第二三話:奮起

 それからの英二は見違えるようにアカデミーの講義にのめり込んだ。

 みっともない自分。何も出来ない弱い自分。

 そんなものはもうこりごりだった。英二は憑き物が取れたように没頭した。

 そして、その努力の成果は着実に現れた。

 入学して2ヶ月後の第1次論述試験では全体で9位の成績を取り、そのまた2ヶ月後の第2次試験ではさらに順位を上げ5位にまで上り詰めた。以前の英二からは想像も出来ないような成績だ。

「5位!? すごいじゃん英二!」

 英二と結有は一緒に第2次試験の結果を見に来ていた。液晶画面に映し出された順意表を見るやいなや、結有が大きな声を上げて喜んだ。

「嫌みなの、それ?」

 英二の2つ上、総合3位の欄には『西宮結有』の名前が表示されている。

「いやいやいや、だって最初の抜き打ち試験の時は最下位あたりウロウロしてたじゃん。そこから一気にここまで順位上げるのはほんとに凄いよ」

 結有が熱を込めて話す。何だか自分のこと以上に嬉しそうに見えるのが面白い。英二も結有に褒められてまんざらでもない気持ちだった。

 しかし――

 英二は目線をもう二つ上に向ける。

『総合1位:片山斉人』

 斉人は2回連続での圧倒的ナンバーワンだった。

「斉人、ほんとすごいよね……私もかなり頑張ったつもりなんだけどな」

 結有も同じ箇所を見つめながら呟く。

「口だけ野郎かと思ったのにな」

「おいおい、誰が口だけだって?」

 後ろからつっかかるような声が飛んで来た。振り返るとそこには斉人が立っていた。

「随分と舐めたことを言ってくれるじゃないか」

「地獄耳かよ」

「たまたまここに居合わせただけだよ。まあ、こうやってわざわざ見に来なくても結果なんて最初から分かってるんだがね」

 斉人は興味のなさそうな顔で順意表を見上げている。

「おや」

 その目がふと一点を見つめてとまった。

「5位、桜井英二……か。これはこれは」

 斉人が英二をにやりとした顔で見つめる。

「たいした進歩じゃないか、桜井英二。短期間でここまで上がってくるなんて、君はやっぱり選ばれし者かもしれないな。ハハハハ」

「偉そうにしてるけど、もう時間の問題だ」

「それはどうかな……でも僕は嬉しいよ。これでやっと面白くなってきたじゃないか。その調子だよ、桜井英二」

 斉人はそう言うとくるりと踵を返し、そのままその場を後にした。

「相変わらずだね、斉人」

「あいつ、絶対に抜いてやる」

 英二は飄々と歩き去っていく斉人の背中を睨みながら、決意を新たにした。


 講義は座学形式が終わり、いよいよ実践演習へと移っていった。教室を離れ、コロッセオと呼ばれる大きな建物に講義の場は移された。

 中に入ると、そこは一面が真っ白で統一された正方形状のだだっ広い空間となっていた。床も壁も天井も白で、窓一つない。ずっとここに閉じ込められたら発狂でもしてしまいそうだ。

「さあ、みんないるかな」

 教官が生徒に続き一番最後にコロッセオに入って来た。あご髭を上品に蓄え、筋骨隆々の身体だ。

「オーケイ、みんないるみたいだね。さて、皆さんと顔を合わせるのは初めてだね。私の名前は油屋あぶらやだ。これから君たちの実践演習を担当させてもらうよ。よろしくな」

 油屋教官はにこやかな笑顔で簡単な自己紹介を行った。

「筆記試験ご苦労さん。みんな優秀な成績だったみたいじゃないか。優秀な世代だって、先生達褒めてたぞ」

 油屋は目を細めて軽くぱちぱちと拍手をする。

「だが、ここからはまた話が違うぞ。いくら机の上でお勉強が出来たって、実践で通用するかは全くの別問題だ。みんな、再度気を引き締めなおしてくれ」

 ふと、隣の結有がぽつりと言葉を漏らした。

「鬼の油屋……」

「え?」

「なんかそんな言葉を耳にした覚えがあってね……すっかり忘れてたんだけど、油屋って名前を聞いて思い出したの」

「鬼? あの人が?」

「私の聞き間違いかもしれないけど……」

 2人は改めて油屋を見つめ直した。

「びしばし、いくぞ。ついてこいよ」

 そう言うと油屋は不敵に微笑んだ。

 鬼の油屋――

 その言葉は結有の聞き間違いではなかった。油屋の実践演習は初回から過酷を極めた。

 武術、魔気操作、潜伏術。様々なジャンルで油屋は高い要求を躊躇なく課した。その要求に応えられない場合、油屋から容赦なく怒号が飛ぶ。

「おらあ! 何してんだお前、ぜんっぜんダメ! もう1回!」

 すんなりと課題をこなせる者はほぼいなかった。これまでの講義は前座でしかなかったのだと思い知らされた。皆必死の思いで食らいついていた。

 実践演習が始まり1週間が経った頃、集合時間になっても姿を見せない生徒があらわれた。

 そのままその生徒は姿を見せることはなかった。

「あいつ、ついていけなくて飛んだらしいぞ」

 そんな噂が広まるまでそう時間はかからなかった。聞けば、毎年何人もここで脱落し最終試験にすら辿り着けないと言う。

 次の1人になってたまるか――

 皆プライドをかけて油屋の過酷なレッスンにしがみついていた。そんな中、油屋の課す課題を涼しい顔でこなす男が1人いた。

 片山斉人だ。

 座学での講義に続き、この実践演習でも斉人はずば抜けた存在となっていた。斉人の動きは、もはやプロのエージェントと見間違うほどに洗練されたものだった。

 あいつ、何であんなに何でもさらりとこなせるんだ――

 英二は悔しい思いを抱えながらも、心の底では斉人を認めざるを得なくなっていた。英二のパフォーマンスも決して悪くはなかったが、まだまだ斉人のレベルには及んではいなかったからだ。

 しかし、日に日に英二の動きは磨かれていった。

 元々持ち合わせていた天性の身体能力に、誰よりも真剣に演習に臨み、オフの時間もトレーニングを怠らない努力が結びついた。化学反応とでも呼べるような急速な成長を見せ始めた英二に、誰もが思わず目を見張った。

「英二、凄いね。俺は実践派だって前に言ってたけど、ほんとにそうだったんだね……」

 結有が演習中の英二の動きを見て、思わずそんな言葉を漏らした。

「なんか、最近ますます体の動きがいいんだよね。重力軽くなったりでもしてるのかな」

「そんな馬鹿な」

 結有がくすりと笑う。

「元々身体能力が高いってのもあるだろうけど、魔気の力をうまく使いこなせるようになってるんだと思うよ。鬼に金棒だね」

 確かに英二の動きは地上世界のそれとはすっかり違うものとなっていた。

 英二は己の成長を実感し、日に日に自信を深めた。始めは暴走するばかりだった自らの魔気も、コントロールする術を覚えていった。

 そして油屋の長い実践演習が終盤を迎える頃には、それまで遥か先頭を走っていた斉人に、英二はすっかり肩を並べる程の実力を身に付けていた。

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