第10話 使者と死者
「……ここ、だよな」龍一はGPSに表示された現在位置と目の前の建物を見比べた。
先刻の港の方がまだ活気あるとさえ思える、寂れた工場街の一角だった。見渡す限りの建物はどれも赤錆びたシャッターを降ろし「休業のお知らせ」と書かれた紙だけが夜風にはためいている。そこにいるだけで陰々滅々としてくる場所だった。
本当にここでいいのかと崇に問おうにも、彼はロボット運搬車の荷台に横たわったまま気を失っている。時々苦しげに呻いて背を丸める。凄惨な拷問を受けて血と膿にまみれたその姿はいかにも弱々しく、龍一は気が気でなかった。
応急処置だけでもした方がいいんだろうか。だがこんな廃墟でどこにそんな清潔な場所が――そこまで考えた時、背後から声がした。「重傷だな。応急手当ぐらいはした方がいいんじゃないのか?」
愕然とした。まるで気配を感じなかった――振り返ると、赤錆びた鉄柱に身をもたせかけたキム・テシクがこちらを見つめていた。わざと緩めたような口の端には電子煙草のカートリッジを咥えている。気怠げに唇が動いた。「どうした。そいつ、放っておくと死ぬぞ」
「あんた……」呆気に取られた龍一の傍らをすり抜け、テシクは手近な工場のシャッターに鍵を差し込んだ。スムーズに回る。「入れ。お前にも話したいことがあるからな。運搬車は後でログを弄って返す」
「……グルだったんだな。最初からこの男と!」テシクについて歩きながら龍一は言った。声を抑えたつもりが、自然と大声になってしまった。「知らないのは俺だけだったんだな」
「わかっているじゃないか」何を今さら、と言わんばかりの口調だった。
門真は、自分の「軍勢」を満足げに見回した。全員が黒塗りのヘルメットと戦闘服、カラシニコフのモダナイズド・バージョンであるAK-107自動小銃を装備し、腰のパウチには各種グレネードまで装備している。顔まで黒のドーランで塗り潰され、鋭い眼だけが白々と光っている。
「皆、厳しい訓練によくぞ耐えてくれた。本日、ようやくそれが報われる!」
ヤクザの中でも元傭兵や自衛官と言った「プロ筋」の連中ばかりを選抜し、キム・テシクの元で訓練に当たらせていた、門真傘下の暗殺部隊だった。
「目標は一つ……イルハングループ会長の首だ!」門真の叫びに応じ、居並ぶ男たちの喉から腹の底までを震わすような雄叫びが噴出した。嘘ではない――門真は内心ほくそ笑む。だが、真実でもない。正直なところ、暗殺自体は成功しようが失敗しようが構わないのだ。
各々のワゴン車に乗り込んでいく暗殺部隊員たちを見る門真には、一つだけ懸念があった。——この肝心な時に、テシクは何をしている?
『ゴールデン・スパロー』号の爆破と、あの捕らえていた望月崇という男を奪還されたことは、さほど門真を苛立たせなかった。泣こうが喚こうが怒鳴ろうが、計画は最終段階に入っている。計画が成功した後なら幾らでも追い詰める時間はある。ゆっくりとひねり潰してやればいい。
それよりも引っかかってどうしようもないのがテシクの不在だった。計画自体はテシクが欠けても遂行可能になっている――そう組んだのはテシクなのだが――だけに、彼がそれを見届けようともしないことが気になって仕方なかった。この計画自体、俺とお前の合作みたいなもんじゃないか。最後まで見届けなくてどうするんだ?
やむを得ない。どのみち中止は不可能だ。門真はスマートフォンを取り出し、相手を呼び出した。相手はすぐに出た。「始めるぞ。〈
「応急処置はした。後はこの男次第だ」
手術台の上に横たえられた崇は時折苦しげに呻くものの、呼吸は確かに安らかにはなっていて、龍一は少なからず安堵した。ただし当然質問に答えられるような状態ではなく、勢い龍一の質問は目の前の男に向けられることとなる。
「さっきの話の続きだ。あんた、この男とグルだったんだな」
「ああ」憎たらしくなるほど平然とした答えだった。「目を覚ましてもあまりそいつを責めるなよ。かと言って、俺を責めるのも筋違いだ。どちらかから持ちかけた話でもない――俺とお前のクライアント、お互いの求めるものが一致した結果だからな」
「クライアントからは、あんたの話なんて一言も出なかったぞ」
「なら、話す必要はないと判断されたんだろう。それもわからず口を尖らせる子供相手にはな」
ぐうの音も出ないとはこのことだった。黙り込んだ龍一を見て、テシクはやや口調を和らげた。「悪いが、お前が思う以上に事態は切迫している。闇病院に伝手はあるな?」
「……ああ。傍受される恐れがあるから使えなかったが」
「俺の回線を使え。この男を預けたらすぐにでも動く必要がある。例え動けるのが俺とお前だけでもな」
放り投げられたプリペイド携帯を龍一は辛うじて受け止める。「何を焦ってるんだ? 門真のことを言っているのか?」
「門真のことも、だ。ついでに言えば奴はただの筋肉だ――計画を阻止するには、図面を引くもう一人を押さえる必要がある」
「誰だ?」
意外にも、わずかな間があった。「俺が殺した、上官の娘だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます