第三章 “S”UBERIDAI

 息も絶え絶え飛び出した街角、下腹部中心に痛みは消えずそのまま道路に座り込みたくも、じゃらじゃらと鳴る銀球の音、今にも背後から追いかけて来るようで、耳押さえたり股間押さえたりバタバタと、傍目からみれば愉快な立ち振舞い。崩れ落ちそうな足支え、鼻啜りつつ歩きだし、ちと時間は早いが女の家に転がり込もうじゃないかと心に決める。煉瓦の家探す豚の兄弟もこんな気持ちかと記憶頼りに進んでは曲がり、なんとか拓けた見慣れた景色に安堵の息を吐き、落ち着いてみればパチンコ店の出来事夢のようにも思え、また女に話したところで一笑に臥されることは考えるまでもなく自明の理。男は急に馬鹿らしく、また先ほど晒した醜態恥ずかしく、こんな状態で女の前にのこのこ進めば尻蹴られて追い出されるのがオチと、ひとまずベンチに腰掛け汗を拭う。時刻は午後2時半を回り、太陽の照りつけやや峠を越えるが、アスファルトの熱反射にじわじわと汗浮かび、ハンカチもなく手で拭っても肌は濡れたまま。安全管理事故防止と次々遊具撤去されたこの公園に日陰はなく、数個のベンチと滑り台と砂場だけがじっと日差しに耐えている。


 瞼閉じても眼球焼く光、眩しさに耐えかね手で目元押さえ、思い出すのは今日の出来事。朝の剃刀はまだ目をつぶれてもパチンコ店での一連、到底尋常の出来事とは思えぬが、だからといってあれは何かと聞かれても首傾げるしか術はない。肌に食い込む刃先と肉を抉る銀球の様子ちらちらと脳裏に映り、金属ならではの冷たさは共通、しかし原因も何も見当がつかずに、いつに増して働きの悪い頭はすぐに回転を停止。何やら得体のしれぬ事態が身の回りで起きているようで、背筋を震わせ辺り見回すが、平日午後のこの時間帯自由になるのは限られ、専業主婦と赤子ですらこの場所に魅力感じないのか、公園に響くは閑古鳥の鳴き声と腹の虫のみ。そういえば起きてからほとんど腹に入れておらず、そうと決まればさっさと女の部屋で何か恵んでもらおうと、無理に自分元気づけてベンチから腰浮かす。


 身に起こった出来事をどう伝えればうまく同情引けるかと、足りない頭で考えつつ歩く男どうにも体が重く、身に残った酒か先ほどの衝撃か、体幹はぶれて足はもつれこれぞ見事な千鳥足。まずはなんとかこの公園から出ようと頭振り踏み出したその右足、宙に浮いたはいいが前に落とすことができず、逆にのけぞり後ろに一歩退く。


「おおおッ?」


 何度やっても前に歩を進められず、焦りバタバタと足掻く度、むしろ出口から遠ざかる一方。後ろ向いても何も見えず、ただ不可解な力のみが背を引き、必死の形相で独り相撲繰り広げるその表情、下手なパントマイマーのそれにも見え、もし誰ぞやに見つかれば通報聴取任意同行のそろい踏みになることは目に見えており、むしろ見えないのはこの状況の原因に他ならない。ついには両足地面についたまま、線路めいて長い足跡2つ土に残しずるずるじわじわ後退するその様は、暴風雨に遊ばれる被災者のごとく、されど風など吹かず当然雨もないこの状況、男はようやく今朝からの異変に思い当たる。


 何かが起こっているのだ、目に見えない何かが。男の薄っぺらな人生体験と、貧相な想像力を遥か超える何かが!朝負った顎の裂傷も、先ほど味わった銀玉の洗礼も、そして今自分に起こるこの状況もおそらくその一環。男の身を今も弄ぶ、不可視にして不条理な力の波!


「アアアア!!」


 男の体はついに空中に浮き、そのまま後ろに水平移動、一瞬の無重力に酔いしれる間もなく、直後背中に襲い来る衝撃! 地面に転がり背丸めて悶えたいが体はぴったり離れず、首捻って確認するまでもなくそこにあるのはあの滑り台。塗装はおおかた剥げ落ち、そこかしこに浮いた茶色の錆、風雨に晒されっぱなしなその遊具は未だ骨子頑健、アバラも砕けよと叩きつけられた男の体難なく引き受け、もはやこれは磔十字架の役割。滑り台のガードにびたりと体押さえられ、身動きしようにも指すら離れず、鉄製の遊具と柔肉のぶつかり稽古、当然押し負けるのは生物の方で、男の体にかかる力今や全身へし折らんばかりの圧!


「ぎいいいい!」


 全身のべて骨200余本、五体満足で生まれ出て以来すくすくと成長続けたこの肉体、不摂生にやや痛み激しくガタが来ている部分も数見受けられ、しかし大きな怪我病気することなく23歳の今日まで無事生存。今まで受けた仕打ちの中、最も酷い経験は12歳の時の当て逃げ、ボンネットに掠った脇腹押さえ泣きわめく子供無視して走り去った下手人は結局捕まらず、しめて全治1週間のやや重症。打撲で済んだはいいものの体内でじくじくと疼く痛みは耐えがたく、夜ごと布団で涙を呑み運転手呪ったあの記憶。圧倒的な力に屈するほかない痛みと虚しさは今、再び蘇らんと男に牙を剥いていた。


「ああ俺の、俺の体が! ちぎれる!!!」


 みしみしと歪む骨、徐々に痛み増す間接、延ばされる筋肉、引き攣る皮膚、男の体は滑り台と相引き合い、1つになろうと力任せ。相手が毛布かクッションか、柔らかく受け止める包容力持ち合わせていたならよかったが、鋼鉄製の遊具にそんな甲斐性無論見当たらず、ただ押し付けられる肉体はめり込む勢い。力振り絞り何とか逃れようと、顔引き剥がし息吸ったのもつかの間、一度自由になった顔面再び滑り台へに口づけをかまし、その勢いにひしゃげる鼻筋、口中に流れるこの味が鉄錆か涙かはたまた鼻血か見当もつかず、下手に見栄を張ろうなど考えずあのまま女の家へ向かえばよかったと、無駄な後悔浮かんでむせび泣くのみ。


また目も当てられぬのが右腕の運命。遊ぶ幼児が落ちぬようにと取付けられた滑り台側面ガード、そこはちょうど太陽と真逆に位置し、炙られることもなくひんやりとした金属の冷気はへばりつく男にとって不幸中の幸い。しかし男の右手のみ着地地点は滑車面、銀色に輝くその場所は長い年月子供たちの尻に磨かれ鏡のような光沢、太陽の熱を余すところなく吸収し今男の右手を焦がしている最中。おお、潰されかけた肺はもはや呼吸すらままならず、体内に響く軋みと痛みに本日2回目の失神寸前! このまま奇妙な現代オブジェよろしく、鋼鉄製遊具と強制合体を果たすかに見えたその時!


「おお……オオオオッ」


 それはまたしても突然の出来事。ふと全身にかかる圧力消え失せ、アッと驚く間もなく落下する肉体、受け身取れようはずもなく無様に砂地に横たわり蠢くその様子、死にかけの虫じみて痙攣し、ひゅうひゅうと呼吸するばかり。さんざ捻じ曲げ押しつぶされた手足、すぐには思うように動かせず、背中丸めて痛みに耐える姿勢は胎児に似て、脈絡もない暴力への怯え、そこからの解放の安堵に震えるばかり。なんとかよろめき立ち上がり、今のうちにと公園を出る後ろ姿、フルマラソン走った後のようなふらつき具合、しかしゴールテープはまだ遠く、男はまだ走り続ける運命にあり!

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