第7章

第1話 朝の日課

 基本的に、僕は何処であろうと眠れる。

 子供の頃は、東都郊外の森で一晩を明かしたこともあるくらいだ。

 それでも、ふかふかベッドが素晴らしいことに異論はないわけで……昨晩は熟睡出来た。

  

「……だけど、普段通りに起きてしまうんだよなぁ」 


 未だ隣で、すやすや、と寝ている腐れ縁に、がっしりと抱きしめられている右腕をゆっくりと引き抜き、枕元の懐中時計を取る。その横には同じ懐中時計がもう一つ。リディヤの物だ。

 ……やっぱり、定刻通り。ちょっと悲しい。

 僕と腐れ縁の間には、いつの間にか人型になっているアトラ。

 夢を見ているのか時折、笑い、獣耳を動かしている。可愛い。

 二人の頭を優しく撫で、ベッドから降りる。

 ここで、物音一つ立てようものなら、腐れ縁は即座に覚醒。

 二度寝、三度寝となり、下手すると、ベッドの上で朝食となりかねない。……いやまぁ、それも楽しいのだけれど。

 洗面台で顔を洗って、歯を磨き、ベランダに出て身体を少し動かす。

 その後、まずは全属性初級魔法の単独展開を延々と繰り返す。無論、静謐性最重視で。我が儘御嬢様を起こしてはいけない。

 次に、複合属性で同じことを繰り返し、少しずつ増やしていき、最後は全属性。 初級魔法を覚えて以来なので、かれこれ、朝は十数年ずっとこうしている。

 効果は微々たるものだ。一気に凄くなるわけじゃなし。

 でも、やらないよりはいい。前進し続ける限り、退歩はしないのだから。

 ホテルの最上階だけあって、眺めは絶景だった。

 無数の船が行きかい、海鳥や、遥か上空ではグリフォンも飛んでいる。

 白を基調としている街並みも、綺麗に整理されていて美しい。

 朝食を食べ終えたら何処へ――左袖を引っ張られた。

 見やると、まだ眠そうなアトラが、じー。寝癖がついている。


「おはよう、アトラ。起こしちゃったかな?」

「♪」


 首を振り、嬉しそうに笑い、両手を伸ばしてきた。

 抱きかかえてやり、部屋の中へ。

 リディヤは――僕の枕を抱きかかえている。「……も~ばかぁ……水都へ行くんだからねぇ~……」。うん、遂に来てしまったね。

 幼女を連れて、洗面台へ。

 小さな椅子に座らせ


「はい、アトラ、あーん」 

「? !」


 素直に開けたので、歯を磨いてやる。

 この子にこういうのが必要なのかは分からないけど、食べ物は食べてるし、しておいた方がいいだろう。多分。

 くすぐったそうにしていたものの、終了。

 振り向き『もう、終わり?』。まだだよー。

 水魔法で少し髪を濡らし、櫛で寝癖を直していく。


「~♪」


 アトラは足をぶらぶらさせながら、本当に嬉しそう。

 整えた髪に紫色のリボンをつけていく。前髪と後ろ髪。それと手首にも。足首は汚れてしまうし、これが良いかな。

 幼女を褒める。


「よ~し、完成。可愛くなったよ」

「♪」


 椅子の上に立ち上がり、ぴょん。

 抱き着いてきて、頭をこすりつけてくる。


「こ、こら、くすぐったい――……はっ!」


 咄嗟にアトラを背中へやり、椅子を持ち盾に。

 振り下ろされる手刀。魔力で全力強化した椅子が半ばまで切断。なお、相手は魔力も何も使っていないでこれ。酷い。

 僕の白シャツ姿の腐れ縁へ朝の挨拶をする。


「お、おはよう、リディヤ」

「おはよう。ねぇ、知ってる?」 

「な、何をかな?」

「物事には順番、があるのよ? ……私からが筋でしょぉ」


 我が儘御嬢様はご機嫌斜めであられる。リィネのように、前髪も不服を表明。

 まったく……仕方ない子だ。

 椅子を置き、もう一脚持ってきて


「はい、座って」

「……よろしくないけど、よろしい!」


 素直に座ったので、寝癖を直していく。

 アトラは僕から降り、リディヤの膝上へ。楽しそうだ。

 幼女へ「いい? 私が一番なんだからね? アトラは二番なのよ?」と大人げないことを言っている。この間も、左手は僕の裾を握りっぱなし。


「リディヤ、今日はどうする?」 

「適当よ。あんたと一緒なら何でもいい。何なら、ずっとベッドの上で過ごしてもみる?」

「却下」

「かわいくないぃぃ」 

「はいはい。ほら、足をぶらぶらしない。折角だし、偶にはリボンでも付けてみる?」

「はい、は一回でしょぉぉぉ。……あんたの好きにすれば」


 美しかった紅髪は雑に切られてしまっている。

 言葉は濁していたけれど、おそらく自分でやったのだろう。後で、切り揃えてあげないと。

 少し考え、前髪の一房に紅のリボンを付ける。

 腐れ縁はニヤニヤ。


「……ふ~ん」 

「……何だよ」

「長髪好きだけじゃなくて、こういうのも好きなのね」

「語弊があると思う。……と言うかさ」

「何よ」

「あ――……そ、そろそろ、朝食の時間だね。歯は自分で磨いておくれよ。その後は着替えて、わっ」


 あっという間に、リディヤが僕を抱きかかえ、ベッドへ飛び込む。

 な、何という、身体能力の無駄遣いっ! アトラも空中で一回転して、着地。

 僕へ馬乗りになって抑え込みながら、ニヤニヤ。


「ねー」

「……も、黙秘権を行使」

「とっくの昔に廃止されたわよ? さ、言って御覧なさい。何か、言いかけたわよね?」 

「…………」


 この格好はよくない。とてもよくない。何より、アトラまで興味津々。

 ……是非もなし。

 手を伸ばし、腐れ縁の頬っぺたに手をつける。即座に、手が重ねられた。

 少し身体を起こして耳元で囁く。


「――……君なら、何を付けても似合うかな、って、思う」  

「…………」


 リディヤは真っ赤になり、そのまま僕に抱き着き、胸に顔を埋めてきた。「……バーカ。えへへ♪」。

 アトラは幼狐姿になると、枕元で丸くなり、目を閉じた。やっぱり、まだ眠いらしい。

 腐れ縁の頭を撫でつつ、告げる。


「後で後髪、切り揃えるね。……ごめ」

「謝らないで! ……でも、もう、何処にも行かないでっ! 行くなら、私も一緒に連れて行ってっ!! 私を一人にしないで!!!」

「……むしろ、一人にさせてくれるのかな?」

「してあげないっ! 私とあんたが一緒なら、敵はいないわっ!!」


 至極、ごもっとも。

 色々、考えないといけないのだけれど……さっきまでの不機嫌は何処へやら、上機嫌な腐れ縁を見やる。

 ――まぁ、少しゆっくりしても罰は当たらないだろう。

 何かあっても、この子と一緒なら問題はなし。

 

 水都の休暇を楽しむことにしよう。 

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