第二十五回 考証に関するスタンス

 歴史時代考証を含めた、小説のリアリティにどう向き合うべきか。

 これは小説を書いている人にとっては、必ず直面する題材だと思います。


「フィクションだから好きに書けばいい」

「フィクションと言えど、(年代を問わず)現実世界を題材にするのなら調べるべきだ」


 色々意見はあると思います。

 また考証するにしても、その密度の差もあるでしょう。

 ある程度でいいのか?

 現地に赴いて書くのか?



 皆さんは、どうお考えですか?



 僕はまず読み手としては、作者のスタンスにお任せ。

 好きにしたらいいと思っています。極論ですが「面白ければいい」と。


「この時代に、これがあるわけないだろ!!」


 と、いうツッコミが無粋であると感じさせてくれるのなら、考証をしようが構いません。



 次に書き手としては、手の届く範囲ではなるべく調べます。

 例えば、福岡が舞台なら足を運びます。資料もなるべく読みます。しかし、泊まりが必要な距離の場所は、殆どが資料を読むのみ。美味しいエッセンスだけを抽出して、あとはわりかし好きに書いています。


 ですが、一つだけ。


 読者或いは世間に深い悲しみや苦しみを与えたデリケートな題材に関しては、中途半端な考証はしないと決めています。

 例えば、震災。ハンセン病。水俣病。差別問題。いじめ問題。実際の事件など。

 それが礼儀でもあると思いますし、題材にする上での最低限のマナーと考えています。



 特に現在進行形で苦しみが続いているものに関しては、無責任な記述は避けなければならないと、常々意識しています。

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