第25話 来訪者

 『有翼獅子の巣』へ戻ると、パオロさんが出迎えてくれた。


「お帰りなさいませ」

「ただいま戻りました。何か変わったことはありませんでしたか? それと、ニコロはあの後」

「ニコロ・ニッティ様は、あの後、随分とこちらで粘られていましたが、最終的には御連れの方と共にお戻りになられました。『本当に申し訳ありません。僕の失敗です』との伝言を預かっております」

「なるほど」


 すやすや、と背中で寝ているアトラを抱え直し、苦笑する。

 人間は万能じゃない。

 致命傷じゃない限り失敗の一つや二つ、気にすることはないのに。

 パオロさんが大議事堂からずっと、上機嫌かつ心ここにあらずな腐れ縁へ向き直った。


「奥様」

「♪」

「……リディヤ」

「! 何かしら?」


 僕の声にようやく現世に戻って来た。

 取り繕いつつも「奥様……うふ、うふふ、うふふふふ♪ こいつのカッコいい姿も見れたし、今日は良い日だわ!」と呟いている。カ、カッコよかったかなぁ?

 老支配人は一通の封筒を恭しく差し出した。

 

 ――表にはリンスターの家紋。

 

 一転、リディヤの顔が鋭くなる。


「……これは?」

「はい。先程、紅の礼服姿の貴婦人が来られまして、奥様へお渡しするように、と」

「! ……顔は見たの?」

「いえ。帽子を被られていましたので。手には赤の日傘をお持ちでした」

「!? ま、まさか……そ、そんな……御母様が追手に!? あ、あり得ない。東都を放り出して、こ、ここまで来る――」

「……何だよ? 言っておくけれど、僕は何も報せていないよ」

「そんなのは分かってるわよ! あんたは私を二度と裏切らないものね。ねっ! だけど、あんたのことだったら、御母様が来てもおかしくないでしょう?」


 ここぞ、とばかりにこの前の事件で僕が無理無茶したことを責めて来る。君だって、随分と仕出かした、と思うけど?

 両目を瞑り、促す。


「……過大評価だよ。開けてみれば?」

「そう、ね」


 珍しく、おっかなびっくりした様子。思わず吹きだすと、睨まれる。

 リディヤは封筒をゆっくり、かつ、丁寧に開け手紙を取り出した。

 素早く、目線を走らせ中身を確認。


「なんて」「……ちょっと、出て来るわ」


 声が重なった。

 リディヤは上機嫌が一転、険しい表情。

 封筒を浮かべ、灰も残らぬよう燃やし尽くす。


「リディヤ」「あんたは来なくていいっ!」


 肩を怒らせ大股で入口から出ていく。

 余程、頭に来ることが書かれていたようだ。リサさんがそんなこと書くかなぁ? 

 あの人は、真正面から直接言うような気もするけれど。

 僕の右肩に乗っていたアンコさんの姿が消えた。外から「アンコ! あんたも残り……分かった、分かったわよっ!」という腐れ縁の声。使い魔様はあれで、過保護でもあるのだ。

 僕はパオロさんへ尋ねる。


「その御客人は御一人でしたか?」

「御一人でございました。何処からどう見ても、良家……しかも、上流階級でも最上層の御家柄ではないかと」

「ふむ……」


 水都を代表するホテルである『有翼獅子の巣』には、今まで、多くの偉い人達が泊まってきた筈。その老支配人の言葉……信用度は高い。

 

 そして、リンスターの家紋。


 偽造するには危険過ぎる。

 現状、ここは敵地なのだから。仮にバレたりしたら面倒なことになるのは必定。

 にも関わらず、平然とそれを使い、かつリディヤ一人を呼び寄せる。

 ここから導き出される答えは?

 ……大議事堂でも宿題を貰ったのに、色々と頭を使うことが多いなぁ。

 パオロさんへお願いする。


「すいません。後で部屋に紅茶と御勧めの御菓子を運んでくれませんか? 砂糖とミルクもお願いします。予備のカップは多めで。あと、椅子も数脚」

「――畏まりました」


※※※


 部屋へ戻りアトラをベッドへ寝かせる。

 直後、パオロさん自ら紅茶と御菓子を、従業員の人が椅子を持ってきてくれたので御礼を言い、ベランダへ運ぶ。

 紅茶へ砂糖とミルクを少し足し飲みながら考える。

 

 ――ニケ・ニッティの提案、僕は受けるしか選択肢がない。


 リディヤを交渉の前面に立たせ、公的記録にあの子の名前が記載されるような事態は、断固として避けないといけないからだ。

 リサ様やリカルド様は勿論、リンスター一族は、腐れ縁が家を裏切った、なんてことは考えもしないだろうけど、外聞というものがある。仮に僕が断った場合、あの男は、派手にこう宣伝するだろう。


『『剣姫』は此度の戦役において、水都と繋がっていた』


 事実ではないから証拠も何もない。まぁ、やったらやったで、自分の命も喪うだろうけど。

 でも……紅茶を一口飲み、爽やかな柑橘類のタルトをフォークで切る。


「リディヤ・リンスターの名を傷つけるわけにはいかないよなぁ。まして、僕が」


 あいつは僕と一緒にいることで、王立学校、大学校で、散々陰口を叩かれた。その規模の大きい版をさせるわけにはいかない。

 問題は、この件に関わると……実情以上に僕の名が喧伝される可能性が高いことだ。公式書類に名前は出なくても、気づく人は気づく。

 既に新たな講和の腹案は持っているけれど……どうしたものか……。

 再度、紅茶を飲むと、アトラが目をこすりながら、とてとて、と歩いてきた。

 僕を見ると花が咲いたような笑顔。

 足下までやって来ると、両手を伸ばす。


「アレン、お膝」

「乗りたいのかい?」

「ん」


 抱きかかえ、膝上へ。

 それだけで幼女は嬉しそうにはしゃぎ、獣耳と尻尾を動かした。可愛い。

 両手で僕のカップを手に取り、振り返る。

 僕は頷く。


「飲んでもいいけど、もう少し、甘くしようか?」

「!」


 大丈夫、とアトラは紅茶を飲み――振り返って、しゅん、とした。少しばかり、苦かったらしい。

 くすくす、と笑いながら、砂糖とミルクを足してやる。

 同時に予備のカップを並べ、屋根の上へ声をかける。


「降りてきてください。お茶にしましょう」

「「「!」」」


 驚く気配がし、雷の欺瞞魔法が消える。

 が降りてきた。薄手のフード付き外套を羽織っている。

 カップを上げて挨拶。


「カレン、ティナ、リィネ、思ったよりもバレるのが早かったですね」

「……せ、先生」「あ、兄様」「………………」

「「その子は誰ですかっ!!!!」」


 フードをとったティナとリィネが叫んだ。カレンは沈黙している。

 教え子二人は、胸倉を掴もうか、という勢いで僕へ詰め寄ってきた。

 膝上のアトラは、きょとん。


「そ、そんな、ま、まさか……」「あ、姉様と兄様の!?」

「……そんな筈ないでしょう。この子を見てください。獣耳と尻尾があります。第一、ティナは見たじゃないですか?」


 そう言うと、ティナは狼狽。


「! えぅ……だ、だって、あの時はそれどころじゃなかったし……。そ、それに、その後もすぐ先生、王都へ行かれて……」


 しゅんとし、俯いたので頭をぽん。

 隣のリィネが考え込み、硬直している妹へ視線を叩きつける。


「獣耳と尻尾……? ! カ、カ、カレンさん!?」

「ち、ち、ち、違いますっ! わ、私と兄さんはそんな、ふ、ふしだらな関係じゃありませんっ! に、に、兄さん、説明、説明を要求しますっ!!!」

「えーっと……」


 頬を掻く。何処から説明しようかな?

 困っていると、アトラが僕の膝から降り、カレンの傍へ。

 笑顔を浮かべ、手を伸ばす。


、だっこ♪」

「!?」


 混乱状態の妹が僕を見たので片目を瞑る。

 おずおず、と手を伸ばし幼女を抱き上げる。

 アトラは安心した様子で、胸に頭をこすりつけている。


「に、兄さん……あの……いったい?」

「大丈夫、優しい子だから。ちょっと、某『剣姫』様に似てきているから、正しい方向へ導いてあげてほしいな」

「リディヤさんに?」「この子が?」「……させません、そんなこと」


 ティナとリィネが小首を傾げ、カレンは優しくアトラを撫でている。

 予備のカップへ紅茶を注いでいく。数は僕を含め六つ。

 扉が荒々しく開き、超高速で紅髪の美少女が僕の傍へ。僕を守るかのように、ティナとリィネの前へ立ち塞がった。

 途中、ベッドへ赤髪の少女を放り投げる。


「みにゃ!」


 少女は変な声を出し、枕を抱え啜り泣き始めた。

 確か、この人は


「リ、リディヤ御嬢様、酷いですぅ。す、少しは容赦を……アレン様へ向ける愛情の百分の一を、私にもぉぉぉ~」

「…………リリー、それ以上言うなら私の目の黒い内は貴女にメイド服は着させないわよ?」

「! あ、あんまりですぅぅぅ~。横暴ですぅぅぅ~」


 リンスター家のメイドさん、リリーさんだ。

 なるほど、この人なら、僕等の僅かな魔力を辿ってここを突き止められるし、リディヤ相手でも少しは時間を稼げる。

 ……あくまでも少し、だけど。

 予定より早い腐れ縁の登場にティナとリィネは固まり、カレンはアトラに夢中。

 僕は小さく溜め息を吐き、少女達へ声をかける。



「とにかく、座ってください。今日は少し疲れました。お茶にしましょう」 

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