第二一話:招かれざる客

「え……どういうこと……」

 英二は思わず前のめりになって問いかけた。

「すまないね……」

 また、何も教えてもらえない――

 落胆の気持ちが英二の心に影を差した。

「俺はこれから先どうしたらいいんだろう」

 英二は小柳津の机に両手をついてうなだれた。

「まずはこのアカデミーを卒業して一人前のエージェントになること。それが全てだ。すっきりしない気持ちにさせて申し訳ないが、今はとにかくそれだけに集中してくれ」

 小柳津はぐるっと机を回り込み、英二の肩にぽんと手を置いた。

 バン!

 ちょうどその時部屋の扉が勢い良く開けられた。

「小柳津学長!」

 開いた扉から姿を見せたのは猿渡だった。その顔は険しく、何か差し迫ったものを感じさせた。

「侵入者です、小柳津学長! 武装した集団がアカデミーにテロを仕掛けて来ました!」

「何だと……?」

 猿渡の言葉に小柳津も血相を変えた。

「グラハムの仕業です……! くそっ、あいつら!」 

「グラハム……! 敵は何人だ?」

「今のところ確認出来ているのは3人です。アカデミーの西門から侵入しているようです」

「なんと……分かった、では生徒たちは東側のアリーナに避難させよう」

 ちょうどそのタイミングで、アカデミー一帯にサイレンが響き渡った。

「緊急警報。緊急警報。アカデミー敷地内に侵入者あり。生徒は、近くの教官の指示に従って避難してください。繰り返します。アカデミー敷地内に侵入者あり。学生は、近くの教官の指示に従って避難してください」

「英二くん」

 小柳津が英二の方に振り向いた。

「私たちはこれから侵入者を止めるために西側へ向かう。君は東のアリーナに避難してくれ。他の生徒達もそこに集まるよう先生達に伝えてもらう」

「分かった……」

「しっかりと送ってやれなくて申し訳ない。くれぐれも周囲に気を付けながら向かってくれ」

「学長、行きましょう。事態は一刻を争います」

「ああ……それじゃあな、英二くん」

 猿渡に急かされる形で、小柳津は学長室を出て行った。

 英二も急いで部屋を出る。学長室の入った建物を出ると、慌てて走る生徒たちの姿が目に入った。皆一様にアカデミーの東エリアのアリーナに向かって走っているようだ。

「英二!」

 後方から自分を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると林太郎がこちらに向かって走って来ていた。林太郎は英二の前で足を止めた。

「林太郎も、これからアリーナに?」

「ああそうだ。しかしまさか、アカデミーが襲われるなんてな……こんなこと開校以来初めてだぜ、きっと」

「一体奴らは何が目的なんだ……?」

「分からない……ただ、奴らは余りに危険過ぎる。プロのエージェントでさえ、奴らに襲われて犠牲になってしまった人達がたくさんいる。ここは俺達の出る幕じゃない。すぐにアリーナに避難しよう。行くぞ」

 そう言うなり林太郎は駆け出した。英二もすぐさまその後を追った。

 2人はアカデミーの敷地内を縫うように走った。定期的にサイレンが鳴り、事態の緊迫さを否が応にも伝えてくる。

 しばらく進んだ後、2人の視界にアリーナの屋根の一部が入って来た。

「見えた!」

 林太郎が言う。

 その時、前方から悲鳴のような声が聞こえてきた。

「なんだ……?」

 2人は思わずその場で立ち止まった。すると、アリーナの方からバラバラと人が溢れ出し、一部はこちらに向かって走って来た。

 必死で走る面々は同期の生徒達だった。

「逃げろ! 罠だ!」

 先頭を走る大村秋生がこちらに向かって大声で叫んだ。

「奴らは東からも攻め込んで来てたんだ!」

 何だって――

 2人に衝撃が走った。

「とにかくここから逃げろ!」

 必死の形相でそう言いながら2人の横を秋生は駆け抜けて行った。その後方から数人の生徒達が続く。

「なんてことだ……! 英二、逃げるぞ」

「逃げるったって、どこへ?」

「分からないけど、ここは危険だってことは明らかだ……行くぞ」

 林太郎は英二の腕をぐいと掴んで、走り出した。英二がやむなくそれに従って走り始めると、林太郎はその腕を離した。

「寮に……寮に戻ろう。あそこなら比較的厳重なセキュリティになってるし、同期も集まってくるだろう」

「寮か……そうだな」

 寮までは走れば10分とかからないはずだ。2人は月明かりの下を寮に向かって必死に走った。

「ここを曲がればもう少しだ……!」

 英二は林太郎の少し前方を走り、先に大きな校舎の角を左に曲がった。すると、目の前の開けた道に1人の男が背中を向けて立っていた。

「……あれ、あんたは?」

 英二はその男に向かって声を掛けた。男がこちらを振り返る。その男は顔にのっぺりとした白い仮面を付けていた。

「みーつけた」

 男はにたっと笑いながら英二を見つめた。

 英二の背中を悪寒が走った。

「逃げろ! 英二!」

 後ろの林太郎の声が自分に届くよりも前に、英二は元来た道に向かって走り出していた。

「待ってよ、ねえ」

 男が後ろから英二を追って走り出した。林太郎も後方へ逃げ出す。

 2人は後ろから追って来る男から必死で逃げた。しかし男の速さは2人を優に上回っていた。

 グングンと距離を詰める男。

 開けた広場に出たタイミングで、男は二人の背中を捉えた。

「つーかまーえた!」

 男は英二の服の襟を掴み、その場に英二を引きずり倒した。

「うわっ……!」

 英二は呻き声を上げて地面に叩きつけられた。

「英二……!」

 林太郎が倒れた英二を振り返る。男は倒れた英二の上に馬乗りになった。

「逃げてもムダムダー」

 男は笑いながら、上から英二の顔を殴りつけた。両手を脚で押さえつけられて封じられた英二は、為す術もなくその拳をくらった。

「ぐはっ……!」

 その男のパンチは強く、重かった。続けて男は殴り掛かる。

「やめろおお!」

 後ろから林太郎がその男に向かって突っ込み、体当たりをくらわせた。

「うぐっ」

 林太郎の捨て身の攻撃をくらった男は前のめりに地面に吹き飛ばされた。

「なーんだ、おとなしく逃げとけば良かったのにねえ」

 男はゆっくりと立ち上がった。

「お前、ムカついたから許さない」

「くそがっ、やれるもんならやってみろ……!」

「じゃあお言葉に甘えて」

 男はぐいと前に踏み込んだ。次の瞬間には男の姿はもう林太郎の目の前にあった。

 男が右拳を林太郎の顔に叩き込んだ。

 林太郎の顔が大きくひしゃげたと思うや否や、体が後ろに吹き飛んだ。

「ぐあっ……!」

 林太郎は苦悶の声を上げた。しかし男は息つく間もなく追撃する。すぐに倒れた林太郎の真横に移動すると、その顔を上から脚で踏み付けた。

「ほーらほーら、痛いだろう」

 男は容赦なく林太郎の顔を踏み付けた。林太郎はもはや顔をかばうことすら出来なかった。

「あーあ、つまんないな。もう終わりか」

 男は退屈そうに上から瀕死の林太郎を見下ろしていた。

「や……めろ……」

 英二はやっとのことで体を起こすことが出来た。しかし全身が痛み、体には力が入らない。

「おはよう。お目覚めの君にいいものを見せてあげるよ」

 男はそう言うとポケットから銃を取り出した。

 英二は青ざめた。

「この子にはお仕置きが必要だ」

 男は林太郎の顔に銃の照準を合わせた。

「やめろ……」

 英二は掠れた声を出すことしか出来なかった。

「バイバイ」

 バン!

 銃声が夜空に寒々しく響いた。

 ふう、と男が銃口を口に近付けて吹いた。

 林太郎は、もうピクリとも動かない。

 闇夜とは対象的に、英二の頭の中は真っ白になった。

「どうだい、あっけないだろう? はははは」

 男は乾いた笑い声を上げる。

「君もすぐに友達に会いに行かせてあげるからね」

 男がこちらに銃口を向けた。

 英二の頭はすっかり麻痺して、もう何も感じることも考えることも出来なかった。

「じゃあね」

 英二は目を閉じた。

 バン!

 男が再び引き金を引いた。

 沈黙が周囲を覆った。

 ――おかしい。

 英二は思った。自分の体を襲うはずの激痛が、何も感じられない。

「遅かったか……」

 えっ……?

 英二はゆっくりと目を開けた。

 目の前には、見覚えのある男の背中。その男がこちらを振り返る。

「無事か、英二」

 英二の前に立っていたのは、紛れもなく有川慎、その人だった。

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