お泊り
「ふぅ……」
リンスター公爵家御屋敷の広い広い大浴場から上がり、手触りが良いタオルで自分の濡れた髪を拭いて、僕は息を零した。
まさか、こんなことになるなんてなぁ……。
――リディヤ・リンスター公女殿下が来た後、リサ・リンスター公爵夫人は、アンナさんとひそひそ話をし、楽しそうに僕へこう告げた。
『アレン、入学式まではうちで過ごすといいわ。その代わり、リディヤの面倒を見てちょうだい』
反論しようにも、当の公女殿下は借りてきた猫状態で俯いたまま。
まぁ、カフェで約束したし……と、頷いた途端、メイド長さんを含め、メイドさん達に囲まれた。
『では!』『御夕食の前に、汗を流された方が!』『そして、お着替えをっ!』『さすれば、それを見られたリディヤ御嬢様は』『必ずや御可愛い御姿――げふん、げふん』『アレン様、やはり、殿方は清潔でなくてはなりません♪ ささ、此方へ』
勿論、逃げようとはした。
けど……公爵夫人に何事かを囁かれた、紅髪の少女は頬を染め、視線をさ迷わせ、にへら。
そして、僕へ命じてきた。
『……あんた、少し埃っぽいわよ。流してきなさい』
最後の望みである、公爵夫人も笑顔。
で、おっかなびっくり入っていた、というわけだ。お風呂自体はとても気持ち良かったけれども。
とにかく――……今日一日は激動過ぎた。
王立学校の入学試験、筆記に挑んで、直後、他の子達とは違う実技試験会場へ。
そこで待っていたのは、誰あろう、王立学校長にして、かの『大魔導』ロッド卿と、眼光鋭い短く綺麗な紅髪の少女。
何だかんだ少女と共闘。……ロッド卿が転移魔法を使えなかったら、首が飛んでいたかもしれない。
実技試験が終わり、学校長自らの面接。
そこで、奨学金を身代に取られて、入学後は公女殿下と行動を共にするよう、脅迫……要求……頼まれた。
直後、事態を察した少女に追いかけられて駆けまわり……気づいたら、リンスター公爵家の屋敷で『大陸最強』の一角、伝説の『血塗れ姫』と御対面。
うん、間違いなく、神様は僕のことが嫌いなんだろうな、っと。
髪と身体を拭き終わり……あ、あれ?
持ち込んだ着替えがない。
あるのは、見慣れぬ、明らかに超高級品のシャツとズボン。
そして、メモ紙。
端に自分を描いたのだろうか、メイドさんが描かれてる。
『アレン様、これにお着替えを♪ 追伸:まだ、覗いてはおりません☆ 御安心を! する時は、リディヤ御嬢様をお誘いして、真正面から突撃いたしますれば!!! あ、御背中までなら御流ししますよ? うふふ♪』
……突っ込みたい。
でも、何処から、突っ込めばいいのか、分からないっ!
あと、無駄に絵が上手い。うぅ……全然、気づかなかった。
ほんと、あのメイド長さん、何者なんだろう? ただ者じゃない。
――仕方なしに、僕は着替えを手に取った。
※※※
「……遅――……」
大浴場を出ると、腕組みをした紅髪の少女が立っていた。
何故か、硬直している。はて?
近づき、顔の前で手を振る。
「おーい、どうかしましたか? リディヤ・リンスター公女殿下?」
「…………」
「?」
依然として硬直中。
困っていると、後方より視線。
咄嗟に認識阻害魔法を、映像宝珠へ静謐発動。妨害を試み――弾かれた。
なっ!?
メイドさん達の不敵な声。
「ふっふっふっ!」「甘いですっ!!」「我等、リンスター家メイド隊、二度、同じ手は、あーあーあー!!」「魔法式が変化!?」「退避ー退避ー!!!」わらわら、とメイドさん達が逃走して行く。げ、元気な人達だなぁ。
笑みを浮かべたアンナさんが近づいて来た。
「アレン様、申し訳ございません。ですが、これもまた御愛嬌、でございます♪」
「は、はぁ……」
「御召し物、如何でしょうか? 何分、急遽、御用意いたしましたので。少々丈が長いのはお許しを。とても、お似合いかと! あ、私したことが、最重要なことを忘れておりました☆ 勿論、御選びになったのは、リデ」
「ア・ン・ナ!!! 案内は私がするから。あ、貴女は先へ行ってなさい」
「えー、御無体でございますぅ」
「い・い・か・らっ!!! ……まだ、からかうのなら」
「アレン様、リディヤ御嬢様をよろしくお願いいたします♪ では!」
少女が剣の柄に手をかけた途端、メイド長さんは唇に人差し指を当て、消えた。
……う~ん。転移魔法ではないのかなぁ。
僕が考え込んでいると、公女殿下が近づいて来た。
そして、胸倉に手を伸ばし、ボタンに触れる。
「……一番上、開いてる。閉じなさいよ」
「閉じないと駄目かな? ほら、緊張しててさ」
「嘘つき。御母様と、初対面であんな風に話しを出来て、そんなのが今更通ると思っているの?」
「嘘じゃないのに……。あと、こんな上等な服、着たこともないからね。少し大きいけど」
「……愚兄のお古よ。丈が合わないのはあんたがチビだから。私よりも、背低いし、ね」
手が動き、僕の頭へ。触れそうで触れない。
間近な少女の顔には逡巡。
そして……僕へ視線で要求。いや、それは幾ら何でも。
わざと、取り留めのない話をする。
「でも、本当に泊めてもらってもいいのかな? 僕、お金、そんなに持ってないよ?」
「……いいわよ」
「だけど、タダはね……僕はこれでも、育ちが良いんだ。良心の呵責が、さ」
「…………なら、あんたは私の下僕ね。それでチャラにしてあげる」
「下僕? そこは友人にしてほしいなぁ」
「っ……私と、友人になってくれる人なんていないわ……。それに、友人なんて必要ないし!」
と、言いつつも、僕をちらちら。
整っていた前髪が立ち上がり、所在なさげに揺れている。
どうしよう、ちょっと面白い。
ここは更に一歩、踏み込――少女の手が腰へ降りていき、剣の柄へ向かう。
両手を挙げて降参。
「仕方ない公女殿下だ。僕が友人になってあげるよ」
「態度と言葉が違うわねっ! あんたは私の下僕よ、下僕!! 分かった? 分かったら返事っ!!!」
「はいはい」
「はい、は一回っ! あと、公女殿下ってよぶなぁ! …………下僕」
「んー?」
むくれていた少女を見つめる。
すると、一瞬怯んだものの、更に半歩、近寄り
「……あー、そ、そのさ……結構、恥ずかしいんだけど?」
「……うるさーい。髪を直してあげてるだけよ。それだけ。た、他意は、まったく、全然、ほんとうのほんとに、なんにも、ないんだからねっ!」
頬を真っ赤に染めた公女殿下が僕の頭を撫で続ける。
――その後、ようやく我に返った少女が、照れ隠しで僕へ斬りかかってきたのは言うまでもない。
いや、僕だって、恥ずかしかったんだからねっ!?
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