第7話 蠢く者ども

 ――夢に出てくるのは、いつも炎だ。


 鉄をも溶かす炎と、肺を焦がす熱風の中に、異形の人型が屹立していた。

 龍一はそれを見つめた。

 それも龍一を見つめ返した。耳も鼻も、目さえも定かではない顔が、しかし確かに相良龍一を捉えていた。


 白々とした照明に目が慣れるまで、少しかかった。自分の寝ていたのが見知らぬ部屋の見知らぬベッドであることに気づくまでには、さらに時間がかかった。淡い色の間接照明、目にきつくないクリーム色の壁紙、シンプルだが品の良い調度品。天井近くの明かり取りの窓からは陽光が差し込んでくる。方向から察すると今は昼前か。囚われの身としては結構な待遇だ、と思う。

 いやそもそも、囚われの身、という表現は正しいのか。

 廊下から規則正しい靴音が近づいてきた。ノックの音。龍一は躊躇ったが「どうぞ」と応えた。誰であれ、手当てをしているのだから殺すつもりはないのだろう。相手の顔を拝んでおきたいという気持ちもあった。どのみちシャツにトランクス一枚、部屋の身取りもわからない状態では逃げようもない。

「失礼いたします」

 入ってきたのは作り物めいて見えるほど端正な容貌の青年だった。白のワイシャツに黒のスラックスが、すらりとした長身によく似合う。年はそう龍一と変わらないようだが、はっきり言ってそれ以外共通点らしきものがない。

 彼は龍一に一礼し、手に持っていた盆の上の食事をテーブルの上に並べ始める。馬鹿にしたような態度ではない。むしろ貴族にでも対するようなうやうやしい態度だ。居心地悪くなるほどだった。

「気がつかれたようですね」青年は静かな声で言ったが、手は止めなかった。「申し訳ありませんが服は切らせていただきました。他の道具は別室にて保管してあります」

「……あの車の運転手か」

「ええ。あなたは確か、先日ルーフに飛び乗られた方でしたね?」

 皮肉かよ、と龍一は唇を歪める。

「お食事が済みましたら、案内いたします。お嬢様がお目にかかりたいと」

「車の後部座席にいた娘だな」

「ほう、お気づきでしたか?」幾らかわざとらしく目を丸くした青年に龍一は「白々しいぜ」と言いたくなった。あんたの「お嬢様」とやらが何回俺の目の前をちょろちょろしたと思ってんだ。

「……会わないことには話が進まなそうだな」

「では招待を受けてくださるということで?」

「ああ。否も応もなさそうだしな」

「滅相もない。会いたくないのであればそのままお帰りいただいてかまわない、とお嬢様は仰せです」

 龍一は鼻脇に皺を寄せそうになった。尻尾を巻いて帰ってもいいのよ、と暗に言われているような気がしたのだ。

「……その前に食べさせてもらっていいか?」

「もちろん」

 まずは腹ごしらえだ、そう決めると龍一は銀のスプーンを手に取り、まずはポトフというには上品すぎる肉の煮込みから腹に入れることにした。


 自動ドアが開くと、外気より確実に数度は低い冷気が一気に吹き寄せてきた。門真は瀟洒なスーツの襟元を掻き合わせ、小さく罵りの声を上げた。

「相変わらず冷凍庫みたいに冷えてやがるな。そりゃコンピュータが熱に弱いのは知ってるが、やりすぎじゃないのか」

「電子機器に関する問題の大半は発生する熱をどうするかなの。冷やして済むなら、それに越したことはない」

 冷気に負けない冷え冷えとした声が部屋の奥から響いた。「それに、他人の体温が間近にあると気が散るの」

「最近、似たような言葉を聞いた気がするがな……じゃ、俺もお前の作業の邪魔か」

「あまり気にしないで。

「気にしているのは俺なんだがな……」まあいい、と門真は声の主に向き直った。網膜投影式のHUDに包まれた小さな頭を支える華奢な肢体は完全にこちらへ背を向けて作業に没頭している。「資金繰りは順調みたいだな。おかげで目標額には思ったより早く達した。例の計画が実行に移せる日も近い」

「よかったわ。あなたたちが躓いたら、また別のクライアントを探さないといけなくなるもの」

「クライアントに対する口の利き方でもない気がするが」門真は腹を立てなかった。実際、大口を叩くだけの腕は認めている。「お前の腕前は今さら疑っちゃいない――本番では百、いや二百パーセントの力を出してもらうぞ。例の男ともどもな」

「わかっているわ」小さな頭が微かに動く。「そのためにわざわざ海を渡ったのだもの」


 まずはお召し物を、と言われて服を与えられた。ありふれた量販店の、あまり目にきつくない色合いのTシャツとカーゴパンツ。ゆったりしたサイズで龍一が着ても動きに支障はない――が、武器になりそうな紐や何かを隠せそうなポケットはついていない。用心深いこった、と思う。

「こちらへ」

 青年に先導され、龍一は歩き出した。どうやらここは複数の部屋ではなく、一つの大きな部屋をオフィスのように薄い壁で複数の小部屋に区切ってあるらしい。それも推測できるだけでも、案内がなければ迷いそうなほど広い。

 通る途中で半開きになっているドアがいくつかあったが、会社重役のような書斎, 無数の電子機器が低く唸りを上げるサーバールーム、そして奇妙な器具で埋め尽くされた実験室のような部屋など、まるで統一性のない部屋ばかりだった。部屋の主の趣味がますますわからなくなる。

「一つ聞いていいかな。ええと……」

「申し遅れました。滝川たきがわと申します。滝川裕人ひろと、です」

「滝川さん、これは俺の勝手な想像なんだけどさ。ここ『イーストパレス未真名』じゃないのかな。この前できたやたらとでかくて太い……じゃなかった、広いマンション」

「ほう。どうしてそう思われました?」

「9割は勘だけど、ネットの広告でこんな部屋を見たような気がしてさ。鳴り物入りで宣伝している割りには、あまり人は入っていないみたいだけど」

「なかなか冴えてらっしゃる」青年は足を止めず、顔だけ後ろに少し向けて微笑んだ。

「てことは、あなたの主人とやらがこの街に入ったのもごく最近なのかな?」

「さあ……どうなのでしょうね」だが、滝川と名乗る青年が表情らしきものを見せたのもそこまでだった。「こちらです。どうぞ」

 滝川はドアの前で立ち止まり、控え目にノックした。待ち構えていたように聞き覚えのある――ありすぎる声で「どうぞ」の答え。非の打ち所のない所作で滝川がドアを開け、うやうやしく示されると、龍一は腹をくくることにした。どのみち、会わないことには話が進みそうにない。

 時刻は昼前らしく、天井近くにある明かり取りの窓から日光が差し込んでいた。部屋の主のやや明るめの髪が、その光にまばゆく照らされていた。

 龍一を一瞥するなり、瀬川夏姫は軽やかに椅子から立ち上がった。龍一は困惑した――まるで待ち望んでいた客に対するものであるような、その所作に。

 地球を一周して元の場所に戻ってきたような気分だった。龍一は彼女を睨みつけたが、睨みつけた自分が実に滑稽に見えることも自覚はしていた。

「いらっしゃい……というのもおかしな言い方だけど。身体は大丈夫?」病人にかけるような優しい声だった。何と言っていいのかわからなかったので、龍一はただ頷いた。「よかった。どうぞおかけになって。紅茶がいいかしら、それともコーヒー?」

「何が目的だ?」龍一は意図して冷ややかな声を出した――そうしないと、一方的にこの娘のペースで話が進みそうな気配を感じた。背後に控えていた滝川が一歩進み出たが、少女は首を振ってそれを制した。

「そうね……まず、お礼を言ってほしかったわね」

「お礼?」

「ええ」少女はわざとらしいくらい大きく頷いた。「もしかしたらあなたの生きている惑星では、お礼を言うと身ぐるみ剥がれるのかも知れないけど。もちろんお礼を言ってくれ、なんて私から強制はできないわ。でも、ちょっと残念ね」

 龍一は黙って彼女を睨みつけたが、自分がどのようにしてここに連れてこられたのか思い出し始めていた。確かに、どのような意図があろうと高層ビルの窓から落下した男を拾い、傷を手当てし、しかも警察に突き出さず匿う義理は彼ら彼女らにはない。

「……ありがとう」

「どういたしまして」少女は相好を崩した。本当に嬉しそうに見えた。「それから、滝川にもね。意識のないあなたを運ぼうとしたら、私じゃ無理だったもの」

「そうだったな、ありがとう、滝川さん」

「恐れ入ります。ですが、あなたを助けるように言ったのはあくまでお嬢様ですので」

 お嬢様は大いに満足そうだった。「そろそろ座ったら? まだ怪我したばっかりなんでしょ。情報交換もしたいしね……畦倉会のフロント企業になっているビルからについて」

 龍一は再び彼女を睨みつけたが、どれだけ脅しになっているかは大いに疑問だった。


 再び誰もいなくなった室内で、女は一人呟く。

「キム・テシク。……そう、

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