最終話 GMの証

「ハァッ、ダアァッ!」

「ウルァッ! オラァアッ!」


 夜の帳が下りた、晴海ふ頭公園の戦場。1年前の因縁に決着を付けるべく、レイボーグ-GMとチュパカブラ・ニュータントは互いの力をぶつけ合っていた。


 互いに取っ組み合い、力比べの姿勢となった2人は、互いのトサカを刃にして頭突きを繰り返す。雄馬の刃が竜斗のバイザーを傷付け、竜斗の刃が雄馬の眼を抉る。


 やがて竜斗は力任せに雄馬を押し倒し、マウントポジションからの拳打を見舞う。それを凌ぎ、雄馬は巴投げで竜斗をひっくり返した。

 そして素早く、追撃のエルボードロップを放つが――竜斗は咄嗟に盾で肘打ちを弾くと、雄馬の背後に回って頭を小脇に挟む。


「ダァアァアッ!」

「グオォッ!」


 そこからブルドッキングヘッドロックの要領で、雄馬の頭を地面に叩きつけた。狂獣の鉄仮面から、くぐもった呻き声が響き渡る。

 竜斗はさらに、強引に雄馬を立たせ、盾による殴打を見舞った。だが、その追撃を阻止するべく雄馬が放った裏拳を浴び、吹っ飛ばされてしまう。


「――『大烈断バイオレントネイル』ッ!」

「ガァッ!」


 さらに雄馬は、右手に装備された5本の爪を矢継ぎ早に連射して、竜斗の胸に突き刺した。レイボーグのボディさえ貫き、内部の肉体に食い込む鋭利な爪に、竜斗は苦悶の声を上げる。

 ――その直後、雄馬の右手から再び5本の爪が生えてきた。この尋常ならざる再生能力も、チュパカブラ・ニュータントの特性の一つなのだ。


「ウルァッ!」

「アッ……ガ!」


 そして地面に転がった竜斗にとどめを刺すべく、雄馬は仰向けになった彼の腹にニードロップを叩き込んだ。


 呻き声を上げる竜斗に、雄馬はさらに追い討ちをかけるべく、何度も蹴り付ける。だが、一際大きく足を振り上げた瞬間――突如身を起こした竜斗に軸足を取られ、今度は雄馬が転倒してしまった。


「ダァアァーッ!」

「ゴァアッ!」


 そこから一気に仰向けになった雄馬を抱え上げ、弓なりに反り上がった彼の背骨を痛めつける。――カナディアンバックブリーカーだ。

 上下に体を揺らし、生体甲冑の重量を利用して彼を攻め立てた竜斗は――素早く両脚を抱える体勢に移り、ジャイアントスイングを仕掛ける。


 幾度となく雄馬の体を振り回し、竜斗はその勢いで彼を柱まで投げ飛ばしてしまった。

 凄まじい勢いで吹っ飛ばされた雄馬は、なす術なく柱に激突。その衝撃に吐血しながら、地面に墜落してしまうのだった。


「ぬぅ――!」

「せぁッ!」

「ごはッ!?」


 それでも辛うじて立ち上がり、再び爪を連射しようとするが――竜斗の反応の方が、速い。

 5本の爪が発射される直前、左腕の円形シールドを取り外した竜斗は、それをフリスビーのように投げつける。放たれた爪を弾きながら、宙を駆け抜ける鋼鉄の円盤が、雄馬の顔面に激突した。


(よし……今だ!)


 そのダメージが効いたらしく、雄馬は再び立ち上がったものの、若干ふらついている。今なら、メーサー光線を放っても避けられる確率は低い。

 竜斗は右手に装備されたアームブースターを構え、その銃口を雄馬に向ける。……だが。


『先鋭化された熱線は、ニュータントの皮膚だろうと容易く貫ける』


 了が言い残した言葉が。引き金を引く指を、躊躇わせていた。


 ――例え優れた性能を秘めた改造人間であっても。アーヴィング・J・竜斗という青年は本来、戦いには向かない人物である。

 そんな彼が、初陣でいきなり引き金を引くには……あまりにも、戦士としての心が幼過ぎた。


「……なんだ。弱ったヴィランは撃てませんってか。殺せませんってか!? ニュータントを真似るためだけに造られた、模造品の分際で……俺を愚弄しやがるのかァッ!」

「……」


 壁に寄りかかり、ふらつきながらも。雄馬の眼はまだ、戦意を失っていない。自分に向かっていたはずの銃口が、情けで下ろされようとしている事実は、かつてないほどの屈辱と怒りを齎していた。


 1年前からの因縁で結ばれているというのに。父の仇だというのに。わざわざそれを煽って、心置き無く殺し合えるようにしたのに。

 ――この男は此の期に及んでまだ、情けをかけるつもりなのか。人ならざるニュータントを、救おうとでも言うのか。生と死だけが結末を分ける、この決闘を汚すつもりなのか。


 その激昂に突き動かされた雄馬は――やがて、ある決断を下す。烈火の如き怒りが一周し、氷点下の如き冷たさを得た彼の眼光が……身動きの取れない佳音へと向けられた。


「だったら思い知れ、その甘さが招く悲劇をなぁッ!」


「……ッ!?」


 雄馬は足元に落ちていた柱の破片を拾うと、それを一気に振りかぶった。

 ――ニュータントの力で、柱の破片など投げつけられたら。佳音のか弱い体など、ひとたまりもない。


「――!」


 それを見せつけられた瞬間――バイザーに隠された竜斗の眼も、一瞬で氷点下にたどり着いた。


 雄馬が握り締めた破片を、佳音に投げつける瞬間。竜斗は再びアームブースターを構え――その銃口を、雄馬と佳音の間にある空間へと向ける。


「――『英雄極光ビームスプレーガン』ッ!」


 そして、音速の如き速さで破片が飛び出す瞬間。その空間にたどり着いたところで、破片は木っ端微塵に弾け飛んだ。


 それから、僅か一瞬……にも満たないほどの速さで。

 雄馬の胸が眩い閃光に貫かれ、彼は膝から崩れ落ちてしまうのだった。


「そ……れで、いいんだ……!」


 だが、変身を解かれながら、そう呟く彼の貌は。どこか安らいだような色を湛えている。


 ――雄馬が佳音に向け、音速の速さで破片を投げつけた瞬間。竜斗はアームブースターの銃撃で、破片を撃ち落とし――矢継ぎ早に、雄馬の胸も撃ち抜いたのである。

 音速を更に超えた速さでの照準と、連射。それが、「レイボーグ-GM」がこの決闘で見せた真価であり――彼自身が「GUILTY-MASER」の名を冠する兵器であるという、何よりの証であった。


 熱線で急所を撃たれた雄馬は、もう長くない。変身を解き、チュパカブラ・ニュータントの鎧が剥がれた彼の側に、竜斗はゆっくりと歩み寄る。

 ――そして自身も、仮面を脱いで素顔を露わにした。そうでなければ、激情を解き放ってしまった自分が、彼と向き合うことなどできない。……そう感じたからだ。


「……なぁんて、情けねぇツラしてやがる。悪いニュータントを退治したんだぜ? 胸を張れよ、ドヤ顔しろよ。それがてめぇの仕事だろうがよ」

「……僕が望んだことじゃ、ありません。こんなこと、僕は望んでない……!」

「的確に……それもあの一瞬で、破片と俺をブチ抜いておいて、よく言うぜ。……ま、別にそれならそれでいいさ。最期に見るのがてめぇの吠え面ってのも、オツなもんさ」

「……」

「……俺が死ねば。てめぇは嫌な思いをするわけか。ハハッ……じゃ、あ……こ、れは……俺の、勝ちだ、な……」


 だが。もう、向き合う時間すらなかった。雄馬は自分の死さえも悲しむ竜斗を、嗤いながら――瞳孔を開き、事切れる。

 竜斗は何も言わず、ただ静かにその瞼を閉じ……黙することしかできなかった。佳音を害されると思った瞬間、タガを外して彼を犠牲にしてしまったのは、他ならぬ自分なのだから。


 ――そして。その一部始終を、間近で見ていた佳音は。


(竜斗君っ……そんな……そんなぁっ……!)


 自分のせいで、竜斗が人を殺すことになってしまった現実に、激しく打ちのめされたのであった。


 ◇


 それから、1週間が過ぎた。


 あの後、佳音は無事に警察に保護され、蕪木雄馬の遺体は司法解剖のため、了達ヴィラン対策室が預かることになった。

 慶吾は架の尽力もあって順調に回復しており、松葉杖でなら歩けるほどになっている。竜斗の協力(駒門飛鳥の写真集の提供等々)もあり、リハビリは順調だった。


 ――しかし、佳音は。


 事件のショックから、自室に引きこもってしまい……慶吾や竜斗からの連絡にも応じなくなってしまっていた。

 人が死ぬところを見せてしまったからだ、と責任を感じた竜斗は、どうにか彼女を元気付けようとしたのだが――彼が会いに行っても、佳音はただ「ごめんなさい」と泣き喚くばかりであり、とても会話ができる状態ではなかった。


 そんな折。改めて竜斗の元に、ヒーロー登録のスカウトマンが訪れる。

 幾人ものヒーローを倒され、警察も対応に苦慮していた「ヒーロー破り」を撃破したことで、正式にヒーローとして活動するよう勧められたのである。今度は、政府が直々に。


 それを受けた竜斗は、カオルや了と話し合った結果――ニューヒーロー「レイボーグ-GM」として、平和を脅かすヴィランと戦う道を選ぶのだった。

 そして、栄えあるヒーロー活動の第一歩として。数多のヴィランが潜んでいると言われる魔都「神嶋市かみしまし」へと旅立つことになったのである。


 ――佳音が心に負った傷は、きっと時間が癒してくれる。ならばその間、自分はより多くの人々のために戦い、彼女の励みになるようなヒーローになろう。

 かつて彼女が思い描いてくれた未来の自分に、少しでも近づけるように。


 それが、竜斗が出した結論だったのである。そんな彼の意向を尊重した慶吾は、それまで彼に代わって佳音を守るべく、頻繁に彼女の家を訪れるようになったのだが――佳音は未だに、外に出る気配を見せずにいた。


 それは竜斗がアトリを離れ、神嶋市へと旅立つ日を迎えた今日でも、変わらないままであった。


「佳音。佳音、起きてるか?」


 出発の日の朝。佳音の部屋のドアを叩き、松葉杖をつく慶吾は、静かに語りかける。だが、返事はない。


「前に話したろ? 竜斗の奴、ヒーローに登録したんだ。で、初任務早々、神嶋市でヴィラン退治なんだとよ」

「……」

「今日の10時に、アトリを出るそうだ。次、いつ帰ってくるかは……わからねぇ。俺はもう、見送りに行くぜ」

「……」

「……じゃあな。無理に来なくたっていいけどよ……せめてテレビの前でくらい、あいつのこと……応援してやれよな」


 だが、いることはわかっている。返事もできないほど、自分の行いで気を病んでいるということも。

 ゆえに慶吾はそれ以上、何も言わず。いつの日か立ち直ってくれることを願いながら、部屋の前から立ち去って行った。


「……竜斗、君……」


 やがて、辺りから人の気配が消えた頃。佳音は震える手で――ベッドの棚に飾られた、愛しい男を映した写真立てを掴む。

 そこには1年前から変わらない、蒼い瞳を持つ青年の朗らかな笑顔があった。


 ◇


 ――1年前、初めて彼に会った頃。「臭い台詞を並べる軽薄な美男子」という人種を忌み嫌う佳音は、蛇蝎の如く竜斗を嫌っていた。今まで出会ってきた男達は慶吾以外、彼女を下卑た好色の眼で見る連中ばかりだったのだ。


 慶吾はいち早く彼と打ち解けていたのだが、彼を「いけ好かない優男」と感じていた彼女は約半年に渡り、つっけんどんな態度を取り続けていたのだ。


 そんなある日のこと。背丈を理由にバレー部のレギュラーから外されてしまい、街の公園で声を殺して泣いていた夜。

 帰りの遅い自分を心配して、慶吾と2人で探しに来ていた竜斗に「背が高いあんたには一生わからない」と、罵声を浴びせたことがあった。


 そこで竜斗は意を決して、自分の体の秘密を明かしたのである。彼は佳音の自己嫌悪を止めるため、自分の機械の体を引き合いに出したのだ。

 竜斗はただひたすらに、佳音の自虐を止めたかったのである。例えその結果、気味が悪いと思われても。


 「失ったものはあるかも知れない。一生かかっても、届かないものがあるかも知れない。それでも、今ある幸せだけは否定しないで欲しい」。我がごとのようにそう叫び、必死に訴えて来た彼の形相は、今でも覚えている。

 それは人間の体すら持たない竜斗にしか、出来ない説得だった。


 ――彼に対する態度が軟化し始めたのは、それからだ。

 そして、それは次第に一途な恋へと変わっていき……今では、出会った頃とは正反対の態度を示すようになったのである。


 それからはいつも、彼を映した写真立てに口付けするのが日課だったのだが……あの戦い以来は、それも全くしていない。


 自分のせいで、あの優しい青年がどれほど傷ついてしまったか。虫も殺せないような男が、「ヒーロー」として人を殺してしまったことが、どれほど心苦しいか。それがわからない彼女ではない。

 だからこそ、罪悪感で押し潰されてしまいそうなのだ。彼との幸せな将来を、夢想していられるような心境ではない。


 ――だが。このままでは、2度と会えなくなるかも知れない。まだ残っている幸せさえ、否定することになるかも知れない。あの夜の訴えにまで、背を向けてしまうかも知れない。

 その恐怖に煽られた彼女は、震える脚で辛うじて立ち上がり――ドアノブに手を伸ばした。


 焦り過ぎでも、何でもいい。今すぐ動かねば、思い描いた未来を全て失ってしまう。そう、突き動かされるように。


 ◇


 ――朝10時半。カオルと慶吾に別れを告げ、住み慣れたログハウスから旅立って、約30分。


 装甲強化服入りのトランクを乗せたTM250Fを駆る竜斗は、東京から神嶋市へと続く道路にたどり着き、大都会から離れようとしていた。

 赤のTシャツと青いジーンズに身を包み、愛用のパーカーを靡かせて。機械仕掛けの青年は、新たな戦場を目指す。


(乃木原さん……大丈夫かな。芝村君がついていてくれるし、いつかは良くなってくれるって思いたいけど……)


 見送りの場に、佳音はとうとう最後まで現れなかった。慶吾は「佳音は俺がしっかり守ってやるから、お前は何も心配するな」と言っていたが……竜斗としてはやはり、彼女の心傷は気掛かりであった。


 だが、いつまでもそれにばかり気を取られているわけにもいかない。この先に待ち受ける魔都には、チュパカブラ・ニュータントを凌ぐ強敵達が無数に待ち構えているのだ。

 今助けを必要としている、大勢の市民のためにも。今は、目の前の戦いに集中しなければならない。


 そう思い立った竜斗が、眼前に意識を集中しようとした――その時。


「竜斗君っ!」


「……ッ!?」


 聞き間違えるはずのない声を、確かに聞いて。竜斗は思わずバイクを停め、振り返る。


 そこには――パジャマ姿で裸足のまま、この道路の路肩まで駆けつけてきた佳音の姿があった。

 以前より少し痩せたようではあるが……愛らしい表情と、パジャマを内側から押し上げる爆乳は相変わらずである。


 想いを馳せていた少女と、思わぬタイミングで再会した竜斗は、暫し硬直した後――弾けるように破顔した。


「乃木原さん! よかった、無事に外に――!?」


 だが。顔を真っ赤に染めた佳音は、そんな彼の言葉を待つ余裕すらなく。


「んっ……!?」


 一目散に彼に抱きつくと、瞬く間にその唇を奪うのだった。Hカップのたわわな果実が、竜斗の硬い胸板に圧迫され、淫らに歪む。


 男と女の、柔らかい口先が重なり――お互いが、知らない・・・・感覚に翻弄される。両者同時に「ファースト」を果たした2人は、暫しそのまま、互いの温もりを確かめ合っていた。

 ――不意を突かれた竜斗の方は、到底それどころではなかったのだが。


「……」


 やがて、唇から透明な糸を引いて。佳音の顔が、ゆっくりと竜斗から離れていく。くりっとした彼女の瞳は今、女の色香を帯びて――艶やかに潤んでいた。


「……帰ったら」

「え……?」

「帰ったら……この続き、してあげる。いっぱい、してあげるから……絶対、絶対帰ってきてね」

「あ、あぁ……うん。帰ってくる……帰ってくるよ、絶対」

「……絶対! 絶対だよ!」


 そのまま静かに竜斗から離れた佳音は、潤んだ瞳のまま、そう言い放ち――自宅目掛けて走り去っていく。

 あまりの展開に脳が追いつかず、呆然と立ち尽くしていた竜斗は、暫しそこから動けずにいた。


 ……の、だが。


「お巡りさんこいつです! 小中学生くらいの可愛い子と、ぶっといチューしてました!」

「貴様か! 小中学生に路上で猥褻なキスをしたという不審者は!」

「へ!?」

「逮捕だ! ロリコンは逮捕する!」

「ち、違いますって! あの子とは一つしか違わなくて! ち、違いますったらー!」


 先ほどのキスは、2人の体格差のせいで周囲に壮大な誤解を与えていたらしい。何しろ彼らの間には、40cmもの身長差があるのだから。


 竜斗は通行人にロリコン扱いされ、通報され、警官に追われ――逃げ出すように、神嶋市へとバイクを飛ばすのだった。その身に羽織った黒の半袖パーカーを、吹き抜ける風に靡かせて。

 そんな彼の門出を、大空を翔ぶ喫茶アトリのマスコットが、穏やかな眼差しで見送っている。


 ――神嶋市に彗星の如く現れた、鋼鉄のニューヒーロー「レイボーグ-GM」。

 これは、その英雄譚の序章……


「ロリコン逮捕ー!」

「違いますったらー!」


 ……なのだろう。たぶん。


 ◇


 ――それから数日後。


 ヴィラン対策室管轄下の死体安置所から、蕪木雄馬の遺体が消えていた。


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