第三七話:予言

「玄徳さんもアレクサンドリアに?」

「そうだよ。それで、ちょうど見覚えのある顔を見かけたから思わず話しかけに来てしまったんだ」

 玄徳は目を細めて微笑みながら言う。

「隣の少女のこともよく存じ上げているよ。西宮結有さん、初めまして。玄徳と申します。流浪の老いぼれだ」

 玄徳はペコリと頭を下げて結有に挨拶をした。

「あ、どうも初めまして……西宮結有です」

 結有も挨拶を返す。

 邪気狩り以来、知らない相手に自分のことを知られていることには既に慣れてしまっているようだ。

 しかし、玄徳を見る結有の表情は少し驚きの感情を含んでいた。

「玄徳さんって、もしかしてあの有名な……?」

「そうかも、しれないね」

「やっぱり!」

 結有の顔がさらに驚きの度合いを増した。

「なに、この人そんな凄い人なの?」

「英二、知らないの? 玄徳さんは世界的に有名な予言者なんだよ。国の要人達がこぞって頼りにするような凄い人。こんなとこでお会い出来るなんて……」

「え、予言者?」

「玄徳さんには他の人には見えない未来が見えてるって言われてる。玄徳さんの言葉は世界を大きく動かすような影響力を持ってるんだよ」

「ほほほ、そんな大した者ではないよ」

 玄徳はにこやかに謙遜する。

「英二くんとはちょいと前に一緒にカジノでしのぎを削ったんだ。あれは楽しい夜だったな」

 玄徳は当時を懐かしんだ。

「ところで君たち、私は君たちを見て見ぬふりをすることも出来たが、結局話しかけずにはいられなかった」

 唐突に玄徳の話のトーンが変わった。それはまるで海の底のような深さをたたえた声色に変わっていた。

「私は、君たちの行く手に待ち受ける運命を見逃すことが出来なかった。私の話を聞くも聞かないも君たちの自由だが、もしこの心の弱い老いぼれの話を聞いてくれるのであれば出来る限りのことを話そう」

 黒い海がより濃さを増したかのように見えた。

 自分たちを待ち受ける運命?

 一体何が待ち受けていると言うのか。

「どういうこと……?」

「選ばれし者と呼ばれた君達を待つ過酷な運命だよ」

「いったい私達がどうなるって言うんですか……?」

 玄徳はまっすぐに2人に向けていた目線を下に降ろし、溜息をつきながら目を閉じた。そしてゆっくりと口を開いた。

「君たちはこれから到着するアレクサンドリアから2人揃って帰ることはない」

 玄徳の口から語られた言葉は衝撃的だった。

「それはアレクサンドリアに行くということが根本的な理由ではない。行かなかったとしても、いずれその時はやって来る。避けられない運命だ」

 英二と結有は言葉を失っていた。

「そして大きな危機が世界を襲う。この目の前の静かな深海が嘘のように、世界は激しい混乱の渦に巻き込まれる。だが、決して諦めるな。運命に抗うんだ。もがき、戦い続ければきっと道は開ける」

 玄徳の言葉は静かだが、根底には迫真めいた力がこもっていた。

 英二がその言葉を飲み込めるようになるまでは、しばらく時間がかかった。


 ベッドの上の目覚まし時計が音を鳴らした。深海にいると時間間隔を失ってしまうが、どうやら朝がやって来たようだ。

 英二はゆっくりと手を伸ばして目覚まし時計を止めると、部屋の明かりを灯した。

 その夜は結局一睡もすることは出来なかった。玄徳の言葉が頭に焼き付いて離れない。

 それはただの1人の言葉に過ぎない。自分たちの身に何が起こったわけでもない。それでも英二達には大きな影響を及ぼしていた。

「ふう」

 英二はベッドに溜息をつきながら倒れ込んだ。険しい顔で部屋の天井を睨み付ける。ここまでの道中で胸に去来していた安らぎはすっかりどこかへ消え去ってしまっていた。

 英二はそのまま港に到着するまでその場を動くことが出来なかった。

 しばらくして潜水艦内に大きな汽笛の音が響いた。いよいよアレクサンドリアに到着だ。

 英二は重い体を起こし、荷物を手に部屋を後にする。

 結有と船の降り口で落ち合った。

「やあ」

「着いたね」

 どことなく重い空気が流れる。そのまま一緒に船から降り、エアタクシーの乗車口に向かう。

「寝れた? あの後」

「ううん、目が覚めちゃって」

「俺も。あんなこと言われちゃったらね」

「そうだよね……でも、まだ何かが起こったわけじゃないし。玄徳さんは有名な予言者かも知れないけど、やっぱり1人の人間だしさ。あんまり気にせずに私たちはこれまで通り過ごそうよ」

「そうだね。神様じゃあるまいし」

 結有の言葉に英二は励まされた。やっぱりその気丈さには頭が上がらない。

 しばらくしてエアタクシーが到着した。2人はタクシーに乗り込みアレクサンドリアの街の中心部へ向かう。

 窓から見える景色が徐々に都市部のそれに変わっていく。

「すごい、奇麗だね」

 確かにその景色は黒都とは違った文化を感じさせるものだった。地上世界で言えばヨーロッパに近いだろうか。格調高い雰囲気が街全体を覆っていた。

 タクシーは徐々に高度を下げ、目的のホテルの前で着陸した。運賃を払い車から降り、ホテルのエントランスへ向かう。

「今、14時10分か。サミットの開場が18時だから30分前にまたここに集合しよう」

 英二はフロントで受け取った部屋の鍵を結有に手渡す。

「うん、了解」

「それじゃ、また後で」

 エレベーターに乗り、上階に向かう。

 部屋にたどり着くや英二は早々に荷物をばっと放り投げ、ベッドに身を投げた。疲れが一気に吹き出てきたようだ。なんとかアラームだけはセットすると英二はそのまま目を閉じ、深い眠りに落ちていった。


「お待たせー」

 結有が小走りにやって来る。

「時間ぴったり」

「セーフ。危なかった」

「アリーナまではバスが出てるみたいだね。バス停は……あっちか」

 2人がバス乗り場へ向かうと、既にバスが停まっていた。中にはかなり人が乗り込んでいるようだ。

 みなサミット会場へ向かうのだろうか。

 バスは2人が乗り込んで間もなくして出発した。バスに揺られること10分、乗客の目に大きなアリーナが映り込んできた。

「でか……」

 アリーナのその大きさに英二は驚きを隠せなかった。何万人も収容出来るほどの大きさだ。歴史あるアレクサンドリア・ガーデンは圧倒的な荘厳さを放っていた。

 バスがガーデンから少し離れた場所でとまった。

 英二は降り口に向かったが、

「いてっ」

 乗客の1人が横から強引に割り込んできて体がぶつかってしまった。

 なんだよ――

 英二は内心憤りを感じながらその横の相手の顔を見た。

 ギロリ。

 男は感情のこもっていないような冷酷な目でこちらを睨んだ。口元にはマスクをつけ、その目は血走ってさえいる。

 英二は背筋を冷たいものが流れるのを感じた。男はそのまま乱暴にバスから降りると、早い足取りで前方に歩き去って行った。

 何なんだあいつは――

 このお祭りムードの中で、男は明らかに異様な雰囲気を醸し出していた。

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