第18話 『灰桜』
「アンナ、あの剣って」
何なの? と、いう私の問いかけは、リリーが『剣』の柄を握り締めた時点で強制的に断ち切られた。
――荒れ狂う炎花の色がはっきりと変わっていく。
リンスターを象徴する『紅』から『灰』混じりの禍々しい炎へ。
同時にはっきりと鋭さと攻撃性を増し、周囲にある岩石や地面を無差別に切り裂きながら、リリーを中心として広がっていく。
王立学校時代、ゼルベルト・レニエ相手に激高し、我を喪ったリディヤが放った黒炎を想起させる。……まずいっ!
アーサーも結界強化に手を貸しながら、険しい顔になった。
「この炎……現代の魔法式ではない。だが、リンスターに伝わる名高き炎剣『真朱』ではあるまい。このような出鱈目な精緻さ! とても実戦で制御出来るとは思えんっ!」
「……御老体」
「……分かっておるっ。夜猫殿!」
「ん」
教授に説明を促され、エルフの大魔法士は苛立たし気に応じ、杖の石突きで地面を打った。
向こう岸にいた猫耳幼女の身体が風に包まれ、服装が白服からゆったりとした翡翠色の魔法衣へと変化する。
原理は全く分からないけれど……アンコさんが防御を固めた?
『剣』の姿がはっきりと見えて来た。
鞘には金属製の鎖が幾重にも巻かれている。『真朱』と同じだ。
大きく異なるのは、内在している魔力の荒々しさ。
学生時代、リディヤは炎剣に振り回されて幾度か校舎を半壊させ、アレンに散々お説教されたものだけれど……この『剣』は違うっ!
とても人の身で制御出来る代物じゃない。幾ら威力があっても……これでは。
リリーによって斬撃を防がれた【天下無双】は唇を歪め、長大な得物を頭上でぐるぐると回し、構えた。
『剣』が解放されるのを待っている? どうして??
教授が鳴らない口笛を吹き、称賛。
「【神】なぞに堕ちても、生前に持っていた武人としての気概は決して忘れない、か……見事だね。【天下無双】なぞと謳われただけのことはある」
「若造っ! 何時もの軽口を叩いている場合かっ!! ……貴様とて分かっていようが、あの『剣』が暴走すれば、【扉】を閉めるところまで到底辿りつけんぞっ!!!!! 百年前、南方島嶼諸国で起きた惨劇の記録、貴様ならば読んでいようがっ!? 危機感を持て、危機感をっ!」
学校長が髪を振り乱し、顔を怒りで朱に染める。
……百年前の出兵。
確か、『翠風』レティシア・ルブフェーラ様を主将とし、西方諸家と各家の精鋭が出兵。『悪魔』を討ったとも、魔獣を討ったとも伝わる事件だ。
それに――今、リリーが柄を握ろうとしてる『剣』も関与して?
栗茶髪のメイド長へ目線を向ける。どういうことなの??
すると、アンナは厳しい顔のまま口を開いた。
「私もリンスターの長い歴史の中においては新参者でございます。全てを承知してはおりませんが」
結界を貫き、炎風が肌を撫でた。
普段と全く異なり、深紅の瞳に色濃い怒りを覗かせているリリーが剣の柄を握り締める。何事かを呟き続けているが……どう見ても尋常な精神状態とは思えない。
「今より二百年前の魔王戦争直後、リンスター公爵家は西方諸部族に対し、こう依頼をした、と聞き及んでおります。すなわち――『次の戦において魔王を討てる魔剣を!』」
「その話は、リディヤからも聞いているわ。『真朱』は巨人族とドワーフ族によって打たれた、と」
何だかんだ、あの子とは学生時代、一緒にお泊りもした。口には出さないけれど……親友、だとも思っている。リディヤが私に嘘をつくとは思わない。何より、アレンにも同じ話をしていた。
リリーが柄に力を込めると、鎖が悲鳴をあげるかのように軋んだ。
灰の炎が荒野に広がっていき、一部は私達が張り巡らせてる軍用戦略結界にも接触。信じ難いことに、外側の数枚が綺麗に切断される。背筋に寒気が走る。
アンナが額に手を置き、心底困惑の表情になる
「その通りでございます。炎剣『真朱』はリンスターの宝剣として代々受け継がれてまいりました。……ですが、南都に届けられた魔剣は、実の所二振りあったのでございます」
「西方諸部族の長達には、共通して少々悪癖があってね。『リンスターより『対魔王』用魔剣作成の依頼を請けた。よろしい。我等の持てる最高の技術を注ぎ込まんっ! 少々危ない橋を渡っても、なに。性能が高ければ文句は言われまい』。その結果――『真朱』を完成させた後、彼等はそれを叩き台にしたもう一振りの魔剣作成を極秘裏に行ったんだ。誰も使いこなせない魔剣の作成をね。さて――この件について『大魔導』殿の見解や如何?」
「わ、私は関与しておらんし、止めたのだっ! 古より伝来せし、恐るべき炎が込められた魔短剣の打ち直しを決めたのは、当時の長達だっ!! ……少なくとも、西都で試用された時には『特段問題なかった』とも聞いている」
学校長が苦しそうに弁明し、頭を振った。
鞘の鎖が次々と引き千切れ、灰炎が【天下無双】に襲い掛かるも、老剣士は微動だにせず。ますます唇を楽し気に歪め、得物の刃に漆黒の氷刃を重ねていく。
アンナが話を続ける。
「届けられた魔剣は、当時の『剣姫』様が試しに振るわれ――即座に『適格者』が現れるまで封じられることとなりました。威力は申し分ないものの、制御が殊の外難しく、極めて危険である、と。失礼ながら『特段問題無し』というのは、『魔王には届き得る』という判定だったのでございましょう。なお、試験の結果、某平原の地形が変わった、と奥様からはうかがっております」
「……なるほど」「そうか!」
私が納得し、アーサーが得心の呟きを漏らす中、全ての鎖が千切れ――リリーは『剣』を引き抜いた。
灰炎がまるで生きているかのように踊り、渦を巻き、剣身を覆っている。
剣身に刻まれているらしい刻印――『月と星』が炎の中で明滅する度、魔力が溢れ、灰炎もまた勢いを増していく。
『七天』が鋭い眼光を学校長へと向けた。
「あの魔剣の元となった短剣は――何代目かは分からぬが【天魔士】由来の物! そうですな? 何故そんな無茶をっ! 我等【双天】に非ずっ!! 人の身では届かぬ、月と星に手を伸ばすは、些か業が深過ぎましょうっ!!!」
「言われずとも、分かっておるっ。だが……仕方なかったのだ」
【天魔士】と【双天】?
古の時代の称号だ。詳しくは分からない。誰しもが――アレンのように博学多才にはなれないのだ。あと、嬉しそうに話をしてくれるのを見るの、大好きだし。機会は逃せない。
ロッド卿は集束していく灰炎を見つめながら、額を押さえ、瞑目した。
「……あの時代、『魔王』の暴威を直接的、間接的に経験した者ならば、誰しもがそういう判断に到った筈だ。敵は余りにも強大無比。ならば、我等も人の域を超えたモノを、とな。結果的に――我等の先代達は誤った。アレは、リンスターをして、完璧に使いこなせた者を出せていない魔剣。一度暴走すれば止めることは至難だ。今より百年前……賊の手によって、リンスターより南方島嶼諸国へ持ち出された際は、当時の首府島を灰燼に帰し、敵味方関係なく全てを燃やし尽くすまで止まらなかった。以来、リンスター家内で継承こそされど、形式的なものとなっていた、と聞く。この局面でよもや……」
「始まります」
アンナが細い指で前方を指した。
灰炎が剣身に悉く吸い込まれ――剣身が露わになっていく。
花弁が散るかのような美しい波紋。明滅を終えた『月と星』。
リリーの周囲には、幾重にも重なった灰炎の『大花』が布陣していく。
教授が目を細め、銘を口にした。
「魔剣『灰桜』」
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