第三話:声の主

 合流――

 声の主は近くに実在しているということか……?

 だが、ずっと脳内に語りかけてきていた声の主が目の前に現れるということは、どこか現実離れしたことに思える。全く声の主のイメージも浮かばない。分かるのは、その声色から相手は男であろうということくらいか。

『ここから数百メートルほど離れた所に、マルタというカフェがある。場所は検索すれば簡単に分かる。チェーン店でもないから辺りに幾つもある訳じゃない。場所を間違えることはないだろう。そのカフェに着いたら何も頼まなくていいから2階に上がって来い』

「そこに……あんたがいるのか」

『まあ、そういうことになるだろうな。くれぐれも周囲には気を配りながら来てくれ。じゃあ、また後で。何かあったら呼んでくれ』

「呼ぶって、いったいどうやって……」

 問いかけたが返事はなく、語りかけてくる声はそれっきりぱったりと途絶えた。

 こうなっては仕方がない。言われた通りにそのカフェへ向かうしかない。

 英二はスマホを取り出してマルタの場所を検索した。声の主の言う通り、ここからそう遠くない距離にそのカフェは存在しているようだった。カフェの周辺は少し道が混み合っているようだったが、それまでの道なりは特に複雑でもなく、迷う恐れはなさそうだ。

 英二はスマホのスクリーンに表示された地図を頭に入れ、マルタを目指して歩き出した。時折スマホ画面をちらりと見て、自分の進んでいる方向が間違っていないか確認する。

 マルタに近づくにつれ、少し奥まった道が多くなってきた。表通りからは遠ざかり、人通りの少ない路地裏を進んでいく。お洒落で雰囲気の良い古着屋が面した角を左折すると、『マルタ』という看板が目に入った。

 声の主に指定されたカフェに辿り着いたようだ。木造で落ち着いた雰囲気のある、知る人ぞ知る隠れ家というイメージだ。

 英二は入り口の扉を開け、カフェの中へ入った。一階の客の入りはまばらで、スマホをいじったり本に目を落としたりとみなそれぞれ思い思いに時間を過ごしていた。

 言われた通りに注文はせずにカウンターを素通りし、2階につながる階段を上る。階段を登りながら、英二は緊張感の高まりを感じた。胸がそれまで以上に強く鼓動し始める。

 2階へ上がると部屋の中央の円卓に、先ほどの男と同じように黒いマントとボディースーツ姿の男がこちらに背を向けて座っていた。違うのは、マントのフードを被ってはおらず後頭部がはっきりと見えることだった。他に客はおらず、男の貸切状態だった。

 男は左脚に右脚を乗せる形で脚を組み、右手を頭に添えながら言葉を発し誰かと会話をしているようだった。しかし奇妙にも、周囲には誰の姿も見えない。

「じゃあ、また後で」

 男はそう言って頭から右手を離し、椅子から立ち上がりこちらを振り返った。

「やあ。初めまして、は違うのかな。とにかくこうやって顔を合わせるのは初めてだな。無事に出会えて本当に良かった」

 男は右手を差し伸べながら、こちらに話しかけて来た。その声は、脳内にさんざん語りかけてきたあの声と、全く同じものだった。

「どうも」

 英二は少し固い声で応じ、前に進んで相手に合わせて右手を差し出した。男はその手を力強く握った。

「俺の名前は有川ありかわしんだ。気軽に、慎と呼んでくれ。以後、お見知り置きを頼むよ。君の自己紹介は必要ない。君のことはよく知っているからね」

「え……?」

「いいかい、取り急ぎ現時点で大事なことは2つだ。まず1つは、君がとある集団に狙われていて、捕まると非常に好ましくない事態になるということ。もう1つは、私は君の味方であり、君を助けようと思っているということ。実にシンプルだろ」

 英二は自然とその顔にいぶかしげな表情を浮かべていた。

 無理もない。目の前にいるのは、ほんの直前に初めて顔を合わせたばかりの得体の知れない男だ。その男に唐突にお前の味方だと言われてすんなり信用できる方がどうかしている。

 だが、状況も状況だ。先ほど散々追い回されていたあの男に比べると、目の前の男の方がまだ信じるに足るのは明白だ。

 いきなり恐怖と混乱の渦の中に巻き込まれていた英二は、藁にも縋りたいような気持ちだった。

「いきなり俺は味方だって言われたって、すぐには信用なんか出来ないよ。でも、今の俺には、あんたしか頼れる人がいない……」

 英二はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「だから教えて欲しいんだ、いったい今何が起きてるのか。いきなり車が自分に向かって突っ込んでくるわ、頭の中から声がするわ、怪しげな男に追いかけ回されるわで、もう訳が分からない状態なんだ」

「確かにそうだろうね。もちろん、私の口からしっかり説明させてもらうよ。少し長い話になりそうだから、その前に下で何か好きな物でも頼んで来ると良い。腹、減ってるだろ」

 そう言って慎は英二に札を1枚渡した。

「そんな呑気なことしてて大丈夫なの……?」

「大丈夫だ、心配するな。奴は私たちがこの店にいることを知ることは出来ないし、例え知ることが出来たとしても入ってくることは出来ないよ。いいから君は好きな物を買って来るといい」

「……分かった」

 慎に促される形で英二は1階に降り、カウンターの前に立ちメニュー表を眺めた。しばらくずっと続いていた緊張感が和らぐと、急にお腹の減りを感じた。一連の出来事で必死だったが、今はちょど夕飯時である。

 英二はエッグトーストとアイスティーをオーダーし、トレイに載せて再び慎の待つ2階へと上がった。

 慎は先ほどと同じように椅子に腰掛けていた。今度は誰かと通話はしておらず、ただ英二を待っているだけのようだ。

 英二は円卓を回り込み、慎と正対する形でトレイを卓に起き椅子に腰を下ろした。慎は戻って来た英二に柔和な笑みを向けた。

「釣りはいらないから君の財布にしまっておいてくれ」

「いいの?」

「わざわざご足労いただいたんだ、これぐらいご馳走しなきゃバチが当たる。さあ、気にせず食べてくれ」

「どうも……」

 英二はトーストに手を伸ばし、口へと運び少し遠慮がちにかぶりついた。

「食べながらでいいから、話を聞いてもらうことにしようか」

 慎はじっと英二の瞳を見据え、これまでとは打って変わって真剣な表情で話し始めた。

「まず、今の君が置かれている状況についてだ。只ならぬ状況に置かれていることは何となく理解してくれているかと思う。命の危険さえ感じただろう」

「ああ……あの車や、追いかけてきた男からは俺への明確な敵意を感じたよ」

「そうだろうな。先ほども言った通り、君は狙われている。それも、決して今に始まったことではない。ずっと前から君は監視され、狙われていたんだ」

「ずっと、前から……」

 英二は目を見開き、思わずトーストを口に運ぶ手を止めた。

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