公女殿下

「『忌み子』……ですか……」


 あの女の子が? 

 どう見ても、天に寵愛されているようにしか見えなかったけれど。

 僕の困惑を他所に、公爵夫人は表情は真剣そのもの。必死さすら感じさせる。

 頷く。


「御事情はいまいち飲み込めませんが、出来る限りのことはします。ロッド卿にも念押しされましたし」

「……ありがとう。今のところはそれで十分だわ。あ、このことはリディヤには内緒よ? ロッド卿と私から言われて、貴方が近くにいる、と聞いたら、あの子はとても落ち込むと思うから」

「それは大丈夫だと思います」

「? 何故かしら??」


 公爵夫人が、きょとん、とされた。

 後ろで控えている、ロミーさんと呼ばれていたメイドさんが「……かふっ」と小さく零し、手で口元を押さえた。

 ……え? 血?? 瞳に湛えているのは愉悦。頬も少し上気している。

 気にしつつも、返答。


「たとえ、御二人から何も言われなくても、入学後、僕はあの御方に近づいた筈だからです」

「……理由を聞いてもいいかしら?」

「単純です。再度になりますが――リディヤ・リンスター公女殿下は天才です。そして、僕はどうしようもない凡才なので……あの御方の模倣をすれば、少しはマシになれるかもしれませんから。僕個人としては、非才を受け入れています。僕の魔力量では、極致魔法は遥か遠く、上級魔法の起動発動すら無理でしょう。ですが」


 美貌の公爵夫人へ微笑む。

 この御方は『リンスター公爵夫人』。僕の情報は目を通されているだろう。


「――僕を今日まで慈しみ育ててくれた両親の名誉、そして、僕に続いて王立学校を目指している妹の為に、努力を積み重ねる覚悟は持っています。それが例えどれ程、過酷でも。あとですね、やっぱり、勿体ないじゃないですか! あれ程の才能、突き抜けてもらわないと! 僕は公女殿下がどれ程の高みに登られるのか、楽しみでしょうがありません」

「――……貴方は、とてもいい子ね、アレン。是非、御両親にお会いしてみたいわ。何れ挨拶をさせてちょうだい。けれど」

「? あ、あの??」


 公爵夫人は僕の手を放すと、ゆっくりと頭を撫でてきた。

 一瞬、何をされているのか理解出来なかったものの、すぐさま頬が染まっていく。


「私も母親だから分かるわ。貴方の御両親はそんなことを――貴方が痛みや涙を堪えてまで、自分達の名を上げることなど、決して、決して望んではおられない。親が子供に望むのはね? ただただ、毎日、元気で笑っていてくれること。そして、時折帰って来て、顔を見せてくれること。幸せでいてくれること。それだけなのよ。……うちの長男なんて、中々、顔を見せようとしなくて嫌になるわ。貴方は、そうなってはダメよ?」

「…………はい。ありがとうございます」


 素直に御礼を言う。

 気恥ずかしくなり顔を伏せていると、公爵夫人は嬉しそうに頭を撫でるのを継続。

 ……地面に血痕が見えた。やっぱり、血!?

 顔を上げると――凄まじい怒気。

 紅の閃光が、僕と公爵夫人の間に割って入ってきた。

 抱きかかえられ、距離が離れる。

 公爵夫人は驚かれて、口元を押さえた。

 後方のメイドさんは目を見開き、口元を両手で押さえ、身体を震わせている。


「まぁ、リディヤ」

「……御母様、こいつに何を言っていたんですか? 無用なことは止めてくださいっ! あんたも!! 少しは緊張感を……ちょっと、何よ? その顔は??」

「…………」


 リディヤ・リンスター公女殿下は、さっきまでの剣士服ではなく、緋のドレスへと着替えていた。耳にはイヤリング。胸元にはネックレス。どちらも、控えめに『鳥』が象られている。

 

 幼くも整った顔立ち。

 華奢な身体。

 覗く白い肌。

 香水だろうか? 柑橘系の香り。


 恐ろしいまでの攻撃力。過剰もいいところ。

 僕も男なので……平静を保つのは難しい。

 どうにか言葉を振り絞ろうとしていると、少し心配そうに覗き込んできた。


「えっと……大丈夫?」

「あ、う、うん。…………服、着替えたんだね」

「! か、か、か、勘違いしないでよねっ。こ、これは、別に、あんたの為に着替えたわけじゃなくて、汗もかいてたから、そ、それだけなんだからねっ!」


「おやぁ? リディヤ御嬢様、嘘はいけませんねぇ★」


 ニヤニヤ、と心底楽しそうな笑みを浮かべたメイド長のアンナさんが、ティーポットと御菓子が載っている台車を押しつつやって来た。その後方には幾人ものメイドさん。皆さん、お澄まし顔だけれど……妙に、高揚しているような。

 少女が激しく動揺。


「アアア、アンナ!? だ、誰が嘘をついているのよっ! わ、私は嘘なんか……」

「その一! でございます。リディヤ御嬢様は、普段、そのようなドレスをお召しになりません。絶無!」


 メイド長さんが、ビシッ、と指を立てた断言した。

 依然として、僕を抱きかかえている紅髪の少女が更に動揺。


「っ! そ、そ、それは……その……た、偶々、そういう気分だったのよ。他意は、ない、わ」

「その二!! でございます。イヤリングやネックレス、といった宝飾品も『こんなの着ける意味なんてないじゃない。……馬鹿馬鹿しい』と仰られて、王宮晩餐会の際ですら、そのまま行かれたにも関わらず、此度は着けられている!」

「っぐっ! こ、こ、これは…………こ、こいつに、本物の宝飾品を見せて、自慢してやろうと思ったのよっ!」

『ふ~ん』

「! あ、貴女達っっっ!!」


 メイド長さんの準備を手伝い始めた、メイドさん達までもが声を合わせる。

 ニヤニヤ、ニヤニヤ、ニヤニヤ。

 公女殿下は、更に僕を抱きしめてくる。あーあー。


「その三!!! でございます。御嬢様は頑ななまでに香水をつけようとなさいませんでした。……今日までは」

「あーあーあーあーあー! う・る・さ・いっ! き、き、気分よ、気分っ! ……いいでしょ、別に。あんたも――……あ……」


 ようやく、僕を抱きかかえたままだったのを思い出してくれたらしい。

 ゆっくりと放し二歩離れ…………おずおず、と一歩近づいてきて、俯いた。

 それを見ていたメイドさん達がバタバタと崩れ落ちる。


「かはっ!!!」「ロミー様!? この出血量……いけないわっ! 担架をっ!! 急いでっ。…………勿論、私の分も、お願い」「うぅ……メイド続けてきて良かったぁぁぁ」「はぁぁぁぁ……リディヤ御嬢様、御可愛い……」「もう、思い残すことは、ないわ……」「まだまだ、これからよっ! これからが、始まりなのよっ!!」「いい? さっきみたいに映像宝珠を駄目にするんじゃないわよっ! お着替えの段階で、倒れた同志達の為にもっ!! あと、忘れがちだけど……宝珠はお高いんだからねっ!!!」


 え、えーっと……。

 困ってしまい、公爵夫人とメイド長へ視線を向けると、とても優しい笑み。『感想を言ってあげて!』。

 隣からは、じー、という視線。

 ちらり。すぐさま、視線を逸らされた。

 頬を掻く。仕方ない、か。

 片膝をつき、左手は自分の胸へ。


「――とても、よくお似合いです。リディヤ・リンスター公女殿下」

「――……公女殿下、禁止、って、何度言えば分かるのかしらね?」


 憎まれ口。

 顔を上げようとすると、押さえつけられた。


「……こーら」

「……ダメ。少し……そのままでいなさい」


 くすくす、という公爵夫人とメイド長さんの笑い声を聞こえてくる

 

 ――結局、顔を上げた後も、公女殿下は僕と視線を合わせようとしなかった。

 テーブルの下で、僕の裾を摘まんではいたけれど。

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