第十四話:地下の食卓

 英二は「この人は?」とでも言いたげに小柳津にちらりと視線を送った。

「彼女は私の娘だよ。名は江里菜えりな。これから仲良くしてやってくれ」

 その意図を汲むかのように、小柳津は英二にその女性のことを紹介した。小柳津が言い終わるや否や、江里菜はすっと英二の前に寄って来た。

「こんにちは、英二。堅苦しいのはやめにしましょ。私のことも気軽に江里菜って呼んでね」

 江里菜は英二に笑みを投げかけた。ほんの僅かなやり取りで、彼女の社交性の高さが十分にうかがい知れた。

「さ、じゃあ君の部屋を紹介するわね。付いて来て」

 江里菜は英二の手を取ると、ぐいっと引っ張る形で英二を先導した。階段を上り、二階へと進む。二階フロアの隅にある部屋の前で江里菜は立ち止まった。

「さ、ここが君の部屋。シンプルな部屋だけど、好きに使ってちょうだい」

 英二は促されるまま部屋の中へと入った。部屋は十分な広さはあるが木製の机とベッド、本棚が備えられているのみで、確かにシンプルな造りになっていた。

「ここまで長旅で疲れたでしょう。まだ夕飯まではしばらく時間があるからここで休んでていいわよ。準備出来たら起こしに来てあげる」

 そう言うと江里菜は「バイ」と言いながら手を振って部屋から出て行った。英二は荷物を降ろしてベッドに腰掛けた。体中からどっと疲れが吹き出してきた。そのままベッドに倒れこみ英二は目を閉じた。こちらの世界にやって来てから目にした、奇抜な景色が頭の中に浮かんだが、英二はすぐに考えることをやめた。やがて睡魔が英二を襲い、英二は素直にそれを受け入れた。


「起きろー!」

 部屋中に響き渡るその声で英二は目を覚ました。頭をかきながら体を起こす。声のした方を見ると、江里菜が部屋のドアをがばっと開けながら立っていた。

「おはよう、よく寝れた?」

「うーん、まあまあかな」

「まあまあって何よ、ふふふ」

 江里菜が愉快そうに笑う。

「晩御飯、用意してあるからみんなで一緒に食べましょう」

「晩御飯……」

 その言葉を聞いた英二は、思い出したかのように急に空腹感を感じた。そう言えば地上の拠点を出発して以来、しばらくまともにご飯を食べていなかった。

 タイミング良く、ぐうと英二のお腹が音を発した。

「ははは、良い返事ね。きっとお腹空いてるだろうと思って美味しいものたくさん用意してあるわよ。さ、行きましょ」

 江里菜に付いて1階のダイニングルームに降りると、既に小柳津が椅子に腰掛けていた。

 広々とした部屋だ。部屋の中央には木製のシックなテーブルが置かれ、それを取り囲むように椅子が幾つか置かれていた。部屋の奥はキッチンに直結している。

「ここでいつもご飯を食べてるの」

 そう言うと江里菜はキッチンの方に向かった。

「やあ、お目覚めですかな。長旅で疲れていただろう」

 小柳津が、部屋に入って来た英二を見て声をかけた。

「こちらに腰掛けるといい」

 小柳津は椅子を1つ引いて英二に着席を促した。英二がその椅子に着座すると、料理の皿を持った江里菜がやって来た。江里菜はてきぱきと食事の準備を進める。あっという間に料理と食器が手配され、いつでも食べ始められる状態が整った。

「ありがとう、江里菜。今日はいつにも増して豪華だね」

「当たり前じゃない。英二の歓迎ディナーなんだから」

 一通りの準備を終えた江里菜が席に座った。確かに目の前に準備された食事は色彩も豊かで美味しそうだ。

「さあ食べよう。遠慮はいらないよ。食べたいだけ食べてくれ」

「いただきまーす!」

 江里菜が先陣を切って料理に手を付け始めた。英二も少し躊躇した後、フォークに手を伸ばした。口に運ぶ料理はどれも絶妙な味付けだった。

「うまい……!」

 思わず感想が口をついて出て来た。

「ほんと? お口に合ったみたいで良かったわ」

「うん、こんな料理食べたことないよ。料理、得意なんだね」

「うふふ、ありがと。そうなの、料理好きなのよね」

「でも、食材ってどこで作られてるの? 地下?」

「良い質問だね、英二くん。日の差し込まないこの地下世界ではほとんど食材は作られていないよ。地上と秘密裏に協定を結んでいて、仕入れさせてもらってるんだ」

「ふうん、なるほどな」

 英二はしばらく料理に舌鼓を打ち夢中になった。何しろ久しぶりのまともな食事だ、食欲はどんどん溢れ出てくる。小柳津と江里菜は英二の食いっぷりをほほえましく見つめ、時折二人で他愛もない会話を交わしていた。

 食事がひと段落した頃、コホンと軽く咳をついて小柳津が切り出した。

「英二くん」

「ん……?」

「改めて、ようこそ地下世界へ。心から歓迎するよ」

「私もよ。ようこそ、英二」

 江里菜が同調する。

「この世界は、君の暮らしていた世界と似ている部分もあれば、全く違う部分もある」

「うん……ここに来るまでに十分痛感したよ」

「そうだろうね。じゃあ、果たして何がこの世界をこの世界足らしめているのか……それが何だか分かるかい?」

「……いや」

「この世界をこの世界足らしめているもの……突き詰めるとそれは、一つの不思議な力に行き着く」

「魔気、だっけ……?」

「うむ、そうだ。魔気がこの世界では至るところで駆使されている。その力があるからこそ、地上世界では到底考えられないような事象が現実のものとなっているんだ。何を隠そう、この地下世界が作られ、こうして維持されているのも魔気の力によるものだ」

 小柳津は傍らに置いてあるグラスに手を伸ばし、水を少しばかり口に含んだ。

「魔気を身に付けていること、それがこの地下世界での存在を許される条件だ。この世界では皆一様にその力を多かれ少なかれ身に付けている。そんな私たちを知る一部の地上の人間たちは、私たちを魔人と呼んでいる」

 やはり、事前に聞いていた内容通りだった。

「魔人族の子供は、最初は魔気が目覚めていないので地下世界で生活することが出来ず、地上で育てられることになる。成長し魔気がその身に宿るタイミングで地下からスカウトが派遣される。そこで自分の素性を知り、地下世界に渡るかそのまま地上で生きるかを選ぶこととなる」

「え、地上で生きていくことも出来るの?」

「ああ、あまり多くはないがそれも可能だ。だがその場合は、魔人族についての記憶とその身に宿り始めた魔気は封じて、きれいさっぱり一般人として生きていってもらうことになるがね」

「そうなんだ」

「君もそんな例に漏れず、魔気を宿した魔人族の一員だ。それどころか、君は驚くほど強い魔気を秘めている。だからこそ君を狙うような連中も現れたわけだ。本当に困ったものだよ」

 小柳津はふう、とため息をついた。

「さて、少し話を戻させてもらうが、この魔気は原則的には使用の用途が限られているんだ。ざっくり言うと、日常生活を快適に過ごす範囲での使用しか基本的には認められていない」

「みんなが好き勝手に使い回すようになったら世の中大混乱しちゃうものね」

「そうだ。だが、この魔気の力を日常生活を超えた範囲で使うことを許された者達がいる。彼らはその力を駆使し、一般人では解決が難しいような難度の高いミッションを請け負うという使命を負っている」

 英二の脳裏には2人の男の姿が浮かんだ。その2人はもちろん、慎と兵馬だ。

「その選ばれし者たちはまとめてこう呼ばれる……」

「アンダーエージェント」

 英二は小柳津の語りに自然と口を差し込んでいた。小柳津はにやりと笑い英二に向けて少し顔を近づけた。

「ご名答。特殊任務遂行集団、アンダーエージェント。この世界では誰もが憧れる存在さ」

 小柳津は心なしか少し嬉しそうな表情を浮かべた。

「エージェントになれるのはほんの一握りの選ばれし者たちなんだ。恵まれた身体能力、明晰な頭脳、そして魔気を自在に扱うスキル。要素を挙げればきりがない。そして英二くん、君はそのエージェントになる素質を持っている。しかも、天性のものと言って良い」

 英二の脳裏には地上の拠点で慎と2人で話した場面が浮かんでいた。慎の言葉が、脳内で鮮明に繰り返される。

「お前は、エージェントとなる運命だ」

 英二は脳内に響くその言葉を口に出した。

「地上世界でこの前、知り合ったばかりの男にそう言われた……お前はエージェントになって果たさなきゃならない使命がある。お前が決断しなければ、お前の大切な人達はずっと危険な目に合い続けるって。それで俺はこの世界に来ることになったんだ」

 小柳津は英二の言葉にじっくりと耳を傾けた後、少し間を置いて口を開いた。

「その男の名は慎、そうだろう?」

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