第二章 “S”LOT
その店は駅から7分、そう広くも狭くもない裏通り、3階建ての建物には遊びの道具がギッチリ詰まり、一見様大歓迎未成年様は裏口からどうぞと声なく誘う、来るもの拒まず去るもの逃がさずのその姿勢はいわば都会の蟻地獄。パの字が取れた卑猥な文字入り自動扉はゴウンと音たて観音開き、とたん溢れる騒音光彩。煙草の煙でくもった空気は肺癌患者が見れば卒倒するであろう光景。マシンの唸りで攪拌されし人いきれがぐるぐると天井に上っては落ちてくるその様子は、盛者必衰とまで言えばいささか過剰な喩えと言えるか。
男店内をフラフラと巡り適当な台探すも、一攫千金大逆転を狙うでもなき気楽な足取りは軽く、しかしこのまま懐まで軽くするのは勿体ないと人の手元覗いては睨み追い払われる。足の向くまま歩き回り着いた席は一台のスロット機、ぺかぺかと光るライトに誘われメダル投げ入れる様はさながら夜光虫、あるいは夢遊病者。一発目は小手調べと腕まくり、ダンダンダンと音も高らかにボタン連打するその様子はいかにも通ぶり、しかし目押しもできぬ男、当然出る目は全てでたらめ。いるはずもない己の観客に動揺悟られはしないかと、これもすべて予想のうちよといわんばかりのとぼけ顔が示すのは、他人の目線気にせずにはいられぬ男の臆病な性根に他ならぬ。鼻唄混じりに次を見定めるその佇まい、一見悠然とした顔は余裕装い、しかし目の端には焦りの色が濃く浮かび、隅から覗く店員も思わずほくそ笑む。
手元に積んだメダルの高さは上下に揺れ動きつつも確実に数を減らす一方。ついに手持ち底をつき、歯ぎしりしつつも体裁崩さず、まだ勝負はこれからと勇みメダルの追加購入へ。勢い立ち上がる男、尻の財布に手をやった瞬間何が起きたか、ギャッと奇声あげその場に倒れ伏す。まだ酔いが残るか、はたまた酸欠か。腰に感じる痛みは強く、周りの視線はそれより痛く、辛うじて平然装い頭掻きながら立ち上がるその体が、まさか再び横転するとは思うまい。もはや隠す気もない周囲の笑い声のなか、二度の転倒の痛みに顔歪め、目元真っ赤に染めて見たその靴の裏、へばりつくものは常見慣れたあの銀の球。1センチに満たない小さな球体の多くは、床に散らばり光を反射し、負けの込んだ客がこそこそ足でかき集める惨めな光景すら珍しくない代物。どんな原理か引力か男の靴裏にぴたりくっつき、落ちてたまるかと震えるその姿。男は苛立ちと拍子抜けに溜息漏らし、靴の溝にでもはまったかと片足立ちに手を伸ばすが、掴んだはずのそのパチンコ玉、奇妙に抗い離れようとせぬ。足裏引っ張られるような感覚にえいやと一息、ころりと手のひらに落ちる銀の玉、まじまじ見ても変わった様子はなく、靴底に挟まる溝も見当たらぬ。首傾げ片足下ろし、さあメダルへと歩き出したが早いが再び転倒! 3度にわたる騒音に店内怒声鳴り響き、賭け台の音楽歓声と混じり騒音レベルはいや増すばかり。原因の男、再び靴裏晒した瞬間そこに群がる金属球の波!
「オオオオ!?」
餌に群がる魚のごとく、卵子に群がる精子のごとく、ジャラジャラと音あげ靴裏に飛びつくパチンコ玉! 上げた右足の下銀球が連なる様子は数珠のごとく、その重みを増していく一方。たまらず再び椅子に腰下ろし、体跳ねた拍子もう片足挙げたのが運の尽き、獲物が増えたとばかりに襲い来る球は、もはや床に転がるそれのみならず、他の客が誇らしげに積み上げた千両箱の中からも飛んでくる。呆気にとられ口開けて見ていた男、自分の成果掠め取られた客の罵声にはっと意識取り戻し、足に銀のひげ根が生えたかのようなこの状況、なんとか打破すべく脚振り回すも効果なし。とりあえずこの重みから逃れたいと靴を脱いだのが大間違い。今まで靴に絡みついていたパチンコ玉、一斉に矛先変えて素足を狙い襲い来る! 靴下に食い込み、足裏にめり込み、体内にまで入り込まんとするその執念はいわば恐怖の足つぼ師!
「ああああ!! いてえ! いてえ!」
もはや目線気にする余裕もなく、への字に口曲げ泣き叫ぶ。今や店内中から暇人が集まり、呆れるように恐れるように珍現象見守るその様子は体張った大道芸ショー覗くがごとく。足裏に収まらぬ銀球は足首を這い上がり、肉を抉るように刺激しながらふくらはぎ、太ももにのぼり、短パンの裾からその先へ。内腿擦る金属の冷たさにヒイヒイ身を捩る男、急にこれまでないほどの真顔、次いで天を震わすほどの絶叫! おおその悲鳴こそ、トランクスの中辿り着き、銀の玉と金の玉が邂逅果たす歴史的瞬間の証!
「畜生、玉が! 俺の玉が! 玉に!」
悶え泣く男の痛みがわかるか。この世に3つの袋あり、給料袋、堪忍袋、忘れてはならぬ金玉袋。その柔らかい内臓の表面にびったり引っ付く固い金属球、ゴリゴリと圧迫するその冷たさに縮み上がるのも無理はない。裏から表から食い込み絞めつくこの仕打ち、男もはや座ってもいられず、どう、とばかりに汚い床に倒れ伏す。下半身から上半身まで埋め尽くさんとわらわら集まるパチンコ玉の大群は、例えれば象にたかる肉食アリ、あるいは冒険者ガリバーを縛り上げる小人の集まり。痛みと冷たさと息苦しさに朦朧とする意識の中、店内放送の明るい声だけが耳に響き、それも耳道に入り込む球によって遮られる始末。
ここに一粒のパチンコ玉、周りのそれと変わらず鈍色のこの球体こそ狂乱を終わりに誘う傑物、入り込むことのできない場所に足を踏み入れたその銀球に意図はなく、それはまさに神の采配、悪魔の憐憫。足伝い這い上るくだんの銀球、陰嚢を揉み上げる非情な仲間を尻目に押し流されるがままに上へ上へ、その動き幼子の指を這い上るテントウムシを真似るがごとく、生命の危機にそそり立つ某棒をするするよじ登る。びくびく震える肉塔はいかにも哀れめいて、しかし苦難はここからが本番。頂点まで辿り着いたその球、何を思ったか棒の先に躊躇いもなく潜り込む! たまらぬ暴挙、逃れえない苦境に男はもはや絶叫のち発狂の身悶え。一片の固形物も通したことのない無垢なる尿道は、無慈悲な侵入者によって今まさに処女貫通!
「ぎゃああああ!」
激痛とショックに縮み上がったイチモツ、締め上げたパチンコ玉の形すら浮かび上がらせるよう。さあ突如始まった尿道マラソンレース、スタートは定まりながらもゴールは見えず、行き着く先は膀胱か精巣か、道筋を知るは単独進む銀球のみ。下履きに隠されていたのが幸運か、むくりむくりと蠢いては徐々に体内へ侵入せしめんとするその様子、下半身が凸状の者なら揃って内また必須の悪夢がごとき現実。
男すでに目を閉じ、己の人生振り返る段階。このままでは三途の川の渡し賃、パチンコ玉で支払う羽目になりはしないかとうつろな頭で考え巡らし、このままスッと失神できればまだ楽だっただろうに、全身苛む銀球責めに意識飛ばすこともできぬ。男最後の力振り絞り、まさに今竿から体幹へ忍び込もうとする銀球、その行方遮らんと陰茎の根元強く絞り、最後の歯磨き粉絞り出す様を思い浮かべ、力の限りしごきあげる!
「うおおおおお!」
ぬっぽんと間の抜けた音、しかし男にとっては何よりの福音、尿道から押し出された銀球元の入り口より転がり出て、水気保ったまま床に落ちたのち数センチ転がり動きを止める。その瞬間男の体にまとわりついていた無数のパチンコ玉、急に興味を失ったがごとく圧を失い、ばらばらと音立て地面に落ちる。徐々に露わになる男の外見、最後の一つが肌から離れた瞬間、遠巻きにしていた客の間で自然と沸く拍手喝采。祝福と驚愕の歓声はしかし男にとってただ煩いものに過ぎず、いまだ続く痛みの余韻に体丸める。
次第止む歓声、引く熱気、店内は今見た奇妙な現象反芻し、気味悪いとそそくさ逃げるもの、遠くから男の様子窺うもの、そばにあったパチンコ玉放り投げ店から走り去るもの、救急車呼ぶかいや警察かと携帯片手に迷うもの、いずれもまっとうな反応といえる。
「あの、大丈夫スか、病院呼びますか」
恐る恐る話しかける勇気はあれど、体に触れ抱き起こすには届かず、男は手助け得られぬままなんとか自力で起き上がる。生まれたての畜生よりかはしっかりとした足取り、しかしその顔は憔悴し、身に起こった出来事受け入れられない様子は哀れみを誘う。靴履き直し、ズボンあげ直し、散らばるパチンコ玉を見たくもないとやや中空に定める視線。かけられる声無視してそのまま店の外へ。通り過ぎる車や人の列目に入れ、急に地に足がついた心持ち、どっと疲れてまずは一服と懐からタバコ取り出し一呼吸。煙に満ちた店から這い出てまた煙吸う行為、とても健康にいいとは言えないが、男はようやく生気取り戻し、大きく溜息零すが同時、耳に詰まったままであった銀球も、ここでやっと零れ落ちたのだった。
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