第34話 来訪者

「大樹を……拳でへし折った、ですか? それは流石に……」


 誇張では? という言葉を僕は飲み込んだ。

 ――アーサーの瞳は笑っておらず、純粋な畏怖を湛えていた。

 微かに頷き、続けられる。


「お前がそう思うのも無理はない。だが、れっきとした事実だ。我が先祖の中に、調査を行った者がいてな。当時は未だへし折れた苗木の痕跡がはっきりと残っていたそうだ」

「……なるほど」


 僕は顔を引き攣るのを感じつつも、呟いた。東都や王都の大樹を思い浮かべる。

 あれを拳で、か……。世界は広く、深いな。

 ――周囲を覆っている結界が震えた。

 どうやら、楽しい歴史の講義の時間は残り少ないようだ。

 アーサーも気づいたらしく、笑みを零す。


「楽しい時間はあっという間だ。魔女戦争の終わりまでは話せると良いのだが……」


※※※


 白き猫に対して、帝国が手をこまねいたわけではなかったようだ。何しろ、攻撃される対象は分かっているのだからな。一本目をへし折られた後、部隊を各地に配置。防御態勢を固めていた。……結果的には意味を為さなかったようだが。

 その間――聖地を奇襲占領し、今の血河の畔まで軍を進めた魔王は動きを停止。

 南方と極東の二帝国は、魔女相手に火遊びを行った結果、ロートリンゲンに関わる余力を完全に喪い……『亡国』という言葉すら囁かれ始めていた、と日誌には書かれている。

 興味深かったのは、この時期、帝国の極盛期を生み出した五賢帝に仕えしエルフが皇宮に召喚され、皇帝自身が喚問を行った、という話だな。

 紅髪の少女と黒髪の少年を連れてやってきた、その薄い翠髪のエルフの女性に皇帝が問うたことは、多岐に渡ったようだが……大きい内容は以下の三つだ。


・【魔王】とは何者なのか?

・【魔女】とは何者なのか?

・そして――五賢帝ならばどうされると思うか?


 この問いを受けたエルフは、暫し沈黙した後――こう答えたそうだ。


『そんなことを今更聞いていったいどうされるのか?』


 帝国上層部はエルフに対し怒気を放ったものの、皇帝はそれを抑えた。

 日誌を読めば分かるのだが、当時の皇帝は決して暗愚ではなかったように思う。

 平時であれば、『温和な皇帝陛下』という評価を得られたかもしれぬ。

 生まれる時代が悪かった、と少しばかり同情してしまうのだ。

 ……無論。

 苦境を招いたのは、ロートリンゲンという家の問題でもあるのだが。

 頼むから教えてほしい、という懇願に対し、エルフは重い口を開いた。

 長いので省略するが、中々の人物だったのが分かる内容だ。


・曰く――ロートリンゲンは世界の成り立ちを理解していた家であった。にも拘わらず、それを幾度も忘れた。

・かつてならば、手を差し伸べ助ける者もいたが、今の世界にはもう殆どいないだろう。まして、相手は【魔王】と【××】である。

・話し合いの仲介を務めてくれる可能性があるのは、八大公家と一部の家々しか考えられないが、望みは抱かぬ方がいい。

・【魔王】とは、『神無き時代に神の力の一部を行使出来る例外』であり、その力は古の大英雄達をも超えている。

・【××】とは、かつて神とすら戦った歴戦の古豪であり、最後の×××。人がどうこう出来る存在ではない。

・五賢帝ならば、そもそもこのような馬鹿げた戦は起こしていない。仮に部下が起こしたのなら単騎で魔王と会談し、その後、自裁している。


 これを時の皇帝に言い放ったのだから、痛快だ。

 同じ時代に生きていたならば、是非、知己を得たいと願っただろう。

 ――ああ。残念だが一部は読み取れなかった。

 おそらく、例の白い猫を指している部分だと思うのだがな。

 答えを聞いた皇帝は顔を蒼褪め、高官達は狼狽え、時の大宰相はエルフの拘束を叫んだ、という。


 エルフを守るべく、少年と少女が剣を抜き放つ前に――もう一人の客人がやって来た。


※※※


「厳重な……おそらく、世界で最も防備が固められていただろう皇宮に、来訪者、ですか?」


 僕は今晩何度目か分からぬ口調で、アーサーの言葉を繰り返した。

 既にカップの中身は空。焚火の薪も燃え尽きようとしている。

 自分の先祖の醜態を教えてくれた今世の英雄様が、枝を火の中にくべた。


「……信じ難いがな。だが、異名を読んで納得した」

「と、言いますと?」

「かつて――この世界における、最強の前衛後衛を称す名誉称号が存在した」


 アーサーが遠方を見つめる。

 そこにあるのは――羨望。


「前衛の最強【天騎士】。後衛の最強【天魔士】。……ロートリンゲンによる世界統一が進むにつれ薄れ、消えていった栄えある称号だ。魔女戦争時、既にその名を知る者も少なくなっていた、と聞く」

「――……もしや」


 僕はあることに思い到り、身震いした。

 英雄様が、重々しく教えてくれる。


「やって来た来訪者は――最後の【天魔士】、その人だった。名は伝わっておらぬがドワーフ族の女性で、数頭の白狼を連れていたそうだ。ああ……ずっと後の時代になって、【天騎士】【天魔士】の称号を同時に受け,史上唯一の【双天】となった怪物もいるにはいるが、あの者は例外と考えてくれ」

「……了解です」


 多分、あの人だろうな。四英海で出会った。

 視線でアーサーを促す。


「単独で当時の皇宮の防衛網を、真正面から突破した【天魔士】は、まず老エルフに驚き『お懐かしい。何時以来でしょうか?』『貴女様が出て来られるとは……御祖母様の葬儀以来かと』と挨拶を交わした。二人は知り合いだったのだろう。そして――恐るべき、魔法士は震える皇帝へこう告げたそうだ。『――師の教えと古き約定に従い、此度の馬鹿げた戦は私が仲裁します。よろしいですね?』」

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