第9話 記憶と罪

 決して狭くはないはずの倉庫内は、黒光りする金属に埋め尽くされていた。ガンラックに立てかけられた拳銃、SMG、自動小銃、携帯式ロケット砲、致死・非致死性両方を取りそろえた各種手榴弾と爆薬。テシクは手近な一挺――AKのモダナイズドバージョンであるAK107を手に取り、遊底を動かした。わずかな引っかかりもなくスムーズに稼働する。「大したものだな」

「苦労はしたが、それだけの価値はあった」応える門真の声も誇らしげだった。「〈のらくらの国〉経由なら、質も量も選り取り見取りだ。かなりふんだくられはしたがな」

「あとは人か」

「ああ、人だ」そこで門真はやや渋い顔になった。「仕上がったのは何人だ?」

「30人中15、6人……使い物になるのは10人前後だろう」

「上出来だ。30人全員を投入しろ。例の計画を早回しにする」

「早すぎる」テシクは表情を揺らし、AK107をガンラックに戻した。「今でさえぎりぎりのスケジュールなんだ。それをさらに早めるとなると……」

「わかっている」門真は痛いところを突かれた顔になった。「それを承知で頼んでいるんだ。お前ならできる」

「約束できない。できないことをできると言うのは、できることをできないという以上に不誠実だ。できるかぎりのことをするとは言った。だが、これ以上の条件の悪化は、俺の手で修正できる範囲を越えている」

「それでもやるんだ。いいか、ここが俺とお前の正念場なんだぞ。……本筋がお前のことをどう言っているか、まったく耳に入らないでもないだろう?」

「あんたが人員や予算を出し渋っていると考えたことは一度もない。俺は契約通りの仕事をするだけだ。本筋とやらの評価など知らん」

「この計画が成功すればお前を流木に掴まって流れ着いたキムチ野郎呼ばわりする奴を尻から二つに割いてやれるし、俺は俺で、年だけ食って今のポストにありついた爺どもを生きたまま燃やせるんだ。いいか、俺はな……お前を今のままにしておくつもりはないんだ」

「……選択の余地はなさそうだな」先に折れた――少なくともそうしてみせたのはテシクの方だった。

「わかった。ただし、無理に無理を重ねていることは忘れるな」

「わかっている」明らかにほっとした声で門真は応える。「何かあれば俺にすぐ言え。人でも金でも物資でも、何でも手配する。揉めたら俺の名を出していい――これはイルハン会長の首を取れば勝ち、なんて単純な話じゃない。最悪、失敗してもかまわない。問題は、そのタイミングだ」


 物音は船底から響く機関音と、停泊した船体に打ち寄せる波の音のみ。月明かり一つない闇夜の下、重油のように黒々とした海面と吹き寄せる潮風の両方に、後部甲板を警護していた男2人は身震いした。

「――定時報告。侵入者は認められず」

【了解。引き続き警戒を怠るな】ヘッドセットで警備マニュアルに従い報告を行った2人組の片割は、無線が切れたことを確かめてから舌打ちする。

「本部は何をびびってやがるんだ?本当に夜明けまでこれを続けるつもりなのかよ」

「手順を守らないとチーフの注意が入るぞ」面白くもなさそうにもう一人が呟く。「『注意』を食らうのはお前一人じゃ済まないんだからな」

「そりゃまあ、そうだが」不服そうな声。「それにしても、湾内とは言えここは船の上だぞ。侵入する奴なんているのか?」

「不服ならお前一人でチーフに進言するんだな。俺はごめんだ」

「……するわけないだろ」男は左腕をそっと撫でた。まだ服の下の青痣が消えていない箇所だ。

「……おい」不意に、男の一人が声を上げた。彼が手に持つ懐中電灯の光が、バケツの水をぶちまけたように濡れた甲板の一画を照らしている。

「波飛沫……じゃないな」

「こんなところまで飛ぶわけがない。そんな大波が来たら、俺たちがまず食らうはずだ」

 懐中電灯を上方に向けていく――照らし出されたのは、埠頭とコンテナを往復して荷物を積み込んでいく、不眠不休の運搬用ドローンだった。

「……考えすぎたか。ドローンにも波飛沫を食らう間抜けがいるらしい」

「慎重すぎるのも考えもんだな……」

 顔を見合わせて苦笑し、男たちはその場を去った。

「…………意外とバレないもんだな」

 船の上空を音もなく滑空していくドローンの真上で、うずくまっていた人影が身を起こした。

【ドローンの制御システムはセキュリティとも〈紐付け〉されているものね。肝心のシステムへ侵入できればこんなものよ】

「意外な……というか、言われれば当然の弱点だな」ヘッドセットから聞こえる夏姫の呆れ声に、龍一は応える。

 確かに、と内心で舌を巻いてはいた。認めるしかない。夏姫の支援がなければ敵に気づかれず――今のところ――ここまで敵陣深く侵入はできなかっただろう。龍一は別に潜入のプロでもないし、人間の目はともかく機械の目は欺けないのだ。

 その一方で疑問にも思っていた。夏姫の手際が鮮やかすぎるのだ――まるでこの日に備えて訓練でもしていたかのように。ネットを介した警備システムへの侵入といい、どの職場にもいる不心得者をひっかけるソーシャルハッキングの手口といい、お嬢様の火遊びとしては度が過ぎているではないか。

【どうしたの、急に黙り込んじゃって。トイレなら通路を曲がって左よ?】

「余計な御世話だ」応えながら、今は少なくともこの娘が敵ではないことは確かだ、と思った。それで満足しておかなければならないだろう。いずれはっきりさせるにしても。

 最も船体に接近するタイミングで飛び降りる。侵入用の静粛ブーツは見事に龍一の落下音を消し去った。さあ、リターンマッチだ。


 氷のように冷たい泥、剥き出しの肌を容赦なく切り裂く葦の葉、追手の怒声、湿原を寝目回すサーチライト。

 ――大尉、お気を確かに。もうすぐ国境です。

 ――そうしたいところだがな、准尉。男の声は笑っていたが、肩に回された手にはもう力がない。俺もここまでらしい。

 膝を着く。彼自身も体力の限界だった。何もしないだけで身体が震え出す。寒かった。ここで死にたくなかった――死ぬにしても、せめて乾いた地面の上で死にたかった。どうするおつもりです、と言おうとした喉が強張った。上官が、内懐から手榴弾を取り出していた。命令だ、准尉。撃て。

 ――何を……何をおっしゃっているんです。

 ――他に方法があるなら具申しろ。発言を封じたつもりはないぞ。男は笑ったが、明らかに力ない笑いだった。理由はすぐにわかった――男の腹から下は、すでに夥しい血で真っ赤に染まっていた。

 ――ここで捕まったら、俺もお前も殺されるぞ。拷問であらん限りの情報を吐かされた挙句な。そうなりたいか。

 なりたいはずがないでしょう。問題はそんなことじゃない――押し殺した声で叫びながらも、彼にはわかっていた。他の方法がないことが。……そんなことじゃない……

 聞け。上官は低く凄んだ。この国はまだ生まれて間もない。中国。ロシア。米国。そしてあの日本まで、あらゆる国が隙を窺っているのだ。俺たちの死体が、奴らに着け入る隙を与える、それだけは許してはいかんのだ。それはただ戦争に負けるよりもっと悪い結果を招くだろう。俺やお前以外の人々に。

 寒さにかじかむ手で拳銃を抜き出す。「北」の暗殺部隊でも多用されていた消音器を装着した9ミリマカロフ拳銃。

 上官は薄く笑う。そうだ。それでいい。ああ、それからやはり言っておかんとな。お前には惨い頼みになるだろうが――娘たちを頼む。

 時間がないとわかっていながら、それでもトリガーを引き絞るには、それから十数秒を要した。

 急速に温もりの失せつつある身体の下に、ピンを外した手榴弾を隠した。それから再び、凍りつくような泥と葦をひたすらかき分けて進み続けた。顔を汚しているのが汗なのか、泥なのか、涙なのか、もうわからなかった。

 ――男は鉄製のベッドの上で目を覚ます。クリーム色の面白味のない壁紙、まばらに置かれた家具、調味料とわずかな食材しか納められていない冷蔵庫。帰り、寝て、再び出かけていく。そのためだけの部屋の一つ。

 腹が鳴り、苦笑する。どん底でも身体は空腹を訴えかけてくる。心はもう当に死んだも同然だというのに。ブラインドの外では日が傾き始めている。夜に動くなら、今から準備は始めておくべきだろう。

 あり合わせの食材を冷蔵庫から出して刻み、パスタを茹でながら、俺は地獄に落ちるのかな、と唐突に思った。それとも何のことはない、いま自分が生きているこここそが、どうにもならない生き地獄だろうか。

 少なくとも、まだ生きてはいる。

 腹ごしらえを済ませ、食器を洗い終えると、男はロッカーから細長いケースを取り出して開けた。ロシア製の7.62ミリSVD――ドラグノフ狙撃銃。スコープはオリジナルの物からレオポルド社製高性能スコープに換装済み。

 そうだ。パーツごとに分解してあった狙撃銃を組み立てながら、男は自分の身体に血が通い始めたことに気づいた。それは狂気の証かも知れない――しかし、少なくともさっきの死んだような気分よりは遥かにましだった。

 そう、生きているのだから俺にはやるべきことがある。それも死ぬ前に。


 薄汚れた、お世辞にも清潔と言い難い船内通路を、両手で抱え込める大きさの円盤が音もなく動き回っている。もちろん、その用途は清掃ではなく警備のためだ。

 一見でたらめに動き回っているように見えるが、見るものが見ればそれはある一定の経路を巡回していることに気づくだろう、人間と違って疲労を覚えることもなければ、気を緩めることもない機械の番人たち。だがその滑らかな動きが、まるで戸惑ったように乱れた。龍一が歩を進めると大人しく脇へ退く。

【その部屋よ。そこだけマスキングされていてカメラからでは見えない】

「終点か」実のところ、夏姫に教えられるまでもなかった。錆の浮いた扉の向こうから漂う、むせるような血と暴力の気配。

 果たして――扉を薄く開けると、望月崇の姿が見えた。下着一枚、椅子にがんじがらめに縛りつけられ、総身あらゆる体液にまみれた凄惨な姿で。生きてはいる――だがそれはかろうじて「生きている」ようにしか見えなかった。

「望月さん……!」崇の戒めを解く。顔を通常の倍近く腫れ上がらせた崇は、自分がなぜ自由になったかもわからないような状態だったが――やがてその目が龍一に焦点を合わせた。

「……お前がここにいるってことは、ハッカーを連れているんだな? なら、すぐ船長室へ行け。メインサーバーにはそこからしかアクセスできない」

 龍一は困惑した。自分がここに来たのは何のためだと思っているのだ。「ここから出る方が先だろ」

「駄目だ。センセイの言うことを聞け」それだけ言うと、崇は糸が切れたように血だまりの中に崩折れた。

 そんなこと言われても、と龍一は言いそうになった。ほどなく誰かが部屋の異変に気づくだろう。一刻も早く船から脱出しなければ――だが、崇が意味もなくああ言うとも思えない。

【言い争っていても仕方ないわ】夏姫の声は少なくとも冷静さを取り戻していた。【それに、方法がなくもない】


【〈星〉より〈家〉へ。〈蛇〉が例の船に入りました。確保しますか】

【〈家〉より〈星〉へ。監視を続行せよ。突入も妨害も認められない】

【……了解】


「ラスト1……と」龍一は握り拳大に丸めたプラスチック爆薬の塊を壁のパネルに張り付け、ペンシル型の信管を突き刺した。「終わったぞ」

【お疲れ様。いい? 何度も言うけど、この作戦はタイミングが命よ。できるかぎりフォローはするけど、上手くいけばそれに越したことはないの】

「わかってるよ。要は俺がしくじらなきゃいいだけの話だろ」

【話が早くて助かるわ】

 龍一は唇を歪めた。大して歳も変わらないのにタメ口どころか女教師みたいな物言いをしやがる。

 正直、この船を綺麗さっぱりふっ飛ばしたい気分だった――『ゴールデン・スパロー号』はその輝かしい船名にふさわしくない、どうひいき目に見てもいかがわしい悪事の拠点だ。だが丸ごと沈めるほどの爆薬はさすがに持ち込んでいない。それに裏を返せば、それだけ重要な情報の宝庫でもある。

【……ん、言われた通りの場所にちゃんとセットしてくれたわね。あなたに仕掛けてもらった爆薬は、あくまで船内のイントラネットを寸断するため。爆発が起これば緊急用回線を使ってデータのやりとりを行うはず。となれば、そのポイントもおのずと限られる――私の狙い通りのポイントにね】

「要はハイテク火事場泥棒か」

【イメージ悪いわねえ。もうちょっとかっこいい呼び方ないの?】

「21世紀版火付け盗賊の方がよかったか?」

【言ってなさいよ、もう。……準備はいい?】

「いつでもどうぞ」龍一は彼女の声に隠し切れない高揚を感じた。認めよう――この娘もまた、いかれた連中の同類だ。起爆装置の安全カバーを開き、スイッチを押す。

 船を揺るがす轟音――とはいかなかった。龍一が夏姫の指示に従って仕掛けた爆薬はあくまで船内の光ファイバーを寸断するためのものであり、同じ部屋に人がいれば火傷ぐらいはするだろうが、死なせるほどの威力はない。ただし、それがもたらした混乱は覿面だった。

 一瞬の不気味な沈黙を経て、耳をつんざく警報が鳴り出した。地響きのように、遥か船底からエンジンの轟きに混じって船員たちの怒号が聞こえてくる。

【今よ!】

 龍一は引き剥がしていた壁のパネルに向け、手にした拳銃状のデバイスを向けた。銃器ではなく、指向性マイクロ波を応用してネット回線に侵入するハッキングツールである。

【そこで止めて! ……おっけー、侵入した!】これまでになく鋭い夏姫の声。【もう修復が始まってる! ヤの字の下請けにしちゃ仕事が早いじゃない!】

「じゃ、2発目の出番だな」別の起爆装置を取り出す。

 スイッチを押し込む。目の前のパネルが爆ぜ、火花を散らして黒煙がうっすら立ち昇った。

【まさか物理的に回線を切断されてるなんて思わないでしょうね……いいわ、自動修復プログラムに紛れてエージェントを……メインサーバーに侵入……成功。さあ、何が欲しい?】

「何が重要かは後で決める。残り時間でコピーできるものを片端から」

【了解】即座に返事。この娘の打てば響くような反応は嫌いではない、と思う。【名簿があるわ】夏姫の声が強張る。【……それも……中国や朝鮮半島、ロシアや中欧の……女の人の名前だけ。何これ?】

「……人身売買だ」

「コピーしてくれ。この場で俺たちができることは何もない」夏姫が何か言う前に指示する。正直、彼女の反応が怖かった。自分たちの仕事が社会正義からかけ離れたものであることは百も承知だが、それを今言うのは言い訳じみて嫌だった。

【……他にもよくわからないものがあるわ……タイムテーブルに、建物の配置図……イルハングループ会長の名前があるけど、どうしてこんなところで?】

「それもコピーしてくれ。たぶん、それが一番のビッグアイテムだ」龍一の心臓が高鳴る。自分たちは、想像以上に重要なものを見つけた気がする。

【データのコピー開始。脱出の準備をして!】だがその時、怒声とともに階段を駆け上る幾つもの足音が聞こえてきた。さすがに気づかれたか。

「時間切れか……!」足元では血塗れの崇がぐったりしている。歩くぐらいはできそうだが、戦力にはなりそうにない。ましてやかばいながら戦うなど無理だ。

「時間は稼ぐ。集中してくれ!」叫びながら発煙弾を階段に投げつける。立ち昇る白煙。「コピーはまだか!」

【じゃ、早く終わるよう念でも送って!】

 通路が狭いため一度に多人数は通れないが、こちらの利点はそれのみだった。電撃警棒を振りかざした警備員が怒声とともに飛びかかってくる。掌底で顎を突き上げ、もう一人の心臓に肘打ちをめり込ませる。関節を決めて投げると、巻き込まれた男たちが悲鳴を上げて階段から転落する。

【あと3分よ、持ち堪えて!】再び男たちが階段を駆け上がってくる。しかも今度は半透明な暴徒鎮圧用のシールドや銃器らしきものまで構えている。

「こっちは1分も持ちそうにない!」

【しょうがないわね、奥の手使うわ!耳を押さえて!】

「耳?」

【いいから早く!】

 いぶかしみながら耳を押さえた瞬間、船内放送用のスピーカーから金属をかきむしるような音が大音量で流れ出した。殺到しようとしていた男たちが武器や盾を取り落し、うずくまって脂汗を流し、中には嘔吐している者もいる。

【コピー完了よ! すぐ脱出して!】

「お、俺にまでダメージが……」

 がんがんする頭を振り、崇を起こして支える。「ここから飛ぶぞ、いいな!?」「……」朦朧としてはいたが、それでも崇ははっきりと頷いた。

 思い切ってキャットウォークから飛び降りた。十数メートルの高さを一瞬で落下――衝撃。

 衝撃は意外に軽かった――床に叩きつけられる直前で落下スピードは緩み、やがて中空でぴたりと制止した。腕から射出したワイヤーを切断し、四角いコンテナにタイヤを付けたようなロボット運搬車の背に降り立った。崇の身体も横たえる。

【タイミングばっちりだったわね】少しほっとした夏姫の声。【さ、お客さんどちらまで?】

 お嬢様にしては俗世間に詳しすぎないか、と龍一は少し呆れる。応える前に、崇が身を起こした。「決まっている。今から俺が言うところに行け」

【私のこと知ってるの? まだ自己紹介した覚えないけど】

「知ってるさ。身ぐるみ剥げば一財産な身なりの小娘だろ」

【あらそういう理由。褒め言葉と受け取っておくわね】

「好きにしろ。これはGPS連動の半・全自動運搬車だろ?場所を入力すれば勝手に走り出すはずだ……」崇が続けようとした途端、四方から車のエンジン音が殺到してきた。ぎらつくヘッドライトを怪物の目のように光らせた何台ものRV車。

「走れ!」龍一が叫ぶまでもなく、ロボット運搬車はがくんと揺れた後猛スピードで走り出した。崇が悲鳴を上げる。

「勘弁してくれ、怪我人が乗ってんだぞ!」

【黙って! 振り落とされても責任持てないから!】降車ランプから躍り出たロボット運搬車が猛牛のように突っ走る。

 荷降ろし中の作業員たちがロボット運搬車と、その後から猛然と追い立てるRV車の群れに肝を潰して逃げ惑う。タイヤから白煙を上げるほどの勢いで走るにも関わらず、追手との距離がじりじり縮まっていく。「もっとスピードは出ないのか!?」

【無茶言わないで、レーシングカーじゃないのよ!】

 だが次の瞬間、RV車のフロントガラスに、びしり、と蜘蛛の巣に似た割れ目が生じた。狙撃だ――運転手に致命傷こそ与えなかったが、車は大きくバランスを崩した。タイヤをきしませて倉庫の壁に激突する。続いてもう一台が、タイヤを撃ち抜かれてつんのめるように路肩へ乗り上げる。

「……あれ、まさか君の仕業じゃないよな?」

【そんなはずないわ】夏姫の困惑した声は演技とは思えなかった。【スナイパーに知り合いはいないもの】

「俺だってそうだ」傍らの崇に目をやるが、崇は昏倒していた。安堵と傷の痛みと、両方だろう。

 あっけにとられた作業員たちの視線をひきずりながら、ロボット運搬車は明け始めた空の下、市街地へ向けてタイヤをごろごろ転がしながら姿を消した。

 少し離れたビルの屋上からそれを見届けた人影は、落ち着いた手つきでライフルを専用のケースに仕舞い、落ちていた空薬莢を回収すると、音もなく立ち去った。

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