第29話【扉】

「っ!」

「アレン!」「先生!」


 瞬間――黒扉の表面に見たことも、経験したこともない、深紅の魔法式が張り巡らされた。

 天上の星々は掻き消え、歪んだ式が空間全体を侵食していく。

 この動き……まるで、生きているかのようだ。これは、植物の枝?


「考え込むなっ!」


 純白の炎を撒き散らしながら、八羽の白き『火焔鳥』が舞い、魔法式を浄化。

 僕の背中を守るようにリディヤは距離を詰め、肩越しにギロリ。


「状況が切迫しても、推察に思考を向けてしまう。自分自身よりも他者を大事にすることと、私を除け者にしがちなことと合わせて、あんたの悪い癖っ! いい加減、諦めて、もっと私を雑に扱いなさいよっ!! ――忘れたの? 私はあんたの『剣』なのっ!! それ以上、それ以下でもないっ!!!」

「……耳が痛いね」


 紅髪の公女殿下と目線を合わせ、苦笑。悪癖は中々直せないから悪癖なのだ。

 ――雪風が吹き荒び、魔法式を容赦なく凍結させながら、氷属性極致魔法『氷雪狼』が顕現。

 両手に魔杖を持ったティナが背筋を伸ばし、交差させて高く掲げる。


「先生っ! 私も……私だって、貴方を守れますっ!! 何時までも、守ってもらうばかりの小さな女の子じゃないんですっ!!!」

「……ティナ」「珍しく良い事を言うじゃない、小っちゃいの」


 美しい雪華と炎羽が舞い踊り、魔法式の侵食を封じる。

 公女殿下達の右手の甲には、『炎麟』と『氷鶴』の紋章が瞬き、魔力を更に増幅させる。眠っていた大精霊達も力を貸してくれているのだ。


『アレン♪』


 胸の内でアトラが歌っている。……大丈夫。僕は一人じゃない。

 リディヤが『篝狐』を放り投げ、右手を伸ばした。

 炎がますます猛り、リンスターの炎剣『真朱』が現れる。


「小っちゃいのっ! 出し惜しみはなしよっ!!アレンが扉を閉め終えるまで、私達は気味の悪い魔法式を叩くっ!!!」

「当然、ですっ!」


 火焔鳥が嘴で『篝狐』を取り、ティナの髪が再び長く伸び、蒼の濃さを増す。

 魔力を繋いでいないにも拘わらず、二人の背には炎翼と氷翼。

 流石は天才少女達。僕がいなくても、コツを掴んだのか。

 左肩のアンコさんが小さな前脚で僕の頭を軽く叩き、鳴かれた。……いけない、いけない。また悪い癖が出ていた。

 ドアノブを握り締め、魔法式の侵食を押し込み、少しずつ、少しずつ、扉を閉めていく。

 未知の魔法だし、圧力も物凄いけれど、


「――女の子達に守られてばかりじゃ、ねっ!」

『♪』


 全力で式を解析し、アトラの魔力も借りて押し返す。

 ……いけるっ! 

 取りあえずは閉めることが。


 ――突然、光景が変わった。


 リディヤ、ティナの姿が消え、現れたのは片手剣を腰に佩びた美しい金髪の女騎士と、椅子に腰かけ長杖を抱えた、義足の老魔法士。

 そして、唸っている閉じた【黒扉】。

 ……老人は血塗れだ。

 生きていた頃のロス・ハワード? 

 もう一人は……シェリルに何処となく似ている。

 老人が頭を振って、口を開いた。


『……もう止めておけ。やはり、この力は……星を産み、星を喰らう秘された【神】の力を人の身で扱おうとするのは不可能だったのだ。『』では、な。……此度、暴走した世界樹の子を【扉】に押しこめたは奇跡。二度はあるまい。『勇者』を含め当代の大公達も協力してくれるとは最早思えぬ。しかも……私はもうすぐ死ぬ。そうなれば、どんな証拠を遺そうとも、貴殿は疑われよう。此処から先は更なる茨の路となる』

『そうかもしれません。――……いえ、おそらくそうなのでしょうね。でも』


 女騎士が振り向いた。その身には軽鎧すら身に着けていない。

 ――その瞳には決然たる意志。


『不可能じゃないのなら、私は諦めません。諦めることを許された立場でもありません。如何なる咎を受けようとも、どんな誹りを受けようとも先へ進み、閉じた【扉】を開けます。世界には、まだ幾つも眠っている【扉】がある。エーテルハートの鬼子が、世界の均衡を補完する為に八番目の大精霊【銀鶴】――今は『氷鶴』と言われているそうですが、あの子みたいな存在すらも通れる『生きた扉』は他にもきっとある筈です。今後はそれを探そうと思います。……ロスさん、貴方と付き合ってくれた獣人族の皆さんには大変申し訳ないことをしました。最後の最後まで巻き込みっぱなしでしたね。ごめんなさい。世界樹の子を暴走させた『子』には報いを受けさせますから、安心してください。奥様達に何か伝言はありますか?』


 くぐもった笑い声が空間に響き渡った。

 ロスの手から長杖が零れ落ち、片目を瞑る。


『……何を言っても怒られよう。きっと、許してはくれまい。だが、一言だけお願い出来るだろうか』


 老人は穏やかに微笑み、


 ――ガチャンっ!


 鍵の閉まるが音がし、突如として空間全体が弾けとんだ。

 【黒扉】に罅が走り、色が抜け落ち、氷片を撒き散らしながら散っていく。

 呆然としている僕へ、


「アレン!」「先生っ!」


 すぐさま、リディヤとティナが駆け寄り、抱き着いて来た。

 ペタペタ、と頭や頬を触られる。


「ち、ちょっと、二人共」

「「黙ってっ!!」」

「……はい」


 僕は情けなく返事をし、為すがままにされる。

 魔力を探った所――周囲の戦闘も終わりを告げたらしい。

 なら、抵抗はすまい。

 結局、大粒の涙を溜めているこの子達には敵わないのだから。

 目を閉じ、ロスの最期の言葉を思い出す。


 ――ありがとう。それ以外の言葉は見つからない。

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