第60話 媒介

 黒髪の少女はそう叫んだ瞬間、氷翼を羽ばたかせ。赤黒い氷の礫を解き放ってきた。


「くっ!」


 カレン・エーテルフィールド。

 妹と同じ名前に対応が半瞬遅れた僕は、気休めの氷鏡を連続発動しながら、後退していく。

 僕とカレンに血の繋がりはない。

 そして……僕の名前をつけたのは父と母であり、カレンも当然そうだ。

 そこに所以があるのか?

 次々と氷鏡を砕かれる中、礫から必死に逃げ回るも、思考は混乱。

 普段はそれなりに回ってくれる僕の頭は霧がかかったかのように、鈍い。


 ――……しかも、【氷姫】。


 確か、この称号は大陸動乱時の。


『アレン!』『油断、ダメっ!』

「ぐっ!!」


 アトラとリアが僕を叱責。

 辛うじて礫を雷刃を形成した魔杖で弾き、直撃を防ぐ。

 空中の黒髪少女との距離はじりじりと離れていき、状況打開の取っ掛かりさえ掴めない。このままじゃ時間稼ぎすらも――魔力が揺らいだ。

 すぐさま、『天風飛跳』で凍り付いている天井へと大跳躍。

 天地が逆転する中、僕の影から現れた黒髪少女へ魔杖を振り、光属性上級魔法『光芒瞬閃』と闇属性上級魔法『冥闇影斧』を発動した。

 少女を守る楯の一部を貫き、砕くも、


『――ふっ』


 氷翼の羽ばたきだけで、上級魔法が凍結し、霧散する。出鱈目っ!!!

 天井へ足をつけ、僕は唇を噛み締める。……このままじゃ。

 地面の少女が剣を薙ごうとしているのが、やたらゆっくり見える中――右手薬指に痛みが走った。


『短剣』


 若い女性の呆れ混じりの叱責が耳朶を打った。

 僕は、はっとし――懐に手を突っ込んだ。


『貴方が『アレン』ならば、この程度は凌いで見せろっ!』


 少女が剣を無造作に薙いだ。

 赤黒い斬撃が容赦なく迫り、


『む?』


 十数枚の光輝く盾が受け止め、全て切り裂かれながらも、射線を逸らす。

 僕は右手に握った大魔法『光盾』の残滓が込められている短剣を握り、顔を顰める。……あくまでも気休めだな。

 空中に足場となる氷塊を形成し、そこに降り立った僕に対し、黒髪の少女が禍々しい氷風を放ちながら、嘲笑ってくる。


『……【蒼薔薇】のマガイモノ。そんな物に頼っても、私には敵わない』

「……確かに、そうですね」


 僕も顔を歪めながら返し、打開策を必死に考える。

 『光盾』は強力だ。並の魔法や攻撃なら、封殺出来るだろう。

 ……でも、眼下の相手にはまるで足りない。

 だからといって、リディヤ、シェリルの魔力をこれ以上使うのは余りにも危険。彼女達が相対しているのも、恐るべき魔法士なのだ。

 『雷神化』と身体強化魔法、自分で創った魔法群を総動員しても――少女が本気を出せば、アリス達が大聖堂内に突破してくる前に、僕の命が持たない。

 結論――足掻く他無し。

 黒髪少女が目を細めた。


『…………その瞳。あの人に似ている。如何なる時も、どんな相手と相対しても諦めを知らなかったあの人に。確かに貴方は『アレン』なのかもしれない。だからこそ』

「くっ……!」


 魔力が更に膨れ上がり、不気味な赤黒い氷が、大聖堂内に呪いをバラまき始めた。

 怯みそうになる自分を叱咤し、二属性浄化魔法『清浄雪光』を発動しようとし――再び、呆れた女性の声が聴こえた。


『無理。そのままじゃ死ぬわよ?』


 僕は浄化魔法で、少女の呪いの侵食をリディヤ達に届かないよう抑え込みながら、顔を引き攣らせ苦笑する。

 そう言われましても……と違って、僕は一介の家庭教師なんです。出来ることと、出来ないことがあるんですよ。

 右手薬指に痛みが走った。短い命令。


『媒介』


 氷塊が赤黒い魔力に飲み込まれ砕けていく中、僕は目を瞬かせ、短剣を見た。

 ――……なるほど。

 学生時代、南都リンスター公爵家屋敷の書庫で読んだ奇妙な古書を思い出す。

 そこに書かれていた荒唐無稽な魔法を試したことはない。

 ない、が……魔法式自体は覚えている。

 問題は規模が明らかに大規模であること。僕の魔力ではとてもじゃないが、発動出来ない。激戦中のリディヤ達にかなりの負担が――突然、少女達に怒られる。


『迷うなっ! 私の魔力はあんたのっ!!!!!』

『アレン♪ リディヤじゃなく、私の方が余裕あるわ。短剣の使い潰してもいいからっ☆』


 ……だから、魔力を深く繋げるのは嫌なんだっ。

 呪いに雪光を叩きつけ、後方へ大きく跳躍。

 獣耳と尻尾が靡く中、空中で短剣を放り投げ、魔杖を思いっきり振り――名も知らぬ召喚魔法を超高速発動。


『? ……これは』


 黒髪少女が眉を顰め、虚空を見つめた。

 ――短剣を中心に、『月と花』が象られた魔法陣が形成されていく。

 心中でアトラとリアがはしゃぎ、僕の肩に停まっている氷鳥が歌い始めた。


『『『♪』』』


 雪風が吹き荒ぶ中、深紅の炎羽が顕現し、呪いそのものを焼き尽くす。

 快活な女性の呟き。


『――まぁまぁ、ね』

『!?』


 黒髪の少女に容赦のない蹴りが叩きこまれ、氷河へと吹き飛ばされた。

 深紅の長髪で小さな眼鏡をかけた魔法士の女性――人族の到達点にして、生前は世界最強剣士にして魔法士だった【双天】リナリア・エーテルハートが、額に手をやりながら、わざとらしく頭を振った。身体は薄っすらと透けている。


『でも、決断が遅すぎ! 人に頼ることを覚えなさい、と私は言ったわよね?』

「…………面目次第もありません。なので、指輪を外していただけると」

『あら? 私の実力を超えたの?』

「…………」


 からかわれ、僕は瞑目した。……この人に敵う未来が見えない。

 氷河が吹き飛ばされ、黒髪の少女が姿を現した。

 飛んでくる礫を右手の人差し指一本でバラバラにしながら、リナリアが目を細め、犬歯を見せた。


『まぁ……アトラ達を撫でる時間もほしいし、今はこれくらいにしておいてあげる。最後の『調律者』カレン・エーテルフィールド。『勇者』アルヴァーンの血統でもあった、紛れもない怪物の一人。……ウフフ。一度戦ってみたかったのよっ!』

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