第36話 二人の朝
その日は何時もより早く目が覚めてしまった。
隣の子は、まだすやすやとよく寝ていたので、起こさないようにベッドから出る。昨日は、二人して遅くまで飲んだしね。
どうやら、思っていた以上に緊張していたらしい。我ながら気が小さくて少し嫌になる。昨晩もここぞとばかりに散々からかわれた。手加減なしである、酷い。まぁ、だけど気をつかってくれたのだろう。
原因は分かっている。今日から、アンナさんの後任の方が来るからだ。良い人ならいいけど。
それにしても酔っ払いながら『いい? これ以上、女の子に手を出すのは駄目よ。寛大な私にも限度があるんだからっ!』と言っていたのは何でだろう? 僕の予想だとリンスター家のメイドさんが後任だと思うし、その場合、手を出す云々じゃないと思うんだけど。そこまで信頼がないのか……。
毎朝の習慣である剣技と体術、魔法の訓練を一通り終え水を浴びて汗をふいた後、二人分の朝食を作りながらこれからの事を考える。
今日、後任の方と初めて顔合わせ。引継ぎ等々はアンナさんが密かにやっていたそうだ。曰く『仕事に関しては完璧です』。
そしてティナ達も午後から来る。今日で王立学校も一旦終わり、長い夏季休暇に入るのだ。この事も会ったら伝えておかないと。
窓口役も大事だけど、今の僕にとっては本業である家庭教師も疎かに出来ない。
ティナ達はこの半年で凄く成長した。正直、想像以上。頑張らないとすぐ追い抜かれてしまいそうだ。
だけど、本当に凄く嬉しくて、どうしても顔がにやけてしまう。なんて教え甲斐がある子達なんだろう。
まぁ余りそうしているとカレンに怒られてしまうけれど。我が妹は僕が基本的に甘やかしな事をよく知っている。
ステラ様も最近、ようやく馴染んできたように思う。とても明るくなった。時折、ティナがむくれているけど……ステラ様だけを優しくしてないと思う。
家庭教師と窓口役の二役をこなす事になるなんて、去年の僕なら考えもしなかったけど、楽しくはある。
結局、何かをしているのが好きなんだろう、と自己分析。
忙し過ぎて我儘な古馴染と会う時間はかなり少なくなってきているのは、後々怖いけど……うん、取りあえず今は起こそう。
火を止め、卵とベーコンを皿に移し、寝室へ。
僕が入っていくと、ブランケットの中に潜り込んだ。あ、起きてるな。
「リディヤ、朝食が出来たよ。早く起きて。顔を洗っておいで」
「……やだ。私は休むから、あんたも休みなさい。ね? そうして? それで、今日は二人で昼間からお酒を飲みましょう」
「駄目だよ。知ってるだろう? 今日は大事な日なんだから」
「私を最優先にしなさいっ! 最近、あんた私を蔑ろにしてるわ。朝の訓練も一人でやったんでしょ? そろそろ本気で襲うわよ? もう、すっごい事するから!」
「……リディヤ・リンスター殿下、お戯れが過ぎます。さ、起きて」
「う~……可愛くないっ! ほんとっ可愛くないっ!! そこは『御主人様の仰せのままに』でしょぉぉぉぉ」
「はいはい」
前にも説明した通り、時折こうやってリディヤは僕の所へ泊りにやってくる。
残念ながら? 今までのところ色気のある話はない。
お酒を飲みながら、最近あった事をお互い話して、愚痴を言い合ってる内に、大体寝てしまうのだ。僕はともかく、この子はお酒が余り強くない。
それに彼女は知らないけれど、僕はリサさんに釘も刺されている。
『アレン、貴方が本当の意味で息子に、リンスター家に来てくれれば、これ程嬉しいことはないわ。だけど、婚姻まではしっかりしないと駄目よ? あの子はそういう所、初心だけど、同時に暴走しがちだから。お願いね』
……色々突っ込みたい。
勿論、僕は目の前で愚図っているこの子に好意を抱いている。何しろここ数年、恐ろしく濃い体験を共にしてきているのだ。例の件も含めれば最早、半身と言ってもいいかもしれない。
でも、婚姻云々は別問題だと思う。
なにより、四公爵家の長女と孤児、という階層の壁は早々崩せない。今の関係でさえ、普通に考えたら奇跡。
僕が新しい公爵にでもなれば話は変わるかもしれないけれど……余りにも現実的じゃない。公爵って……貴族ですらないよ。
つまり、今のところ、僕とこの子が結婚する可能性は零に近いのだ。ちょっと寂しいけどね。
「……変な事、考えてるでしょ?」
「そんな事ないよ」
「嘘ばっかり。あなた、色々考え過ぎなのよ。無駄に頭がいいんだから……偶には本能に身を委ねればいいのっ! そしたら、きゃっ」
「!?」
両手を腰につけてベッドの上に立ち上がったところ、ブランケットが下へ。
リディヤが着ているのは何時もの如く(何故か毎回要求される)僕のシャツだけ。つまり下が……そういうこと。
「……見た?」
「いいえ、何も見ていません。さ、朝食のお時間です」
「……ふ~ん、見てないんだ。私の剣を受けれる人が、ね。へぇ。それが遺言でいいのかしら?」
「一言だけいいかい?」
「何よ?」
「幾ら僕でも、万が一があるから、あんまり色っぽい下着はどうかと思うよ?」
「死になさいっ! ……ちょっと待って。今、色っぽいって」
「あーパンを焼かないとなー。それじゃすぐ来てね」
「待ちなさいよっ! まだ、話は終わって」
ドアを閉めて、消音魔法をかけ戦略的撤退。
決して、赤面になってるのを自覚しているからでない。
シャツ姿のリディヤが凶悪なまでに可愛いくて、気を抜くと抱きしめそうになるからでもない。
……ないったらないのだ。
パンを焼き終わり、サラダを氷冷庫(手製。市販のは高くて買えない)から出した頃、僕のシャツとズボン姿のリディヤが部屋から出てきた。不機嫌風。だけど、明らかにニヤニヤしている。
さっきのは失言だった。傷口は広げまい。
「おはよう。さ、早く食べて。着替えないといけないんだから」
「おはよう。食べる前に一ついいかしら?」
「何だい? そんなに時間ないよ。手短にね」
「黒が好きなの?」
「……あのね、リディヤ。僕だって男なんだよ?」
「知ってるわ。私のことが大好きだものね」
「……答えません」
「ふーん。まぁいいわ。それで、何色が好きなの?」
この後、家を出るまで延々とからかわれたのは言うまでもない。なお、僕が何と答えたかは、墓場まで持っていく所存。
さ、気分もほぐれたことだし、顔合わせを乗り切ろう!
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