第5話 カフェにて

「申し訳ございません。ただいま、満席でして……相席でよろしいでしょうか」


 パオロさん御勧めのカフェは混んでいた。

 今日一日、様々な場所を巡ったけれど、ここまで多くの人達に遭遇したのは初。

 真新しいリボンを前髪につけた腐れ縁と、美しい文様が刺繍された薄紫布を頭に巻き付けている幼女へ尋ねる。


「リディヤ、アトラ、相席で大丈夫?」

「私は気にしないわ……えへ」「♪」


 とっても上機嫌で、半ば上の空な二人は了承。

 僕は店員さんへ向き直る。


「相席で大丈夫です」

「ありがとうございます。こちらへ」


 先導されて、店内へ。

 内装は木材が基調。どれもこれも、年代物だ。調度品にしても、一つとして安物はない。珈琲がとても美味しいお店らしいので、楽しみだ。


「こちらの席でお願いいたします」


 案内されたのは窓際の席だった。

 このカフェは港の近くにある為、景色は抜群。

 先に座っていた、帽子を被り新聞を読んでいる眼鏡の御老人へ会釈。


「失礼します」

「ああ、構わんよ」


 老人は新聞を仕舞い、僕達へ微笑みかけた。

 帽子の脇から除く髪は、やや薄い水色を帯びた白髪。深く厳しさを内包した瞳には深い知性。

 僕は椅子を引きまずリディヤを座らせ、その隣に座る。

 アトラは、老人を見つめている。どうやら、老人の前に置かれている色とりどりの飴玉が気になるらしい。

 老人は、にっこり笑い、幾つかを手に取り、幼女へ手渡した。


「! ?」

「いいよ。でも、お礼を言えるかな?」

「――ありがと」

「どういたしまして、可愛らしい御嬢ちゃん」

「♪」


 アトラは嬉しそうに笑い、僕の膝上によじ登ってきた。

 テーブルの上に飴玉を出し、目を輝かせ、獣耳と尻尾を揺らしながら、突いている。可愛らしい。

 ――珈琲を注文し終えると、老人が話しかけてきた。


「君達は、見たところ、観光かな? この時世で中々、酔狂なことだ。ああ、私の名前はピルロだ。この都市で生まれて、今年で……幾つになったか。はは、五十以降の歳は数えないようにしている」

「アレンです。こっちはリディヤ。この子はアトラと言います」


 未だ前髪のリボンに触れながら「うふふ~♪」と上の空な我が儘御嬢様と、飴玉に夢中な幼女を紹介。

 ピルロさんは、穏やかに微笑む。


「その歳で、こんな美しい奥さんと、こんな可愛らしい子を持っているとは……前世でどのような功徳を積んだのか、と、少々問い詰めたくなるな」

「あは、あはは……」


 ここで否定しても、話がおかしくなるので笑って誤魔化す。逃げてきたんです。いやいや、それじゃ駆け落ちだ。

 何とはなしに、窓の外を眺める。屋根の一部の色が微妙に変わっていた。上から塗り替えしたらしい。

 ピルロさんが続ける。


「水都はどうかね? ここ生まれ、ここ育ちである、生粋の水都人としては、外から来た君達の意見を聞きたいところだ」

「一言です。人も捨てたもんじゃないな、と」

「……悪くない答えだ」


 老人は嬉しそうに顔を綻ばした。

 僕はアトラの頭を撫でつつ、告げる。


「少なくとも、王国よりは獣人に対する差別意識が薄いですね。それは、歴史的背景がきちんと伝承されているからでしょう。言うのは簡単ですが、継続するのは難しい。この地を治める偉い人々は、余程、優秀なんだと思います。少なくとも、僕にとっては、この子が今日一日歩いていて嫌な思いをしなかったことは、とても大きなことです」

「なるほど」


 老人が目を細め、アトラを見た。そこにあるのは慈愛のみ。

 ――珈琲が出てきた。

 パオロさんメモによれば『水都至高の一杯』とのこと。楽しみだ。

 アトラは氷が浮かんでいる果実水のグラスを触り、顔を近づけたり、遠ざけたりしている。

 隣の腐れ縁は


「ん」

「あーはいはい」


 僕は数口飲む。

 芳醇で深い香り。これは……素晴らしい。

 少し考え、ミルクをほんの少し足し、腐れ縁へ。

 さも、当然であるかのように、リディヤは僕の珈琲を飲む。

 老人が、少し驚いた表情をしているので、弁明。


「すいません。こいつ、外で飲む珈琲や紅茶が少し苦手で。一杯、頼むと残してしまうので。これ程の一杯。残すのは罪ですし」

「なるほど、な。この豆は何処産か、見当がつくかね?」

「南方島嶼諸国でしょうか?」

「正解だ。……だが、このままいけば、もう飲めなくなるかもしれん」

「? どうしてですか??」


 老人の声が暗くなる。

 その表情には苦悩。


「君とて、聞いてはいよう? 今、現在、我が連合は王国のリンスター公爵家と諍いを起こしている。大規模戦争にこそなっていないが……それとて、どう転ぶかは分からない。そして、リンスターの『力』は、まとまりを欠いている各侯国が、太刀打ち出来るものではないのだ。私のような老人はそのことをよくよく知っている。この目で『火焔鳥』を見たこともある。……南方島嶼の連中もな。彼等は、リンスターとも長く交易をしている」

「ん~、僕は部外者なので、何とも言えませんが……単純に講和なさればよろしいのでは? 水都の偉い方々達なら、考えていると思いますが。何せ、儲からないでしょう?」


 至極当然の疑問を発する。

 侯国連合は、基本的に交易で生きているのだ。

 リンスターとやり合い続ければ、海路であれ、陸路であれ、安全ではなくなる。交易とは、平和が担保されてのものなのだ。

 老人は、かぶりを振った。


「……講和条件が決まらない――あ~、ようだ。この新聞によるとな」

「はぁ」


 思わず微妙な声を発する。

 精々、喧嘩を吹っかけてきた侯国、片方の主要港幾つかと、使だと思ったのだけれど……違うのか。


「……アレン君、と言ったか。君ならば、どうするかね? 相手は強大。しかも、怒り狂っていて、交渉が失敗すれば、水都まで焼かれかねない。何しろ、我等は一度、リンスターの使者を」


「ピルロ様! やはり、此処におられたのですねっ! 議事堂にお戻りくださいっ!!」


 鋭く、同時に焦っている女性の声。その後方には幾人かの兵士らしき人々。

 老人は、深い深い溜め息を吐いた。


「見つかってしまったようだ…………すまないが、お先に失礼する。ああ、講和条件の件、君の意見がまとまったならば、このカフェに何時でもいい、来てくれたまえ」

「あ、はい」


 老人は立ち上がり、伝票を自然な動作で取った。奢ってくれるらしい。

 ――僕等を付け回していた連中の気配も遠ざかっていく。

 腐れ縁が口を開いた。


「……薄水色の髪、だったわね」

「……そうだね。ねぇリディヤ」

「詳しくは知らないわ。だって」


 僕をじーっと見つめる。

 ……それどころじゃなかった、と。頭に手を置く。

 老人が残して行った新聞を手に取る。

 

 仕方ない――……あの眼鏡少女がしていることを、少しだけ見てみることにしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る