第11話 宴と銃弾

 ――3日後。未真名市中央区商業エリア『ホテル・クリアノン』。


「確かにレセプションがあるとは聞いているが……それにしても何だってこんなに立て込んでやがるんだ!?」「特別メニューがあるとかで、食肉冷蔵庫のスペースが半分ぐらい埋まってるんですよ!」「間が悪いな。マンモスの肉でも持ち込んだのか? ……おい新入り、3番テーブルに5人前! 早く!」

「あ、はいすぐに!」

 厨房からの怒号に冷や汗をかきながら、ウェイターの制服を着た龍一はこれから開始されるレセプションホールの中を配膳に駆け回っている。

 ここからでは当然見えないが、今頃『ホテル・クリアノン』正面玄関では次々と送迎車が横付けされ、着飾った賓客たちが次々と出迎えられているはずだ。『真の日朝友好へ向けて――イルハングループ会長を囲む夕べ』なる、龍一が一生縁がないと思っていたレセプション。そこに集まるのは市議会議員、スポーツ選手、新興IT会社社長――といった、これまた龍一とは無縁の人々だ。

 今は違う。無縁ではないのだ。かかっているのが人命とあっては。

「……なあ、今さらだけど俺、こんなことしてる場合なのか? せっかく招待客として招かれてんのに」

 ――時折、手で押しているワゴンの下に話しかけているが、皆それぞれの業務に忙殺されていて気に掛ける者はいない。

 ワゴンの中からテシクのくぐもった声が返る。このサイズでは手足を折り畳んだ上に背を折り曲げないと入れないはずだが、口調に微塵の苦しみもない。「俺は招かれてない」

 あのなあ、と言いそうになった声を遮り「――それに、意味はあった。正面から入ではわからなかったことがな」

「?」

「振り返るな。入口の警備員2人、見覚えがある」

 念を押されなければ振り返っていたところだ。「あんたの『教え子』か」

「ああ。あんな調子で、このホテルの各所に配置されているんだろう。正面からの突入部隊だけで突破できるほどここのセキュリティは甘くないはずだ」

 納得はしたが、その分急に不安が募ってきた。「それを承知で襲ってくるような奴らを、本当に俺たち2人でどうにかするつもりか? そもそもできるのか?」

「やるしかないだろう。それに……相手の狙いはおおよその見当が付く」

 あんたには付くかも知れんが俺には付かないんだが、と龍一は言いそうになる。

 それに、龍一にはもう一つ気がかりがあった。夏姫が――うるさいくらいにこちらへ話しかけてきていたあの瀬川夏姫が、『ゴールデン・スパロー』号からの脱出以降、まるで音沙汰無しなのだ。一体どうしたというんだろう? くそっ、いなければいないで人の気持ちを掻き乱す小娘だ。

 いや、正確にはもう一つある。件のテシクだ。


【彼には裏切る理由がありません。信用していいでしょう】

 テシクに渡されたプリペイド携帯から聞こえる百合子の声は、まるで暴力とは無縁のように穏やかで明快だった。龍一はほっとしたが、もちろんいつまでも安堵していてもいられなかった。【今回の件は、望月さんも充分納得いただいた上で私が立案したものです。結果としてあなたに疑念を抱かせてしまったことには、改めてお詫びします】

「しかし……」

【ただ一つ、懸念があるとすれば】明快だった百合子の声が陰った。【彼が必ずしも自らの生還を期してはいないということでしょうか】

「と言いますと?」

【最悪、差し違える可能性があるということです。かつての恋人――シン・ファランと】

 反射的にテシクを振り返らないよう、堪えなければならなかった。彼は倉庫の一画に展開した装備のチェックに余念がない。百合子との通話内容どころか、龍一の盗み見にも関心を払っていない――払っていないように見えた。


「〈死体くじボディカウント〉?」

「そうだ。聞いたことはないか?」

「意味はわからないが、ろくでもないもんだってことはわかる」

「間違ってはいない。アンダーグラウンドのなかでのみ存在する非合法スポーツだ。一定のエリア内で、一定時間内にを皆で賭ける。『誰が死んだか』『次に誰が死ぬか』でもオッズは細かく変わるらしいな。地位の高い者、強固な警備に守られた者、あるいは乗り物などでエリア内を高速で通り抜ける者などに対しては、それだけオッズが跳ね上がる。特に最近では無料動画サービスと仮想通貨でかなり大規模な運営も容易らしい」

「ダークウェブとカジノが合わさったようなもんか」

「お前ら餓鬼の方が詳しいんじゃないか? 車の追突や爆発物で一度に複数殺せればコンボボーナスが付く、とかな」

 本当にろくでもなかった、と龍一は内心嘆息したが、これよりましな時代を知っているわけでもない。

「……テロを起こしてくれと言わんばかりじゃないか」

「それも合っている。テロ組織の資金源になっているという未確認情報もあるくらいだ。元はどこぞの国の情報機関が開発した、テロの標的になる人物や建物を予測するための対策プログラムが、ブラックマーケットへ流出したらしい。お前がどの程度まで詳しいかはわからんが……近年、高麗統一連邦の領土内で、政治的要求の一切ない、目的も背後組織も不明なテロが立て続けに起こったことがあった。調査の結果、各国のサーバーを踏み台にこの国でオッズが組まれているらしいことがわかってきた。かつての俺の任務は、それを探ることだった。少なくとも俺には難しい任務ではなかった。犯罪者たちにまともな戦闘訓練やセキュリティ対策知識を持つ奴なんて数えるほどもいないし、それにあいつらは一度信用すればとことん人がいいからな。……順調だった。バックアップとして幼馴染みのヒギョンが送り込まれてくるまでは」


【始めるぞ。〈死体くじボディカウント〉の準備をしろ】

「了解、社長」ヘッドセットから聞こえる門真の指示に合わせ、女はキーを叩く。映画館のスクリーンほどもあるモニターが数十分割、門真配下の暗殺部隊員たちの各ヘルメットに装着されたカメラからの映像に切り替わる。

「スタート」

 女の声とともに映像が動き始める。何事かとカメラの方を向いたホテル内の賓客たちが、恥も外聞もなく悲鳴を上げて逃げ出す。その背に向けて次々と小銃が火を噴いた。数人は這うようにして傍らの部屋へ逃げ込んだが、兵士たちは容赦しない。数個の手榴弾が放り込まれ、爆発が連続する。兵士たちが部屋へ踏み込み、手足をもがれて呻いている賓客たちにとどめを刺していく。

 女は淡々と呟く。「賭けた賭けた」


「俺とヒギョンは、そして彼女の姉のファランとは、本物の家族のように育った」テシクはぽつりと話し始めた。「彼女たちの父親は俺の育ての親でな。何もかもを学んだ。本当に何もかも――機嫌を損ねた女の子の扱い方から、毛布で人を殺す方法までな。あの人に恩を返すためなら、国の汚れ仕事請負なんて何とも思わなかった。

 あの頃は俺も若かった。任務を成功させ、ファランかヒギョンのどちらかと結婚して静かに暮らす……それができると本当に信じて疑わなかった。実際にはとんだ思い上がりだったわけだが」

「それがさっき言っていた、その人を……その話につながるわけか」

「ああ。俺のしくじりで国境警備隊に捕捉され、俺と彼女の父親は死にかけていた。致命傷を負った彼に俺はとどめを刺し、自分だけおめおめと逃げ帰った。それ以上でも以下でもない話だ」龍一に説明しているのではなく、自分の中を覗き込んでいるような声だった。「彼女たちの父親を射殺した後、俺は日本での任務を志願した。逃げるように――実際そうだったんだが。どんな顔をして彼女たちに会えばいいのか、まるでわからなかったからな。ファランはちょうどその頃、中国への潜入任務にかかりきりで、ついでに言えば血で血を洗う抗争の真っ最中だったから、俺を追いたくても追えない状況にあったらしい。だがヒギョンは……そうじゃなかった」

「……まさか、その人はあんたを殺そうと……」

「いや。ただ会いたかったからだと彼女は言った。感づいてはいたんだな――大づかみの真実には。あの時の俺が何を考えていたか、全ては思い出せないが、俺は拒めなかった……そして拒まなかった。結局それが、終わりの始まりだった。逃げればそれで済むと思っていた俺の甘さのつけを、彼女が払う羽目になった」

 龍一は息を呑んだ。明るいとは言い難いテシクの口調が、より陰鬱さを孕んだからだ。

「彼女の任務は成功したが、避妊には失敗した。そして……結局、任務にも失敗した。俺が見つけた時、ヒギョンは拷問されて虫の息だった。楽にしてやるしかできることはなかった。最後まで俺の名は吐かなかった」

「……なあ、それじゃ」話が話だけに、龍一は言葉を選んだ。「その、あんたの元カノは……あんたへの復讐のためだけに門真と手を組んだのか?」

「そういうことだ」淡々とした口調であり、あるいは淡々とならざるを得ない話だった。「ファランにしてみれば、俺は父親を殺し、さらに妹を寝とって死に追いやった男だ。方法はともかく、理由としては充分だろう」

「そんな……事情は話したのか?」

「どんな事情だ?」テシクの顔は影で見えなかった。わざとだろう。「不当なんて言うつもりはない。何もかも事実なんだからな」

 龍一は黙っていた。言うべきことが見当たらなかったからだ。

「お前のクライアントが接触してくるまで、何もかもどうでもいいと一度は思おうとした」テシクは拳銃のスライドを引いた。鋼が噛み合い、初弾が薬室に装填される鋭い音が響いた。「どうでもよくはないからここにいるんだが。お前だってそうだろう?」


 龍一もまた、2人の兵士に小銃を突き付けられていた。黒光りする銃口でその場に跪くよう促される。逆らう理由はなかった――どのみち完全武装の兵士相手では龍一もどうにもならない。どうしろってんだよ、と内心毒づいた瞬間、止める間もなく一人がワゴンに向けて自動小銃のトリガーを引いた。立て続けに金色の薬莢が舞い散り、乗せていた皿が落ちる寸前に粉々に砕かれ、ワゴンが穴だらけになる。遠くで賓客たちの悲鳴が上がった。

 息詰まる静寂の中、発砲した兵士が素早く弾倉を交換し、もう一人が油断なくワゴンを銃口で小突いた。蓋がずれ――何も、誰も入っていない。反射的に顔を上げた龍一の目に、兵士たちの背後で音もなく跳躍するテシクが映った。

 猫科の肉食獣じみた動きだった。両手のナイフで2人の兵士の太腿とアキレス腱を切り裂く。体勢を崩した2人の手首を切り、脇腹を刺し、片方の喉を切り裂いてもう片方の首筋を数度刺した。

 龍一が目を剥くような殺しの業だった。事もなげにテシクは一振りでナイフの血を払って言った。「エレベーターも非常階段も使うな。そこのダストシュートから地下の食肉用冷凍庫に行け。〈配達人〉が得物を届けてくれる」

「待てよ。あんたはともかく、俺に銃なんて使えないぜ」

「安心しろ。最初から期待していない」本当に期待していないような口調だった。テシクは既に死体を探り始めている。「お前のクライアントとも相談済みだ。を用意した。文句はないだろう」

「……わかった。あんたも死ぬなよ」

 半分どうにでもなれ、と思いながら龍一は上着を脱ぎ、ダストシュートに飛び込んだ。


【いいぞ、もっとやれ!】手を叩くその喜色満面さえ見えてくるような門真の声だった。【さあ張った張った! 次のベットは10倍――いや100倍だ!】

「了解」女は機械のごとく正確にキーを叩き続ける。「でも社長、そう順調でもないみたい。例の請負人の残党が動き回っているようだけど」

【ゴキブリみたいな奴らだ】門真は吐き捨てる。【さっさと潰せ。邪魔はさせん】


「……何で君たちがここにいるんだ?」

「何で、とはご挨拶ね。あの半島から来たイイ男から頼まれたのよ」

 人間と大して変わらないサイズの牛や豚の肉が天井からぶら下がる食肉用冷凍庫の中で寒そうに肩を震わせていたのは意外な顔ぶれ――〈ハリウッド・クレムリン〉のソーニャたち数名のメイドたちだった。ただし、さすがに今着ているのはあのメイド服ではなく毛皮の防寒コートだったが。

「参ったな。君たちまでグルだったのか……どいつもこいつも、俺を尻目に影で大活躍だな」

「拗ねないでよ。それにそんな場合じゃないんでしょう。捕らわれのお姫様を助けに行くんですってね」

「あいつ、そんなことまで言ったのか?」

「ええ」

 後で殴ってやろうかな、と半分本気で考える。「何にせよ助かる。さすがに俺もあの中に普段着で突っ込む気にはならないからな」

「殊勝でよろしい。それでは本日のスペシャルメニュー、〈ハリウッド・クレムリン〉ご自慢の一品でございます」

 ソーニャが手を一振りすると、背後で黙っていた数名のメイドが冷蔵庫の一画を占拠していた数メートル四方のコンテナを左右に開いた。

「……何だ、こりゃ」

「そんなに不思議がることないでしょ。ただの戦闘用装甲強化服メックスーツじゃない」

「『ただの』で済ませていい代物じゃないだろ……」

 呆れながら、龍一はそれをしげしげと観察した。サイズは以前見た〈マイコニド〉と同程度だが、印象はかなり違う。より人間に近く、洗練された印象がある。センサーなのだろう、頭部から鋭く突き出た突起が特徴的だ。

「ドイツ連邦軍・連邦警察制式モデル〈ファヴニル〉。火力としては申し分ないでしょ?」

「申し分ないどころか過剰火力オーバーキルじゃないか! これのどこが『人の死なない優しい得物』なんだ? どうかしてやがる!」

「慌てない慌てない。小火器程度ならまず貫通しないし、装備はどれも暴徒鎮圧用で統一してあるから。個人的には軍用モデルの方が手っ取り早い気もするけどね。30ミリ機関砲とかクラスター爆弾とか燃料気化爆薬とか」

「ホテルがなくなっちまうよ! だいたいゴム弾だって頭に当たれば命取りなんだぜ、まったく……」龍一は苦い顔でコンテナの中に蹲る鋼の巨体を眺め直した。「……ま、選択の余地はないんだけどな」


 階下からエレベーターシャフトを通して上昇してくる「何か」に対し、上階を占拠していた兵士たちの反応は迅速だった。動体レーダーで位置を測定しつつ、閉じたドアをこじ開けて焼夷弾を含むグレネードを数個投下、即座に鉄扉を閉じる。遥か下から鈍い轟音が伝わってきた。

「何」が来たのかは破壊してから確かめればいい――頷き合い、再びドアを開けようとした彼らの目の前で、ドアがめりめりと音を立てて開き始める。目を剥いた兵士たちを、強烈な衝撃波が床に、壁に、天井に叩きつけた。

「見張りご苦労さん」

 ドアの隙間から巨体をねじ入れるように、龍一の〈ファヴニル〉がシャフトから躍り出た。反射的に銃口を向ける残りの兵士に、右腕のアタッチメントを向ける。大口径の機関砲と酸素ボンベをチューブでつなぎ、さらに砲口へトランペットを装着したようなとしか表現できない異形の銃器が装着されている。

 音はなく、ただ空気そのものが弾けた。目に見えないダンプカーにでも衝突したように、完全武装の兵士が数メートルほど弾き飛ばされて壁に激突、即座に気絶する。

暴徒鎮圧用衝撃砲ライオット・ショックカノンはボディアーマー着用の兵士相手にも有効……」

 殺到してくる兵士相手に左腕で持ったリボルバー方式のグレネードランチャーを射つ。放物線を描いて飛んだグレネードは空中で分裂、互いの小弾子の間で眩い稲光を放った。それを浴びた兵士たちが額を撃ち抜かれたようにその場へ崩れ落ちる。

電撃手榴弾スタングレネードもカタログ通りの威力……しかし、人が死なない優しい装備とはね」

 嘘は言っちゃいないが真実でもないな、痙攣している兵士たちを見て龍一は溜め息を吐きながら〈ファヴニル〉で走り出す。


【メックスーツだと? なんでそんなものがここにある? いやそもそも、テシクは何をやってやがるんだ?】

「あなたの想定通りに動いていないことは確かね」困惑を隠し切れない門真の声に対し、女の声はトーンを崩さない。

 門真の声が揺れた。【まさか……あいつら〈死体くじ〉そのものを潰すつもりなのか。そのためにあんな馬鹿げた火力を持ち込んだのか】


(しかし最近のメックスーツはすごいな……体感ゲームと大して変わらない感覚で操縦できるんだから)

 まあ素人の俺にスティックとペダルが10本ずつあるような機体を与えられても困るんだが、思いながら龍一はレセプションホールに向けて〈ファヴニル〉を突進させる。賓客たちに向け銃を乱射していた兵士たちが慌ててこちらへ発砲するが〈ファヴニル〉の表面装甲に当たって跳ね返されるばかりだ。

「セット」

 火器操作スティックを細かに操作し、複数の兵士をロックオン。頭部を狙うと致命傷になりかねないので胸や腹で勘弁してやる。本当は無差別殺戮を行う輩なんか頭を狙ってやりたいところだが、まあぎりぎりの温情だ。

「ファイア」

 ロックオン箇所に寸分の狂いもなくランチャーからゴムスタン弾が飛ぶ。直撃した兵士たちはもんどり打って倒れ痙攣するが、中には這いつくばりながらも発砲をやめない者もいる。

「やっぱりボディアーマー相手には効果が薄いか……」

 最初からこうすればよかった、龍一は銃身で兵士の頭部をはたき失神させる。いちいち相手をしていられないので残りには電撃手榴弾を放って先を急いだ。

 宮殿にでもあるような大扉は〈ファヴニル〉の機体でもどうにか通れた。ホール内に押し入ってきた鋼の巨体に、当然だが人の波が二つに割れた。龍一が探していたその姿も、すぐ見て取れた。

 スポットライトを当てられたように目立つのも当然だった。ウィーンの舞踏会もかくやとばかりに着飾った人々の中で、彼女だけが一人、女子高の制服姿だった。それもかつての高塔百合子と同じ――私立令峰学園の制服だ。

 確かに大人びた印象の少女だが、女子高生とまでは思わなかった。

 呆れる反面、感心もした――あの出で立ちなら礼を失しない程度に、周囲の大人たちから距離を取っていられる。頭のいいやり方だと思う。

 彼女の方でも龍一を認めた。あろうことか、親しげに手を振ってきた。たちまち周囲からの好奇の視線が集中する。今の龍一の見てくれを考えれば無理もないが。

「来てくれると思ってたわ」

「一体どうしたってんだ?」怒った声が出たのは、安堵を声ににじませないためだろうか――そう思っている自分が自分でも不思議だった。「あんだけ人に構っておいて、連絡を絶ちやがって」

「当てにしてくれてたのね。嬉しい」

「茶化すんじゃない」

「茶化してなんかいないわ」彼女の口調からふざけた様子が消えた。「共犯者を置いて逃げるわけないじゃない」

 龍一が絶句した時、遠巻きに見ていた人々をかき分けて見覚えのある顔が駆け寄ってきた。「……龍一!? 龍一なのか!?」

 スンシンだ。父親の代理として来ていたのか、髪だけでなく眉毛まで整えており、やや古風な礼服と合わせて絵に描いたような御曹司ぶりだった。

「龍一、どうしたっていうんだい? 時間になっても来ないと思っていたら、そんな格好で……いや、助けに来てくれたのは嬉しいけど……」いぶかしげに巡らされたスンシンの視線が止まった。

「……夏姫」

「スンシン……」

 夏姫の口から、龍一が初めて聞く、か細くかすれた声が漏れた。知り合いに――それもあまり会いたくない知り合いに出くわした時の声だった。


「相良龍一の仕業ではない……テシクでもない。最低でも、もう一人いるわね」モニターの前で女が呟いた時、ドアが開いて荒々しい靴音とともに子分たちを従えた門真が踏み込んできた。「どうした! 続けろ、苦情が殺到しているんだぞ!」

 だが、その目がモニターに注がれた途端、彼は棒立ちになった。「テシク? 何でテシクがここにいる? いやそれより……何をしているんだ?」

 呆然としている門真の目の前が暗転した。女がモニターの電源を落としたのだ。

「社長、悪いけどお暇をいただくわ。有給休暇扱いでもいいけど――退職届なら後で郵送する」

「こんな時に何を言い出すんだ? 〈死体くじ〉は誰が動かすんだ!?」

「終わりよ」女は事もなげに言う。「胴元は賭けにすがりつく客を見て影で笑うものでしょうに……失敗した賭けにすがりつく胴元なんて、身ぐるみ剥がされた客以下よ」

 門真は一瞬、言葉を失ったが、それでかえって何かに気づいたようだった。「お前……そうかお前、初めからテシクが……あいつ一人が目当てだったんだな。俺たちの計画なんて、どうでもよかったんだな」

にしては賢いじゃない」冷ややかな彼女の声は、今や侮蔑交じりの憐れみ――あるいは憐れみ交じりの侮蔑を隠してさえいなかった。「その賢さに免じて、邪魔さえしなければ私も何もしない」

 背後で棒立ちになっている子分たちをけしかけることさえ忘れ、門真が猛然と前に進んで彼女の肩を背後から掴もうとした。

 突き出したその手は、むしろ恋人の手でもあるように、柔らかく掴み取られた。

「……あ?」

 振り払う暇さえ与えられず、門真の手首が可動域を遥かに越えた角度に捻じ曲げられた。

 激痛に呻く間もなく、もう片方の手が門真の懐から拳銃を引き抜き、立て続けに発砲した。2発、続いて2発。顔面と胸板を銃弾で穿たれた子分たちがどさどさと崩れ落ちる

 女は間髪入れず門真の太腿に1発、撃ち込んだ。があっ、と雄叫びを上げて大腿骨を砕かれた門真が倒れ込む。

「警告はしたのに。所詮は筋肉、分別を説いても無駄か」

「お前……お前!」門真自身、何を言おうとしたのかすらわかっていない様子だった。立とうとする足は空を切るばかりで、起き上がれない。

「早く血を止めないと死ぬわよ……もっとも、しくじったあなたが夜明けを迎えられるとも思えないけど」

 女は一度、門真の眉間に銃口を向けはしたが、すぐ興味を失ったように逸らした。

「ああ、でももう一つ……を高く買っていたことだけは評価してもいいわね」

 彼女は踵を返し、部屋の一角にある大型のロッカーに歩み寄った。指紋照合装置に手をかざす。「パーティの後半は、あなた抜きでやらせてもらう。その方が面白いもの」

 圧縮空気の漏れる音とともにロッカーが展開した。もがいていた門真が一瞬、苦痛を忘れて呆気に取られた顔をする。

「……何だ、そりゃ」


「どうも積もる話もあるようだが、それはここを出てからにしないか」黙ったままの2人を見て、龍一はそう言った。事情はわからないなりに、口を出さなければならないような気がしたのだ。実際、そう声をかけなければいつまでも立ち尽くしていそうな様子だった。夏姫はびくりと身を震わせ、スンシンはあからさまにほっとした顔になる。「スンシン、この人たちを連れて下へ……」

 不意に、首筋に寒気が走った。物理的なものではない――実際、センサーには何の反応もなかった。龍一が今までの人生で幾度も覚えた、そして外れた試しがない「嫌な感じ」だった。

(……何か、来る)


 ――その異変に気づいたのは、警ら中にパトカーでホテルの正面玄関に駆けつけた警官たちだった。

〈ホテル・クリアノン〉から銃声だけでなく爆発物による火災まで発生している、という複数の通報に血相を変えて殺到した警官たちは、イルハングループ傘下の警備部隊にたちまち行く手を阻まれていた。

「現在、当グループの調査部が対応に当たっております。公僕の皆様のお手を煩わせるほどのことではありません。どうかお引き取りを」

「ふざけるな、重火器まで使われているんだぞ! 公務執行妨害で引っ張られたいのか!」

「何とでも」こうしたやり取りに慣れているのか、警備部隊のリーダーには微塵の動揺もない。「文句があるならクレーム処理課の方へどうぞ」

 背後の警備員たちも、壁のように押し黙ったまま動かない。警官の一人が舌打ちした時、

 街灯も、周辺の建物の光も、視界に映る照明という照明が一度に消えた。突如として夜の底のように暗くなったホテル正面玄関、ざわつく人々の目にぽつり、と青白い光の点が灯った。

 美しく、そして不吉な揺らめきだった――見ているだけで魂を吸い取られるような。

「……人魂?」

 警官の一人が呟き、数人の警備員が反射的に銃を構えようとした瞬間。

 青白い炎が瞬時に見る者全ての視界を覆い尽くし、人も、車両も、何もかもを砕き、燃やし尽くした。

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