第32話 慈悲深き魔王

「それは……」


 アーサーの言葉を聞き、僕は絶句した。

 当時の魔族がどの程度の勢力を持っていたのか分からない。分からないけれど……エーテルハートがわざわざ忠告をする程だった筈だ。

 ――そんな国の王に対して暴言を放った? しかも、総司令官が??

 僕の表情を見て、アーサーは肩を竦める。


「愚かだろう? どう言い繕うが非難は免れぬし、外交上の欠礼も甚だしい。その場で戦端が開かれておかしくない」

「その物言いからすると――魔王は自重したのですね?」

「ああ」


 英雄は夜空を見上げた。

 無数の星々が輝いている。


「『魔王とはこの世界で最も気高く、慈悲深く、律儀な者』。祖先の日誌に書かれていた言葉は事実だったのだろう。当時の国境線は現在のそれよりも大分西に位置したそうだが、魔王領内では西進を主張する声も高まっていたようだ。そのような情勢でありながら『戦なぞ、無価値、無意味ぞ。我はそのようなことをする為に、国を興したわけではない』と、国民を抑えたのだぞ? 大した者だ」

「…………」


 僕は黙り込み、紅茶を飲んだ。

 魔王戦争時代の史書を読んで、何となく理解はしていたことが確信に変わっていく。

 ……人側よりも、あちらの方が良識的なんじゃなかろうか?

 アーサーが、脇に置いてあった木の枝で焚火を弄る。パチパチ、と炎の中の薪が音を立てた。


「魔王は挑発に乗らなかった。だが、南方と東方の両帝国は、静かに暮らしていた魔女の一族に奇襲攻撃をしかけ――そして、ロートリンゲン帝国首脳部はこれを『千載一遇の好機』と捉えた」

「……自らに匹敵する二大仮想敵国が戦乱を呼び込んだ。今ならば、後背を突かれる心配もない」

「ふぅ…………その通りだ。アレン? 家庭教師を廃業して、我が国で軍人か政治家にならんか? お前が上司ならば、無駄死にはなさそうだ」

「分不相応ですよ。僕は、教え子達と腐れ縁の世話で手一杯なので」

「そうか、残念だ」


 嘆息し、ララノアの英雄は淡々と壮絶な大戦の物語を語り始めた。


※※※


 当時のロートリンゲンは、世界の過半以上に覇を唱えながらも綻び始めていた。

 領土は拡大仕切り、これ以上の膨張は望めない。

 数世代前には、綺羅星の如くいた人材も小粒になっていき――歴史を軽んじる風潮が生まれていた。

 その一方、大陸西方で独自の文化を形成し、少しずつ、だが確実に成長しつつあった魔族達は繁栄を謳歌している。

 ――火種になったのは国境線近くで発見された魔石の鉱脈だったそうだ。

 それ自体は慶賀すべきことで、しかも資源自体も無尽蔵。

 ここで問題になったのは……その鉱脈が、ロートリンゲンと魔王領とに跨っていたことだった。


『魔王領側の鉱脈の方が、魔石の質においては数段勝ると考えられる』


 鉱脈を発見した学者の報告書を読んだ、帝国首脳部は色めき立った。同時に、焦燥感に駆られたのだ。


『このままでは、魔族の連中の方が利を得るのではないか?』。


 ……ああ、そうだ。この時点で、採掘は開始されていない。

 にも拘わらずっ! 

 帝国首脳部は、書類上の利益を得ることを選択し、此処に魔族に対する『限定戦争』が決定された。

 

 ――戦争には相手がいて、『限定』かどうかを決めるのも帝国の意志ではない、ということに気付かずに、だっ!!!!!


 例の総司令官に指揮された帝国軍十数万は国境線を越え、魔王領側の鉱脈一帯をまず占領。

 そして、この時点でもなお対話を求めるべく派遣されて来た魔族の使者を――公開処刑した。

 …………暗澹たる気持ちにならざるをえん。

 後世の史書から悉く抹消されているのは、余りのどうしようもなさに、人という種の愚かさに、絶望した者が多かったからかもしれんな。

 この時点で――帝国側は未だ高を括っていた。

 世界最強最大たるロートリンゲンに、西方の蛮族が歯向かう筈はない、と。文句は言っても、領土割譲に応じるだろう、と。


 魔王が、どのような人物であるかを皇帝家は受け継いでいたのに、だっ!


 使者の処刑を伝え聞いた魔王は――即座に唯一人、魔都を発した。

 その動き、正しく雷光の如し。

 後に『大陸最精強』を謳われる、魔王親衛隊ですら追随出来なかったという。


 そして――人は、慈悲深き魔王と初めて戦場で相対した。


※※※


 アーサーはそこまで一気に話し終えると、マグカップを傾けた。

 表情を崩し、謝罪してくる。


「……すまん、またしても話し過ぎてしまった」

「大丈夫ですよ。むしろ、もっと教えてください」

「そう言って貰えると、気が楽になるな。……魔王が魔都を発した所まで話したか」

「はい。地理的にはどこら辺の話なんでしょう?」


 僕は左手を振り、大陸西方地図を空中に投影した。

 今の国境線よりも大分西側の話な気もするけれど……。

 枝を取り、アーサーが指し示す。


「此処が所謂『黒河』――今は『血河』で知られる大河だ。そこから、西へ進むと『聖地』。大陸内で最も世界樹の子が育っている地。鉱脈があったのは」


 地図上を枝が動いて行く。

 血河、聖地を越え――かつて、ハワードとリンスターが攻め込んだという魔都の近くまで進み、止まった。

 僕は目を見開く。かつての魔王領は、今よりもずっと小さかったのか。


「此処だ。鉱脈一帯を占領した帝国軍は驕り切っていた。『このまま、魔都を占領せんっ! なに、戦果を挙げれば文句はあるまい』と息巻いていたという。……そこへ、魔王が降臨した」


 アーサーが立ち上がる、椅子に立てかけてある双剣を手にした。

 ゆっくりと抜き放っていく。


「帝国軍は先に話した通り、総勢十数万。対するは、魔王唯一人――……いや、もう一匹? と形容すべきか………白髪で二足歩行する猫が共にいたそうだ」

「? 二足歩行する猫、ですか? 獣人ではなく?」


 頭の中で想像する。

 いやまぁ……可愛いかもしれないけれど。

 英雄は舞うように双剣を振るう。少し、リディヤに似ているな。


「先祖の日誌にはそう書かれていた。正々堂々と名乗りをあげ、使者殺害の理由を問うた魔王に対し――帝国軍は魔法の一斉発動で応じた、とある」


 舞を止め、清々しい音と共に双剣は鞘に納まった。

 アーサーが椅子に腰かけ、愉快そうに教えてくれる。


「到底、生きていられるとは思えない砂煙の中から悠然と現れた魔王の手には、大剣と長槍が握り締められていた。そして――こう寂しそうに笑ったそうだ。『人は何処で生まれても、どの時代も大して変わらぬな。……穏便に済ませたかったが是非も無し。かつて、【十傑】と称されし我の力、歴史を忘れしそなた達にとくと見せんっ!!!!!』」

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