第12話 豪雨と業火
〈ホテル・クリアノン〉正面玄関の異様な炎は、龍一たちのいるフロアからでもはっきりと見て取れた。
「……あれは」
人も物も、等しく燃えていた。黒く焦げた皮膚、炭化してねじ曲がった手足、爆ぜたタイヤ、あまりに高熱で燃やされたためか飴のように柔らかく溶けている装甲車両。路上を埋め尽くす炎と炎と炎の間に、誰かがいた。
それが龍一を見た。
「……!」
戦慄が全身を貫いた。そいつは確かに、少なくともシルエットは人のものだった。だがそれは、本当に「人」なのだろうか。
ゴムとも金属ともつかない鈍い輝きが、均整の取れた体躯を包んでいる。遠目にはヘルメットを着用し、ウェットスーツに身を包んでいるように見えなくもない。だが異様なのはその「スーツ」の表面だった。青白い燐光が光の線となって体表の至るところで微細な回路図を描き、時折、ぼう、と宙に漏れるのだ。まるで人魂のように。
龍一が息を呑んだ瞬間、そいつは一瞬で視界から消えた。幽霊じみた消失の仕方だった。
「何なんだあいつは……門真の仲間じゃないのか⁉︎ 仲間なら、どうして門真の暗殺部隊と戦ってるんだ⁉︎」
【サウジ製戦闘工兵専用メックスーツ〈イフリート〉の中国版モデル〈羅刹女〉だ。相当にカスタムされているようだが】
不意に無線から流れ出たテシクの声に龍一は驚く。「あんたか! 今まで何してたんだ?」
【俺のことよりあいつを気にした方がいいんじゃないのか。回路図に見えるのは全身に張り巡らされた微細パイプで、そこから気化燃料や溶解液などの各種薬剤を噴霧する。何しろ、地雷処理車両と火炎放射戦車を人間サイズに圧縮できないか、なんて馬鹿げたコンセプトに基づいた代物だからな。間違っても生身で立ち向かうなよ……彼の地ではゲリラを焼き払うのに大活躍だそうだ】
龍一は思わず身震いした。「頼まれたって立ち向かうもんかよ。マジで戦車が要るじゃないか」
【戦車でも荷が重いかもな。工兵車両だけでは満足せず、開発陣はあれに
「あれを設計した奴らは何に腹を立ててたんだ? 2日間徹夜で麻雀でもしてたのか?」
【もっとささやかな理由だろう。仕出し弁当がまずかったとかな】
「ねえ、お話中悪いんだけど」夏姫が割り込んできた。「龍一、エスコートして」
「おい……」止める間もなく、彼女は先に歩き出した。仕方なくそれを追いながら振り返ると、スンシンはまだ呆然としていた。
「君らしくないな。あいつに何の不満があるってんだ? 確かにすっとぼけた坊っちゃんだが、いい奴だぜ」
「不満があるわけじゃないの。たぶん、私が思うよりずっと真っ当な人。……だからきっと、うまくいかなかったのね」
その口調は、やはり龍一が知る彼女とは違うものだった。
「……失敗? 俺のやってきたことが失敗だって言うんですか? この案には、オジキだって判を押してくれたもんでしょうが!」
【俺のケツに火をつけるのが成功のうちか?】スマートフォンの向こうから聞こえる声には、抑えきれない憤怒の響きがあった。【お前の催したギャンブルの名簿が流出したんだぞ。俺のところにまで苦情が殺到してやがる。失敗は失敗と認めてもらわんと、俺も庇い切れんだろうが】
門真は言葉に詰まる。
【5億包んどけ。そうすりゃ、俺が本家に口を聞いてやる。諮問委員会が開かれるまで大人しく……】
通話を切った。スマートフォンをロボタクの運転席と客席を隔てる透明な仕切りに投げつける。
「何でだ……何でこんなことになった……⁉︎」
左手で顔を覆う。右手はあの女にへし折られたからだ。ついでに言えば撃たれた足からは包帯に収まりきらない鮮血がズボンを濡らしているのだが、痛み以上に怒りの方が堪え難かった。どのみち、諮問委員会が開かれるまでるのであれば病院で寝ていても同じだ。
テシクに何らかの思惑があることは薄々感じていた。それを承知でやっていけると、今の今まで信じていた。だがこうも大っぴらに自分を裏切るどころか、子飼いの女にまでも手を噛まれるなどとは予想外だった。
「どいつもこいつも舐めやがって……」顎から汗とも涙ともつかないものが滴り落ちた。「殺してやる、テシクもあの女も……」
【もっと肝心なことを話しておく必要があるな】
「これ以上まだ何かあるのか?」
【そう言うな。……たぶんあれが、ファランだ】
「あなたの彼女……ごめんあそばせ、元彼女さんだったかしら?」
鼻で笑う声。【さすがに小娘は耳が早いな。特に色恋沙汰には】
何よその言い方、と夏姫は憮然となる。「喜ぶか怒るか反応に困るからやめてよ」
いやそこは怒っていいだろ、と龍一は内心突っ込む。「ここは逃げの一手だろ? 〈羅刹女〉の火力がどれほどかは知らないが、人間戦車は本物の戦車には勝てないだろ。時間さえ稼げれば、イルハングループ配下のミリセクがあれを八つ裂きにするさ。それともまさか……因縁に決着をつけようって腹か?」
間があった。嫌な予感が当たったらしい。
「止めないからな。人間戦車は戦車よりは弱いだろうが、人間一人すり潰すくらい難しくないだろ」
【手はある】
無線は切れた。どいつもこいつも、と龍一は慨嘆したくなる。それとも、俺も傍から見たらあんなふうに見えるんだろうか。
「龍一。あの人を止めて。……ううん、そうじゃない、あの人のところに私も連れていって」
突然、夏姫が〈ファヴニル〉の腕に手をかけんばかりに訴えかけてきて龍一は驚いた。「君までおかしなことを言うな。頼むからこれ以上話をややこしくしないでくれよ。スンシンと一緒にパニックルームへ隠れてろ」
廊下は銃弾で穴だらけの死体と、燃やされた死体と、穴だらけで燃やされた死体で凄惨を極めていた。テシクは眉一つ動かさず、カードキーをかざして客室の一つに入った。数日前から別名義で借りてあった部屋だ。
「……対戦車ロケット砲では、奴の動きに追随できない」
照明が自動で着き、無機質な鈍色の携帯コンテナに埋め尽くされた室内を照らした。
「かと言って、小火器程度では燃やされに行くようなものか……」
コンテナの一つを開け、内部に格納されていた銃の一丁を手に取る。大口径のバトルライフルをさらに上回るサイズのそれは、ゲパード対物狙撃ライフル・プルバップタイプ。対物狙撃銃としての大威力と一人でも取り扱い可能な携帯性を同時に実現した銃だ。
「あいつの言っていた通り、戦車が使えれば持っていくところだな」
苦笑しながら室内戦闘用に
「……手がないわけではない」
使うかどうかはわからないが、グレネードも数個パウチに入れる。
「俺が来ることは予想済みなんだろう? 俺の本当の名前を知っているお前なら。……ファラン」
焼け焦げた廊下、焼け焦げた調度、そして焼け焦げた屍の中から現れる〈羅刹女〉の姿は、まさに地獄の使者だった。
廊下の角から、調度の陰から、そいつに向けて無数の銃火が生じた。門真配下の暗殺部隊の生き残りが手持ちの火力全てを発ったのだ。勇ましい雄叫びは、だが悲鳴にしか聞こえなかった。そいつは動じる様子もなく、ただ腕を一振りした。
炎と、その後の衝撃波が全てを打ち砕いた。青白い炎は生き残りを生きた松明に変え、かろうじて原形を留めていたホテルのロビーを吹き飛ばした。
何事もなかったように首を巡らす〈羅刹女〉がふと、顔を上げる。集音センサーが捉えたシャンパンの栓を抜くような軽い音と、動体センサーが捉えた何かの飛行物体。
〈羅刹女〉の反応は素早かった。足元で半ば消し済みと化している兵士の亡骸を無造作に掴み、放り投げる。空中で擲弾に衝突した亡骸は、今度こそ文字通り爆裂四散した。
【人間の身体は爆風に対して充分な遮蔽効果がある。ボディアーマー着用ならなお言うことなし──詰めが甘いわね、リョファン】
頭上のテラスで人影が身を翻す。その背を追って、
【再会したばかりなのに、つれないわね】
足元の噴出孔から液体爆薬を噴出、生じた小爆発をブースターに軽々と中二階に降り立つ。
【日本での暮らしが長すぎたの? こんな廊下に逃げ込んだら、背中から焼かれるだけだとは思わない?】
業火。放たれた炎が一直線に突き進み、きらびやかな廊下を黒く醜く焦がし尽くす。
【たとえ全身に耐熱シートを巻きつけたって、衝撃波までは防げないのに……】
優雅でさえある足取りで焦げた廊下を進む〈羅刹女〉が、しかし次の瞬間、何かに気づいて身を震わせる。
射出音──衝撃。鉄の塊が〈羅刹女〉の背後から肩甲骨あたりを直撃し、隠し切れない苦鳴が漏れる。
「人間の身体は爆風に対して充分な遮蔽効果がある。ボディアーマー着用ならなお言うことなし──詰めが甘かったな、ファラン」
背後の死体の山が盛り上がり、戦闘装備のテシクが全身の耐熱シートを引きちぎって起き上がる。
瞬時に振り向こうとした〈羅刹女〉の顔面が青白い火花に包まれる。至近距離からEMPの直撃を食らったのだ。
「不意打ちはいつも俺の方が上手だったな……待たせて済まなかった」
基盤が剥き出しになった使い捨て式の電磁パルス発生機を放り捨て、反対側の手で黒光りする接近戦用の
だが次の瞬間、目を剥いたのはテシクの方だった。視界を奪われたはずの〈羅刹女〉が、戦斧を掌で食い止めたのだ。
【教え子はいつか教師を越えるものよ。……接近戦に持ち込めば、勝てるとでも思ったの?】
反対側の掌から発射された爆圧が、小柄ではないテシクの身体を人形のように弾き飛ばした。壁で全身を強打したテシクはそれでも対物ライフルの銃口を持ち上げようとするが、蹴りの一閃でまたも吹き飛ばされた。勢い余ってスリングが切断され、重々しい音を立てて銃身が転がる。
【何か言いたいことはある? 聞かないけど】
「……会いたかったよ、ファラン」口の端から血の泡を吹きながら、テシクは呟く。「こんな形でなくな」
【私はそうでもない。ただの作業過程だもの】
今度こそテシクの頭蓋を砕こうとした足が、瞬時にステップを踏んで後退した。一瞬遅れて強烈な閃光が周囲を埋め尽くす。
【乱暴狼藉は、そのへんにしといてもらおうか】龍一の〈ファヴニル〉が瓦礫を踏み締めて階下から昇ってきた。
奇妙なことに、〈羅刹女〉は攻撃の手を止めて龍一の方を見やった。来るべきものが来た、と言わんばかりに。
【17年前、オキナワ】
「な」
息が詰まった。
【偽装核、ネクタール、HW】
「……どうしてそれを」
その言葉の意味を知るためなら、地の果てまで行くつもりだった。
【まさかあなた、その意味も知らずに誰彼かまわず聞いて回っていたの?】
「お前は……」自分でも驚くほど、どす黒い声が勝手に漏れた。「お前は、誰だ……!」
【悪く思わないで……それに答える前に殺せ、と言われているの】
力みもせずただ立っていた〈羅刹女〉の姿が、突然ぶれた。
目を見張った龍一の眼前で〈ファヴニル〉のメインモニターが青白い炎で塗り潰された。たちまち警報音が鳴り響く。
【装甲兵器相手に火炎放射がどれほどの意味がある、そう思っているでしょう?】ファランの声。【装甲は無事でも中身はどう?】
彼女の言う通りだった。警告音が止まらない。ひっきりなしに炎で炙られ続け〈ファヴニル〉コクピットの温度は上昇を続けている。これが続けば電子系統が──いや、それ以前に龍一という「卵の中身」がどうなるか。
考えるより先に身体が動く。
とっさに衝撃砲のトリガーを引いた。海が割れるように視界を埋め尽くしていた炎が周囲から退く。
【衝撃波で炎を吹き飛ばしたか。では、これは?】
〈羅刹女〉が向けた指先から、今度は白い霧が噴出された。一体何を、と訝しんだ瞬間に新たな警報。戦術情報処理からの警告──機体表面の温度が急激に低下。前面装甲、軽度の剥離。
「嘘だろ……!」思わず叫びそうになった。
みしみしと異様な音が鳴り響いていた。集音センサーを用いずとも聴こえる音、彼女の全身から聞こえる異様な音だ。
ウェットスーツにも似た〈羅刹女〉の全身装甲が小刻みな蠕動と収縮を繰り返していた。まるでスーツ自体が彼女の全身を締めつけているかのように──いや、実際そうなのだ。
回避の余地もない速度で懐に飛び込まれた。モニターが真っ赤に染まり警告音がさらに高まる──前面装甲に重大な損傷。
信じられなかった。炎と極低温に交互にさらされたとは言え、パワーアシスト機能の補助があるとは言え、この女は腕で〈ファヴニル〉を叩き壊そうとしている。
とっさに腕で振り払え──ない。腕の旋回半径の内側に入り込まれている。不慣れな強化外骨格による格闘戦で自分が追い詰められるとは──。
「こっち向きなさいよ、こののっぺらぼう!」
いきなり響いた威勢のいい声に反射的に〈羅刹女〉が振り向いた瞬間、その顔面を強烈な閃光が直撃した。タブレットの画面を振りかざした夏姫がその場に仁王立ちしている。あの馬鹿、後先のことを考えてないだろ──!
恥も外聞もなく〈ファヴニル〉を突進させる。〈羅刹女〉が飛び退いた隙に夏姫を抱え上げ、全力で走った。
「もうちょっと気をつけて運んでよ! スカートがめくれるでしょ!」
「文句をつけるな! そっちこそどうして隠れてないんだ!」
「助けられといて文句言わないでちょうだい!」
「……礼は言う。でも君には関係ない」
人気のないフロアで腕から降ろしたとたん、彼女はスカートの裾を直して憤然と龍一に──〈ファヴニル〉のメインカメラに向き直った。「関係なくはないわ」
「いきなりどうしたのよ? 聞き分けの悪い人だと思っているけど、ううん、今はさらにひどくなってるじゃない⁉︎」
「あいつの方から挨拶に来たんだ、俺の妄想じゃなかったんだ!」
「龍一!」
夏姫は唇をきゅっと結んだ──そして次の瞬間、
「とう」
身を乗り出して龍一の額に頭突きした。
「何すんだよ⁉︎」
「冷静になりなさい。相手は大人で殺しのプロなんでしょ⁉︎ 子供で素人のあなたが頭に血を上らせて勝てる相手なの⁉︎」
龍一は大きく息を吐いた。冷静になる必要がある、と認められる程度にはなっていた。
「……そのタブレットでも火炎放射までは防げないだろ。同じ手が二度も通じる奴でもないしな。何、あの根性曲りと俺の2人がかりなら、最悪どっちかは生き残るさ」
だが、夏姫はいつになく決然と首を振った。「あの人は勘違いしてる……彼女の狙いは私なのよ」
夏姫はタブレットの画面をかざす。何事か、と覗き込んだ龍一は目を剥いた。「何だこれ?」
「たった今、私とあなたの〈死体くじ〉のオッズが10000倍に跳ね上がったの。それも設定したのは同一人物。誰だかわかる?」
「……いや。俺たちをアホみたいな大金賭けて殺したがっている誰かがいるってこと以外はな」
「パニックルームに逃げ込んだって同じよ。ファランをどうにかしたって地の果てまで追われる」夏姫の眼差しは装甲を通り越して、確かにコクピットの龍一を眼差していた。「何もわからずに死にたくなくない?」
「……君ならできるんだな?」
「任せてよ。私の共犯者」
「生け捕りにする。手伝え。……人道上の理由じゃない。泥を吐かせる必要があるからな」
怯えだけではない笑みが夏姫の顔に浮かび、龍一もまた笑い返した──装甲越しではあるが。
「そっちはできるの?」
龍一はほんのわずかの間、目を閉じた。
殺すだけなら簡単なんだ。なぜならとても簡単に人は死ぬからだ。
「任せろ。あの根性曲がりに恩を着せに行くぞ」
【テシクだけでなくあなたたちまで隠れんぼ? 少しがっかりね】
警戒態勢すら取らず爆圧で破壊され尽くした廊下を悠然と行く〈羅刹女〉。その背後から瓦礫に半ば身を埋めていた〈ファヴニル〉が猛然と躍りかかる。
【……優秀なセンサーの前には子供だましなのに】
振り向きざまに掌から放たれた爆圧が胸部装甲を直撃し、勢い余ってコクピットを貫通した。
そして、彼女の目にそれが映る。黒焦げになったコクピットに転がる、黒焦げのスマートフォン。
(遠隔操作……!)
反射的に振り返る彼女の目に──衝撃砲の砲口が飛び込んできた。
〈羅刹女〉が、きりきり舞いして吹き飛んだ。床に叩きつけられながら勢い余って数度回転し、家具を弾き飛ばしてようやく止まる。
鉤裂きと焦げまみれのパイロットスーツ姿で龍一が吐き捨てる。「どうだ、俺のパンチは? あっちこっちふわふわかゆかっただろう」
【貴様……!】
拳が裂けるのも構わず〈羅刹女〉の顔面に正拳突きを叩き込む。衝撃でのめった隙に背後へ回って膝裏を蹴り、全力で首を締め上げた。
「お前が教えてくれたな……強化外骨格相手にも絞め技は有効だって」
怒りの咆哮を上げて龍一を振りほどこうとする〈羅刹女〉の視界に、ふらふらと彷徨い出る幽鬼のごとき人影が映る──血塗れのスーツに右手と右足を救急医療ゲルまみれにした門真だった。
「待ちやがれ……クソアマ……俺に恥を欠かせやがって!」
門真はふらつきながらも金属の円筒を肩にかつぎ上げる──対戦車ロケット砲。
「!」
だが二人1組で運用するロケット砲を一人で、しかも片手片足の門真が用いるのは過酷に過ぎた──白煙を引いて射出された弾体は大きく逸れ、壁に当たって大量の破片を撒き散らした。
当然、龍一もただではすまなかった。直撃こそ食らわなかったものの、爆風で反対側の壁際まで吹き飛ばされる。〈ファヴニル〉の機体も自重を支え切れず、瓦礫の山をずるずると下のフロアまで滑り落ちる。
【虫けらが……!】
〈羅刹女〉が跳躍し、門真の胸板を腕の付け根まで通れとばかりに貫く。串刺しにされた門真が絶叫する。頭部をつかまれ、卵のように床へ叩きつけられた。首から上を失った門真の身体が紙屑のように放り捨てられる。
力を失った門真の手から、ちっぽけなライター大の金属が転がり落ちる──起爆装置。
上着がめくれ、腹に巻き付けられていた大量の爆薬が露わになる。
「……!」
身を翻したファランの〈羅刹女〉が火球に呑み込まれた。龍一さえ思わず顔を背けるほどの炎と熱量が現出した。ばらばらとかつて門真だったものの肉片が周囲に降り注ぐ。
思わず息を吐きそうになった龍一の目の前で何かが動く。
炎の壁を突き切り、猛然とファランが躍りかかってきた。喉首を掴まれ、息が詰まった隙にまたも放り投げられる。
ファランの出で立ちも恐ろしかった。ヘルメットは爆ぜ割れて頭髪をもぎ取られた頭部が露出し、装甲の亀裂からは血と冷却液がとめどなくこぼれている。傷だらけの龍一に負けず劣らずの凄惨な姿だった。
「依頼とは言え……」血混じりの唾液を口の端から垂らしながら彼女は喘ぐ。「結局は潰す予定の虫一匹に、ここまで手こずるとはね」
立ち上がろうとした龍一の腹を蹴りボールのように転がす。パワーアシスト機能は低下していると思えない蹴りで目の前が赤く染まる。息が詰まる。
「いつの間に入れ替わったの? ソギョン」
静かな声に彼女は顔を上げた──龍一も、愕然としてそちらを見た。
「最初から私たちが標的だったんでしょう? テシクはむしろおまけ」
夏姫の表情は静かで、どこか悲しげだった。「テシクがあなたのお父様の仇であることも、お姉さんと将来を付き合っていたことも、二の次だったんでしょう? 依頼人からの報酬は何? テシクとの穏やかな二人暮らし?」
「……中国でファランが潜入任務についていたことはむしろ好都合だった……居所を探り当てて殺すのも死体の処理も、私には苦ではなかった」怒りも苦痛もないような穏やかでさえある口調でファラン──いや、ソギョンは呟く。「許せないのは」
みりみりと拳を握り締める音。「傍観者気取りの小娘にそれを得々と述べられること」
あいつ、煽るだけ煽って後先のことをまるで考えてなかったな。
考えるより先に身体が動く。棒立ちの夏姫に、龍一は覆い被さる。
重々しい音が轟いた。龍一は顔を上げた──腕の中の夏姫と一緒に。
ソギョンの胸に拳大の大穴が開いていた。流れ出す血の音まで聞こえるようだった。
彼女は何か──不思議そうな、憑き物が落ちたような顔をしていた。その表情のまま、龍一を見、夏姫を見、そして振り向いて、そこにいたテシクの顔を見た。
構えていた対物ライフルが、ごとりと音を立てて転がった。彼自身、気力の限界だったのだろう。
「これがお前の望みか?」奇妙なほど静かな声でテシクは言った。「これがお前の望んだ最後なのか?」
彼女は笑った──あるいは、ただ単に顔を歪めたのか。もうわからない。いずれにせよ、次の瞬間、彼女は今までの猛威が嘘のように崩れ落ちた。割れた天窓と砕けた壁から吹き込む豪雨が、ボロ布のような物言わぬ亡骸へ滝のように降り注いでいた。
皆、言葉もなかった。龍一も、夏姫も、テシクも。
その時になって、ようやく、雨音の向こうからパトカーのサイレンが近づいてきた。
雨は一晩中降り続けた。
イルハングループの声明は、当然のことだが犠牲者への哀悼と不当な暴力を許さない旨終始していた。スンシンの父、イルハンの会長がどこまで襲撃を予測していたかはわからないが、少なくともそれで生じた影響を最大限利用し尽くしたことは間違いなかった。
だが、龍一が考えているのはそのことではなかった。一人の少女についてだった。
生傷の消えない身体を引きずり、彼は公立図書館のアーカイブに向かった。目的の記事はあっさりと見つかった。13年前の地方紙の三面、事件の規模を考えればあっさりとした、あっさりとしすぎた記事だった──瀬川運輸令嬢誘拐事件、人質の解放で幕。犯人グループは逃走、身代金を含む一切の要求なし。
龍一は数回、その記事を読み返した。彼女がなぜ「全ての犯罪をなくす」ことにこだわったのか、なぜそのために命懸けで自分を助けようとしたのか、そしてその理由について自分が考えもしなかったことについて、思いを巡らせずにはいられなかった。
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