第2話 母と娘
「……あ、あの、さっきはごめんなさい。取り乱しちゃって……。首、大丈夫ですか?」
「あはは、平気平気。頑丈さだけが取り柄だからね」
――その後。懸命に不殺を宣言したことで、ようやく落ち着いた少女に連れられた竜斗は、彼女の自宅に招かれていた。
町の外れにある小さな家屋は、あちこちに傷が入っている。不安に押しつぶされそうな町の住民達が、彼女の家に不満をぶつけたのだろう。
竜斗はその痛ましさに眉を顰めながら、玄関を潜って六畳間の部屋に足を運ぶ。一足早く部屋に入った少女は、キッチンにある家庭用のエスプレッソマシンと格闘していた。
「い、いま飲み物を用意しますので……狭いですけど、くつろいでいてください」
「あぁ、どうぞお構いなく」
狭い家の中で、少女――
亜麻色の艶やかな髪をポニーテールで括り、色白のうなじを露わにした彼女は――中学1年生とは思えないほどの美貌の持ち主である。
藍色のミニスカートから覗く、細くしなやかな脚。スレンダーでありながらも、女性的なラインを描く肢体。白く透き通る、妖精のような柔肌。
都会に出れば、間違いなく多くの男達から求愛されるであろう、可憐な美少女であった。そんなモデル体型の彼女は今、エプロン姿で懸命にコーヒーを用意しようとしている。
(まだ中学生なのに、すごくしっかりした子なんだなぁ……)
「え、えっと……確かお母さんはこうやって……あ、あれ?」
――が、コーヒー作りに関しては不慣れであるらしく、あまり順調ではないようだ。ポルタフィルターにコーヒー粉を詰めようとする彼女の手つきは、素人目に見ても拙い。
大人の客人ということで、彼女なりに気を利かせてコーヒーを用意しようとしているのだが……慣れない分野ということもあり、苦戦中のようだった。
「ひゃっ……」
「ごめん。ちょっとだけ、手伝わせて欲しいな」
――そんな彼女のいじらしさに、微笑を浮かべつつ。竜斗は彼女の後ろから、優しく包み込むように。彼女の白い手が握る、ポルタフィルターを手に取った。
彼は労わるような手つきで彼女の手を誘導し、コーヒー粉を均等に詰めて行く。自分の体を背後からすっぽりと包み込む、長身の美青年が見せた繊細な技に、羽美は息を飲んでいた。
「表面的に見れば均一にも見えるけど、粉の盛り方に少しでもムラがあると、そこから圧がかかってバランスが乱れるんだ。コーヒーのエキスを満遍なく抽出するなら……こんなところかな」
「……わぁ……」
「フィルターに詰める力加減は、四季や気温、機械の状態やコーヒー粉の品質次第で大きく変わる。……今日の気温とこのマシンなら、これくらいがいいね」
やがて、機械的なまでに均一に盛られた粉が、ポルタフィルターに詰められ――竜斗は流れるような動作でそれを、エスプレッソマシンにセットする。
そこから抽出されて来るエスプレッソをカップに注ぎ、竜斗はそっと羽美の前に差し出した。柔らかく微笑む彼の様子を伺いながら、それに口を付けた少女は――目を剥いて固まってしまう。
口の中に広がる、絶妙な苦味とまろやかな甘さ。相反する二つの味が濃厚に絡み合い、少女の味覚を魅了する。
――それは竜斗が喫茶アトリのバリスタとして、加倉井カオルから学んだ技術の一端であった。
「……美味しっ……!?」
「口に合う?」
「お、お母さんのより、ずっと美味しいです……!」
「ふふ、良かった良かった。じゃあ後で、お母さんにも教えてあげてね」
「……! はいっ!」
ようやく年相応の笑顔を見せてくれた彼女を、横目で見遣る竜斗は。ふと、視界に入った写真立てに注目する。
「……ん?」
そこには――豪快に笑う気っ風のいい女性と並んで、華やかな笑みを浮かべる羽美の姿が映されていた。この女性が、彼女の母――
――そう。今まさに、ニュータントとして住民から憎悪を向けられている、罪なき感染者。それが、今の彼女なのだ。
(……ここが正念場だ。僕がなんとかしないと、この子は……この笑顔を永遠に失ってしまう)
こんなに笑えるなんて、どれほど暖かな家族だったのだろう。どんなに彼女達は、幸せだったのだろう。
生活感溢れる、この狭い家の中を見渡して――竜斗は1人、思案する。この家に詰まっていた幸せは今、自分に懸かっているのだと。
そんな彼の隣に、コーヒーを飲み終えた羽美が寄り添ったのは、その直後だった。
「……私が生まれてすぐに、漁師だった父が、海難事故で亡くなったんです。母はそれ以来、女手一つで私を育ててくれました……」
「鮎澤さん……」
「ここまで被害が広がってしまった以上、私もお母さんも、もうこの町では暮らせません。いずれ、ここを出て遠い場所に引っ越そうと思ってるんです」
「……」
「でも……お母さんを置いてなんか、いけない。お母さんがいなくなったら、私は……本当に独りぼっちになるから……」
写真立てに手を伸ばす羽美は、儚げな貌で愛する母を見つめている。今は怪物になっているとしても――鮎澤七海は紛れもなく、彼女にとっての家族なのだ。
――家族というものが、どれほど大切か。幼くして母を失った竜斗は、痛いほどにそれを知っている。
アーヴィングという姓は彼にとって、母が最期に遺してくれた唯一の形見なのだから。
「……お願いです、お母さんを助けてください! お母さんのためなら私、何でもします!」
「鮎澤さん……」
「お願い……助けて……お母さんを、助けてっ……!」
そう呟く羽美は、竜斗のパーカーの袖を、震える手で掴んでいる。――彼女は今、この町の誰よりも、不安なのだ。
掛け替えのない母を、罪のない母を、理不尽に奪われようとしている現実を前にして。
「怪人だーっ! 怪人が出たぞーっ!」
「逃げろ、皆逃げろーっ! 怪人に殺されるぞーっ!」
「……ッ!?」
そんな彼女を、竜斗が神妙に見つめた瞬間。家の外から響き渡ってきた悲鳴に、2人は顔を見合わせる。
そして、玄関から飛び出した先には――自然によるものではない光景が広がっていた。
「海が……!」
「来たんだ……お母さんが……!」
空は快晴そのものであり、風もない。にもかかわらず、海はまるで嵐の中であるかのように荒れ、漁船がお手玉のごとく宙を舞っていた。
その現象からニュータントの接近を悟り、竜斗は愛車「TM250F」に駆け寄ると、そこに固縛されているトランクを開いた。
――その中には、彼がヒーローとしての真価を発揮するための装甲強化服が敷き詰められている。
あまりに物々しいその物体を目の当たりにして、繊細な少女は口を両手で覆い、不安げな視線を竜斗に送る。
こんなものを着込んで、本当に母を救ってくれるのか――と。確かに、竜斗の装甲強化服は非常に攻撃的なデザインであり、どう見ても殺しに行く格好にしか見えない。
「大丈夫。君のお母さんは、必ず助けるから!」
だが、竜斗は力強い眼差しで彼女を射抜くと――素早い手つきで白くスリムなアーマーを装着する。
そして、赤い手袋とブーツを身に付けると、再びパーカーを羽織ってバイクで走り出してしまった。
『
その鬼気迫る貌と、威圧的な電子音声に圧倒された羽美は、ただ見送ることしか出来ずにいた――。
「竜斗、さんっ……」
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