犬竜の仲
山狸
(1)
「あの・・・桜木さん」
校門近くでどこぞの学校の男子生徒に呼び止められる。背後で
「ぼく・・・」
先は聞かなくても分かっている。
「あの、すみません、少し急ぎますので」
あかりはそう言うと慌てて逃げ出した。
「あの男、気に入らん、少々ヤキを入れてやるか」
背後で物騒なことを青稜子がつぶやいている。
青稜子。あかりの守護霊・・・にしては妖気がえらく漂っている。それもそのはず、これはれっきとした魔物の類、妖犬である。毒をもって毒を制す、元々霊だのなんだのに取り憑かれやすい体質のあかりを雑霊から守るため、この青稜子をわざわざ呼び出してあかりに取り憑かせたのである。それ以後青稜子はずっとあかりに取り憑きつつ守りつつやってきたのだけれども、一つだけ困ることがあった。青稜子は自分の気に入らない人間があかりに近づこうとすると決まってさんざんな目に遭わせて撃退してしまうのである。
「じぃじ、あの人が悪い人かどうかなんて分からないでしょ」
あかりは無駄と知りつつそんなことを言った。
「いいや、寄りつくムシは悪いムシと決まっておる」
にべもない。あかりは深いため息をついた。
「じぃじ・・・それじゃわたし、一生結婚できないよ」
「心配いらぬ、まだ学生ではないか。学生の本分は勉強すること。時期が来たらこのじぃじが三国一のムコを見つけてやる」
青稜子はおおいばりでそんなことを言った。
「竜崎君、今度のゼミ旅行なんだけど・・・」
同じ学科の高崎ちとせが声をかけてくる。
「参加するよね?」
「あ・・・うん」
「参加費8900円よろしくね」
「分かった」
「次は・・・と」
高崎が去って行く。頭の上でとぐろを巻いていた赤竜の
「ありゃなんじゃ、はしたない」
「ミニスカートだよ」
「スカート?上着だけで下を忘れて来たのかと思ったぞえ」
「いやまあ、普通より少し短いかもしれないけど」
太一は言って笑った。
「あれならはいてもはかぬでも同じではないか」
「と僕に言われてもねえ」
太一の家は神主の家系で、それも竜使いの系統に当たる。本来ならば父親が継いでいるはずだったのだが、何を思ったか会社に就職してしまったので、一代飛んで太一が跡を継ぐことになった。それはいいのだけれども・・・
「ああ、退屈じゃの。・・・お、獲物じゃ!」
琉翔姫は言うと太一に了解も取らず廊下へと出ていってしまった。
「あ、琉翔姫」
慌てて太一が追いかける。が、追いつくころには琉翔姫はとうに一仕事終えていた。
「
琉翔姫はつまらなさそうに妖の残した気をひっかき回した。
「琉翔姫、勝手に動き回っちゃいけない、って言ってるだろう」
と太一。が、琉翔姫に反省の色はまるでない。
「まあそう固いこと言うな、たーちゃん、別に
そう、跡を継ぐということで、赤竜を引き継いだはよいのだけれど、琉翔姫、これっぽっちも太一を主人だと思っておらず、少しも言うことを聞かないのである。はあああ、太一は深いため息をついた。
ずだだだだん、階段から人が転げ落ちる。
「じぃじ!」
とっさにあかりは小声でそう叱った。
「あのおやじが悪い。あーちゃんに触ろうとした」
青稜子はけろりとしたものである。
「だからって、大けがでもしたらどうするのよ」
「自業自得だ」
確かに痴漢撃退はありがたいのだけれども、いつ人死にが出るかとあかりの方は気が気でない。
「何をぼやぼやしている。学校に遅れるぞ」
青稜子にせかされて学校へと急ぐ。どこへ行ってもついてくるお目付役。あかりは今日も深いため息をついた。
「おはよう」
「おはよう」
挨拶を交わし部屋に入る。と、ふとあかりの耳に占いの館の話が飛び込んできた。
「でね、そこの占い師の方というのがすっごい美形なんだって・・・」
云々。
「その占いがまたとてもよく当たって・・・」
かんぬん。
「噂によるとなんでも悪霊に取り憑かれた人が払ってもらったとか・・・」
これだ!あかりはそんなことを思った。この手の話の多くは怪しげだけれども、中には、本物もある。目に見えないものを見、不思議な力を操る人々がこの世には、存在する。青稜子をあかりに降ろしたのもそうした人々の一人だった。久遠。今はどこでどうしているのやら。
帰りに早速遠回りをして、噂の店に寄ってみた。駅の商店街を抜けた先のこぢんまりとした瀟洒な建物。「
----本物だ----
あかりは小さく息を吸い込んだ。頭の上をうろうろしながら青稜子が何やらぶつくさ文句を言っている。
「何だ、かような怪しげなるところ、入るものではないぞ」
が、あかりは構ってなどいない。誕生日プレゼントを買うだけだから、と説明して洒落た作りのドアを押し開けて一歩踏み出した・・・と、
ドカーン、という派手な音が響き渡った。
館内は滅茶苦茶。亜麻色の髪の国籍不明な店主が慌てて外へ飛び出して行く。
「す・・・すみません」
あかりは必死に謝った。確かに力の強い場所だとは思ったけれどもまさか爆発を起こすなんて。星風館の特殊な「場の力」で姿を結んだ青稜子は、けれども、少しも悪いと思っていない様子でしっかと四肢をふんばってうー、と低くうなっている。
と、ひょい、と奥のカウンターから頭が覗いた。小学生くらいの女の子。青稜子を見ると慌てたように首を引っ込めてしまった。おっかないお客だなんだとぶつぶつ呟いている。
ほどなくして店主がまた戻って来た。すみません、すみません、と謝り倒すあかりに、いえいえ、大丈夫ですよ、と穏やかな声で言った。
「ただ、できれば、先にご一報戴けるとありがたかったのですが」
「まさかこんなすごいことになるなんて思わなくて・・・ほら、じぃじ、謝って、あなたが悪いんだから」
あかりは、そんなことを言って、青稜子をつついた。
「なんでわしが謝らなくちゃならん?何もしとらんぞ。大体こんな胡散臭いところに出入りしてはならんと言っておるのに、無理に押し入るからこうなるのであろうが」
青稜子は、いばった様子でそんなことを言った。カウンターから目だけ出した少女が、ぽかんとして青稜子を見つめている。青い大きな大きな「犬」。お客の背と同じくらいの高さがある。何故か、口もきけるらしい。
「それで、ご用件は何でしょうか」
店主が尋ねた。
「すみません、友達のプレゼントになるものを、と思って来ただけなんです」
とあかり。細かいことは、分からないが、どうやら自分たちがいると、あまり良くないらしい。早いところ立ち去った方がいいだろう。
「男性ですか、女性ですか?」
「あ・・・女性です」
あまねは、ちら、と隣の犬を見やりながらそう答えた。実のところ、あかりには、プレゼントを贈れるような友人は、男女を問わず一人もいない。青稜子が少しでも気に入らないと、すぐに相手を「痛い目」にあわせるせいで、皆に気味悪がられている。青稜子の姿自体は、皆には、見えない。見えないだけに余計に薄気味悪いらしい。
「ああ、それなら・・・あまね、向こうの棚の右から3番目の引き出しを見て下さい。そこに蝶のブローチがあるはずです。色違いを一揃い持ってきていただけますか」
店主は、ぐったりとしたまま、そう指示した。あまね、と呼ばれた先刻の少女が、すっ飛んで行って、言われた品物を持ってくる。
「どれでもお好きな色を」
「では、これを」
あかりは、最も手近にあったものを一つ選び、代金を払うと、小さく息をついた。
「わたし、桜木あかりといいます。あの、お店の修理代金ですが・・・」
あかりが言いかけると、店主は、軽く手を振った。
「ご心配なく。術による破損ですので、通常の破損のようなことは、ありません。お気をつけて」
落ち着いて柔らかい物腰ではあるが、早く出て行って欲しいらしい気配が感じ取れる。それで、あかりは、重ねて謝り倒しながら、青稜子を引き連れ、そそくさと店を出た。
「あの店主、気にくわんな」
青稜子が、背後でそんなことをつぶやいている。
「じぃじ、いくら気に入らないからって爆発させることはないでしょう」
「別にそのつもりがあったわけではないわい。相性の問題じゃな。ふん、おかしな結界を張りおってからに。何者じゃ、あ奴。少々調べてみねばならん」
「じぃじ・・・お願いだから大人しくして、ね」
「何が大人しくして、だ。あーちゃんは余計なことを考えずに勉強しておればよいのじゃ。学生の本分は勉学にあるによって、いらざることにうつつを抜かすでない」
はああ、あかりは深いため息をついた。この過保護過干渉の鑑のような妖犬、どうにかからないものだろうか。
一方、店の方では、店主のエスクリットが、完全に伸びていた。
「お師様、大丈夫?」
あまねが声をかける。
「大丈夫です。とりあえず、片付けなくては」
エスクリットは、軽く手を広げた。破壊されてボロボロになっていた壁や天井、棚の類いが、元に戻る。力の使いすぎで、くらり、と目が回ったが、辛うじて踏みこたえた。後は、細々とした商品の類いである。
そこいら中に散らばった品物を集め、問題がないかを確認し、元の場所へと戻す。
「あ、ガラスの破片に気をつけて」
ひっくり返った机を起こしながらエスクリットが言った。散らばった品物を仕分けながら、あまねが首をかしげる。
「はいはーい、大丈夫。・・・それにしても、あの犬って・・・」
「あれは、恐らくあなた方が言うところの妖犬の一種だと思います」
「よーけん?」
「犬の妖怪とでも言いますか・・・実際は、犬とはまた異なるんですけどね」
「犬の妖怪?あのお客さん、妖怪連れて歩いてるの?」
「そうなりますね。ですが、通常、人には見えませんから、どうということはないでしょう」
「でも、わたしにも見えたよ。しゃべってた」
あらかた仕分け終わったあまねは、箒とちりとりを取ろうと物置に向かった。引っ張り出した箒に引っかかって倒れかかってきたモップをげいんと蹴飛ばし、中に押し込んで扉を閉める。
「星風館内なので像を結んだだけですよ。もっとも、彼自身、かなり力があるようですから、姿を見せようと思えば見せることもできるんじゃないですか。私の結界を強引に破ったために、爆発が起こったんです。他に人がいなくて幸いでした」
言ってエスクリットはほう、とまた大きく息をついた。
「お師様、ほんとに大丈夫?」
「大丈夫です。結界が崩された影響と力の使いすぎ。しばらくすれば治ります」
「結界って崩されるとだめなの?」
「相性の問題ですね。あの妖犬の力と私の力の相性はかなり悪いようです。反発しあって暴発する」
「力の相性かあ・・・」
「まあ、おいおい分かってきますよ・・・と、大体こんなところですか」
「まだ、仕分けただけだから、箱の中ぐちゃぐちゃだよ」
「それは、また後で整理しましょう。今日は、もう店じまいでいいでしょう。二度とあの方が店を訪れないと良いのですが」
エスクリットは、ぐったりとして、そんなことを言った。
「えーと後は・・・と」
歩きながら、太一は、メモに目を走らせた。
「サフランにプチトマト・・・」
一方、あかりは、この後の予定を組み立てながら、歩いていた。
「ええと、それから、本屋で・・・」
そのまますれ違いかけたところで、ぎょっとして二人は、立ち止まった。
「琉翔姫!」
「じぃじ!」
同時に叫んで各々の妖と竜を追いかける。
「ひょっとしてあの竜の・・・?」
走りながらあかりが尋ねる。
「お恥ずかしながら・・・と。では、ひょっとしてあの妖犬は・・・?」
と太一。
「守り妖なんです」
「守り妖!まずい!琉翔姫、琉翔姫!」
太一は叫んだけれども、妖犬を見つけて血をたぎらせている竜にはとんと届かない。妖犬と竜は互いに威嚇しあいながら空を飛んでいた。ピカッガリガリガリ、晴天に光がはじけ雷鳴がとどろく。
「なんだなんだ」
道行く人々が見上げるけれど、妖犬や竜が見えるはずもない。
「これは狩りがいがあろうというもの」
赤竜がうれしげに言う。青稜子は鼻先で笑った。
「なんじゃ、使われ者風情が」
「ふん、みすぼらしい依代に縛り付けられた情けない魔妖が何を言う」
「みすぼらしいだと!」
ガシャーン、稲妻が落ちる。
「あーちゃんをみすぼらしいだと!」
「は!何があーちゃんじゃ。笑わせてくれる」
晴天にわかにかき曇り、風が荒れ狂う。
「琉翔姫!」
太一は必死に叫んだ。
「おお、たーちゃんか、すぐ終わらせるによって・・・」
「お前こそ何がたーちゃんだ」
青稜子は言って気を放った。太一に気を取られていた赤竜の琉翔姫が吹き飛ばされる。
「こんの・・・やりおったな!」
上空で妖犬と竜がやりあうものだから、それが響いて地面まで揺れる。
「危ない」
太一は慌ててあかりを突き飛ばした。竜の放った鋭い気の刃が地面に刺さり消える。仕方がない。太一は手印を組んだ。
「竜姫帰順 急急如律令」
強制的に赤竜を自分の支配下に収める。これをすると後々琉翔姫の機嫌が悪くなるのであまりしたくないのだが、この際そんなことは言っていられない。ここぞとばかりに飛びかかろうとした青稜子をあかりがわざと雑霊を近づけて呼び戻した。雑霊を追い払い青稜子があかりの側に収まる。
「ふー・・・すみません」
どちらからともなく二人は謝った。あっという間に雲が切れ、元の晴天が戻ってくる。
「このごろの陽気は変ですねえ」
そんな呑気な会話を人々が交わしているのを聞き流しながら二人はやれやれ、と息をついていた。それぞれの方向へと分かれて行く。
「琉翔姫、困るよ、町中で勝手に暴れられちゃ」
「何を言うか、この唐変木。もう少しで狩れたものを」
琉翔姫は完全にご機嫌斜め。
「あれは彼女の守りの妖なんだ、狩りとっちゃだめなの」
「ふん、妖に守らせるなど、言語道断。大体たーちゃんは甘すぎるのじゃ!妖など・・・」
また一匹見つけたらしく、さっと行って狩り散らして戻ってくる。
「妖などのさばらせておいてはならぬ」
「妖と言ってもいいものも悪いものもいるわけで・・・」
「いいや、妖は悪いものと昔から相場が決まっておる。よいか、そなたも
「いや、僕は覡じゃなくて竜使い・・・」
「似たようなものじゃ!」
機嫌の悪い琉翔姫は太一を叱りとばすとまだそれでも気が収まらぬ風で辺りの雑霊その他に当たり散らした。
本を読んでいたエスクリットは、意識の端にかかった覚えのある感覚に、一瞬、身体をこわばらせた。
チリンチリン
虹ガラスのベルが音を立てる。そして、見覚えのある客が一人、入って来た。
桜木あかり。いつぞや、爆発を引き起こした客だが、前回とは異なり、妖気がほとんどない。どうやら、この間の騒ぎに懲りて、どこかに置いてきたらしい。
「少々御相談したいことがあるのですが」
「桜木様でしたね。どうぞ」
相性がなんであろうと妖犬憑きであろうと客は客である。エスクリットは椅子を勧めた。
「どうされましたか?」
「あの・・・青稜子のことなんです。あ、青稜子というのは、この間一緒にいた犬というか、何というか・・・」
「妖犬のようですね」
「ええ。実はわたし、昔、
「なるほど、うまく行ったわけですね」
「ええ、それは良かったのですが、じぃじが遠ざけるのは悪霊の類だけではなくって」
あかりはそんなことを言って、はあ、とため息をついた。
「といいますと?」
「人間にも容赦がないんです。少し近づいただけでひどい目に遭わされた人もいて、わたし、このままではなんだかいろいろ心配で」
「なるほど」
エスクリットは言い、小さく息をついた。
両親か祖父母かあるいは他の者か、彼女に青稜子をつけた理由は、占うまでもなく分かる。彼女は基本的に、取り憑かれやすい
実のところ、妖と呼ばれるもの全てが宿主に害を及ぼすわけではない。位の高い者ほど己が行動にこだわりを持つし、プライドも高い。うまく扱えば非常に役に立つ。ただ、それを御するだけの力がこちらにも求められるのだけれども。そういう意味では、青稜子があかりのような非力な人間の「言うことを聞かない」のは、無理ない話である。
「そのことをきちんと青稜子と話し合ったことはありますか?」
エスクリットはそう尋ねてみた。
「問題を起こすたびに、やめるよう言うのですが、全然聞いてくれなくて。でも、言われてみれば、しっかり話し合ったことは、ないです・・・あんまり言うと、怒ってヘソを曲げそうで」
「あなたの能力では、上から青稜子を制御するのは、現状、不可能でしょう。ただ、幸い、青稜子は、話して分からない相手ではないようです。現に、あなたのことを守っていますし。話の分からない妖であれば、とうにあなたを食らうなり何なりしているところです。一度落ち着いて話し合いをされてみては、如何ですか?」
「そう・・・ですね、確かにじぃじは頑固者だけれど、話が全く通じない、ということはないですよね、きっと。じぃじなりにわたしのことを考えてくれている、というのは、わたし自身よく分かってはいるんです」
あかりは少し明るい顔になって立ち上がった。
「ありがとうございました。あの、お代は?」
「結構ですよ、何を占ったわけでもありませんから」
「でもそれでは・・・」
「どうかお気になさらずに。それより、そろそろ青稜子がしびれを切らすころなのではありませんか?」
「あ、そうでした」
あかりは慌てて礼を言うと飛び出して行った。また青稜子が押し入るようなことがあってはそれこそ申し訳が立たない。
「悪霊を祓うのに妖犬を取り憑かせるなんて、滅茶苦茶考える人がいるんだねぇ」
あかりが出て行くと、隠れていたあまねが出てきて、そんなことを言った。
「かなり高等技術ですけどね、あながち滅茶苦茶、ということもありませんよ。位の高い妖ほど話は通じやすくなりますから。もっとも恐ろしくプライドも高いケースが多いんですが。それはともかく、どうも嫌な予感がするんですよねえ」
「お師様の予感は当たるからなあ」
あまねが笑う。エスクリットは、少々情けなさそうに言った。
「笑い事じゃありませんよ。まったく」
ぼちゃん、水音がする。
「じぃじっ」
あかりは反射的に言った。けろりとして青稜子が言う。
「何も大したことはない、どうせ鯉もうんざりするような浅い池じゃ」
「笠野さんは、何もしていないじゃない」
「いいや、あ奴あーちゃんの陰口をたたいておった」
「じぃじ・・・」
あかりが頭を抱える。
「少しくらいの陰口、大目に見てあげてよ」
「陰口のような卑劣行為をする奴は許せん」
「でも直接言ってきたらもっとひどい目に遭わせるくせに」
「当然じゃ。あーちゃんを傷つける奴は絶対許さん」
のうのうとして青稜子が言う。あかりはまた深いため息をついた。
「じぃじ、わたしだってもう小さな子どもじゃないんだから・・・」
「いじめられたと泣きついてきたのはどこの誰であったかの」
「それはもう十年以上も昔の話じゃない」
「ふん、あれから大して変わっておらんわい。黄色いくちばしがついておるよ」
言われてあかりは思わず口に手を当てた。全くいつまでたっても子ども扱いなんだから。
エスクリットに言われて、何とかじっくり話し合おうとしてみたが、「あーちゃんは、学問を頑張っておればいい」だの「わしに任せておけ」とだのと言われるばかりで、結局、どうにもならなかった。
このままだんだんエスカレートして行ったら、一体どうなってしまうのだろう?最近とみに、青稜子のやり口が荒っぽくなって来ている。あかりはちらり、青稜子を見、小さく決心を固めた。
「祓うのですか、あの青稜子を」
星風館の主エスクリットは少しばかり弱ったな、といった風情でそんなことを言った。
「ですが、それではあなた自身困るでしょう」
「このままではわたし、一生あの犬に世話を焼かれて行かず後家で、友人もなく終わってしまいます。それに、このまま行けば、何が起こるか・・・」
「まさかそこまでは青稜子もしないと思いますよ」
「今日も同じクラスの笠野さんという方を庭の池に放りこんでしまったんです。少し陰口をたたいた、というだけの理由で。一事が万事この調子。大抵みんな気味悪がって、私と話をする時もおっかなびっくりなんです」
「ですが祓うというのはねえ・・・一度祓ってしまえば次はもう戻せませんよ?」
「構いません。でないと今に人死にが出ます。そんなことになったら、わたし・・・」
あかりは言って、顔を覆った。
「手加減はしているようですけどねえ・・・」
エスクリットは小さく息をついて言った。
「青稜子のような妖は貴重ですよ。彼は完全に野のものではないようですし。元々は誰かの手元にいた気配があります。そういう点ではどうこう言いながらも人が好きなんですよ」
けれどもあかりは硬い表情をして黙りこくっている。仕方がない。エスクリットは小さく息をついて言った。
「ではこうしましょう。しばらく当方でお預かり致します。それでいかがですか?」
「あれ、お師様、何か変えた?」
学校から帰ってきたあまねが、鞄を置きながら、そう尋ねた。
「ええ、少し結界の種類を変えました」
「そうなんだ?」
良く分からない、といった様子で、あまねが、小首をかしげる。それから、少々不審そうに、庭の方へ目を向けた。多少の気配くらいは、分かるようになって来たらしい。
「見てきてごらんなさい」
エスクリットは、庭を指し、そんなことを言った。
どうやら、庭に何かがいるらしい。あまねは、言われた通り、庭へと出てみた。
「なんだ、脳天気娘か」
どこかで聞いたような
「あー、いつかのおっかないでか犬」
「でか犬とはなんだ、失礼な」
「失礼はそっちだって一緒でしょ。脳天気娘って言った」
思わずあまねが言い返す。が、青稜子はそっけない。
「事実だ」
言われてあまねがぐっとつまる。
「何か用か」
犬は、細い目で見下ろすようにしてあまねに言った。
「いや、用ってほどのこともないけど・・・どうしてここにいるの?」
「余計なお世話だ」
青稜子は、どこかふてくされたように伏せると、それっきり黙り込んでしまった。
「お師様、どうしてあの犬がここにいるの?」
あまねはエスクリットの元に戻るとそう尋ねた。
「彼が、人を水に突き落としたとかで、困り果てた依代が置いていったんです」
「置いていったって・・・断れば良かったのに」
「あまりにも思い詰めた顔をしていたので、少し引き離した方がいいかと思いまして」
「でも、お師様、相性が悪いって言ってなかった?」
「まあ、適当に距離をおいておけば、問題はありません。それで、あまね、非常に申し訳ないのですが、彼あの面倒をお願いできませんか。私は、あまり近づけないものですから」
「うん、分かった!」
あまねは、元気よく返事をし、引き出しから財布を引っ張り出した。
「じゃあ、ちょっと買い物して来なきゃ」
「買い物?何を買うんです?」
「犬用品」
ばたばたとあまねが駆け出して行く。
「あ、あまね、ちょっと」
エスクリットが声をかけかけたが、届く前に、あまねは扉を押し開けて出て行ってしまった。
「これは何だ?」
青稜子が尋ねる。
「ドッグフード」
とあまね。
「これをどうしろと?」
「食べるに決まってるじゃない。これでお手玉でも見せてくれるってなら見せてくれてもいいけど?」
「・・・これは?」
「ミルク」
「まさか飲めと言うのではなかろうな?」
「ほかにどうするっていうの?床磨きでもしてくれるの?」
どうもこのえらくいばった犬を相手にしているとつい喧嘩腰になってしまう。
「・・・・・・」
青稜子は、あきれたようにあまねを見ていたが、ぷいっと横を向いて伏せてしまった。
「ちょっと、折角買ってきたのに少しは手をつけるのが礼儀ってもんじゃないの?」
「誰が。食べたきゃお前が食べればいいだろう」
「なんでわたしがドッグフード食べなきゃいけないのよ」
「同じことを返させてもらおう。なぜわしがドッグフードなんぞを食べねばならん。わしを何だと思っている」
「・・・犬でしょ?」
「!!!」
ぐらぐらっと地面が揺れたようだった。驚いたエスクリットが飛び出してくる。
「あまね!」
見れば、目をまん丸にして、あまねが硬直している。その脇で青稜子が火を噴いて怒っていた。
「誰が犬だと!」
「だって犬じゃない」
「無礼な!」
ぐらぐらぐらぐら。
「犬は犬・・・フガ」
エスクリットは慌ててあまねの口をふさいだ。
「刺激してはいけません」
「青二才、ペットの躾くらいきちんとしておけ!」
青稜子がエスクリットの姿を認めてそんなことを言う。今度はあまねが怒る番だった。エスクリットの手を振り払ってわめく。
「だあれがペットですってぇぇ!」
「事実だ」
「犬のくせに生意気に!」
「犬ではないわっ」
青稜子が怒るたびに地面が揺れ、風が巻き起こる。エスクリットは再びあまねの口を押さえて言った。
「青稜子、大人気ないではありませんか」
「礼儀を知らぬようなガキはとっくりと教えてやらねばならん。その娘を貸せ」
「申し訳ありません。良く言って聞かせますから、今日は許してやって下さい」
エスクリットが頭を下げる。あまねは気に入らなくてじたばた暴れたが、さすがに今度はエスクリットはしっかり抱えて放さない。と、あまねががぶり、エスクリットの手に噛みついた。
「いたた」
エスクリットが放した拍子にあまねが叫ぶ。
「化け犬が無礼も何もないっ」
「言ったなぁぁ」
ごごごごご、と地鳴りが響く。エスクリットは慌てて叫んだ。
「落ち着いて下さい、青稜子!」
が、青稜子の方は聞いてなどいない。急に空が暗くなり、いきなり、
派手な音がして無数の火花が辺り一帯に飛び散った。もろに雷を受けたエスクリットがその場に頽れる。
「お師様!」
「・・・っ・・・大・・・」
慌てるあまねにエスクリットは低くつぶやいた。大丈夫、と言いたいのに、体全体がビリビリとして、思うように動けない。
青稜子は、あまねに向かって言った。
「ふん、すぐに収まるさ。残念だったな、お前の黒こげが拝めるかと思ったんだが」
「どうしてこんなひどいことするのよ!」
あまねが怒る。
「お前が悪い」
「だけどお師様は、関係ないでしょ」
「別に、わしが狙ったのはお前だ。それをそこの馬鹿がかばっただけで。心配いらん、すぐ回復するわ。あんな程度でくたばるようなタマではないわい」
何か言い返そうとしたあまねの袖をエスクリットが引いた。よろよろと起きあがりあまねを押さえつけたまま青稜子に謝る。
「ほら、あまね、あなたも謝って」
「だって・・・」
元はといえば向こうが悪い。そう思っているあまねが口をとがらせる。が、エスクリットに睨まれて不承不承ぴょこりと頭を下げた。
「ごめん」
青稜子はそんなあまねをしばらく睨んでいたが、ふん、と鼻を鳴らすとまたふてくされたように伏せの姿勢に戻った。
「お師様、ごめんなさい」
建物に戻ったあまねは、開口一番、そう謝った。
「大丈夫ですよ。あなたにもっときちんと説明をしておかなかった、私のミスです」
通常の人間には、「見えない」世界のことを教えるのは、難しい。エスクリットにとって「当たり前」のことも、普通の人間にとっては、全くそうではないのだが、ついそれを失念してしまう。
あまねは、ぼつぼつ「修行」を開始しているとはいえ、どちらかといえば、通常の人間寄りであり、こうした「異界」のことには、まだ、全くといっていいほど、分かっていない。
「あまね、『妖犬』というのは人が勝手に犬を連想してつけた名前で、実態は全く違います。言ったでしょう、位の高い妖はプライドが高いって」
「うん・・・だけど、向こうが・・・」
「まあ、妖相手に真正面からケンカをするのもあなたらしくて良いといえば良いですけどね。ただ、今は、青稜子自身傷ついているんです。ですから多少大目に見てやって下さい」
「傷つくって・・・?」
「なにしろ守っている依代に置き去りにされたわけですからね。青稜子としては、当然、内心面白くないわけです」
「あー、そりゃそうかあ・・・そうだよね」
あまねが、しょんぼりと言う。どうやらとんでもないポカをしでかしてしまったようである。
「初めに、もっときちんと説明しておくべきでした」
エスクリットは、慰めるように言った。
「ああ、それから、青稜子は普通の食物はとりません。多分、良質の酒なら、好むでしょう」
「お酒飲むの?あの犬」
「あまね、その言葉」
エスクリットに指摘されてあまねが首をすくめる。
「犬は禁句でした。お酒飲むんだ、あの・・・なんだっけ、青稜子?」
「ええ、ただし本当にいいものしか口にしないでしょうけれど」
「そっかあ・・・神様みたいな感じなのかな?」
「そうとも言えるかもしれません。いずれにせよ、神であれ、妖であれ、人間が決めた区分と呼称に過ぎませんから・・・」
「うううん?」
どうにも、理解が難しい。
「まあ、おいおい、分かるようになりますよ」
眉間にしわを寄せて考え込んでいるあまねに、エスクリットは、そんなことを言った。
「なんだ、馬鹿娘」
相変わらず青稜子は口が悪い。
「今度はなんだ、キャットフードか?」
そんなことを言う。あまねは白い紙につつまれた一升瓶をでん、と青稜子の前に置いた。
「なんだ、これは」
「お酒」
「ほう?」
青稜子の語調が少しばかり変わる。
「杯」
あまねは、自分の顔ほどもある杯を出して、どん、とこれも前に置いた。紙をはがし、蓋を開けてとくとくと杯に注ぐ。
青稜子はふんふんとにおいをかぐと、わずかに口をつけた。あまねが固唾をのんで見守る。
「ふむ・・・良いとは言えぬが・・・飲めなくもないな」
青稜子は言って、顔を上げた。酒の入った大きな杯がふわり、浮かび上がる。青稜子は、中身を一気に飲み干すと、杯を地面に下ろした。トクトクとあまねが、酒を注ぐ。
「多少は勉強したと見える。お前も飲め」
「わたしはいいよ」
とあまね。青稜子は大音量で一喝した。
「なっとらん!」
「そんなこと言ったって、ミセーネンだもん」
「わしの相手はできんというのか」
ここで機嫌を損ねては元も子もない。
「あー、もう、頑固じじい、仕方ないなあ」
あまねは、言うと、奥から小さな杯と水の入ったピッチャーを持ってきた。
「なんじゃ、そんな小さな器、大して飲めないぞ」
言いながら、青稜子が、ピッチャーをひょいと浮かせ、中身を注ぐ。
「器用だねえ」
あまねは、酷く感心した様子で言った。
---じぃじ、すごいすごい---
青稜子の脳裏に、手を叩いて喜ぶ幼い少女の姿が甦った。あの時注いでやったのは、「おれんじじゅーす」とかいうものだったか---
背中に乗せて走ってやったこともある。いじめられたと泣いた涙をなめ取って慰めてやったことなぞ、数知れない。じぃじ、じぃじ、と喜んでまとわりついて来、いつも青稜子を見るとうれしそうに笑っていた少女は、いつの間にか、絶えず困惑した表情でこちらを見てくるようになった。
---ありがと、じぃじ---
小さなかわいらしい手を広げて、精一杯の感謝を伝えようとしてくれたのは、ついこの間のことなのに。
それに似た小さな手が、ぽんぽんと首筋を叩く。慰めようとするかのように。いつの間にか、目の前の杯には、なみなみと酒が注がれていた。
これだから。
これだから、人間は、嫌いだ---
青稜子は、そんなことを思った。
奥底から衝動がこみ上げてくる。青稜子は、ぶるる、と身体を震わせた。四肢を踏ん張り、声を上げる。長い長い遠吠えに似た声が夜の闇の中に響き渡り、そして、消えて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます