第48話 死者との約束
狐の幼女はベッドで眠り続けている。
小さな両腕は抱きかかえた僕の右手を離そうとしない。
僕は左手で『彼女』の遺した実験記録を少しずつ読んでいる。
ベッド脇に置かれていた文箱の中に納められていた物だ。
おそらくは数百年前に書かれた筈なのに、まるで、つい昨日まで使われていたような魔力を感じる。
――頁を読み終わった。
捲ると、おどろおどろしい緋色の暗号。一頁毎にこうなのだ。難易度的には、学校長、教授が解いた先の日記帳よりも、遥かに洗練されている。
素直な称賛が零れる。
「…………大した人だったんですね、貴女は。まぁ、やってる事はどうかと思いますが」
『何よっ! 人の血と汗が染み込んだ実験記録を盗み見してる男に言われたくないわっ!!』
……幻聴が。ぶっ通しで読んでるしなぁ。
頁の暗号を解き、浮かびあがる魔法式を眺める。
「美しい。これ程、精緻な魔法式を僕は知らない」
『そうでしょうっ? でしょうっ?? もっと、もっと、褒め称えなさいっ!!!』
「…………」
そっと、悪霊避けの魔法を発動。
即座に突破。すぐさま第二陣。またしても、突破。
――ということを数十回程繰り返した後、面倒になったので止める。
憤怒の気配。周囲に、深紅の結晶が飛び散る。
『…………あんたねぇぇぇぇぇぇぇ。いい度胸だわっ! 今すぐ焼き尽くしてやってもいいのよ?』
「そんな力はもう残っていないでしょう? 貴女は残り火だ。何です? 大丈夫ですよ、この子が起きたら、僕等は此処を出ていきますから」
『…………あんた、本当に何者なの? 『鍵』はあの戦争でみんな死んでしまった筈なのに』
「さぁ、僕自身が知りたいですよ。ただ」
実験記録を閉じ、空中に放り投げる。
何故か、繋がってしまっている幼女の魔力をほんの一粒借り、八翼の『火焔鳥』を顕現。塵一つ残さず、消失させる。
『!? あんた、何をして……』
「マガイモノではなく、本物の大魔法に対する強制拘束戦略魔法式。これは世界に必要ない物です。それは、貴女が一番良く分かっている筈です。……僕には、こんな代物を無理矢理、開発させられた貴女の無念や悲しみを全て背負うことは出来ません。けれど」
幸せそうに眠る幼女――大魔法『
僕も微笑み、視線を上げる。
目の前に立つ、人類史上最高の魔法士であったろう、緋髪の少女の幻影へ告げる。
「僕にとってはこの子の笑顔が全てです。僕は、これでも育ちが良いんですよ。約束は守ります。まして、それが死者との約束ならば尚更です。人類史上最高の魔法士の一人、リナリア・エーテルハート様?」
『…………あんた、変な奴ね。とびっきりの、変な奴だわ。ああ、だから――アレン、なんて名前なのね。そういえば、雰囲気は似ている気がする』
「獣耳と尻尾はありませんけどね――僕は狼族ですよ」
『……そうね。そうなのかもしれないわ。う~ん!』
少女は両手を伸ばした。
さらさら、と幻影が崩れ、光になっていく。
ニヤリ、と笑い口を開いた。
「それじゃね。最期の最後で、あんたみたいな変人に遭遇するとは思わなかったわ。……最低最悪の人生だったけど、終わりよければ全て良し! あんた達の時代のことは、あんた達で全部全部、なんとかしなさいっ!」
「程々に何とかしますよ。……ここの資料は焼き尽くします。御心配なく」
「ん、ありがと。最期に一つ、忠告しておくわ――あんた、とびきりの女難の相よ★ 私、色々な英雄連中も見て来たけど、その中でもピカ一ね。おめでとう♪」
「…………とっとと消えてください。起きたら出発します」
「べーだ★」
舌を出した少女の姿、部屋に光が満ちていく。
――唇に柔らかい感触。
「!?」
「…………餞別よ。アトラをお願い、ね――アレン」
※※※
ゆっくりと、意識が覚醒していく。
右手には温かさ。
見やると、幼女が両腕で抱きかかえている。
目が一瞬だけ開けた。
左手を伸ばし、小さな頭を掻きまわす。
「こーら」
「! ♪」
幼女は跳ね起き、抱き着いてきた。
そのまま器用に移動。背中へ張り付く。
「♪」
「おはよう。よく、眠れたかな?」
「☆」
「そっか。よーし、それじゃ、果物と水を持って――ここを脱出しよう」
「!?」
「うん、そうだよ。君も一緒にね」
「…………」
僕を覗き込む幼女の大きな瞳が更に大きくなり、ぽろぽろ、と涙が零れ落ちた。
左手で頭を撫でつつ、ベッド脇を見やる。
そこに、文箱はない。
あれは夢、か?
――右手で軽く魔法式を描く。
夢の中で使った八翼の『火焔鳥』のそれ。
「……………餞別にしては、少しえげつないなぁ。まぁ、あいつへのお土産にすればいっか。間違いなく怒って――……それで、済めばいいけど。最悪、拉致を想定しておこう」
「! !! !!!」
「大丈夫だよ。リディヤはとても優しくて、少し弱虫な子だから。でも、悪い子にしてたら、ずっと抱きしめの刑にされちゃうかもしれないよぉ?」
「!」
幼女が僕から降り、背を伸ばして立った。『良い子!』らしい。
頭をぽんぽん、と軽く叩く。
「そうだね。君はいい子だもんね」
「♪」
「よーし、それじゃリナリアとの約束を果たそう――アトラ、僕に力を貸してくれるかな?」
「! …………」
幼女の動きが止まり、僕を凝視。
再び、瞳に大粒の涙が溜まり、静かに零れ落ちた。
小さな手を伸ばしてきたので、僕も右手を伸ばしてやる。
――指を組み、ぎゅっ、と握りしめて来た。
静かな、静かな囁き。
そこに込められた想いは、どれ程のものか。
「――――うん。アトラ、アレン、好き」
「ありがとう」
微笑みかける。
この子を必ず救わないと。人の都合で、何百年も一人きりで閉じ込められ、傷ついたこの子を。
……たとえ、何があろうとも。
魔力が繋がる。人の身では持ちえない魔力。これは、最早、世界の一端なのだろう。
アトラが、幸せそうな笑みを向けてくる。
「!!!!」
「そうだね。リナリアには、すぐ会える気がするね。……あの性格だと困るけど」
『なっ! そこは滂沱の涙を零して喜ぶところでしょぉぉぉぉ』。……幻聴が。いけない、いけない。左手を高く掲げる。
――其れの色は血の如き深紅。八頭八翼の『火焔鳥』が降臨した。
いやいや、凄まじい。
これが……本物の炎属性極致魔法か。
アトラへ視線を向ける。頷き合う。
惜別の言葉を口にし、『火焔鳥』を放つ。
「おさらばです。伝説の女魔法士様。…………貴女の悲しみと無念、確かに、確かに受け取りました。後は全て任せてください。僕の名はアレン。死者との約束を尊ぶ者です」
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