第59話 氷姫

「…………とんでもないな」


 辛うじて、黒髪の少女が放った斬撃を躱した僕は、空中に展開させた氷塊の上で呻いた。

 先程まで荘厳な雰囲気を漂わせていた大聖堂がほぼ半壊。

 天井、壁、大柱の過半が崩れ落ちる前に凍結し氷河と化している。

 リディヤとシェリルは――良かった、無事のようだ。

 どうやら、『時間稼ぎ』ではなく『短期決戦』を選択したらしく、魔力が酷く荒ぶっている。……大丈夫だろうか。

 陛下の血を色濃く継いだのか、ああ見えて、シェリルも根っからの武闘派なのだ。対リディヤ模擬戦戦績、完全なる五分は伊達じゃない。

 屋根から覗く上空には、『賢者』の張った結界が揺らめいている。先程、開いた穴は閉じてしまったようだ。


『アレン』『堕ちた氷の勇者の影!』


 心中で、アトラとリアが注意を喚起し、肩に停まった氷鳥も羽を広げる。

 立ち込めていた砂煙を吹き飛ばし、蒼き氷の楯に守られた黒髪の少女が姿を見せた。 

 ……『氷の勇者』の影。しかも『堕ちた』か

 この子が顕現した経緯を鑑みるに、召喚の媒介となっているのは――ちらり、と眼下を見下ろす。

 これだけの破壊が為されてなお、広場に描かれた魔法陣は健在で、中央部分から無尽蔵なのか? と思わせる程、新しい魔力が供給されている。あれをどうにかして叩くしかなさそうだな。

 問題は――魔杖を回転させ、身に纏う雷を活性化。ゆっくりと同じ高さまで登ってきた少女と視線を合わせる。

 その間、宙を舞う蒼き氷の楯は赤と漆黒に染まりながら数を増していき、黒き雪風が吹き荒び始めた。

 瞬間的とはいえ、アリスと同格の相手。果たして、召喚式を破壊出来るかどうか。

 自分の表情が強張るのを感じ――


「おっと!」


 掻き消えた少女が、僕の後方から放った手刀を、僕は空中に躍り出て回避した。

 ――やはり、転移魔法ではなく『影』を渡る未知の技!

 ただ、魔力の先読みを行えば、回避に全力を尽くせば躱すことは決して不可能じゃない。

 新たな氷塊に着地した僕へ、無数の楯がまるで自由意志を持つかのように襲撃してくる。


「くっ!」

  

 僕の炎魔法で迎撃は到底不可能で、『賢者』と激戦中のリディヤ、シェリルから過度な魔力供給を行ってもらうことも危険なので、アトラとリアに力を借り迎撃。

 雷と炎で打ち砕きながら、凍結している天井の一部や壁、大柱を足場にし、どうにかして魔法陣へ近づこうと試みる。魔法介入で崩したいところだが、使われている魔法式は明らかに現代のそれではなく、暗号式は生き物のように動き解くとっかかりも見いだせない。

 それでも、楯の嵐だけなら――。


「!?」


 右手の剣をかざした少女が連続斬撃を放って来た為、全ての楽観想定を放棄し全力で回避行動へ移る。

 切り裂かれた壁や地面が次々と凍結し、今や大聖堂入り口へ至る路は高く分厚い氷壁によって、遮断されてしまっている。これでは、たとえリディヤ達が『賢者』を退けたとしても、突破には時間がかかるだろう。

 何とかしなければならない。何とか。


 だけど、今の僕には、回避し続ける以外の選択肢がないっ!


 魔力による先読みと『雷神化』。今まで創ってきた身体強化系と防御系の新魔法を総動員し、アトラとリアの力も借りて、斬撃と楯の嵐を凌ぎに凌ぐ。

 ――……やがて、攻撃が止まった。


「…………ふぅ」


 僕は深く息を吐き、頭上を見上げた。

 黒髪の少女が、初めて感情らしい感情を見せ、少しだけ困った顔をして僕へ問うてくる。


『――……貴方は何者? 【鍵】なのは間違いない。でも、それにしては弱過ぎる。だけど、私の攻撃を受けても生きている。不思議生物?』

「…………ただの家庭教師ですよ。自分でも分からない内に、大事に巻き込まれていますけどね。貴女こそ、何者なんですか? 『勇者』アルヴァーンと関係が?」


 息を整えながら、少女へ僕からも質問する。

 勿論――新しい情報が得られるとは思っていない。時間を稼げれば儲けもの。

 リディヤ達は、『賢者』相手に激戦を繰り広げているらしく、閉ざされたこの場でも振動と轟音が伝わってくる。

 かなり深く魔力を繋いでいる為、


『『アレンを助けるっ!!!!!』』


 という、強い強い想いが届いてしまい、気恥ずかしい。

 逆に言えば……大聖堂を覆う恐るべき『八神絶陣』を元にした結界を維持しながら、本気の『剣姫』『光姫』を同時に抑えているあの自称『賢者』、紛れもない怪物。三人の使徒達とヴィオラという少女がこの場にいたら、僕等の敗北は免れなかっただろう。

 黒髪の少女が眼前に聳える氷柱の上に降り立った。


『――私? 私は【エーテルフィールド】。世界の律を守る者。私達は【氷姫】の称号を脈々と継承し、神が去った後、この世界を三百年に亘って守ってきた』


 【エーテルフィールド】【氷姫】。そして、神が去った後の三百年。

 細かい時代は不明だけれど、この子の記憶は遥か太古で止まっているようだ。

 先程のリアの言葉が脳裏をかすめる――『堕ちた』。


「では、貴女の名前は? 僕の名はアレン。慈悲深き狼族、ナタンとエリンの息子、アレンです」

「――……『アレン』?」


 信じ難いことに周囲の魔力が一斉にざわついた。

 氷河に罅が走り、結界すらも悲鳴をあげる。

 少女を守っている楯が赤黒く染まり、少女の背中にも氷の血翼が生まれていく。    

 

 こ、これは、『悪魔』にっ!?

 

 驚愕していると、少女は左手で自分の両眼をゆっくりと覆った。


「……『アレン』…………懐かしき名。私達一族にとって、とてもとても大事な名……。【エーテルフィールド】を支える立場でありながら、私を裏切った…………愛した者の名…………私の………………最愛の兄の名…………」

「…………」


 身体が震えそうになり、獣耳と尻尾が逆立ち、歯を食い縛る。

 ――この魔力、小手先の技術でどうこう出来る相手じゃないっ!

 少女が赤黒く染まった氷翼を羽ばたかせ、深紅と深蒼に染まった瞳で僕を見て、名乗った。


『……私の名前はカレン――カレン・エーテルフィールド。見知らぬ壊れている【鍵】。貴方がその名前を名乗った以上、私には、貴方を殺す十分な動機がある。どうせ、これは泡沫の夢。だったら――私を愉しませろっ!!!!!』

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