第33話 崩壊

 僕は、凛々しく何処か物悲しい『宣戦布告』を聞き、レティシア様とリサ様を思い出す。あの御二方なら言いそうだな。


「此処からも少々長くなるが……出来る限り話しておかねばならぬ。許せ」


 アーサーはそう前置きし、話を再開した。


※※※

 

 魔王の言葉の意味を理解出来る者は、おそらくロートリンゲン側には殆どいなかったようだ。数少ない例外も、総司令官から後方配置にされていたようだしな。

 ――反対派の詳しい名前までは分からん。

 何せ、古い日誌で文字が掠れている箇所も多かった。辛うじて読み取れた指揮官の姓としては……『マーシャル』という者がいたようだ。

 第一撃を凌がれる、という信じ難い事態を目の当たりにした総司令官や各将達にとって、不幸だったのは立ち直る時間すらも与えられなかったことだろう。


『魔王の姿、突如として掻き消え――地に黒風が走り、空が裂け、無数の黒き雷が軍に降り注いだ。誰もその恐るべき突撃を止めること能わず』


 結果――十数万を号した魔王領侵攻軍は四散。

 総司令官と各将の過半が戦死し、兵の大多数は戦意を完全に喪い捕虜となった。

 帰還者もいるにはいたようだが……その者達が齎した『魔王の宣告』は、帝国上層部を震撼させたらしい。

 曰く――


『浅からぬ縁があった故、【彼の地】と苗木は、ロートリンゲンの家に預けていた』

『だが、最早信頼は完全に喪われた』

『故に――我は、我がかつて誓った命より重き約を果たさん』

『【彼の地】は以後、我が全身全霊を持って守護の任につく』


 意味は私も、完全には分からぬ。祖父や父も知らなかった。

 だが――……魔王の憤りと悲しみは伝わってこよう?

 

 西部戦線の実質的な崩壊と魔王の宣告。

 

 これらを受けた帝国軍の動きは早かったようだ。

 国内では動員が進み、同時に魔王との和議が模索された。

 ――うむ。

 生半可な者では交渉役にすらなれまい。

 しかも、帝国は言い繕えないことを既に仕出かしている。出向いた瞬間に首を飛ばされても文句は言えぬ。

 ……情けない話だが、侵攻を叫んだ帝国上層部の面々は誰一人として、使者に志願しなかったようだ。


 会議に次ぐ会議。

 決まらない交渉役。

 蠢動する各地の反帝国派。


 時の皇帝も決断を逡巡。八大公家に相談すらせず、折衷策を選択してしまった。

 ふっ……本当にお前は察しが良いな。その通りだ。

 帝国は多数の偵察部隊を越境させ、魔王の動向を掴まんとした。

 悪い選択ではない。情報こそ、戦場の勝敗を別つ重大要素だからな。


 問題は誰一人として、帰還者がいなかったことだ。


 ――ああ。

 『一人も生還せず』とはっきり書かれている。

 無論、様々な分析が行われたものの、『信じ難き感知魔法によるもの』という推察がされた程度で、結局分からず仕舞いだったようだ。


※※※


「……アレン、この件についてはどう考える?」


 アーサーが僕に疑問を呈してきた。

 少し考え――返答する。


「国境線に感知網があったのは事実なのでしょう。魔王戦争の頃にも似たような事例があった、と記憶しています」

「だが、全員未帰還はあり得んぞ。幾ら魔王が理外の存在で、指揮下の軍が精兵ぞろいであっても……多方面複数の偵察部隊全てを潰せはしまい。魔王領には、峻険な地も多いと聞く」

「はい、僕もそう思います」

「では――」「アーサー」


 なおも言いつのろうとしたララノアの英雄様へ、僕は片目を瞑った。

 そして、左手の指を鳴らす。

 ――焚火の周囲に、小さな黒猫が十数頭出現した。

 アーサーが目を見開く。

 次々と、膝上に乗って来る子猫達を撫でながら告げる。ふと、同期生の白狼を思い出した。シフォン、元気にしているかな。


「人じゃありません。おそらくは魔法生物の大規模使用が行われたのでしょう。もしくは」

「……もしくは?」

「僕等が想像する以上の使い魔達。ああ、植物魔法の可能性もあります。その場合、とんでもない魔法士が関わっているのは確実かと」

「………………アレン」


 英雄様が自分の額を押さえた。

 肩を竦め、呆れた口調で揶揄してくる。


「やはり、一家庭教師は通らぬのではないか? あっさりと『歴史の謎』を解いてくれるなっ!」

「合っているかは……話の続きをお願いします。魔王は次に何をしたんですか?」


 受け流し、アーサーに先を促す。

 そろそろリリーさんが焦れてきている頃だし、明日以降のことを考えれば、僕等も寝て英気を養わないといけない。

 今の内に、出来る限り聞いておきたい。

 アーサーが微かに頷いた。

 彼も……全てを語るには時間が足りない、と思っている。


「先に話したが、人は神と共に世界樹を喪った。だが、当時の大陸各地には『苗木』が未だ残されていた。ウェインライトの王都と東都にある大樹は、人側世界に、今日まで残った僅か二本のそれだ」

「……そうではないか? と想像してはいました」

  

 幼い頃、妹のカレンと一緒に毎日見上げていた故郷の大樹を思い出す。

 あれで、『苗木』か。

 アーサーが顔を歪める。


「魔王は、同時に二つの事を実行した」


 冷たい風が焚火を揺らした。

 膝上の子猫達がますまる丸くなる。

 重々しい声。


「一つは『聖地』の占領。そしてもう一つは……帝国内の『苗木』の抹消だ」

「っ!」


 予期せぬ言葉を受けて、僕の頭は金槌で叩かれたかのような衝撃を受けた。

 大樹の抹消? 可能……なのか?

 僕の表情を見て、アーサーが戸惑いを察してくれる。


「無論――普通ならば不可能。何しろ、世界を支えていた存在の子等なのだ。倒せる筈がない。だが、魔王はそれを為した」

「い、いったい、どうやって……」


 呆然と返す。

 東都で育った僕は、大樹の枝の硬さを多少なりとも知っている。

 リディヤなら生きた枝は落とせるかもしれないが……幹を斬ることは不可能。

 人の身でどうこう出来るとは思えない。

 アーサーが手を組んだ。


「各地の苗木を、自らの拳で次々とへし折ったのは――魔王と共に帝国軍の前に姿を現した白き猫だったようだ。先祖の日誌にはこう書かれていた。『その拳が振るわれる度、大陸に激震が走り、赤ん坊は泣くことを止めた』とな」

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