第32話 ハワードという一族

 王国北方を統べるハワード公爵家の歴代には将器が多い。


 野戦にせよ、攻城戦にせよ、遭遇戦にせよ……歴代公爵達は、その都度、歴史に名を特記される戦果を、各戦場で挙げてきた。

 魔王戦争においてもそれは同じこと。

 最終決戦となった、血河会戦において人類側が劣勢に陥る中、時のハワード公爵は、あろうことか公爵軍の先頭に立ち、獅子吼。


『魔王軍殲滅の好機、来たれり! 我が強者共よ、ハワードの名誉を挙げよ!!』


と叫び、『氷雪狼』を放つと、数倍する敵左翼へ突撃を敢行。

 そして、普通の軍ならば、劣勢に陥る戦況であったにも関わらず、ハワード公爵家指揮下の軍は、即座にそれに呼応。公爵の後へ続き、魔王軍左翼を大混乱に陥れ、更には魔王本営にも迫り、その心胆を冷やしめた。

 最終的な勝利を収め、魔王軍が血河を越えなかったのは喉元を食い千切ろうとした『北の狼』を恐れたからだ、と噂されたという資料が遺っている。

 そして、現在。

 この二百年で、公爵家を支え続けた極致魔法と秘伝の使い手は減り続け、今や、戦場に立てるのは当代、ワルター・ハワードのみ。


 ……が、彼等はハワード。


 リンスターと並び、戦場において後れを取った試しがない家系。

 極致魔法と秘伝を喪いつつあり、当代公爵が『武門としてのハワード公爵家は私で終わる』と嘆こうとも――『狼』は『狗』ではない。

 

 ――決して、『狗』ではないのだ。


※※※


「畜生、畜生、畜生っ! ……話が違うじゃねぇかっ! ど、どうして、勝ってた筈の俺達が、こんな目にあってんだよっ!?」


 夏に入ってもなお雪解け水で身を切るかのように冷たいリニエ河を渡河しながら、俺は嘯いた。周囲を渡る同僚達は無言。青い顔で、黙々と胸までの水をかき分けながら対岸へ向けて少しずつ歩いている。

 行きに渡った、はしけで造られた臨時の橋は、俺達が辿り着いた時には影も形も残されていなかった。情報が伝わり逃げ出したのだろう。

 ……無残極まりない敗北の。

 

 作戦開始当初は順調だった。

 

 ハワード公爵との交渉決裂を受けて、俺達――帝国南方方面軍十万は、百年前、王国へ奪い取られたガロア地区に侵攻。それをあっさりと奪回した。

 この間、戦闘は皆無。住民達も一切の反抗はなし。

 ……期待していた女と、子供は一人もいなかったが。少なくとも、幸先良し、ってやつだった。

 気を良くした司令部は、更にリニエ河渡河を決定。ハワード公爵領へ意気揚々と進軍した。それが、五日前。

 公爵領に入ると途端に飯が不味く、かつ少なくなった。

 俺達の急進撃に、兵站部隊が追いつけなくなったのだ。

 それはまぁ……当然だ。

 ハワード公爵領の道路状況は帝国の水準からみても、見事なもんだったが、とにかく平地がなかった。

 森、森、森……何でも、平地は南部へ行かないと殆どないらしい。

 で、悪態を吐きつつも進撃した俺達に、先行する偵察騎兵が情報をもたらしたのが三日前。


『ハワード公爵軍、約5000、に布陣。会戦準備中な模様』


 最初聞いた時は、嘘だ、と思った。

 全軍渡河は、遅々として進んでなかったが、それでも既に三個騎士団、約30000がリニエ河を越していたからだ。

 

 5000対30000だ。餓鬼でも勝敗は分かるわな。


 当然、司令部内では『罠である!』という意見もあったみてぇだが……結局、会戦することになった。

 その前夜、明日の勝利に思って浮かれていた俺達に、准騎士のおやっさんから突如『小隊集合』がかかった。

 訝しく思ったが、従わねぇわけにはいかねぇ。何せ、准騎士ってのは、一般の兵の中で素養があり、かつ騎士からのお墨付きがねぇと選ばれねぇ、謂わば別格の存在。俺達みたいな、末端の兵士からすれば、神様みたいなもんだ。

 で、その神様は、俺達を見渡し――こう、言った。


『……明日は間違いなく負ける。生き残ることだけを考えろ』


 ってな。

 一瞬、笑いかけた。

 が……神様の目はマジだった。むしろ、そこには初めて見る色――恐怖がありあり、と浮かんでいた。

 そして、当日の会戦で


「……結果的に言えば、神様の言う通りだったわな。畜生っ」


 ようやく、河の半ばまでやって来た。

 ここを越えさえすれば、本隊の援護も受けられる。不味くても、温かい飯だって食えるだろう。


 ――突如、悪寒がした。な、何


 視界が白に染まり、足が、身体が動かなくなる。

 辛うじて動く、頭を動かすとしていた。

 対岸に翻るのは


「!?!! ど、どうして……何でっ、何でっ、ハワードの連中が俺達よりも前に渡河しているんだよっ!?」 


 数千の公爵軍の先頭に立つ偉丈夫。その前には白き氷の『狼』。

 呆気に取られる、俺達に向かって、凄まじい大声。


『勇敢なる帝国将兵に告ぐ! 我が名は王国公爵、ワルター・ハワードである!! 既に、貴軍本隊はガロア地区より去った!! 降伏されたい!!! さもなくば……是非もなし』


 公爵の前で『狼』が天に向かって咆哮した。

 すると、周囲の森林から、次々と信号弾。

 ……囲まれていやがるっ。

 こ、こいつら、軍を……街道じゃなく、森林地帯で機動させてやがるのか!? そ、そんなこと出来る筈がっ! 

 何だ? あいつらが、足につけてるのは? 木の板??


『即断されたい!! ……こちらは、どちらでもいいのだぞ? 全ては、リニエ河が葬りさってくれるからな』



※※※



「――……つー、ことが、あったんすよ。いやぁ、死ぬかと思いましたぜ。あいつ等の機動力、人じゃないですって……。小隊長殿も御無事で何よりですっ。会戦で、いきなり後方の森林から伏撃喰らって後は滅茶苦茶でしたから。にしても、この飯……うっめぇぇぇぇぇ。何なんすかっ! あいつら、こんな美味い飯を食ってるんすかっ!? しかも、あったけぇし、量は大盛りだし……俺達、捕虜っすよね?」 

「……叫ぶか、食うか、どちらかにしろ」


 俺の前で、呆れた様子の神様――小隊長が、苦笑する。

 その右腕には包帯。さっきまで手当を受けていたのだ。

 ……やたら可愛いメイドさんの。いや、何で、メイドさん?


「その飯だがな」 

「? これが、どうかしたんで??」

「……飯を配っていた娘さんに聞いたんだ。特別なのか? ってな」

「あ、やっぱり。なるほど、なるほど。俺達にいい想いをさせておいて、ってやつですな。あくどい真似を」


「『ご、ごめんなさい、。えっと、えっと、明日からは、お魚とお肉も付けられて、一日四食は供給出来るって、御嬢様達が言ってましたっ! お、お風呂はまだ、無理みたいなんですけど……捕虜になられた方がとっても、とっても多くて……。でもでも、お湯は配布出来るので、遠慮なく仰ってくださいね。お風呂も、三日後にはっ!』だ、そうだ」


 脳裏を様々な想いが駆け巡る。

 皿の、信じられない程、具だくさんなシチューを一口。呟く。



「………………小隊長。俺、帝国軍辞めますわ」

「奇遇だな。俺もだ」

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