第37話 覚悟と情熱

 リディヤと別れ事務所に着くと鍵が開いていた。早いな、もう誰か来ている。

 リンスター家のメイドさん達は、アンナさんを見ていれば分かるけれど、とっても仕事熱心だ。汚れていたこの建物を掃除し、ピカピカに磨き上げてくれたのも彼女達。調度品をあれこれ選んだ時も、随分と助けられた。

 ただ余りにも熱心過ぎるので、『少し休んで下さいね』とお願いしたら、泣き出しそうな顔をしていたっけ。仕事を奪うつもりじゃなかったんだけどな。

 おそらく、今日も誰かが早めに出て来てくれて、掃除や準備をしてくれているんだろう。後でお礼を言わないと。

 廊下を通り抜け、執務室へ。


「おはようございます。少し早いですが、鍵を開けさせていただきました」

「……へっ? ど、どうして貴女がここに?」


 中にいたのはここにいるべきではない人物。何故かメイド服姿のフェリシアだった。どうやら机の上を乾拭きしていたらしい。

 驚いている僕を見て、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべ、答える。


「アレン様が仰ったのですよ。『貴女と仕事がしたい』と」

「そ、そうですが……卒業後に、とも僕は言った筈です。それに今日は王立学校の終業式では?」

「私が来年春まで待てませんでした。王立学校は退学させていただきましたので、本日からここでお世話になります。よろしくお願いしますね」

「なっ!? フェリシアさん、幾ら何でも」

「フェリシア、です。それと過剰な敬語も止めてください。これから苦楽を共にするのですから、遠慮は無用です」

「……分かっているんですか? 王立学校を退学するということは、公的な出世コースから弾かれるのと同義なんですよ? 僕みたいに卒業しても、どうにもならないのもいますが、損はない。何れかの時期に貴女がフォス商会を継ぐ際にも『王立学校卒業生』という肩書は有用なのに」

「まったくもって問題ありません。父からは『そんな馬鹿な事する娘に大事な商会は継がせられないっ!』と言われました。今日で実家も出ました。心配は御無用です」


 笑顔のままとんでもない内容を口にする。

 ……少し突っ込み過ぎたかな。

 確かにフェリシアと仕事がしたかった。これ程の商才を感じさせる女の子に機会を与えたら何処までやってのけるだろう、と本気で思いもした。

 けど、彼女の人生まで狂わすつもりは毛頭なく。

 僕が悩んでいると、くすくす、と笑い声。


「アレン様は、とっってもズルい人ですけど」

「……いきなり酷いですね」 

「だけど、本当にお優しいですね。今、私の将来を案じられたのでしょう? あんな短い時間しか話してない私のことを」

「そんなの当然です。住む場所は決まっているんですか?」

「いいえ。当分は此処に住まわせてもらおうかと思っています。許して下さいますか?」

「……駄目です。貴女みたいに可愛い女の子が住む場所じゃありません。夜は案外と危ないんですから」 

「ふぇ」


 フェリシアの口から変な声が漏れた。頬も見る見る内に赤くなってゆく。

 どうかしたかな? 

 まさか、鏡で自分の顔を見た事がない、なんてないだろうし。


「お、お戯れが過ぎます。リディヤ様達と普段接されているアレン様から、か、可愛いと言われても、お世辞にしか聞こえません」

「僕がお世辞を言うのは、リディヤやティナ達をからかう時だけですよ。それにしたって容姿で嘘は言いません。貴女はとっても魅力的な女の子です。なので、一時的であっても此処に住むのは却下します。僕が御両親に謝罪をして済むならそうするのですが……」

「アレン様が頭を下げられる必要はありません。これは私が選んだことです。介入は不要に願います」

「……頑固ですね」

「そういう所も気に入って下さったのでは?」

「はぁ……降参です。これからよろしくお願いします、フェリシア」

「こちらこそ、アレン様」


 女の子らしい柔らかい手と握手を交わす。

 思わず苦笑。これは仕返しされたかな? 参った。この子の覚悟と情熱を見誤っていた。

 ……アンナさんは、だから名前を教えてくれなかったのか。リディヤ達も知っていたな。昨日絡んできた謎も氷解。

 ただ、実家を出ることはフェリシアが話していなかったのだろう。知ってたら、リンスター家が用意した筈。

 仕方ない。一時的だし、午後にやって来るあの子達も分かってくれる……と、信じたい。


「では、早速仕事を始めましょう。ふふ、昨晩は興奮して中々寝付けなかったんです。アンナさんから、ばっちり引継ぎは受けていますから!」

「心強いですね。だけど、その前に重大問題を解決してからです。フェリシア、本当に何処も住む当てはないんですか? ステラ様やカレンの所は」

「知っての通り、王立学校の寮は部外者禁止です」

「今でもそうですか。分かりました。なら……住む所が決まるまで僕の家に来て下さい」

「ふぇ」


 本日二度目の変な声。

 あ、これは説明しないといけないな。誤解される。

 こういう所で怠けると、後々大変な事態になるのを僕はよく知っているのだ。


「勿論、両公爵家にお願いしてきちんとした住居をすぐ用意していただきます。その間の数日だけです。男の部屋で寝起きするのは苦痛でしょうが」

「あの、その、えっと……ア、アレン様がよろしければ……わ、私は構いません……」

「良かった。それじゃ、今晩から使ってください。一人じゃ心細いでしょうから、その間はカレンにも泊まってもらいましょう」

「……え? アレン様はご一緒じゃないんですか?」

「フェリシア、さっきも言いましたが貴女は可愛い女性なんですよ? のこのこ男がいる部屋に行ってはいけません。僕が此処で寝起きします」

「か、可愛い……私が可愛い……」


 三度、頬が紅く染まっている。

 王立学校の男子生徒は見る目がないのかな? 午後にでもお化粧が上手なステラ様に、薄くお化粧を頼んでみよう。今も十分可愛いけど、見違える筈だ。


「聞いてはいると思いますが、午後からカレン達も手伝いに来てくれます。今夏は彼女達の助けも借りて、色々とやってみましょう。フェリシア?」

「は、はいっ! 王都の商売を牛耳るつもりで頑張りますっ!!」


 

 中々、野望が大きいなぁ。とにかく、一歩一歩進んで行こう。

 取りあえずは、ティナ達への説明だね。リディヤは……ある程度の我が儘を聞くので交渉しよう。あくまでも『ある程度』で、うん。

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