第54話 敗北

 その日の夜。

 僕は『有翼獅子の巣』、その最上階でワインを飲んでいた。

 部屋の大きなベッドの上では、カレンとリリーさんに抱き着きティナとリィネ、そしてアトラが並んで寝ている。寝間着姿がとてもとても愛らしい。……リリーさんのおへそが見えてるのはいいのかな?

 昨日まで三部屋に分かれていたのだけれど、支配人のパオロさんの気遣いでもう一台、豪華なベッドが運び込まれ、今晩からは一部屋に。何せ、人数が大きく減ったのだ。

 まず、シェリルは会談後、南都へ強制帰国と相成った。

 何しろ彼女は王女殿下なのだ。

 ……勝ち誇り煽りに煽るリディヤと、微笑を浮かべ本気で猛り、途中から僕へ矛先を向け、拗ねに拗ねたシェリルを止め、送り出すのは講和締結よりも難儀だった。『……王都へ帰ったら、散歩に付き合ってもらうから! み、水色屋根のカフェとかっ!!』。関係各所との調整が大変だろうなぁ。

 それに伴い――アンナさん、ロミーさん、テト、イェン、ギルも護衛役として帰還が決定。まぁ、後輩の魔女っ娘は『嫌です! 先輩の護衛は私の係ですっ!!』と言って激しく抵抗したけれども。……係ってなんなんだ、係って。此方もまた、研究室に顔を出すのは約束させられた。イェン、ギルからの援護は皆無。裏切り者め。

 僕は眼下の港を見下ろす。今宵もまた夜景が綺麗だ。とても、昨日、騒乱があったとは思えない。

 隣から細い手が伸びてきて、僕の口に干した果物を放り込んだ。


「? リディヤ??」

「……あんたが見るのは私でしょう? ようやく、お邪魔虫もいなくなったしねっ! はぁ、清々したわっ!!」

「……一応、シェリルは君が守るべき存在なんだけどなぁ」

「建前よ。建前。私はあんたの、あんただけの『剣』なんだから。今までも、これからもね――お疲れ様」

「御嬢様でいいって――お疲れ様」


 グラスをぶつけ、労い合う。

 肩と肩とをぶつけ、お互いの頭も合わせる。

 ――静かで、穏やかな時間。

 僕は、ぽつり、と呟く。


「リディヤ」

「ん~??」

「……見事に、負けたね」

「そうね。戦略的大敗ね」


 淡々と紅髪の公女殿下は肯定。

 そこに、悔しさや、燃えるような感情はない。

 ただ――事実を認識しているだけ。


「あんたは、今回もまた水都と、多くの人々を救ってみせた。けれど」

「それらは、全て仕組まれていた。強制的に僕を『舞台』へ上げるよう、騒乱開始を調整してまで。あそこまで見事に事を起こせるなら、リンスター相手に善戦出来ている。……余りにも重なり過ぎていた。そして『光盾』『蘇生』『吸血鬼』『悪魔』――最後には『竜』。僕と君が戦ってきた相手を順繰りに遡って。その意味は」

「『気づけ。お前は盤面の上にいる』」


 リディヤの腕が僕の肩に回される。

 ふわっ、と薔薇の香り。

 僕は頷く。


「そして、向こうのまだ見ぬ『指し手』の意のままに、僕はニコロ達を救う為に大魔法の力を使った。最後にやって来た竜まではよんでいないだろうけど。これで、僕は今後とも舞台の上だ。…………けど、分からない。どうしてなんだろう? 何故、僕なんだ??」

「…………分からないの?」


 素直に頷く。

 この子相手に虚勢を張る程、僕は強くないのだ。


「分からない。ここまで、手札を見せつける意味が何処にあるんだ? てっきり……最初、狙いは君かリィネかティナなのか? と思った。奴等の魔法式からして、『リンスターの血』と『ハワードの血』は喉から手が出る程、欲しい筈だ。でも――……行動を見る限り、一貫性がない。君達を全力で狙うこともなかった。各種召喚式を実戦で試したかったにしては、ちぐはぐ、だ。古い文献を探していたようだったけれど、それなら大図書館から大聖堂へ直行して、『骨竜』を顕現させれば良い。あれじゃ、まるで、玩具を見せつける子供の行動じゃないか」


 ――シェリルが残していった全域図により捕捉されていたヴィオラは、結局、捕らえることが出来なった。

 水都郊外の隠れ場所をアンナさん、ロミーさん、リリーさんが強襲したものの、そこにあったのは、十数名の死体と転移魔法陣。その死体にも時限式の罠が仕込まれており、全て吹き飛んだ。

 

 結果、あれだけ派手に行動したにも関わらず……聖霊教の直接証拠はない。


 リディヤの指が僕の肩に食い込む。


「痛っ。何するのさ?」

「…………私には、分かるわ。ええ、分かるわ。他の子達には分からないでしょうね。でも――……私には、はっきりと盤上の向こう側の腐れ外道が、祈りながら、何と言っているのかね」

「…………何て?」

「――……立って」


 言われるがまま立ち上がると、いきなり強く抱きしめられた。

 僕も背中に手を回す。


「……リディヤ?」

「……そいつはね、こう言っているのよ」


 私を――私だけを――私しか見ないで。


 ――夏にしては冷たい風が吹き抜けた。

 リディヤは更に強く、僕を抱きしめる。

 その瞳にあるのは、凄まじい決意と――憤怒。 


「ジェラルドの件、オルグレンの叛乱、そして、今回の水都。これらは全て――あんた一人だけを対象にして起こされたものだわ。そして、これから起こるであろうことも全て、全てそう。他の存在はそもそも眼中にない。ええ……私には分かるわ。私だってそうだもの。世界、国家、公爵家――……正直、どうでもいいわ。私はあんたが……アレンが私の隣にいてくれるなら、何もいらない。そして、それを奪おうとするのなら、誰であろうと、容赦はしない! 全部、斬って、燃やして、斬るわっ!!!」

「――……リディヤ」


 黒が混じった炎羽が舞い散った。

 僕は優しく頭を撫でる。

 ……困った子だ。

 未だ、精神的回復の途上らしい。

 撫で続けながら、諭す。


「そういう事を言っちゃいけないよ?」

「一生涯であんたにしか言わないもの」

「まぁ……僕も君が目標なら容赦はしないけど」

「でしょう? でしょう?? 正しいじゃない」


 子供っぽく勝ち誇る紅髪の公女殿下。

 王立学校時代から、変わらない。無邪気な笑顔だ。

 …………この子と似ているのか、その『指し手』は。少しだけ辛くなる。相対した時、果たして、僕はそんな子に杖を敵意を向けられるのだろうか?

 ――手が取られ、胸に押し付けられた。

 リディヤが目を瞑り、誓約を口にする。


「――……忘れないで。私は貴方の、アレンの『剣』。貴方に仇なす者を、ただただ打ち払うのが存在意義。血で汚れてもいいの。だから――私を置いてもう何処にも行かないで。貴方と一緒なら、私は何も、何も怖くない。貴方は私が知った、この呪われた世界で唯一の、たった一人しかいない『星』なの。…………真っ暗な夜道の歩き方なんて、とっくの昔に忘れちゃったわ。もう、一人じゃ歩けないんだから、ね?」

「――……仕方ない公女殿下だなぁ。大丈夫だよ。少なくとも、僕は君の背中を見失うつもりはないから」

「背中じゃなくてぇ、隣でしょぉ?」


 視線を合わせ微笑み合う。

 うん。僕達が一緒にいるのなら、敵は無し。大丈夫だ。

 

 ――北から強い風が吹いた。

 

 視線を向けると、どす黒い雷雲が見えた。

 どうやら天候が大きく崩れるらしい。 

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