第3部
プロローグ
「では、御客様、御署名をお願い致します」
「あ、はい」
僕は、ホテルの男性フロントさんに言われ、ペンを受け取った。初老で品の良さを感じさせる。
爽やかな白を基調としている内装もそうだけれど、着ている制服といい、渡されたペンといい、超々々高級品。しかも、フロントさんとは思えない程、威厳があって、少々、怯む。
「?」
人型になったアトラが、僕の右足にしがみ付いたまま下から眺めていた。何をしているか、気になるらしい。頭を撫でて――名前を少し考え、書く。
『アレン・アルヴァーン』
左腕へ抱きついている腐れ縁へ、ペンを渡す。
僕が書いた名前を見て、一瞬、不満そうになり――それでも、さっと、書いた。相変わらず綺麗な字だ。
『リディヤ・アルヴァーン』
僕へペンを返してきた。
すると、すぐ背を向け、何故か震えている。「アルヴァーンは気に食わないけど……でも、でも、これって、これって、これってっ! ……えへ。えへへ。えへへ~♪」。震えが激しくなった。『アルヴァーン』が気に食わなかったかな?
フロントさんへ戻そうとし、また、少し考えて書き足す。
『アトラ・アルヴァーン』
今度こそ、ペンを返しフロントさんへ会釈。
軽く尋ねる。
「すいません、僕達、水都へ来たのは初めてなんです。お勧めな場所はありますか? 小さな子も行ける所がいいんですか」
アトラの小さな頭を優しく撫でる。
獣耳と尻尾が隠せないみたいだから、てっきり宿泊を断られるかな? と思っていたら、何も言われず。王国よりも、獣人に対する差別意識は薄いらしい。
フロントさんは、嬉しそうに微笑み、告げてきた。
「おお、それはそれは。ようこそ、水都へ! 数多あるホテルの中から、当館『有翼獅子の巣』をお選びいただき、感謝の極み!! 私、当館の主を務めております、パオロと申します。美しい奥様と可愛らしいお子様で、羨ましい」
「あ、僕らはですね」「ありがとう♪ お勧めの場所は、後で部屋へ運んでくれるかしら?」
「かしこまりました、奥様」
リディヤが口を挟んできた。奥様って。
視線を向けると、今まで見たことない幸せそうな笑顔。……否定し辛いなぁ。
右手を引っ張っられる。アトラに聞く。
「ん? どうしたんだい?」
「!」
「ああ、見たいのか。よっと」
「♪」
浮遊魔法で台の上が見えるようにしてやると、アトラは獣耳と尻尾を揺らす。さっき書いた署名を覗き込み、僕とリディヤを見て、ニコニコ。
パオロさんが、感嘆。
「ほぉ。浮遊魔法とは!」
「この子は軽いんですよ」
まずい、ついつい何時もの癖で。
浮遊魔法は案外と使う人が少ない。便利なのに。
リディヤが、パオロさんを促した。
「さ、部屋へ案内してもらえるかしら? 長旅で少し疲れているのよ」
※※※
「うわぁぁぁぁぁぁぁ」「♪」「へぇ、いいじゃない」
案内された部屋は本当に素晴らしかった。
ホテル『有翼獅子の巣』は水都の高台に位置しているのだけれど、今回、泊まる部屋はその中の最上階。夕陽に輝く都市が輝いている。
洋上遥かには、航行している大型帆船。僕も男なので、こういうのは好きなのだ。アトラもベランダに出て、はしゃいでいる。
ホテルの案内係の人が会釈をし、入り口の重厚な白扉を閉めた。
次の瞬間、巨大なベッドに押し倒され、リディヤがそのまま強く抱きしめてきた。帽子を取って、頭を撫でつつ抗議。
「こらー」
「やっ! 夕食まではずっとこうだから。……アルヴァーンって、なによぉ」
「……『リンスター』とは書けないだろう?」
「そぉだけどぉぉ……アリス・アルヴァーン、死ねばいいのに……」
「そういうこと言わない。お?」
少しだけ重みが増す。
幼狐姿に戻ったアトラが、リディヤの背中越しに顔を覗かせた。
僕が微笑むと、満面の笑み。可愛い。
「ほら、アトラが真似するだろー」
「…………ダメ?」
「あー……」
「?」
幼狐も腐れ縁の真似をし、上目遣い。
二人の頭を優しく撫でる。困った子達だ。
「仕方ないなぁ。……あと、リディヤ」
「なによぉ」
「この部屋、ベッド一つしかないよ?」
「? 何時も通りじゃない」
「……寝る時は、アトラを真ん中にするからねー」
「却下っ!」
更に強く抱きしめ、胸に顔を埋めてくる。
アトラもリディヤの背中から降り、僕の顔の横に丸くなった。
――王都を脱出、一気に南下して、侯国連合の中心都市である水都へ来る間で随分と仲良くなったなぁ。
幼狐は疲れたのか、すやすや、と寝始めた。
リディヤが上目遣い。
「ねねー」
「んー?」
「……今、あんたの目の前には、とっってもっ! 可愛い、お、お、奥さんがいるんだけど? こういう時、すること、分かってる、わよね?」
「奥さんはいないかな。とりあえず、お互いの近況報告を――待った。『火焔鳥』はアトラが起きるから、禁止にしよう、って約束したろっ!?」
「…………バカ。意地悪。いじめっ子っ!」
零距離『火焔鳥』を止めると、唇を尖らし、頭を僕の胸にこすりつけてくる。 それでも、抱きしめるのを決して止めようとしない。
困った、公女殿下だ。頬に、そっと触れる。
「リディヤ」
「なによぉ……どーせ、どーせ、あんたは――……」
「これでいいかな? 奥さん?」
「…………いい。えへへ♪」
顔を上げた、リディヤへ軽くキスをする。
一瞬、きょとん、とした後、真っ赤になり、嬉しそうに笑う。
頭を撫でつつ、話しかける。
「――リディヤ、少し真面目な話をしていいかな?」
「あのもう一人の馬鹿王子のこと?」
「うん。幾ら何でもおかしいよね?」
腐れ縁の瞳に怜悧さ。そして愉悦。
頬杖をつき、足をゆっくり上下させつつ告げてくる。
「現実逃避をしても、無駄だと思うわよ? ……あの陛下が心労で倒れっぱなし? この状況下、未だ西都に留まり続ける?? あんた、そんなこと信じられるわけ???」
「っぐっ! ……で、でも、まさか、そんな」
ここに来るまで、僕が捕らわれている間に何かあったかをリディヤから聞いた。
そこから導き出される答えは……。
腐れ縁が歌うように答えを述べる。
「――陛下はこの叛乱を利用して、王国の『大掃除』をするつもりよ。結果、席がたくさんたくさん空くことになる。そして、それが済めば論功行賞。今回の叛乱で一番の戦功を挙げたのは誰かしらね?」
「き、君かな? も、もしくは、オーウェン。あ、リ、リチャードも候補だね。他だと、ハワード、リンスター、ルブフェーラの各公爵家も」
「そーねー」
「…………僕には荷が」「重くない!」
リディヤが僕の頭に手を伸ばし、前髪を弄る。
「大丈夫よ。あんたの隣には私がいて、私の隣にはあんたがいる。何も問題はないわ♪ と、言うかよ? あんた、王国と王家を脅してたじゃない? あれ……逆の立場で考えると『きちんと処遇せよ!』って意味に聞こえるわよ?」
「っ!!! そ、そんなつもりで言ったんじゃ……少し、頭にきたから……や、やっぱり、今から戻って!」
「却~下♪」
腐れ縁は嬉しそうに笑う。
「あんたは、私と一緒に休暇よ♪ 私の誕生日まではね☆」
「…………了解」
こんな顔をされたら敵わない。僕も疲れているのは事実なのだ。
ティナ達には、リディヤの目を盗んで手紙を送っておこう。
――窓から、夏の気持ち良い潮風が入ってきた。
少しはゆっくり出来るといいな。
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