第二十四回 知らぬが仏?批判の快感?西郷どんで感じたアレコレ
僕はTwitterをしていましてね。NHK大河ドラマの時間になると、僕のTLが「西郷どん」で埋め尽くされるんですよ。
僕も(追っかけ録画で)西郷どんを観ているからいいのですが、感想の中には毎回毎回ドラマへの批判も流れてくるわけです。
「内容が薄い!」
「細部の詰めが甘い!」
「登場する人物のチョイスが微妙!」
「面白くない!」
確かに、そうかもしれません。
福岡藩の平野國臣が福岡弁(当時の福岡藩士で使われていたであろう方言≠博多弁)ではなく、薩摩弁のような言葉を使っていたのには驚きました。誰やねん、お前と。
それでも、毎回家族で楽しんでいますし、ドキドキしております。
そこで、幕末が好きなだけで詳しくない僕は、ふと思ったわけです。
色々知っているが故に細部が気になってあーだこーだと憤慨して楽しめないより、知らない故に楽しめる方が幸せじゃないのかと。
いや、何が幸せなんて他人が決める事じゃないけど、傍目から見ていてね。どう見ても、楽しんでいる方が文句を言うより幸せじゃないですか?
毎回毎回文句を呟いている人は、そんな事を言うぐらいなら見なきゃいいのに。ストレス以外の何物でもないだろうに……って思うのですが。
いや、待てよ。そうした文句を呟き、共感を得てRTをしてもらうのが快感で、それ自体が幸せな可能性もある。或いは、憤慨しストレスを感じる事が幸せとか。
僕もそうだったじゃないか、新選組!の時に。わかる! わかるぞ、その気持ち!
でも、結局ストレスで見なくなりましたけどね。
やはり幸せは他人が決める事じゃないですね。それに、楽しみ方も。批判も娯楽なのでしょう。
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