第26話 二人の時間

「あれ? アトラとリアは寝ちゃった?」


 お風呂から出た僕が髪をタオルで拭きながら寝室に戻ると、ベッドの上では二人の幼女が、すやすやと寝ていた。

 お揃いの寝間着で互いを抱きしめあっている。可愛い。リディヤがわざわざ持ち込んだようだ。

 椅子に座っていたリディヤは頬杖をつきながら、くすり、と笑い返答。毎度のことながら、僕の白シャツを着ている。


「さっきまで起きていたのよ? 突然、静かになるからびっくりしたわ」

「小さな子と一緒だなぁ」


 僕はリディヤの前の椅子に座ろうとし――


「じー」


 紅髪の腐れ縁が僕へ視線をぶつけてくる。

 その意味は『そこにすわるのー?』。

 僕は少しだけ考え、リディヤの隣の椅子に座りなおす。


「よろしい! ……ふふ♪」


 嬉しそうな声と共にリディヤは立ち上がり、僕の後ろに回り込んだ。

 タオルを優しく動かし、僕の髪を拭く。


「リディヤ?」

「た、偶には、私があんたの髪を整えてあげる! か、感謝しなさいよっ! わ、私がこんなことするのなんて、あ、あんただけなんだからねっ!!」


 珍しくお風呂上りに自分の髪を自力で乾かしていたのは、この布石か!

 アトラとリアの髪を乾かしているのを羨ましそうに見ながらも、静かだったから、ようやく大人になったのか、と思っていたのに。

 苦笑し、お願いする。


「それじゃ――お願いしようかな?」

「! ま、任せておきなさいっ! ふふふ~♪」


 後ろから上機嫌な鼻唄。

 ゆっくり、ゆっくり、丁寧に髪が拭かれ――次いで、温かい風魔法で髪が乾かされていく。

 誰かの髪を乾かすことはあっても、誰かにこうやって乾かされるのは久しぶりだ。

 前にこうやって乾かしてもらったのは、王立学校時代、シェリルに――突然、風が熱くなる。


「熱っ! リ、リディヤ、ち、ちょっと、風が熱いんだけど……」

「……いまー、ちがうー、おんなのこのことをー、かんがえてたでしょぉ」

「――……考えてないよ? 本当だよ? 僕が君に嘘をつく筈ないじゃないか★」

「う・そ・つ・きっ!」


 そう言うと、リディヤは僕の前に回り込んだ。

 分かりやすく頬を大きく膨らまし、拗ねている。


「……後ろからだとあなたの顔、見れないのやだ。髪、梳かすね」

「あ~……うん」


 僕は頬を掻き、頷く。

 リディヤがブラシを手に持ち、僕の髪を梳いていく。

 お互いに無言。

 でも、嫌な空気じゃなく、穏やか。

 少女の呟き。


「テト達は何て?」

「『関わらせろ』ってさ」

「で――あんたは折れたのね?」

「……僕は何処で、後輩の育て方を間違えたんだろうね」

「初日からに決まっているじゃない。――あの子達、貴方の為なら、平然と死ぬわよ?」 

「…………」


 僕は顔を顰め、嘆息する。

 目の前で楽しそうな紅髪の少女に愚痴を零す。


「……僕にもう少し魔力があれば良かったんだけどね。そうすれば、一人でどうにか出来たかもしれない」

「バカね」


 リディヤがブラシを動かす手を止め、僕の頬に左手を伸ばし、触れた。

 綺麗な微笑。


「その為に私がいるのよ。あんたの隣には私が。私の隣にはあんたが。二人で挑めば、私達は『無敵』なんだから」

「……君には負けるよ」

「あら? 勝てる、と思っていたの?」


 両目を瞑り、軽く両手を掲げる。目の前から、くすくす、と笑う声。

 ブラシをテーブルに置く音がし、リディヤが甘えてくる。


「はい、終わり! ねー、座っていぃ?」

「……狭いよ?」

「い・い・の! てぃ」

「あ、こら」


 僕の椅子にリディヤが腰かけてくる。

 比較的大きめな椅子だけれど、二人で座ると狭い。当然、肩と肩とがくっつき、お互いの頭をこつん、とする。

 リディヤの囁き。


「……一緒に王宮へ毎日、行けるの嬉しい……まっくろ王女は許さないけど」

「シェリルは、本当に困った子だけどね」

「…………あの子は、王立学校時代から、ずーっと、そうだもの。まっくろくろだわ。あんたのことに関しては、特にっ! いい?」


 紅髪の公女殿下が僕を見た。

 普段の凛々しい『剣姫』は何処にもおらず、小さな子が愚図る手前の表情だ。


「た、確かに、シ、シェリルは綺麗だし、わ、私よりも……そ、その……む、胸も大きいかもしれないけど、あ、あんたは私のなんだからねっ! ねっ!! ねっ!!!」

「はいはい」

「はい、は一回……う~……バカ……もっと、撫でるのぉ」


 唸っているリディヤの髪を優しく撫で続ける。

 ――やがて、紅髪の公女殿下は鼻歌を歌い始めた。


「♪」


 よく、リリーさんが歌っているのと同じ歌だ。

 案外と仲良し――


「……それ以上、不名誉なことを考えたら、腕を本気で噛むわ」

「……考えてないよ。少し真面目な話をしていいかな? ワインでも飲みながら」

「…………」


 渋々とリディヤが口を閉じる。本気で噛むからなぁ。

 ぽん、と頭を叩き立ち上がる。

 すると、リディヤも僕の腕を抱きしめたまま立ち上がった。


「ワインを取ってくるだけだよ?」

「……離れるのイヤ」

「……仕方ない公女殿下だなぁ」

「公女殿下って、いうなぁ」


 何時ものやり取りをしつつ、部屋を出て、小さな灯をつけ静かにキッチンへ。

 氷冷庫を開け、赤ワイン二本とチーズを取り出す。

 その間に、リディヤも片手を動かし、風魔法で棚を開け、浮遊魔法を使いグラスを二つ浮かし確保。

 普段、まず使わない魔法まで使うとは……絶対に腕を離さない、という強い意志を感じる。

 ジト目を向けると、何故か誇らしげ。


「あんたに習った魔法だもの。忘れている筈ないでしょう?」

「はぁ……これだから、天才は!」

「その言葉、そっくりそのまま返すわ」


 掛け合いをつつ、寝室に戻り、グラスへワインを注ぎ


「「乾杯」」


 アトラとリアを起こさないように、静かにグラスをぶつけ合う。

 一口――美味しい。

 チーズを風と氷の刃で切り、一枚をリディヤに食べさせる。


「はい」

「んー」


 リディヤは素直に咥えつつ、一枚を手に取り僕の口元へ。

 僕もぱくり。

 齧りながら、話しかける。


「まずは確認しようか――僕等は現状、後手後手に回ってる」

「そうね。しかも」


 リディヤが僕の口元を拭い、指を舐めた。

 その指を動かし――魔法で大陸全域図を投映する。

 

 中央に王国。

 北方にユースティン帝国。

 南方に侯国連合。

 北東にララノア共和国。

 

 そして、東方に――聖霊騎士団。

 リディヤが細い指を動かす。


「王国、帝国、連合は、今回の叛乱とその余波に伴う混乱下にある。到底、動けない。まだ詳細情報は届いていないけれど、ララノアでも政変が起こりつつあるらしいわ」


 僕は頷き、考えを述べる。


「おそらく、その陰にいるのは聖霊騎士団乃至は教皇庁。そして、君の予測では――相手の目標は僕。つまり」

「『囮』になるのは許さない。絶対に、絶対に許さない。なるなら、私もついていく。そんなこと――……二度とさせないっ!」

「…………」


 機先を制され、たじろぐ。考えを読まれていたか。

 リディヤの手が伸びてきて、僕の手を掴んだ。


「黒竜の時は確かに上手くいったわ。でも、あれは――……奇跡よ? 千回やったら、一回しか成功しない位の。そんな、そんなこと……」

「リディヤ」


 名前を呼び微笑むと、泣きそうな顔になりながら指が滑り込ませてきて、手を強く強く握りしめられる。

 僕も握りしめ返す。


「――分かった。しないよ、大丈夫」

「……本当?」

「うん」

「……なら、いい」


 そう呟くと、リディヤは恥ずかしそうに口を開けた。

 この子には敵わない。

 ――四年前、王立学校で出会った時から、ずっと。

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