第19話 伝言

「……そう。アレンは近衛と合流する、と言ったのね」

「はい。……私が、無理矢理にでも止めていれば」

「貴女のせいではないわ、エマ。よく皆とフェリシアを無事に連れ帰ってくれた。リンスター公爵夫人として、感謝します。ありがとう」

「勿体ないお言葉です、……アレン様のご伝言の件、リディヤ御嬢様には」

「…………」


 目の前で、奥様――リサ・リンスター様は黙り込まれました。

 後ろに控えられているメイド長のアンナ様へ視線を向けますが、沈痛な面持ちで頭を振られます。

 ――私達がハワード家の方々と協力して、王都を脱出して早一週間。

 幸いなことに、一人も欠けることなく、リンスター公爵家の本拠地である南都にまで辿りつくことが出来ました。

 御屋敷までの道中は普段と変わらず。王都で異変が起きているとは思えませんでした。

 

 が――屋敷内は別。

 

 物々しく殺気立っていて、人が激しき出入りし、まるで戦時。幾人かの同僚の姿もありませんでした。

 すぐさま事情をお聞きになるものと覚悟していた、リディヤ御嬢様とリィネ御嬢様は出て来られず、私だけが奥様のお部屋へ。

 強行軍で疲労を溜められ、かつアレン様のことで思いつめられているフェリシア御嬢様を同僚へ託し、私が知りえる限りの情報をお伝えすることになったのですが……。


「奥様、メイド長、リディヤ御嬢様とリィネ御嬢様は……それ程に?」

「リィネは大丈夫よ」


 奥様が立ち上がられ、窓を見られます。

 その御姿は、愛娘を案じられる母親のそれです。

 私が再度を口を開こうとした際、ノックの音が響きました。


「開いているわ」

「失礼します。奥様、玄関に近衛騎士の方がお見えに」

「「!」」 

「…………そろそろ来ると思っていたわ。通しなさい。アンナ、あの子達を」

「奥様」

「遅かれ早かれ、伝えなければならない」

「――畏まりました」


 メイド長の姿が掻き消えました。

 奥様が、呟かれます。


「……何が『少し、遅れる。心配しないでいいよ』よ。私は嘘吐きの義息を持ったつもりはないのよ?」


※※※


「嘘です!!!!!」


 部屋の中に、リィネ御嬢様の叫び声が響き渡りました。

 身体をぶるぶる、と震わせ、瞳には大粒の涙。

 片膝をつき、頭を下げられている若い近衛騎士――ライアン・ボル様は目を閉じられています。強行軍でここまで、辿り着かれたのでしょう。頑丈で名高い近衛の鎧はあちこち壊れ、手当を受けた真新しい包帯には血が滲んでいます。

 

「嘘です……嘘。兄様は、とってもお強い方なんです。叛徒なんかに負ける方じゃありませんっ!! きっと、今頃はリチャード兄様と一緒に、こちらへ向かわれているか、王族の方々と共に西へ逃れられているんです! そうに決まってますっ!! それに、エマの伝言だって!!!」

「リィネ。ライアン。間違いないのね?」 

「……はっ」

「そう」


 奥様が目を瞑られ、深く息を吐かれました。

 ……このような御姿、当家にお仕えして以来、初めて見ます。


「王宮が陥落する最後の最後まで交戦し、オルグレンの『紫備え』を釘付けにするなんて……馬鹿な子。本当に馬鹿な子。自分一人なら、どうとでもなったでしょうに。リチャードとシェリル王女、フェリシアとうちのメイド達、ハワード家の人間――たった一人で、全てを背負ってしまって。……私は、エリンへ、合わす顔がないわ」

「ライアン様、リチャード様は、西方へ?」 

「はい。副長は意識を取り戻された後、すぐさま王宮へ戻られようと。しかし、傷が重く、とても動ける状態ではなく……」

「生きておられるならば、上々です。他に?」

「…………はっ」


 ライアン様の頭が更に下がり、口が重くなりました。

 何かに必死で耐えられています。

 リィネ御嬢様が問われます。

 

「何かあるんですか? なら、早く仰ってくださいっ!」

「……申し上げられません」 

「なっ! 私はリィネ・リンスター。未だ学生の身とはいえ、リンスターの公女です。その私にも言えないと?」

「……この御伝言は、『剣姫』様宛のもの。おられぬ場で、告げることは」

「っ!! 姉様は、今」


 リィネ御嬢様が声を荒げられる前に――扉が開きました。入って来られたのは。

 思わず口元を覆ってしまいます。


「話して」

「……はっ」

「あ、姉様」


 リィネ御嬢様が、痩せられ今にも折れてしまいそうな程に儚げなリディヤ御嬢様へ寄り添われます。

 輝かしく美しい髪には生気がなく、ずっと伏せておいでだったのでしょう。着ている物も寝間着姿です。

 ライアン様が、言葉を絞り出されます。


「『ごめん、来月の誕生日は祝えそうにない。エマさんにも伝えたけど、心配しないでいいからね? すぐに戻るよ。そしたら、今年も僕の家でお祝いしよう。一日だけお姉さんになる、リディヤ・リンスター公女殿下のね』」

「……………………」

「兄様はっ!!!!!! 兄様は、……嘘吐き、です……」 


 リィネ御嬢様が顔を両手で覆われました。

 部屋の中に泣き声が響きます。

 リディヤ様は感情を喪われた表情になり、メイド長へ視線を向けられました。 


「アンナ、短剣を」

「リディヤ御嬢様、いけません。アレン様は、決して、決して、御嬢様に嘘は」

「あ、うん。大丈夫よ。今すぐ死ぬつもりはないから」

「…………」


 メイド長が、何処からか短剣を取り出され、リディヤ御嬢様へ渡されました。

 次の瞬間


「! 姉様!?」「リディヤ御嬢様!!」


 リディヤ御嬢様は、御自身の髪をばっさりと切られました。

 長く美しい髪が、部屋の中を舞います。

 ――瞳には煉獄の炎。


「…………もういい。御母様、私は十分待ちました。リンスターとして行動されないのであれば、自儘にします。よろしいですね?」

「リディヤ、一応聞くわ。どうするつもり?」

「決まってます」


 部屋内に、黒い炎羽が舞い散ります。

 その炎から感じるは、怒りを通り越した怒り。


「王都へ行って、全てを燃やし、東都へ進んで、全てを斬ります」 

「……その後は」

「あいつが生きていたら、怒ります。死んでいたら、私の命もそこまでです。……『星』を喪って、夜道はもう歩けません」

「姉様!」「リディヤ御嬢様!」

「……恐れながら」


 ライアン様が言葉を絞り出されました。

 皆の視線が一斉に集まります。


「アレン様より、もう一つ御伝言を受けております。『剣姫』様が、御自分の命、と言われた場合のみ伝えるように、と」

「……言って」

「『仮に、僕の後を追うようなことをしたら、僕は君を嫌いになる。だから、嫌いになるようなことはしないでほしい。お願いだよ、リディヤ』」


 リディヤ御嬢様はそれを聞いた瞬間、立ち竦まれました。

 瞳を大きく見開かれ、大粒の涙がぽろぽろ、と落ちていきます。


「…………バカ。バカ、大バカ。どうして、あんたは、そうやってっ、いつも、いつもっ、いつもっ、私をっ!!!!!!」


 リディヤ御嬢様の膝が崩れました。慌ててリィネ御嬢様が受け止められます。

 奥様が静かな声を出されました。


「……決めたわ、アンナ」

「はっ!」

「『鐘』を鳴らして」

「――承りました。エマ」

「はい!」


 メイド長に促され、私も急いで部屋を飛び出します。

 ――『リンスターの鐘、即ちそれ、煉獄の門、開きし音なり』。

 公爵領全域への総動員令公布。何十年ぶりなんでしょうか? 忙しくなります!

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