第25話 深部

 下町は、普段と変わらず活気に満ち満ちていた。

 狭い通りに立ち並ぶ露店では、人々が様々な物を買い求めて笑い、怒鳴り、真剣に交渉をし、殴り合ったり、涙を流したり、勝ち誇ったりしている。

 狭い土地を有効活用する為、上へ上へと増築を繰り返した立ち並ぶ建物が傾いて見えるのは、きっと気のせいじゃないだろう。此処では見えないけれど、本格的な空中庭園もあるし。


「確か以前も、事件に巻き込まれて幾つか倒壊したんだよなぁ。関係なく、移動用の縄梯子が蜘蛛の巣みたいに張り巡らされているけど……」

「ん? アレン、何か言ったか??」「?」


 前方を進む、猫族の老格闘家、白狼とその背に乗るアトラが振り返った。

 う~ん……着ているのが紺の甚平なのと、張り切ってるシフォンが凛々しいせいか絵になるなぁ。もこもこな外套姿のアトラも可愛い。

 東都で小さい頃に読んだ絵物語で、こういう旅の話があったような……。

 すると、僕の左肩に乗った黒猫様が一鳴き。意識を戻し、ひらひらと手を振る。


「いえ、下町は僕が来た頃から変わらないなぁ、と」

「そうか? 三十年近く住んでるが、随分と変わったと思うがな。ま――上の光景は昔のまんまだが」


 老格闘家は白い無精髭を扱き、目を細めた。

 その視線の先には、縄梯子を器用に移動する栗鼠族の少年。背中には『交差する枝葉』が刻印された大きな布袋を背負っている。

 ああやって、常に混みあっている通りを避け荷物を運んでいるのだ。

 何せ王都下町は、他国の書物に


『混沌の坩堝』


 と書かれる程、極めて雑然とした地区。

 王国内だけでなく大陸中から人々と物品が集まる王都にあっても、特異な地区であり、他都市、他地区ではまず成り立たないであろう『空中回廊を用いた輸送』が仕事として成り立っているのだ。

 ……まぁ、実の所、色々な『裏側』の商売の温床にもなっているのだけれど。

 僕はアンコさんとシフォン、そしてもこもこな毛糸帽子を自分で取ったアトラの小さな頭を撫で、ライさんへ改めて御礼を述べる。


「突然だったのに、快く案内を引き受けてもらって本当に助かりました。行って帰って来るだけなら問題ないんですが、『深部』の道は覚えていなかったので」

「気にするな。俺は隠居している暇人だ。下宿の管理も『剣姫の頭脳』様に任せきりだしな」


 呵々と笑い、猫族の老格闘家は懐へ手を入れた。

 ちょっとだけ、僕へ体術を教えてくれた師匠に似ている。

 流れるように人々の間を抜けながら、ライさんが少しだけ険しい顔になった。


「それに、だ。……今回の件は、俺が昨日の晩にお前へ伝えた件絡みなんだろう? 手伝わないのは寝覚めが悪い」

「ありがとうございます。頼りにしています」

「おおっ! 頼りにしとけ、頼りにしとけ。御代は美味い酒でいいぜ。――こっちだ、アレン」


 ライさんは煙管を取り出し口に咥え、通り沿いの小路へ足を踏み入れた。

 次いで「♪」アトラに急かされたシフォンが続く。

 僕は黒猫様へお願いしておく。


「アンコさん、何も起こらないとは思いますが、万が一の為に」


 一鳴き。

 ぺしぺし、と頬を叩かれ、精緻な魔法が幾つも展開された。

 皆まで言うな、ということらしい。


「ありがとうございます。じゃあ、行きましょうか」


 僕は片目を瞑り、地面を靴の踵で叩いて闇属性中級魔法『闇神影波』を静謐発動。

 影が蠢き、地面と壁を疾走していく。

 ――今の所、めぼしい反応は無し、か。

 本当に、十三自由都市から怪しい人達が入り込んでいるのかな?

 僕は小首を傾げ、狭く暗い路地へと足を踏み入れた。


※※※


「お前も重々知っていると思うが」


 慣れた足取りで先導するライさんが、手に持った煙管をクルクルと回転させた。

 建物と建物の間に、無理矢理設けられた狭い路地は昼間だというのに薄暗く、空気も淀んでいるかのような錯覚を覚える。

 時折、擦れ違う人々もその多くはフードや帽子を深く被り、表情は窺い知れない。

 シフォンに跨ったアトラもきょろきょろと辺りを見渡し、僕の肩から移動したアンコさんを抱きしめ「?」少し不思議そうだ。

 老格闘家が幾度目かになる小路を曲がり、話を進める。


「下町の深部ってのは、お偉いさん達の都市計画には元々なかった代物だ。五百年前の大陸動乱、そして二百年前の魔王戦争を経て、ウェインライト王国は名実共に大陸西方の最強国家となった。以来、大陸中から王都には人も富も集まり続けているが、それ故に届かねぇ場所もある。此処は謂わば……王国が抱えていやがる『闇』ってやつだ」

「……ええ」


 客観的に見て、現在の王国は繁栄を謳歌している。

 歴代のウェインライト王家は優秀だったし、東西南北を鎮護する四大公爵家もまた盤石。

 けれど、『姓無し』や獣人族に対する差別は依然として存在するし、弱まったとはいえ貴族達の特権意識も色濃く残る。

 下町の深部はそんな王国に残った解決し難い問題が濃縮された場所なのだ。

 流石に、王国法すら届き難い場所に、リディヤ達を連れて来るわけにはいかない。何かあったら、地区ごと燃やしたり、崩壊させたり、凍らせたりしそうだし。

 僕が相方や教え子達を思い出し苦笑していると、ライさんの足が止まった。

 木箱に隠れ、建物と建物の間に形成された奇跡的に陽光が差し込む広場へ、鋭い視線を向けている。


「アレン」「はい」


 即座に『闇神影波』と併用して、雷属性中級魔法『雷神探波』を静謐発動。

 不可視の影と雷が地面を駆けていく。

 ――さぁ、何が出て来るかな。 

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