

 店内は惨々たる体をさらしている。琉翔姫と青稜子、攻撃のタイミングを見計らい、カウンターを飛び越え、二匹の間に割って入る。両方の放つ攻撃を受け止めると同時に太一へ合図を送り結界をほどいた。

 パシッと光がはじけて結界が消える。同時に、外で太一が琉翔姫に術を投げた。

「?!?」

琉翔姫が玉に吸い込まれる。太一は、あかりと共に店内へ駆け込んだ。

 急に相手が消えたことに戸惑っている青稜子をあかりが呼び寄せる。青稜子はしぶしぶながらも、あかりのそばに歩み寄るとどっかと腰を下ろした。

 割れたガラスがそこここに落ち、品物が散らばり、店内はボロボロである。すみません、すみません、あかりと太一は平謝りした。

「じぃじ、あなたも謝って」

あかりに言われるが青稜子は右から左。この程度どうということはないわいとそんなことをひとりつぶやいている。

 と、そんな青稜子の目の前ににゅっと箒とちりとりが突き出された。あまねである。

「なんじゃ、これは」

「お掃除セット」

「それで?」

「散らかしたら片づける、当然でしょ」

「別にわしのせいではないわ。仕掛けてきたのは向こうだ」

「暴れたのは事実でしょ」

あまねと青稜子とにらみ合いになる。はらはらと見ている太一とあかりをよそに、あまねは更にぽんと青稜子を叩いた。

「ほら、早く早く」

「なんでわしだけが・・・」

ぶつぶつぶつ。言いつつ、青稜子が重たい腰を上げる。

「ええい面倒な」

青稜子は言うと、不意にしっかと四肢を踏ん張り長く吠えた。ごうっと竜巻が起こり床に散らばっていたものが一斉に吹き上げられる。吹き飛ばされるまいとそこここにしがみつく人間たちを尻目に、青稜子は、がらくたを取りまとめ、部屋の中央にうずたかく積むと、ふん、と小さく鼻を鳴らした。これで掃除は終わり、とばかりに床に伏せてそっぽを向いてしまう。

 すみません、すみません、重ねて謝るあかりにエスクリットはどうぞお気になさらず、とそんなことを言った。

「ここで立ち話も何ですから」

エスクリットが奥へと皆をいざなう。

「じぃじ、大人しくしていてね」

あかりは青稜子にくどいほど言い聞かせると、皆に続いた。

 足つきの水盤がある天井の高い部屋。外から見るのと中とはかなり感じが違う。外観よりはるかに大きく感じられるのは単なる気のせい、というだけでもなさそうである。

「どうぞ」

椅子を勧められて、あかりと太一は恐縮しながら腰を下ろした。

「すみません、本当に・・・」

二人が謝る。

「まあ、あなた方が悪いわけではありませんからねえ」

エスクリットは言って笑った。

「お師様、お茶これでいい?」

奥からあまねが顔を出す。

「ちょっと失礼」

エスクリットは言うと奥へ入っていってしまった。

 はあ。あかりと太一が息をつく。しばし沈黙があった。

「あ、そういえば竜崎さん、何か御用があっていらしたんじゃ・・・?」

あかりが不意にそんなことを言った。琉翔姫と青稜子に振り回されて、すっかり忘れていた。

「いや、それが・・・大したことじゃないんですが」

ここまで騒ぎになってしまうとさすがに気恥ずかしい。太一は、照れながら薄い箱を取り出した。

「実は、この間お借りしたハンカチなんですが、どうしても元通りにきれいにはならなくて・・・それで、全く同じ柄、というわけには行かないんですが・・・」

「そんな、よかったのに」

「そういうわけにも行きませんからね」

太一は言って笑った。これは言わずと知れた「会うため」の口実である。

---いいか、太一、一押し二に押し、三に押し、だ----

久遠の滅茶苦茶な言葉が甦る。と言われてもねえ・・・太一は内心軽い葛藤を覚えながらけれどもなんとか次の一手を口にした。

「それで、これは祖父からの伝言なのですが、やはり少し修行を積んだ方が良い、と・・・」

このこと自体は、確かに彼女のためでもある。が、下心のある太一としてはどうしても口調が曖昧になってしまう。

「それは、わたしもお願いしようかと思っているところでした。せめて青稜子くらいは御せるようにならないと・・・でもわたしでもできるでしょうか」

「あなたならすぐだと思いますよ」

太一は即座に言った。何といっても彼女は、才能に恵まれているのである。普通は、「見える」ようになるのでさえ、かなり苦労する。

「もっとも、青稜子レベルとなると少し難しいかもしれません。どうします?」

 物陰から見ていたエスクリットは小さく息をついた。これは、なかなか前途多難そうである。太一が、毛の先程でも良いので、久遠の図太さと厚かましさを持っていれば、案外簡単にまとまりそうな組み合わせなのだが。

「お師様ってば、のぞき見!」

後ろからあまねにつつかれて飛び上がる。エスクリットは口の前で人差し指を立てた。あまねも真似をしてエスクリットの下から二人の様子をうかがった。

「お師様、やっぱり仲人さんするの?」

ひそひそひそ。

「そうでもしない限り、あの竜と犬に襲撃され続けそうですからね。あの陰陽師にはめられました。こうなると分かっていて、あの竜使いに書状を届けさせたに違いありません」

エスクリットは言って、深いため息をついた。

「ああ、もうホントに困ったんだからねっ」

帰る道々、あかりが言うけれども、青稜子は聞いていない。

「一回あのじゃじゃ竜をぎゃふんと言わせてやらねばな。あーちゃんを馬鹿にした罪は重い」

「いいじゃない、そのくらい」

「よくはないわ!あのような使われ者風情にのうのうと言わせておいたのでは、この青稜子の名がすたる」

「いやだから・・・でもさ、竜はいけずでも、竜崎さんいい人だよね」

「あんなでくの坊。たかがあのような竜も使いこなせず、振り回されて情けない」

青稜子は辛辣である。

「そうかなあ・・・でもきっとホントはすごい人なんだよ」

あかりは、そんなことを言った。


「・・・で、そこ止まりか」

あきれたように久遠が言う。

「そんなこと言ったって・・・」

とこれは太一。

「誰か他に好きなおなごでもいるのか」

「ま・・・まさか!」

太一は慌てて首を振った。基本的に女性は琉翔姫だけで手一杯である。彼女も女性と呼ぶならば、の話ではあるが。

「では、あの子が気に入らないか」

「そういうわけでは・・・」

もごもごもご。

「むしろ、気に入っていると見たぞ」

脇から祭主が言わなくともいいことを言ってくれる。

「なかなか良い子でな。うちの庫裡(くり)も気に入ったようじゃによって・・・まあ、男所帯じゃからの」

「お内儀も気に入ったか。それは良かった。内輪もめがいちばん面倒だからな」

一人頷く久遠。太一は思わず叫んだ。

「勝手に話を決めないで下さい!」

「諦めろ、太一。この家に生まれてきた主(ぬし)が悪い」

久遠は相変わらず無茶を言ってくれる。

「そうじゃなくて。彼女が可哀相じゃないですか」

太一が言い募る。それを聞いた久遠はにっと笑った。

「そうかそうか、では向こうがうんと言えばいいのだな。祭主」

「おお」

江戸時代生まれ二人してうなずき合う。

「早速準備じゃ!この際呪詛でもなんでもしようぞ」

ばたばたばたばた。

----冗談だろう----

太一はぐったりと座り込んでしまった。


 チリチリと鈴が鳴る。

「いらっしゃいま・・・」

せ、と言いかけてあまねは思わず構えた。太一である。・・・が、何も起こらない。

「あれ、あの赤い竜は?」

「琉翔姫なら外に縛ってきました。また暴れても困りますので」

「大変そうだねえ」

そんなことを言い合っている間に奥で客の相手をしていたエスクリットが出てきた。客を送り出し太一に向き直る。

「どうしました?」

「それがその・・・」

太一は久遠と祭主が何やら怪しげなことを画策している話を告げた。

「何とか二人を止めて下さい。私では全然駄目で・・・母まで一緒になる始末で」

はああ、と深いため息をつく。

 赤い澄んだ水色のハイビスカス・ティー。一口含んで太一はまたため息をついた。気の毒に、彼は久遠の手がエスクリットにまで及んでいるとは夢にも思っていない。

「彼女は嫌いですか?」

エスクリットはそんなことを尋ねた。

「いえ、そういうわけでは・・・」

「相性は悪くありませんよ」

「ですが、彼女にも選ぶ権利はあるわけで・・・私はこの通り竜崎の家に生まれてしまいましたので諦めているのですが、それに彼女まで巻き込むのは・・・」

「気が進みませんか」

「滅茶苦茶ですよ、こんなの。あの二人のことです、彼女の首を縦に振らせるためならどんなことでもやりかねません」

と太一。エスクリットは苦笑した。なかなかの言われようである。祭主と久遠が聞いたらさぞや苦く思うに違いない。

「えげつなーい」

あまねが声を上げた。

「許せないよ、そんなの」

「まあねえ・・・それほどひどいことはしないとは思いますが。何しろ相手が普通の人間ですからね。分かりました、とりあえず話を通してみましょう」

エスクリットが言う。太一はほっとしたような表情をした。


「何事だ?」

またも窓から久遠がやってくる。窓を開けたあまねはおかしな生き物が久遠の足下にいるのに気づいてのぞきこんだ。

「ん?ああ、式神だ」

窓枠をくぐりながら久遠が言う。

「しきがみ?」

あまねはキョトン。

「おいおい、エスクリット、お前さん、弟子に式神の意味も教えていないのか?」

「式神というのは、陰陽師の使う・・・そうですね、使い魔のようなものです」

エスクリットが、茶を淹れながら言った。

「魔じゃない、一応"神"だ。鬼神の方だが」

久遠が脇から訂正する。

「ええと、神様?」

何やら良く分からない。あまねは、首をひねっている。久遠はといえば、面倒くさくなったらしい。説明するのを放棄して言った。

「あー、まあ、細かいことは気にするな。とにかく、あいつは、式神。要するに、式神だ。エスクリット、上げてもいいか?」

「あ・・・ええ、どうぞ」

エスクリットの許しを得て、久遠は、式神に手で合図をした。窓の下で大人しく待っていた式神が、ぽん、と窓枠を飛び越えて入って来る。床に着地する刹那、ごうっと風が巻き起こった。おお、とあまねが目を丸くする。

 それ以上は、特に変わったことは、起こらないようである。あまねは、しげしげと式神を見た。犬のような獅子のような・・・狛犬のような。

「これが式神・・・」

目の前で手をひらひらと振ってみるが、式神は、特に興味を示さない。

「まあ、ちょっと珍しいタイプだがな。式神もいろいろあるんだ」

ちゃっかりと席に着いた久遠が、茶の入ったカップを受け取りながら言った。

「こいつは、ちょっと特別でね」

「ふうん・・・ペットみたいなものかな」

とあまね。まさかのペット扱いに、久遠が脱力し、エスクリットが苦笑する。あまねが尋ねた。

「大人しいね。名前なんていうの?」

「は?名前?」

久遠はきょとんとし、それから大声で笑い出した。

「式神に個別の名称をつけたって話は聞かないな。余程強力な奴の場合は、元から名前を持っていることもあるが」

「ふうん・・・」

どこか気に入らない様子であまねが式神に手を伸ばす。噛みつかれないだろうか?

「ああ、こいつは大人しいから大丈夫だ。それでエスクリット、話って?」

「太一とあかり・・・でしたか、あの二人のことです」

エスクリットは椅子を勧めながら言った。お茶とお茶菓子をついでに回す。

「ははん、さては太一坊の奴、今度はここに助けを求めに来たな」

「一体、何をするつもりです?」

「別に大したことじゃあない。家同士で話をつけた方が早かろうと思って。太一があれだからな、何しろ。まったく甲斐性のない。お前さんはお前さんで、ちいとも役立たずだったし」

言いたい放題言っている。

「よく言いますよ。了承も取らずに押しつけておいて」

「お前さんも占い稼業をしているなら、まじないで二人を近づけるとかなんとかしたらどうだい。もう少し積極的にするとか。惚れ薬とまでは言わないから」

「私は占い師であって、まじない師ではありません」

「似たようなものだろうが。お前さんとこにも細かい商品があるじゃないか」

「あれはほんの気休めですよ」

「詐欺師」

久遠は言って笑った。

「本当に効果があったら危険でしょうが」

「お前さんなら効果のあるのも作れるんだろう。一つ作ってはおくれでないか」

「久遠!」

バン、エスクリットがテーブルを叩く。式神の相手をしていたあまねが驚いてふり返った。

「冗談だよ、怒りなさんなって」

久遠が笑う。

「分かってるさ。人の心はそんな風に弄んでいいもんじゃあない。たとえ極悪人であろうとな。だから普通の手段を取っているんじゃないか」

「少し二人をそっとしておいてやれませんか?」

「どうして?」

お茶を飲みながらきょとんとした表情になる。

「あの太一だぜ。私らがどうにかしてやらなきゃ一生チョンガーだ」

「どこから拾ってきたんです、そんな単語。・・・いや、それはともかく、あなた方が動きすぎるから、太一さんが動けないんです」

「へええ、言うじゃないか。裏切り者」

「何が裏切り者ですか。全く・・・一体あなた方はまとめたいんですか、壊したいんですか」

「まとめたいに決まってるだろ」

「ならしばらく放っておくことです。双方それなりに思ってはいるのですから」

「あかりも太一が好きか」

「・・・というところまでは行っていないようですけどね。時間が必要なんですよ、彼らの場合」

「なるほど。うむそれを聞いて安心した。私のカンに狂いはなかったな。よし、これで後顧の憂いなく話を進められるぞ」

うれしげに言って久遠が立ち上がる。

「久遠!」

全くこの御仁は。エスクリットは慌てて久遠の腕を把んだ。

「駄目ですって。無理に進めてはまとまるものもまとまりません」

「私は人間だぜ。これは人間同士の問題。任せときなって。おい、行くぞ!」

式神を引き連れちゃっちゃと出ていってしまう。

「あ、久遠、ちょっと待・・・」

エスクリットはああ、とため息をついた。





「・・・というわけで、行ってこい」

久遠に蹴り出されて太一がため息をつく。何やらおかしな雲行きになってきた。天を仰いでまた重たいため息をつく。嫌だ・・・というわけでもない。けれども何かが違うような気がする。あかりもお前のことを好きらしいから交際を申し込んで来いと久遠に言われたのである。

 普通なら反抗するところなのだろうが、そうしようと思いつかないところが太一の太一たる所以である。いずれにせよ、久遠と祭主には、逆らわないに越したことはない。何しろ史上最強の江戸時代生まれコンビである。何をされるか分かったものではない。

 まあ、久遠と祭主が無理矢理あかりにうんと言わせようとしなかっただけでも、ましといえるかもしれない。

 外では祭主が急な依頼が入ったから、今日の術の教授はできない、とあかりに告げていた。無論こちらも久遠とグル。祭主は太一の姿を認めるとちょうど良い、といった様子で言った。

「ここまで来て戴いておるのじゃ、町を案内あないして差し上げてはどうかな?」

なかなか強引な展開。やれやれ、太一は内心ため息をつきながらその筋に乗った。

 飛龍を呼び出し、あかりを乗せる。そして、一気に久遠お勧めの「でぇとすぽっと」なるところへと飛んだ。

「きれいなところですね!」

あかりが感嘆の声を上げる。一面金色に実った稲穂。緑の畦を赤い曼珠沙華が彩っている。飛竜はぐるり、大きな円を描いて回ると高台に降りた。

「向こうが市街。それから向こうのほう・・・ちょっと見にくいけれど、あれが海」

太一が指さす。

「もう少しましなことが言えんのか」

ひそひそひそ。物陰には二つの影・・・祭主操る白竜を使って後を追ってきた祭主と久遠の二人である。

「ほれ、いい加減に切り出さんか」

ごちゃごちゃごちゃ。

 太一はしばらくどこに何があって・・・という話をしていたけれども、とうとう引き延ばすのを諦めて切り出した。

「実は・・・あの、少しお話があって」

 物陰で二人が握りしめる手に力を入れる。そうそうがんばるのだ、太一。押せ押せ行け行け。

「実は・・・その、もし誰か好きな方などがいないようでしたら、ぼくとつきあっては戴けないかと」

うむうむ、少々ストレートすぎるがまあよい。二人が陰で頷く。

「え・・・」

急な申し出にあかりが驚いた表情になる。

「ええと、わたし・・・」

あかりが何かいいかける。ごくり、陰の二人は唾を飲み込んだ。と、太一があかりの言葉を遮って言った。

「すみません、返事を戴く前にお話しておかなくてはならないことがあるんです」

 何?眉をひそめる物陰の二人。そして太一は二人が思わず飛び出して行こうか、という衝動に駆られるようなことを話し始めた。すなわち・・・事の一部始終全てである。

「竜崎の家は代々竜使いなんです・・・」

云々。だから普通の人では妻がつとまらないこと、祭主や久遠たちがあかりを獲得しようと躍起になっていること。

 言わなくてもいいことまで全部ばらしている。

「あいつ~」

帰ったらギタギタにしてやる、久遠は心に深く思いながら太一をにらみつけていた。これでは話をぶちこわしにしようとしているも同じことである。

「祭主、一体あいつにどんな教育を施したのだ」

小声で祭主をつつく。

「知るか。半分はお主の責任だぞ」

「半分も関わっとらん」

ひそひそひそひそ。

「大体誰に似たのだ、色男でならしたお主の血筋だってのに」

久遠がつつく。

「知るか、わしの方が聞きたいわ」

 そんな物陰からの視線も気づかぬ気に全てを話し終えた太一は言葉を継いだ。

「ぼくは、竜崎の家の人間ですからそれでいい。ですがそれにあなたまで巻き込みたくない・・・あなたの人生はあなたたのものですものね」

「・・・」

あかり沈黙。

「こういうわけですから・・・断って下さって構いません」

 ああああ。物陰で二人がげっそりとする。太一の馬鹿め。そんな風に言ったのでは仮にイエスと言おうとしていたとしても言えないではないか。

 あかりは何も言わない。太一は意味もなく手近の小枝をパキリと折り取った。

「その・・・なんだかひどいことを言っていますね」

うんうん、陰の二人が頷く。

「何て言ったら・・・いいのか・・・」

上手く伝えられない。

「太一さんは・・・太一さん自身はどう思われているのですか?」

あかりが尋ねる。

「ぼく・・・ですか」

どきどきどきどき。

「ええと・・・そりゃあ、あなたが来て下さったら・・・うれしいですが」

目が合う。おお、言ったな。物陰の二人が固唾を呑む。

「でも、わたし、妖犬つきです」

あかりが言った。

「いいじゃないですか。それで。ぼくは、青稜子好きだけど」

太一は柔らかな笑みをもらした。青稜子。琉翔姫は目の敵にするけれども太一はあの妖が結構好きである。

「太一さんが嫌じゃなければわたしはいいです」

 おおおおお、なんという展開。恐らく太一よりも陰の二人の方が心拍数が上がっていたに違いない。

「・・・って・・・まさか」

太一が目を丸くする。

「分からないけれど、おつきあいしてみてもいいかなーって。駄目ですか?」

「い・・・いや、ぜんぜんいいです」

さすがに舞い上がり気味の太一は少々日本語が乱れているようである。

「ただ・・・」

あかりは少し首をかしげて言った。

「ただ?」

太一が緊張気味に尋ねる。手に汗握る陰の二人。

「ただ、あの、わたしおつきあいってしたことがないのでどうしたらいいのか・・・」

一気に脱力する陰の二人組。あの太一にしてこの少女である。絶妙といえば絶妙のコンビなのかもしれない。

 太一はけれどもほっとしたように笑った。

「あは、実はぼくもなんですよ。・・・困りましたね」

「・・・どうします?」

「と・・・とりあえず・・・」

おお、太一が珍しくリーダーシップを取っている。陰で、二人が思わず身を乗り出した。

「本屋にでも行ってみます?」

と太一。期待に胸を躍らせていた物陰の二人が、どっと崩れる。

「駄目だありゃ・・・」

久遠と祭主は額に手を当て二人深いため息をついた。

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