最終話 キボウノテガミ

 ――神嶋市の郊外にある、小さな港町。その住民を苦しめる怪物メデューサを屠った、2人の英雄ツイン・ペルセウスス

 彼らの活躍により町に平和が戻り、悪魔は消え去った。


 メディアがそう報じている頃――鮎澤七海は、城北大学付属病院まで緊急搬送されていた。

 生死の境を彷徨うニュータントを救うため、メスを手にした天才外科医・橋野架。ニュートラルを切除できる彼の手術により、人々から「死」を願われていたニュータントは、奇跡の生還を果たしたのである。


 事前に彼と連絡を取り、手術の用意をしておくよう段取りを済ませていたデーモンブリード――赤星進太郎あかぼししんたろうの機転がなければ、手遅れになっていただろう。

 彼らの連携が功を奏し、メデューサ・ニュータントは鮎澤七海としての、本来の身体を取り戻したのだ。


 ――奇跡の再会を果たし、涙ながらに抱き合う母と娘。そんな彼女達の幸せな姿を、主治医である架は傍らで微笑ましく見守っていた。


 だが。この一件において、誰よりも身を粉にして戦っていたアーヴィング・J・竜斗は――彼女達を遠くから、切なげな面持ちで見つめるだけだった。


 彼は戦いが終わってから今に至るまで、ずっと――自分を責め続けていたのである。


 デーモンブリードの助力がなければ。機転がなければ。橋野架の手術がなければ。鮎澤七海は、決して助からなかった。自分は結局、何もしてあげられなかった。

 そればかりか――溺死しかけたあの一瞬。苦しみに負け、彼女を撃とうとした自分がいた。あんなに母を助けてほしいと、少女が祈り続けていたというのに。

 自分は苦痛から逃れるために、何よりも守らねばならないものを、犠牲にしてしまうところだった。自分の胸中に芽生えた「殺意」に、屈してしまうところだった。


 そんな自分が、どの面を下げて、あの輪に入ろうというのか。


 ――そう自分を責め立てる竜斗は、沈痛な表情のまま、気づかれないように踵を返し。笑い合う彼らに背を向け、病院を後にした。

 そして、病院の敷地を抜けた先で。


「……その様子じゃ、あの子には会わなかったらしいな」

「デーモンブリードさん……」

「進太郎でいい」


 壁に背を預け、腕を組む黒髪の少年が――神妙な面持ちで竜斗を出迎えていた。進太郎は竜斗の表情を一瞥し、彼の胸中と行動を看破する。


「……僕は結局、何もできないままでした。進太郎さんがいなければ、融合極光フュージョンスプレーガンは撃てなかった。橋野先生がいなければ、七海さんを救えなかった。それに僕は助けるどころか、彼女を……」

「……俺はな、竜斗。あんたのサポートを頼まれた……本当にただ、それだけだったんだ。あんたが彼女を処分する方針だったなら、俺もそうしたさ。ま、それならそもそも、俺の助けなんていらなかっただろうがな」

「……」

「橋野先生もニュートラルの切除は出来るが、死人を蘇らせることまではできない。……俺達が彼女を救えたのは、あんたがいたからだ。彼女のために、彼女達の笑顔のために戦う――あんたがいたからだ」


 彼は穏やかな声色で、そう諭すと。竜斗の傍らを通り過ぎ、雑踏の中にその姿を消して行く。


「あんたの想いが、俺達を動かして……彼女達の未来を変えたんだ。だからその想いは、彼女達にも必ず届く」

「進太郎さん……」

「だって、その想いは……俺達にも届いたんだから」


 救いたいという想いは、必ず届く。最後にそう、言い残して。


 竜斗は、そんな彼の背を見送り――ただひたすら、立ち尽くしていた。


 ◇


 ――それから、1週間。


 メデューサ・ニュータントの一件を胸に引きずりながらも、レイボーグ-GMはヒーロー活動を精力的に続けていた。

 後ろめたさは、ある。だが、ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。自分を信じて送り出してくれた、加倉井カオルや芝村慶吾――そして、乃木原佳音のためにも。


 そうして彼は、まるで戦いに逃げるかのように、休むことなく連日ヴィラン退治に励むようになっていた。

 そんな彼の活躍は、次第に「期待のニューフェイス」としてメディアからも取り上げられるようになったのだが――それがより一層、竜斗の罪悪感を煽っていた。


 自分は、そのような賞賛を浴びていい器ではないのに……と。


 そんな彼は現在、神威了によって手配された高級マンションで暮らしているのだが……今では、ほとんど留守にしている状態だった。

 自分のことを取り上げたニュースを見てしまうのが億劫で、最近はテレビも付けていない。

 ただ寝泊まりして、シャワーを浴びるだけ。目が覚めたらまた、憑かれたように戦いに行く。しばらくは、そんな日々が続いていた。


 ――そんな、ある日の朝。気を紛らわせようと、リビングで自作マイブレンドのコーヒーを淹れていた頃。


 ヴィラン対策室の役人が竜斗の元へ、「贈り物」を届けに訪れていた。


「はい、アーヴィングです……ってあれ? どうして対策室の人がここに……?」

「朝早くに失礼します、キャプテン・アーヴィング。神威捜査官からあなたに、これを渡すようにと」

「神威さんから? ……ていうか、その大仰な呼び方……そろそろ止めてくれません?」

「民衆が尊敬するヒーローに対しては、相応しい呼び名であるかと。すでに市民の間では、周知の通り名ですし」

「……はぁ」


 珍しい来客に目を丸くしつつ、派手な呼び名に辟易する彼に渡されたのは……一通のファンレターだった。


 通常、ヒーローに向けて贈られる市民からのファンレターは、専門の部署が検閲した上で箱詰めにされて送られて来る。

 なのに、今回はその一通を届けるためだけに、わざわざ対策室の役人が訪ねて来ていたのだ。


(……それだけ、特別な手紙ってこと? もしかして、カオルさんや芝村君からかな……)


 そこから考え付くものとくれば、竜斗にとって深く縁のある人物からの手紙――といったところだろう。

 そう当たりをつけた彼は、どこか昔を懐かしむような気持ちで封を開き――


「……えっ」


 ――言葉を、失ってしまった。


「……それと、神威捜査官から伝言も預かっております。『それを読んだら、数日休んで身を労れ』……と。では、私はこれで」


 そんな竜斗の反応を、予期していたかのように。役人はそう言い残すと、フッと頬を緩めて立ち去ってしまった。


 だが、今の竜斗にはそれに反応する余裕さえなかった。


 なぜなら――涙が、止まらないからだ。


『お母さんを助けてくれて、本当にありがとうございました。レイボーグ-GMは私達にとって、永遠のヒーローです。貴方に教えて頂いたコーヒー、お母さんからも大好評です』


 そう記した手紙に――写真が添えられていたからだ。


 新しい暮らしの中で撮られた、その1枚には――あの日見た、写真立てと同じ。

 気っ風のいい豪快な母親と、華やかに笑う可憐な少女の、幸せな姿が映されていたのだ。


 手紙によると、今では彼女達は引っ越した先で幸せに暮らしているのだという。娘は転校した先で、その美貌ゆえに早速クラスの人気者になっているのだとか。

 そんな彼女達が――自分を、応援すると言ってくれたのだ。


 諦めないでよかった。立ち止まらないで、よかった。

 その想いが、目尻から溢れ出し。竜斗の胸を、席巻する。


『君の想いが、俺達を動かして……彼女達の未来を変えたんだ。だからその想いは、彼女達にも必ず届く』


『だって、その想いは……俺達にも届いたんだから』


 偉大な先人デーモンブリードが残した、言葉通り。

 想いは届き――繋がったのだ。彼女達の笑顔から、竜斗の希望へと。


 ――そして、その希望が。彼を、新たなる戦いへと駆り立てるのだ。

 己を追い立てるためではなく――この日に勝ち得た、希望を守るための戦いへと。


 それはきっと、いつの日か。

 数多の希望を守り、繋げ合う者カクヨムヒーロー達へと、届けられるのだろう。

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