公女SS『初めての逢引』上

「先輩、こんな朝からメイド長の緊急呼集って何なんでしょうか? 思い当たるような不手際はしていないと思うんですが……」

「そうね。私にも心当たりはないわ。でも『余程の事』に違いないのでしょう。急ぐわよ。ただし、リンスター公爵家のメイドであることを忘れず、優雅に」

「は、はいっ!」


 今年の春、晴れて正式にリンスター公爵家にお仕えするメイドとなった私は両手を握り締めました。

 先輩と一緒に物音を立てないよう廊下を進んで行くと、朝日が窓から差し込んできます。

 王国王都は今日も良い天気――お洗濯が捗りそうです。

 そうこうしている内に目的地、御屋敷の玄関前広場に辿り着きました。

 既に屋敷中のメイド達が集まり、整列しています。

 ……どうやら、私達が最後のようです。

 眼鏡の位置を直し、スカートを整えられている先輩へ視線を向け合図。


『危なかったですね』

『……誰かさんが寝坊したせいね』


 そう言いながらも、私の胸元のリボンを直してくれます。

 リンスター家のメイドは『メイド見習い』『正式メイド』『席次持ち』に分かれていますが、見習いは一通りの基本研修を受けた後、直属の先輩に御仕事を教えてもらう体制になっています。

 この関係性はとてもとても強いもので、仮にメイドを辞めた後でも生涯に渡って親しくされている方々も数多。

 ……私達もそうなれれば良いのですが。

 私は孤児院の出で肉親もいません。『姓』だってありません。

 某名家の出の先輩には釣り合わないのは分かっています。……でも。

 先輩が顔を覗きこみ、少しだけ心配そうに小声で尋ねてきました。


「(どうかしたの? まだ、眠い?)」

「(い、いえ! だ、大丈夫です。あ、来られましたよ)」


 玄関前に一人の小柄で栗茶髪の女性が進まれ、私達を見渡されました。

 全員の背筋が伸び、緊張感。

 ――リンスター公爵家メイド長のアンナ様です。

 普段通りの朗らかな声で挨拶されます。


「おはようございます。早朝からの呼集、驚かせてしまいましたね。端的に――……緊急事態です」

『!』


 声こそ誰も出しませんでしたが、空気が震えます。

 アンナ様の仰られる『緊急事態』。

 自然と先輩の左袖を握り締めます。

 リンスター公爵家のメイドともなれば日常の御仕事だけでなく、時に荒事もこなすのは当然。かくいう私も『それ相応』と内心自負しています。

 なれど……アンナ様自らが王都にいる全メイドを集める。

 剣呑です。とてもとても剣呑です。

 最悪の場合、全財産の内三分の一は先輩に。三分の一は『リディヤ御嬢様とリィネ御嬢様を陰日向から御見守りする会』に。残り三分の一は生まれ育った南都の孤児院に、という書面を作っておいて良かったかもしれません。

 私達の動揺が収まると、アンナ様が視線を天窓へ向けられました。


「今朝は良い天気です。この分ならば、天候が大きく崩れることもないでしょう」


 再び私達を見られ、満面の笑みを浮かべられました。

 ――あ、命を懸ける必要はなさそうかも。


「本日、王立学校はお休み。そして――リディヤ御嬢様にとって初めてのちゃんとした逢引の日となります」

『!?!!!』


 鋼鉄よりも堅い意志を持つリンスターのメイド達から歓喜の声が漏れました。

 ――リディヤ・リンスター御嬢様。

 公爵家長女にして『公女殿下』の敬称を受けられている、私達が敬愛して止まない御嬢様です。今春、王国屈指の名門である王立学校に入学されました。今夏で十四歳になられます。

 王都に来られるまでは笑われることも滅多になく、私達へお声がけも殆どなかったのですが……王立学校入学後は見違える程、柔らかい微笑みを浮かべられるようになりました。

 メイド隊の情報によれば、とある東都出身の男の子と入学試験で出会われた為、と聞いています。

 アンナ様が左手を少しだけ挙げられました。

 即座に静寂が広場に満ちます。


「皆、知っていると思いますが、御相手はアレン様です。リディヤ御嬢様によれば『……下宿先に置く家具を選ぶだけよ。あいつ、何時まで経ってもソファーで寝てるみたいだし。少しだけだけど、屋敷に泊めていた身としては、風邪でも引かれたら気が咎めるでしょう?』とのことでございましたが――さにあらずっ! 御約束を取り付けてからの一週間。リディヤ御嬢様は夜な夜な、今日着ていく服や髪飾り、宝飾品の準備に余念なく、昨晩も夜中までそれはそれは楽しそうに過ごされておられました。結果……普段ならば起床される時間なのですが、ベッドで幸せそうに眠っておられます。奥様に御報せしたところ『寝かせておいて。アレンには連絡しておいてね』とのことでございました。貴女達を呼んだのは他でもありません。御嬢様が起きるまで、静かに御仕事を」


 私達は顔を見合わせ――ほぼ同時に頷き合います。

 リディヤ御嬢様の健やかな御成長こそ私達全員の望み。

 不同意など――隣の先輩が、すっと手を挙げられました。


「メイド長、一点だけ質問をしてもよろしいでしょうか?」

「勿論です」

「有難うございます。――リディヤ御嬢様が、本日の逢引を大変楽しみにされているのは理解致しました。ならばこそ、無理にでも起こした方が良いのではないでしょうか? 仮に、本日の御約束が流れてしまった場合、傷つかれると思うのですが……」

「確かにその通りです」


 アンナ様が先輩の言葉に同意されます。

 けれど、その表情はまるで悪戯っ子のよう。

 ――あ、分かったかも。

 腕組みをされ、自分の左頬に触れられたメイド長が微笑まれます。


「けれど――……こうも思いませんか? 起こしに来たのが私達ではなく、『アレン様』だった時のリディヤ御嬢様と、ぶつぶつ、文句を言いながらも、服装を褒められて照れるリディヤ御嬢様を『見てみたい』と。奥様も同意見とのことでございます」

『………………見たいです』


 欲望に負け、私達は一斉に唱和してしまいました。

 嗚呼……孤児院の院長先生、ごめんなさい。

 私は立派なメイドになる筈だったんです。でもでも……『可愛いは正義』には勝てなかったんですっ!

 アンナ様が両手を合わされます。


「うふふ♪ 意見が一致して安心しました。では、各自仕事に戻ってください。私はアレン様に御事情をお伝えして参ります。くれぐれも――リディヤ御嬢様の眠りを妨げることなきように」

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