第19話 王宮大浴場
「ふわぁぁ……す、凄いですっ! リィネ! あれ、あれを見てくださいっ! 獅子の口から、お湯が出てますよっ!! あとあと、凄い湯気ですねっ!!! 奥とか、全然、見えませんっ!!!!」
「ち、ちょっと、ティナ。今はそれどころじゃ……急いでください。早くしないと! 認識阻害をかけます」
私は、逸早くそこ――先の事件でも破壊されずに済んだ、名高き王宮大浴場に立ち入った薄蒼髪の公女殿下に抗議しながら、認識阻害魔法を発動します。
確かにとても広くて、はしゃぎたくなる気持ちも理解出来ますが……今の私達には、急がねばならない理由があるのです。
入口で立ち止まり、あちこちを見渡している首席様の背中を押し、洗い場へ。
……予定通り、先客はいません。
王宮の夕食を少しだけ早く切り上げ、こっそり、と此処に来ているのですから当然です。姉様を含め、皆さんはまだ食後のお茶を飲まれている頃でしょう。
エリーは今頃、おたおた、していると思いますが……この場において、あの子は私達の『敵』。情けは無用です。
そんなこと思いながら、ティナの隣に座り出来る限り早く、髪と身体を洗っていきます。
「あーあー! 目に、目に、石鹸が入りましたっ!!」
……首席様は、静かに身体を洗うことすらも出来ないんでしょうか。嘆かわしい。
溜め息を吐き、わざと温めず冷たい水を顔にぶつけます。
「ひゃんっ! …………リィネ」
「ほら、とっとと洗ってください。時間は余りありませんよ? それとも、首席様は、一人で髪も洗えないんですか?」
「あ、洗えますっ!」
ティナはそう言うと、綺麗な薄蒼の白金髪にお湯をかけ、洗っていきます。
…………悔しいですが、とても綺麗な髪だと思います。
特段、自分の髪に不満はありませんし、何となく口に出すのは悔しいので、言いませんがっ! ええ、言いませんがっ!!
拳を握りしめ、手を止めていると――髪に冷たい水をかけられました。
「きゃんっ! ……………ティナ?」
「ふっふーん。早く洗わないからですっ! あ、でもぉ、リィネはゆっ~くり、と洗ってくれていて、いいんですよ? その間に私は先生を独占して、髪を整えてもらいますから♪」
「……抜け駆けしようとしていたことを、バラしますよ?」
「リィネも抜け駆けしています。もう、私達は共犯です★」
「…………無駄に、頭の良い首席様はこれだからっ!」
「いい子ぶろうとする、次席様より素直なんですっ!」
「「っ!!」」
二人しかいない大浴場内で、ティナと睨み合い――微かな魔力の気配。
首席様と顔を見合わせます。ま、まずいです。
私達は慌てて温泉に飛び込み、岩の陰に身を潜めます。
幸い大浴場内は湯気も濃いですし、多くの岩もあります。
着替えも分かりにくい場所に隠してあるので、そうそう、バレることもない筈です。
バレれば……私は身体を震わせます。
は、入って来たのが、姉様だったら……
「ふひぃぃ……」
「ち、ちょっと、ティナ! 和まないでくださいっ!!」
「だってぇ……気持ちよくてぇ……」
緊張感を喪った表情で、ティナが口元まで湯に浸かっています。
こ、この首席様はっ!
い、いざとなったら、この子を犠牲にして私は――誰かが入って来ました。
…………湯気でよく見えませんが、私達よりは大分、背が高いです。
「……む」
「………」
ティナと視線を合わせ、頷き合います。
身体の起伏から見て『敵』――しかも、圧倒的かつ、強大な『敵』であることは間違いありません。
何とはなしに、目の前の首席様の胸元を見ます。
…………神様は、残酷なことを、なさいますね。
ティナが私の胸元を見て、ぽつり。
「……リィネ、可哀想……」
「(! な、何を、何を、言ってるんですかっ、貴女は!! わ、私の方が、お、大きいですっ!!! こ、この前、測った時の数値を、もう忘れたんですかっ!?)」
「(そ、その分、あ、貴女の方が、太ってましたっ! そ、それに、あ、あれ位は、ご、誤差ですっ!! 誤差っ!!!)」
「「っ!!」」
首席様と至近距離で睨み合います。
……こ、こんな子と、共同戦線を組める、と思った私が浅はかでした。
所詮、兄様に一番早く髪を整えてもらえるのはただ一人。
ここは、迂回して――ぽちゃん、とお湯に誰かが入って来る気配。
ま、まずいです。
ティナに目配せ。静かに私達は動き出し、脱出を試みます。
…………けど、気になります。
どうやら、入って来たのは一人だけ。
いったい、誰なんでしょうか?
魔力を探ろうとしますが、全く感知出来ません。
ティナがぶつぶつ。
「(今晩、王宮に泊まって、ここを使うのは私達だけの筈。……背の高さからして、エリーとフェリシアさんじゃないです。胸の大きさからして、同志カレンさんでもありません。つまり)」
「(……ステラ様かシェリル様か姉様。もしくは――突然、来られたかもしれない他の王族のどなたか)」
「(御姉様は、あそこまではないです。とっっても、綺麗ですけど)」
「(つまり…………ティナ、姉様だった場合、間違いなく折檻されます。二分の一の確率での『死』は、許容出来ません。ここは、私のた――……先導してください)」
「(…………リィネ。リンスターが先陣を譲るんですか?)」
「(『勝ってこそ、物事を論じられる』が家訓なので)」
「「っ!!」」
今晩、何度目になるか分からない、睨み合い。
――とても綺麗な歌声が聞こえてきました。
古い恋歌のようですが、知らない言語なので分かりません。
思わず、聞き惚れてしまいます。いったい、誰がこんな歌を。
そう思いながらも、ゆっくり、ゆっくり、ティナと大浴場内を進んで行きます。
入口は一ヶ所ではなく、数か所あります。
もう少し……あと少し……。
恋歌が変化し、変な歌に変わり、水をバシャバシャ、叩く音。
こ、この声は!?
「ふっふ~んっ~♪ ぬっけがけはっ~せんじょうのはなっ~♪ たまには~とししたで、かわいい~あのひとに~あまえるのもわるくないぃ~♪」
…………。
私は何も聞きませんでした。ええ、何も、聞きませんでした。
ティナが、私に『うわぁ……リンスターのメイドさんって……』という視線を向けてきますが、私は知りません。だって、あの子、自称メイドですし。
同時に――あの子に、そんなことをさせるわけにはいかない、という決意に心が燃えてきます。
南都であれだけ兄様に甘えたくせして、まだ足りないなんて、言わせませんっ!
湯舟の端に辿り着き、上がろうとし――殺気!
飛んで来た水球を迎撃しつつ、タオルを身体に結びます。
声が聞こえてきます。
「――……リィネ御嬢様ぁとティナ御嬢様ぁ、ですかぁ? どうやらぁ~考えていることはぁ、同じみたいですねぇ? でもでもぉ~私を倒さない限りはぁ」
「「はい! 反則負けっ!!」」
「!?!! な、何ですかぁっ!」
湯舟の中で立ち上がった自称メイドな影に向かって、私とティナは叫びます。
……理由を、私達に、言わせる、と?
お湯をかき分け、かき分け、リリーが近づいてきました。
「リィネ、危ないっ!」「ティナ、見ては、見てはダメですっ!」
お互いの目を押さえます。
あ、あんな危険なモノを見てしまったら、今晩中、兄様に慰めてもらわないと、立ち直れなくなってしまいます。
……いえまぁ、以前にも見ていますが、何となくです。
「??? 御二人共ぉ~? どうかされたんですかぁ?」
「リリー、来ないでっ! もしくは、胸をもいでから来てっ!!」
「そ、そうですっ! い、幾ら、十八歳だからって、そ、そんなに大きくなる筈が――……はっ! リ、リィネと、リ、リリーさんは、い、従姉な関係……。そ、そして、リ、リディヤさんも、豊かな方。わ、私のお、御母様は、決してそんなには…………! つ、つまり、リィネ、あ、貴女も、将来的にはっ!」
ティナが未来の可能性の差に気が付き、よろめき……ぶくぶく、と湯舟に沈んでいきます。
……どうやら、気づいてしまったようですね。
真の敗北者が、自分一人かもしれない、という過酷な現実に!
もう、この首席様は使い物にならないでしょう。
――いえ、ステラ様から考えて、そう悲観することもないと思いますが、教えてはあげません。
私が腕組みをし、最大の敵と対峙します。
「……リリー、ここは譲って」
「え~嫌ですぅ~★ わたし~、アレン様に髪を梳かされたことないのでぇ~♪ こう見えてもぉ~リディヤ御嬢様よりも、綺麗だと思うんですぅ~」
「…………へぇ、そう。で?」
「!?」
大浴場内の温度が、下がった気がしました。
自称メイドな従姉は、ブリキ仕掛けの玩具のように、大浴場の入口へ視線を向けます。
――そこには、姉様を先頭に、ステラ様とカレンさんとフェリシアさん。
そして、頬を大きく膨らましているエリーの姿がありました。キラキラと、翡翠色の魔力が光っています。
……まったく、魔力を感知出来ませんでした。
エリーは想像以上に怒っているようです。
私は湯舟につかり直し首席様と肩を並べ、視線を合わせ苦笑。
――どうやら、抜け駆けは大失敗に終わるようです。
私達は、姉様達に詰め寄られる従姉の姿を眺めつつ、近づいて来る親友の子への言い訳を考えるのでした。
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