第3話 対面

「そもそも、だ。何であの車はああも俺たちの行く先々に姿を現す? 俺たちの尻に紐でもついてんのか?」

 LED灯と申し訳程度に舗装された道を歩きながら、龍一は札束の詰まったショルダーバッグを担ぎ直した。全身の打ち身が疲労の溜まった身体に余計こたえる。

「俺たち、というかお前を、な。本当に心当たりはないんだな?」

「ない。それも女となると尚更だ」

「目つきの悪い猪首の大男をストーキングする女、か。確かに稀有だな」崇は笑う。

 龍一は横目で睨んだ。「笑っている場合かよ、インストラクター。『コンサルタント』のおかげで仕事はやり辛くなる一方だし、その上に正体不明の女までうろつき始めた。情報が漏れているとしたら事だぞ」

「それだ」崇は真顔になる。「漏れたとしても『どこから』って問題が浮上するぜ」

 確かに――龍一は唸った。百合子からの指示を受けて崇が準備し、龍一と2人がかりで実行する、という図式はシンプルゆえに無駄がなく、実際、今まで問題が発生したためしはなかった。具体的な「仕事」の内容も時間も場所も直前まで知らされず、装備と逃走用の車はあらかじめ用意されている。極端な話、「仕事」は龍一らが動き出した段階でほぼ終わっているのだ。

「じゃ俺か、あんたか、百合子さんか、誰かが嘘を吐いているってことになるな」

 崇が、ほう、という顔になる。「ご当主は例外にしない、か。見直したぞ、その調子で人間不信に磨きをかけてくれや」

「言ってろ」

 崇はやや真顔になった。「情報収集のプロセスはもう一度ご当主に確認してみる。何かの間違いがないとは言い切れないからな」

「わかった」

 どのみち埒のない話だった。龍一が百合子を詰められるはずもない。

「議題は山積みだが、今日の仕事は終わりだ。よくやった。何かわかったら連絡するから、帰ってよく寝ろ。明日は丸一日オフにしといてやる」

「ああ」

 用意してあった車に札束を積み終える頃には、とうに夜中を過ぎていた。崇の運転する車のテールランプが角を曲がって消えるのを確認してから、龍一は踵を返した。


 クローゼットと鉄の寝台、それに作業用PCをはじめとする最低限の電化製品。彼一人が寝て起きるだけのささやかな空間に龍一は戻ってきた。見慣れたはずの部屋が今日に限って寒々しく見えるのは、彼自身の心境の顕れだろうか。

 スマートフォンから口座残高をチェックすると、確かに約束の報酬が振り込まれていた。いつもながら驚きの速さだ。 

 百合子からの報酬は一回こなすだけで地方公務員の月給を遥かに越える額であり(仕事の危険度に比べて妥当なのかは、龍一には判断できなかったが)もっと快適な住居に移れなくもなかったが、何となくそれはしたくなかった。今の部屋が、自分の身の丈にはふさわしいという気さえした。

 そのまま寝台に倒れ込みたいと思うほど疲れ果てていたが、それでも湯を張り、シャワーを浴びた。暖房の効きが悪いこの部屋でこの季節にそのまま寝ると、身体が冷え切って寝覚めが最悪のものになるからだ。

 湯を沸かし、夜食のインスタントうどんをすすりながら深夜ニュースを見る。さほど興味のない芸能人の離婚話や皇室行事、それに時折混じる薬害事件や収賄事件を見ていると、自分と崇が潰して回っている「悪」などいくらでも湧いてくる蚊か蠅のようなものだという気になってきた。世界は暴力と犯罪に満ちていて、自分はそれに憤りを感じつつ、ちゃっかりとそれをネタに日銭を稼いでいる。

 我ながらいい気なもんだ。

 シンガポールで国営精子バンクへの大規模ハッキング――香港上海銀行輸出入部長、自宅前で射殺される。犯人不明――米国防省、拡大続くシリア内戦への「強化兵士」投入を否定――そこまで見たあたりでもういい、と思い始めた。今度こそ寝台へ横になる。

 このままこんな「仕事」を続けていてその先に何があるのだろう、暴力をひたすらエスカレートさせていき自分はどこに行きつくのだろう、ちらりとそう思ったが、そこまでが限界だった。彼は目を閉じた。


 目を覚ますともう昼前だった。昨夜あれだけのアクションを繰り広げたのだから当然と言えば言える。

 起きたとたんに腹が鳴り出した。これまた当然だ、と苦笑しながら龍一は外へ出ることにした。どのみち食料の買い置きもなかったからだ。

 外へ出ると思いもよらなかった涼しい風が首筋を撫で、思わず身震いした。夏は終わりなのだな、と何となく思った。

 歩きながら、この界隈を歩き回るのにいつの間にか慣れていた自分に気づいた。偽名と偽の運転免許証、偽の健康保険証を自分のものとして日々を送り、たまに百合子や崇の呼び出しに応じて「仕事」をこなす。まるでずっと以前からそうしていたように。

 こんなことを続けていて、本当に俺の求めているものへ近づけるのか――その苛立ちさえ、日々の「仕事」の前では徐々に薄れていくのを感じる。この街へ足を踏み入れた時は、それさえ果たせれば何もいらない、とまで思い詰めていたのに。

 考えながら歩いているうちに目当ての喫茶店を通り過ぎるところだった。自炊は嫌いではないが、昨日の今日で料理する気力はまだ蘇っていない。「仕事」を終えた直後でもあり、多少奮発するぐらいは問題ないだろう。何より、少しは他人が作る手の込んだ料理を食べたかった。

 店に入り、店内の様子が一望できる席へ腰を下ろす(これを崇に指示された時、いいかげんなアクション映画や謀略小説みたいだと噴き出しそうになったが、彼がいつになく真顔なので我慢した――同時に、犯罪者としてこの街で生きていくということは、大真面目な顔でそのような馬鹿馬鹿しさと折り合いをつけていくことなのだ、と何となく理解した)。

 あまり今風ではない、少し寂れた雰囲気がかえって気に入っている店だった。混み始める前で店内はまだ空いており、好きな席に腰を下ろすことができた。ウェイトレスにナポリタンを注文し、ソファに身を沈める。

 ドアベルが鳴り、新たな人影が店内に入ってきた。何気なくそちらに目をやった龍一は――次の瞬間、目よりも先に自分の正気を疑いそうになった。

 長年の知り合いに会ったような笑顔で、あの少女がしずしずと歩み寄ってきた。「ここ、座っていいかしら?」

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