(2)
青稜子がいない。それだけで、これほども世界が変わってしまうものなのか。
あかりは、震える息をついた。長らく気配だけで、姿自体は見えなくなっていたいろんなおかしなものが見える。
見えるだけなら、まだいい。あかりを無視する連中もあるが、凝視するものもあり、さらには、近づこうとするものさえある。中には、奇妙な息のようなものを吹きかけてくるものもあり、それを食らうたびに、身体は、重く、だるく、苦しさばかりが増して行く。
寄せ付ける隙をつくらないよう、気を張り詰め、手に持った札を握りしめる。かつて修験者が置いていったという札。これがあるから、まだ、この程度で済んでいる。けれども、札に書かれた文字と文様は、日一日と薄れて行くようだった。この札を使えば使うほど、込められた力が消えて行くのだろう。全て消え、この札の効力がなくなった時、一体何が起こり、自分は、どうなってしまうのか・・・
勝手に青稜子を星風館に預けてしまった。だから、親に言うこともできない。
自業自得---そんな言葉が、頭の中を絶えずぐるぐると回っている。
離れてみて分かる。どれほど自分が青稜子に守られていたのか。それを自分は、邪険にし、邪魔者扱いしてしまった。
---助けて、じぃじ---
思うまいとしても、どうしても、思ってしまう。自分で勝手に放り出しておいて、今更助けてくれなどとは、虫の良すぎる話なのに。
青稜子は、どうしているだろう?
青稜子に会いたかった。たとえどれほど怒られ、罵られるとしても。
---見るだけなら、いいよね・・・?---
あかりは、それで、重い身体を引きずりながら、星風館へと向かった。
星風館にほど近い場所まで来たところで、一気に身体が楽になる。おかしなものの姿はもちろん、気配の欠片すらない。その一方で、かすかに、ほんのかすかに、青稜子の気配があった。
引き寄せられるようにして、庭へと回る。そうっと垣根越しに覗いてみる。見れば、星風館で見かけた少女と青稜子が、盤を囲んで将棋をしていた。
「ちょっと待った」
少女が言う。
「待ったなしだぞ」
と青稜子。
「いいじゃない、一回くらい」
「勝負に情けは無用じゃ。ほれ、早ううたんか」
「うー、ケチ」
少女は言ってぱちり、銀を動かした。青稜子がパチリと駒を動かす。
「王手」
「ぎゃー、また?・・・えい、これでどうだ」
「ご苦労、王手」
「・・・」
少女は、穴があくほど盤を見ていたけれども、はあ、と大きく息をついた。
「うー、また負け?」
「また負け。これで12戦12敗じゃの」
青稜子が笑う。
「えーい、もう一回!」
少女は、言って駒を集め始めた。またもう一局始まる。青稜子がほとんど考えもせずパチパチ打つものだから恐ろしく展開が早い。
「こらこらこら、歩を二枚打つ奴があるか」
「え・・・?あらら」
云々。
「それ取っちゃだめ!」
「だめもかめもあるか」
「うう、わたしの飛車・・・」
「大体、
「そんなこと言ったって・・・」
かんぬん。えらく騒々しい。あかりは小さく息をついた。
青稜子が元気にしているのを見て、ほっとした。それと同時に、酷く寂しくもあった。いつも片っ端から人間を蹴散らして歩く青稜子が、あんな風に人に馴染むなんて。
---じぃじ、楽しそうだった・・・---
考えてみれば、青稜子があかりを守らねばならないような筋合いは、全くない。
今も覚えている。ある日、「久遠」と名乗る陰陽師が、青稜子をあかりに下ろした。青稜子は、初め、酷く怒っていたが、それから、急に大人しくなり、気がつけば、何くれとなく、あかりの世話を焼くようになった。いつも青稜子は、かばってくれ、守ってくれた。いつも傍にいてくれて---
いてくれたのではない。
不意に閃くものがあり、あかりは、唇を噛んだ。
縛り付けられていたのだ。
意識が逸れ、気力が弱まったところに、隙ができる。交差点で信号待ちをしていたあかりは急に何かに引っ張られてよろめいた。地面から生えた手がしっかと捕まえる。ふりほどけない。クラクションの音が響き渡る。
と、不意に強く腕をつかまれ、引き起こされた。
「大丈夫ですか?」
「ありがとうございます・・・」
ぺたん、と座り込んだままお礼を言う。周りの視線が痛いが、そんなことを気にする余裕もない。
ふと見上げてあかりはあれ、と声を上げた。
「いつかの・・・」
赤竜の
「あなたでしたか」
太一は言って、あかりを立ち上がらせた。
「一寸失礼」
ぱぱっとあかりの周りをはらう。急に体が楽になってあかりはほっと息をついた。
「すみません」
「どういたしまして。あの妖犬は?」
「それが・・・」
道すがら、あかりは、話しにくそうに、一部始終を説明した。
「置いてきた?あれを?」
頓狂な声をあげる。あげてから太一は慌てて口を押さえた。
「立ち話もなんですから」
近くのドーナツ屋に入る。いろいろその辺りを漂っているものが始終あかりに近寄ってくるが、一定以上近づくと、何故かはっとしたように皆逃げて行く。
「また一体全体どうして・・・守りの妖なのでしょう?」
「ええ、でもなんでもかんでも遠ざけてしまうんです。人間まで。それだけならまだしも、階段から突き落としたり池に落としたり宙づりにしてみたり・・・」
それを聞いて太一ははあ、と息をついた。どこの異界生物も全く・・・
「それより、あの、竜の方は・・・?」
「ああ、琉翔姫ですか。また町中で暴れられてはかないませんからね、町に出るときは
「あ、桜木あかりといいます」
あかりは、そういえば自己紹介をしていなかった、と思いながらそう名をつげた。
「ぼくは、竜崎太一といいます。桜木さん、妖犬は早々に引き取った方がよいと思いますよ。でないと、あなたの命に関わります」
「・・・」
あかりがうつむく。太一は、小さく息をつくと守り札を取り出した。
「とりあえず、これでしばらくは持つと思います。もっともあまりにも強力なものには、効果がありませんが。祖父ならもっとよい守り札を作れると思います。よろしければ、こちらへどうぞ」
一緒に名刺を渡す。
「白竜主神社・・・?神社の方だったんですか」
とあかり。太一は笑った。
「ええ。退魔専門ですけどね」
火曜日水曜日木曜日金曜日そして土曜日。あかりは電車だのバスだのを乗り継いで白竜主神社へと出かけた。あの守り札のおかげでとりあえず何とかなっているものの、たまに危なっかしい時がある。鎮守の森を抜け最後の内鳥居をくぐる。その境内で太一と子どもらが遊んでいた。
「次たーちゃんが鬼ね」
かごめかごめ。かごのなかの鳥は~、子どもらがそんな歌を歌う。その妙にほのぼのとした光景にあかりは思わずにっこりと笑った。太一の上で馬鹿馬鹿しい、とばかりにとぐろを巻いていた琉翔姫が片目を開けてあかりを見、しっぽの先でちょいちょいと太一をつついた。
「客じゃ」
「え・・・あ」
太一がいきなり立ち上がる。
「あ、たーちゃんずるっこ」
ちびどもが怒る。太一はそれをなだめあかりの方を向いて照れたような笑いを浮かべた。あかりもつられて笑う。
「お姉ちゃんも遊ぼう」
あっという間に子どもらに捕まってしまう。かごめかごめかごの中の鳥は。
「後ろの正面だーあれ」
歌い終わって一斉に座る。太一の後ろはあかり。子どもらにつつかれてあかりは小さく犬の鳴き真似をした。
「あ・・・桜木さん?」
「大当たり!じゃあお姉ちゃん鬼ね。っと、お姉ちゃんなんていう名前?」
「ん、あかり」
「じゃあーちゃんだね」
青稜子と同じ呼び方。あかりはちくり、胸に痛みが走るのを感じた。
「さー、あーちゃんの鬼ね」
子どもらがあかりを円の中心に押しやる。
と、
「こりゃ太一、お客様をきちんとおもてなしもせず子どもの相手をさせるとはなっとらん」
「あ、お祖父様、いつお戻りだったんですか」
太一が言う。
「師匠と呼べ師匠と」
ぽかぽかぽか。老人はあかりの方に向き直ると丁寧に頭を下げた。
「まったく甲斐性なしですみませぬな。当神社の神祇祭主、
「桜木あかりといいます」
あかりも頭を下げた。
いたく上機嫌な祭主が、先に立ち、奥へとあかりを案内する。
絶対、あかりとの関係を誤解しているに違いない---太一は、何とか誤解を解こうとしたが、祭主は、あかりと話をするのに忙しく、口を挟ませてもらえない。
祭主は、庭の良く見える縁へとあかりを案内すると、
「いやいや、折角ご足労いただいたのに、お茶の一つもお出しせで・・・」
と、そんなことを言った。
ポンポン、と手を叩き、
指示を出したところで、今度は、太一を振り返る。そして、小声で叱りつけた。
「全くそなたに妙齢の女性客が来たと言うから見てみれば・・・そのようなことでは到底
「違います!」
太一は抑えた声で慌てて言った。が、祭主の方は聞いてなどいない。
「ところであかり殿は、ご兄弟姉妹はおありかな?」
そんなことを尋ねる。
「弟一人と妹が一人いますけど」
何故そんなことを聞かれるのだろう?あかりが怪訝そうに答えると、祭主は、破顔してドンドンと太一の背を叩いた。
「おお、それは重畳。太一よ、良かったな」
「だから違いますってば!」
太一が小声でそうささやく。そこへ、今度は、奥の方から大きな声が聞こえてきた。
「え、太一が彼女連れてきたって?」
ばたばたばたばた。
「いらっしゃい、太一の母です」
小柄だけれどもエネルギッシュな感じの女性が顔を出す。
「何もないけれど、ゆっくりしていってね」
太一の母親は、お茶と茶菓子を置いた。
「ありがとうございます。桜木といいます」
あかりが戸惑いながら頭を下げる。
「母さんは下がってて。もう、早とちりなんだから」
太一は言い、とりあえず母親を追い出した。
「何が早とちりだ?」
と祭主。
「あのですね、お祖父様・・・と、師匠、彼女は仕事の方の客です。守り札を作っていただきたいんです」
「守り札?そなたが何とかすればよかろう」
「そうも行かないんですよ」
太一は言って手短にわけを説明した。
「・・・なるほど。あかり殿、申し訳ないが、太一の渡した守り札を少し外してみてはくれぬかな」
祭主に言われてあかりが守り札を机の上に置く。
「ふうむ」
祭主はあかりを眺め、しばらく考え込んでしまった。
「こりゃちいと厄介じゃの。もしまだ引き取ることができるなら、その妖犬を引き取る方がよかろうが。まあ、いずれにせよ、今すぐに代わりの守り札を、とは行かぬようじゃ。明日・・・明後日までになんとかしよう。その時今一度取りに来ていただけるかな」
「あの・・・」
あかりが困ったような顔をする。脇から太一が言い添えた。
「少し家が遠いんですよ。学校が終わってからだとちょっと遅くなると・・・」
「何、少々遅くなっても構わぬ。行き帰りは、太一に送らせるによって心配召されるな。この守り札はそれまで決して身からはなさぬようにな」
祭主はあかりに言うと、また、ぽかり、太一を叩いた。
「ほれ、何をぼーっとしておる。しっかりお送りせんか。ほんに甲斐性のない。これだから未だにふらふらと身を固められぬのじゃ」
「そうはおっしゃいますが、師匠、僕はまだ19・・・」
「19なら
「師匠~!失礼なことを」
太一があわてふためく。
「なんじゃ、そなたに任せておいては埒があかぬからこうしてわしがだな・・・」
「それではまとまるものもまとまりません」
「言うたな、まとまるものも、ということは気があるということじゃな」
「違います!」
「躍起にならずともよいわい。この通りひょうきんものでな、いやいや、これに懲りずに来て下されよ」
茫然としているあかりを前に祭主はそんなことを言って頭を下げた。
「すみません。うちの頓狂な家族が失礼を・・・」
道々太一がそう謝る。住まい家で話している間外に置かれていた琉翔姫が頭上から尋ねた。
「今度は、何をしでかしたのじゃ?」
「あー、こっちの話」
琉翔姫に聞かれるとこれまた厄介である。太一は玉の中に琉翔姫をしまいこんだ。
「ユニークな御家族ですね」
・・・としか言いようがない。あかりは苦笑しながらそんなことを言った。
「いやまったく」
太一も苦笑する。家まで送ると言った太一の申し出を丁寧に断りあかりは帰っていった。
はああ、一人になって太一が深いため息をついた。全く、うちの家族と来たら!
「違ってたの?」
家に戻ると母親がいかにもがっかりした様子でそんなことを言った。
「早とちりもほどほどにしてよ」
と太一。
「だって、あの子が持っていたの、あなたの守り札でしょ。だからお母さんてっきり・・・」
「仕方がなかったんだ。あのくらい強いのでないと彼女は守れない。何しろかなりの見鬼能力だから」
「なら、ちょうど都合いいと思うけどねえ」
「こっちの都合だけで決めるわけに行かないよ」
「あれ、太一、実は気がある?」
「そういう意味じゃないよ!もう、みんなすぐそういう風にとるんだから」
太一はきつい調子で言うと自分の部屋へ引き上げた。
月曜日。あかりは、学校の帰りに神社へ寄った。終わってすぐ学校を出たけれども、それでも神社に近い駅に着くころには辺りはかなり薄暗くなっていた。
「やあ」
太一が手を挙げる。
「ひょっとして待っていて下さったんですか」
「そろそろつくころかと思って。良かった。この前のに懲りて、来ないんじゃないかって少し心配してたんです」
太一はそんなことを言って歩き出した。
「家族にはよく言って聞かせておきましたからね、大丈夫だと思います。僕の守り札をお渡ししてあったんで勘違いしたらしくって。まったく早とちりなんだから」
「あ・・・これ、あなたのものだったんですか?あの、」
「あ、気にしないで。私には琉翔姫がいるんでほとんど必要のない代物なんです。一応念のため持ち歩いているだけで」
と、不意に太一は異様な気配を感じて身構えた。気配はするけれども姿が見えない。
----隠形か----
軽く舌打ちをする。町中を連れ歩くと面倒なのと慣れた場所なのとでつい琉翔姫を神社に置いてきてしまった。今太一に見えない、ということは基本的には相手の方が力が上であることを意味している。
太一はあかりをかばうようにしながら仕込んである
きゃっ、とあかりが鋭い悲鳴を上げた。熱のようなものが腕に走る。危うく匕首を取り落としそうになって、けれども辛うじて太一は耐えた。第二撃が襲って来、ぐらり、景色が回転した。一瞬方向感覚が失われ、焦りもあって酷く頭が混乱してしまう。
「あそこ!」
傍らで太一を突き倒して共に倒れたあかりが斜め上方を指した。
「来る!」
考える暇もない。太一は匕首を投げつけた。
上手く当たったらしい。ギャッという音がして妖が姿を現した。見えれば、まだ対処のしようは、ある。太一は左手に気をためて投げつけ、相手を吹き飛ばした。
座り込んだまま、ふう、と額をぬぐう。完全には仕留め損なってしまった。またこの分だと襲ってくるだろう。
「動かないで」
あかりがハンカチを取り出し傷口に巻き付ける。
「ありがとう・・・助かりました。隠形の妖も見えるんですね」
太一が言うとあかりはこくんと頷いた。
「ごめんなさい」
小声で謝る。
「どうして謝るんです?」
「だってきっとわたしのせいだから」
あかりの妖魔引き寄せ体質はどうやらかなり強烈らしい。太一は愛想良く笑って言った。
「気にしないで。琉翔姫を置いてきた僕が悪かったんです」
「大丈夫?」
「大丈夫大丈夫」
太一は言って立ち上がった。あかりの手を引いて立ち上がらせる。とにかくここは急いで神社の結界までたどりつかなくてはならない。
「なんで琉翔姫を置いていった」
話を聞いた祭主は、そう叱りつけた。
「すみません」
太一が首をすくめる。言い訳のしようもない。
「いくら琉翔姫が寛容だからと言って、なんという扱いをしておるのだ、お前は。そんなことだからいつまでたっても琉翔姫はお前を主人として認めぬのだ」
ガミガミガミガミ。
・・・と言われても。
普通に連れ歩くと何かとあちこちでトラブルを起こして回るのだから仕方がない。今の時代は、竜たちにも住みやすいとはいえないようである。
「あかり殿を危険にさらして、竜使い失格じゃぞ」
「いえ、元々あの妖はわたしに寄ってきたもので、あの、太一さんがかばってくださったわけで・・・」
あかりが口を挟む。
「あかり殿、お心遣いはありがたいが、これは太一の過ちです。あかり殿にお怪我がなくて幸いだったものの・・・いや、それはともかく、守り札でしたな」
やっとお小言が収まって祭主は札を取り出した。
「まあこれで、大体は良いかとは思いますが、しかし札には限界がありましてな」
そう言いながら札をあかりの方へ押しやる。
「少し、修行を積みなさるか?」
「修行というと・・・?」
「退魔の修行です。あなたは類い希な見鬼能力をお持ちじゃ。ところがそれを支えるだけのものがない。それ故、魔妖どもに付け入られるのです」
「は・・・あ・・・」
急に言われてもピンとこない。
と、どやどやと派手な足音がして人が入ってきた。
「太一坊が妖とやりあって怪我をしたって?」
心配している、というよりは面白がっているらしい口調。からりと硝子障子が開いて白い衣装を身につけた細い、けれども精悍な体つきの男が顔を出した。太一と祭主が同時に彼を見やる。
「あ、久遠様」
「おお、久遠、よいところへ」
----久遠----
あかりは驚いてその人物に目を向けた。ぼんやりと見覚えのある姿。白い衣装、長い黒髪を後ろで一つにまとめて・・・
「久遠様!」
あかりは思わず立ち上がり久遠に駆け寄った。久遠がいぶかしげな顔をする。
「私としたことが、このように麗しい女性を忘れるとは。少々お待ちを。ええと・・・誰だったかな」
そんなことを言う。
「桜木です。桜木あかり」
「桜木・・・?」
しばらく考えていた久遠はぽん、と手を叩いて言った。
「おお、あの妖魔収集機のチビちゃんか!」
思い出したとたんにこれである。
「少し見ない間に大きくなったな。その後、皆、変わりないか?」
「はい」
「それは重畳・・・おや、青稜子はどうした?」
「それが・・・」
あかりが口ごもる。
「久遠様、お知り合いだったんですか?」
様子を見守っていた太一が口を挟んだ。
「昔、青稜子という妖犬を彼女に降ろしたことがあってね」
「というとあの妖犬?」
太一が頓狂な声を上げる。
「おや、会ったのかい?」
「会ったというかなんというか、その、琉翔姫と大騒動を引き起こしまして・・・」
「ははは、それはさぞや凄まじかっただろうな」
久遠は言って大きな声で笑った。見た目に似ぬ豪快な笑い声である。
「笑い事じゃありませんよ。町のど真ん中でやってくれたんですから」
と太一。
「すまんすまん。しかし、そうか、それで青稜子は置いてきた、というわけか。ふむ、まあ、太一坊が婿になるなら、青稜子はおらずとも構わぬかもしれん」
「婿?」
「おや、違うのかい?それで、ちびちゃん、おっと失礼、このお嬢ちゃんがここにいるのだとばかり思ったが?」
はああ。太一は深いため息をついた。家族をやっと納得させたと思ったら今度は久遠である。
「違います」
太一はきっぱりと言った。あかりがなんと思うかを考えるだけで、頭が痛い。
「それじゃ、一体なんだってお嬢ちゃんがこんなところにいるんだ?」
「それが・・・」
太一とあかりは、わけを話した。話が進むにつれ、みるみるうちに久遠の表情が険しくなる。
「何という馬鹿をした!」
聞き終わるなり久遠は、怒鳴りつけた。ビリビリとガラス障子が震えるほどの大音量である。
「す・・・すみません」
あかりは、飛び上がって頭を下げた。
「ああ、まったくこれだから・・・いいか、青稜子のような妖は滅多にないんだ。それをむざむざと・・・」
「ですが、桜木さんの気持ちも分かる気が・・・」
太一が口を挟む。久遠はちらり天井を見、小さく息をついた。
「まあ、祓ってしまわなかっただけましか。それで、預けたのはいつだ?」
「前の前の土曜日・・・」
消え入るような声であかりが言う。きっと久遠の眉がつり上がった。
「何故すぐ引き取りに行かなかったっっ」
聞く者を吹き飛ばさんばかりの語調。あかりがもじもじしながら言う。
「その・・・なんだか・・・悪いような気がして」
「馬鹿な」
久遠は、祭主が折角作ってくれた守り札をひっちゃぶいてしまった。
「こんなものくらいで守れるほどお前さんの体質は生ぬるいもんじゃない。一生結界の中で暮らすってなら別だが。上手く行くか行かぬか分からぬが、青稜子を引き取る他あるまい」
「戻って来てくれるでしょうか」
「さあな。分からん。これだから、素人ってのは度し難い。すぐに引き取りに行っていれば確実に戻せたものを。とにかくついて行ってやる。早いほうがいいな。今から、と言いたいところだが、万一を考えると、少し準備がいる。ってことは、明日だな」
「すみません、明日は委員会の引継が・・・」
申し訳なさそうにあかりが言う。久遠は額に手を当てた。
「そんなことを言っている場合か。んなもん休め!」
電車の中を琉翔姫が行ったり来たりして近づこうとする妖魔を散らしている。誰も気づかない。
「すみません」
あかりは恐縮してそんなことを言った。いい加減自分の妖魔収集体質が嫌になってくる。
「自分で選べないからねえ」
太一は言って笑った。
「でも久遠様、少しもお変わりないみたいで」
あかりが少し首を傾げる。久遠があかりに青稜子を降ろしたのはあかりが六つの時のことだった。今あかりは18。10年以上もたつのに、久遠は今も若く見える。
「仙人みたいな人だもんね」
と太一。
「ぶらりとやってきてはふいといなくなる。祖父の友人らしいし、父も子どものころよく遊んでもらった、なぞと言っているし、一体本当はいくつなのやら」
「おお、あれはな、たーちゃんのおじいと似たような生まれだぞよ」
琉翔姫がぬっと頭をつきつけてそんなことを言った。
「相も変わらずふらふらとしおってからに」
「ちょっと待ってよ、琉翔姫、お祖父様と同じような生まれって・・・」
「祭主より2年ばかり早く生まれておったと思うたがな。ん?3年であったか?」
「・・・・嘘だろう」
太一が目を丸くする。
「嘘ではないわ」
「お祖父様はおいくつ?」
あかりが尋ねる。
「それがねえ・・・」
太一はどうしたものかしら、と思いながら言った。まあ、彼女も見鬼ならこういう話は理解できるかもしれない。
「実は、江戸の生まれなんですよ」
「は???」
あかりがきょとんとした表情になる。
「江戸と言っても終わりの方なんですけどね。今の暦に直すと1852年だったかな」
「ちょ・・・ちょっとそんな馬鹿な」
それでは、軽く150歳を超えてしまう。
「いや、少しややこしいんだよね」
太一は曖昧な笑いを浮かべて言った。これを聞いたらどんな顔をするやら。
「祖父と言っているけれども、実際には祖父の祖父にあたるんだ。ただ、なんだか昔退魔をしている最中に時間を飛ばされたらしくって、間80年だか90年だかがすっ飛んでる」
「・・・・」
途方もない話にあかりは唖然。
「87年」
琉翔姫が訂正した。
「・・・だけど、久遠様は別に時間を飛んではいないのだろう?」
「おらぬが、いつごろからかいつもああいう感じじゃの。ありゃ人間の怪物じゃ」
本人がいないのをいいことに琉翔姫はそんなことを言って笑った。しっぽの先で雑霊をぺしっと張り飛ばす。
「今に妖になってしまうんではないかの。なったらその時は妾が狩るによって、たーちゃん、止めるでないぞえ」
「また勝手なことを・・・どうしてそんなに妖を目の敵にするんだ」
「なんじゃ、妾がおらんで襲われて怪我をしおったくせに、まだ妖をかばうか。しかしの、ありゃあ悪い妖になるぞ、絶対」
「久遠様は良い方だよ」
太一が言う。
「妾は嫌いじゃ。1つ2つのころはまだめんこかったがの、だんだんひねくれおってからに。今では見りゃれ、妖を人に降ろし、たーちゃんの負傷を笑うような
「何だかえらく偏見が入ってるような・・・」
ぼそっと太一がつぶやく。
「偏見ではないわ」
琉翔姫は言うとぐるんと電車内で回転した。
「ですから、これは、属性というより・・・」
術の説明をしていたエスクリットが、不意に口をつぐむ。固い空気を察して、あまねは、物問いたげに声をかけた。
「お師様?」
程なくして、チリチリと扉にかかったベルが音を立て、二人連れの客が入って来た。
「いらっしゃいま・・・」
言いかけたあまねは、けれども、一気に険しくなった店内の空気に、続く言葉を飲み込んだ。
入って来たのは、二人。一人は、見覚えがある。桜木あかり。青稜子の依代で、店に来るたびに、すみません、すみません、といつも謝り倒している。そしてその後ろには---
何が、というのでもない。とてつもない威圧感がある。がっしりとした体格で、見慣れない装束を着、手には、錫杖を持っている。
一方のエスクリットはといえば、いつの間にか立ち上がっており、いつになく険しい空気をまとい、その見慣れぬ客を見据えていた。
---ひええ、おっかないね---
あまねは、そんなことを思った。青稜子の時とは違い、爆発こそしなかったが、まるで金縛りにでもあったかのように、身体が動かない。
客とエスクリットは、しばらく互いを探るように睨み合っていたが、相手の方が先に折れた。ふ、と表情を緩める。そして、落ち着いた声色で言った。
「たいそうご迷惑をおかけしたようで、申し訳ない。青稜子はどこに?」
「こちらです」
エスクリットの方も少し警戒を緩め、客を案内するべく先に立った。慌ててあまねも追いかける。追いかけついでに、こそっとあかりに尋ねてみた。
「あの人は?」
「久遠様といって、陰陽師で・・・」
あかりは説明しかけたが、庭先に青稜子の姿を認めると、そちらに気を取られたらしく、口をつぐんでしまった。
青稜子はといえば、既に気配を察知していたらしい。こちらに尻を向けて伏せていた。相手をしたくありませんのポーズ。
ピリピリとした空気が、辺りを覆い尽くしている。
あかりはもちろん、青稜子や久遠、そして何故かエスクリットまで、酷く神経をとがらせているらしい。
一体、何をそんなに緊張する必要があるのだろう?あまねは、ひとり、キョトンとして、皆を見回した。久遠が青稜子に歩み寄り、更に緊張が高まる。様子を見守るエスクリットの手に「力」が密かにため込まれているのに気づき、あまねは、内心、更に首をひねった。
青稜子は、ずっとあかりが迎えに来るのを待っていた。その迎えが来たのである。何をこれほども警戒する必要があるのだろう?
小さく久遠が息を吸う。あまねを除く全員の緊張が最高潮に達し、そして、久遠は、思いのほか落ち着いた声音で言った。
「青稜子、すまないが、戻ってくれないかな」
青稜子は、何も言わない。あまりにも放置されすぎて、すっかりヘソを曲げきっていた。
「じぃじ、お願い・・・ごめんなさい、帰って来て」
あかりが進み出て、そう頼む。が、青稜子は知らん顔を決め込んでいる。
「やっぱり、許してはもらえないよね・・・」
あかりは沈んだ声でそんなことを言った。
「ただヘソを曲げているだけだ」
久遠は小声であかりに言うと、今度は大音量で言った。
「返事をしないか、青稜子!」
「うるさい」
やっと青稜子が言葉を返す。
「彼女の元に戻れ!」
久遠は完全な命令口調で言った。
「知らぬ」
少し震える声で青稜子が言う。
「青稜子、」
また強い口調で何か言いかけた久遠を押しとどめ、あまねは、青稜子に歩み寄った。ひょいと首を抱き寄せる。
「青稜子、そろそろ許してあげなよ」
あまねは青稜子の耳にそうささやきかけた。
「十日だぞ?その間、私がどんな気持ちでいたか分かるか?何を今更・・・」
「だけどこうして迎えに来てくれたんだから」
「ふん、都合のいい時ばかり」
あまねはしばらく青稜子をなでていたけれども、あかりを捕まえて隅に連れていった。
「どうしてもっと早く来なかったの?」
そう問いつめる。
「一方的に置き去りにしておきながら、自分が困るからってまた勝手に迎えにくるなんて、あんまりひどいような気がして・・・」
「それ、ちゃんと言った方がいいよ。青稜子、ずっと待ってたんだから」
あまねがあかりを押して青稜子の側に連れて行く。
「・・・」
すべて聞き終わっても青稜子ときたらだんまりこっくり。
「仕方ないなあ、もう」
あまねは言いながら、ぽん、と青稜子の尻を叩いた。妖相手の無謀な動作に、ハッとして久遠とエスクリットが構える。
「何をする!」
と青稜子。声は怒りを含んでいるが、害意はないらしい。それを見て、エスクリットは、構えを解いた。
「意地っ張りもいい加減にしなよ。ずーっとつまらなさそうな顔してたくせに。あなたがいないとあのお姉さん、危険なんでしょ」
「お前に言われる筋合いはないわ」
「友達の忠告は聞くものだよ。ほら、行った行った」
言ってまた一つぽん、と青稜子を叩く。
「ああ、まったく、そうぽんぽんぽんぽんひとを叩くでない」
青稜子はしぶしぶといった様子で、よっこらせ、と立ち上がった。そんな青稜子の様子に、久遠もゆっくりと構えを解いた。どうやら、上手く話がまとまりそうである。
「まあ、わしがおらぬことには、やって行けぬか」
うーん、とのびをしてそんなことを言う。あかりは、ここぞとばかりに、一生懸命頷いた。
「仕方がない、行ってやるか。まあ、久々の休養もとれたことだしな」
「ありがとう、じぃじ!それから、本当に、ごめんなさい」
あかりは、青稜子の首に飛びつき、そう言った。ごめんなさい、ごめんなさい---繰り返し謝る。
「わしの偉大さを今頃知ったか。まあ、分かれば良い。だが、二度はないぞ」
偉そうに言う青稜子に、あかりは、幾度も幾度も頷いた。
何やら弱く気のはじける気配がする。勝手に星風館の庭へ入り込んだ久遠は、窓から中をのぞき込み、軽く叩いた。
気配を早々に察していたらしい店主が、窓を開ける。
「悪いね、ちょっと失礼」
久遠は窓をひらり乗り越えると中に降り立った。
「あれ、昼間の・・・」
とことこと昼間の少女が近づいて来る。先刻の気のはじける気配は彼女のものだったらしい。
「やあ、さっきは助かったよ。できれば無理矢理青稜子を縛るようなことはしたくなかったからね」
久遠はそう礼を述べた。
「どういたしまして。でも青稜子ってほーんと意地っ張りなんだから」
「まったくね」
「その後、青稜子はどうしていますか?」
「ああ、なんのかんのと依代に説教たれながら帰ったよ。そのことで礼を言わねばと思ってね。初めはあの大馬鹿者、祓ってくれなぞと言ったんだって?」
「ええ、ですがいくらなんでもそれはまずいかと思いまして」
「いや、さすがいい判断だ。重ねて礼を言うよ」
ほう、と久遠が息をつく。エスクリットはお茶を淹れながら言った。
「どういたしまして。彼女に青稜子を降ろしたのはあなたでしょう?なかなかできることでは、ありません」
「あのくらいは大したことじゃあない。・・・ところで・・・」
久遠は、あまねをまじまじと見、何事か言いかけたが、とりやめ、代わりに、お前さんの弟子かい、とそんなことを言った。
「あまねです」
ぺこりあまねが頭を下げる。久遠は軽く頭をたたいた。
「あーと、そういえば自己紹介がまだだったな。私が、稀代の陰陽師久遠です。以後お見知りおきを」
言って一礼する。
「きだいのおんみょうじって何?」
あまねはエスクリットを見て尋ねた。久遠脱力。エスクリットは苦笑して言った。
「稀代というのは世にも稀、ということです。つまり、滅多にないほど優れた陰陽師、くらいの意味になりますね」
「自分で言う?」
とあまね。
「事実だ」
久遠はのうのうとそんなことを言ってのけた。
「なんだかなあ」
あまねが苦笑する。
「実際彼は相当な使い手ですよ」
エスクリットはお茶を久遠にすすめながらそう言った。
「お師様とどっちが上?」
あまねの単刀直入な台詞に久遠とエスクリットが顔を見合わせる。
「さあて・・・できれば敵に回したくない相手だな」
と久遠。エスクリットも頷いた。
「私もごめんこうむりますね。ああ、申し遅れました、この星風館の店主、エスクリットといいます」
「エスクリット・・・切り裂く光・・・光の剣、か」
低く久遠が言う。エスクリットはハッとして久遠を見た。
「何故それを・・・」
「ふふふ、だから言ったろ?稀代の陰陽師だって」
久遠は不敵に笑うとお茶を飲み干し、立ち上がった。
「ごっつぉーさん、まだしばらくこの辺りにいる予定なんで、何かあれば言ってくれ。じゃな、お嬢ちゃん、しっかり修行しとけよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます