2-book
「なんだそれ、小説か?」
クダが問いかける、ページを捲った俺は生返事を返す。
呆れた感じでため息をついたクダはソファーに寝転がる俺の腹に飛び乗ってきた。
「今日は探し物はいいのかよ」
「ここ数日、どういうワケだかここから見える範囲に何かが落ちてきた気配が無いんだ、だから今日は休憩」
再びページを捲る、物語は佳境を迎えてるようだが、どうやら上下巻がある小説の下巻だけを拾ったらしく、物語の内容が全く掴めないでいる。
「つまんねぇの、そんじゃオレは散歩でもしてくるかな」
クダがそう言いながら離れていく、俺は特に物語を追う訳でもなく、ただ「本を読む」という行為そのものに熱中していた。
ドサドサと音を立てて近くに物が落ちる音がする、本から目を離し、音がした方を見ると、さっきまで無かった本がいくつか落ちているのが見えた。
また誰かに忘れ去られたのだろうか、また別の本が読めるという期待とともに少し寂しい気持ちに襲われる。
本を閉じ、様子を見に行く。 見たことのない言語で表紙が飾られていた、この谷で長い事暮らしているが、この言葉が書かれたモノを見かけるのはこれが初めてかもしれない。
「クダ、これ読めるか?」
クダを呼んでみる、あいつは向こうの文化についてやけに詳しい、この谷に来た経緯も向こうでの記憶も完全に忘れてしまった俺からすると、クダとこの失せ物たちは向こうの世界を知るための手がかりでもあるのだ。
「おーい」
再び呼びかけるが声が虚しく谷にこだまする、かなり遠くまで行ったなと俺は肩をすくめた。
仕方ないと本を拾い上げ、太陽に翳してみる、モノとしての記憶を見てみれば多少わかる事があるはずだ。
──何故だ、何も見えない……?
正確に言うと何も見えないというワケではない、全て真っ黒に塗りつぶされた記憶だけが流れ込んでくるのだ。
表紙に並んだ未知の文字のような記号の羅列を眺め、俺は途方に暮れた。
いや、こんな拾い物どうしようと俺には関係が無いのだが、気になってしまうものは仕方がないのだ。
この谷に来て体感で数千年、こちら側と向こうの世界での時間の流れはどうもバラバラになっているらしく、様々な時代を思わせるモノが落ちて来るが、全く知らない言語が書かれたモノが落ちて来るのはいつ振りだろうか。
おれはそう思いながら、辺りに散らばる同じような言語が記された本を拾い集め始めた。
* * * * *
あいつの名前はゲート、まだこの谷にこれほどの失せ物が溜まっていなかった頃からずっとあの場所にある巨大な門柱の前に、少し前に突然現れた人間の青年だ。
あいつがまるで
あいつがこの谷に来てからというもの、この谷はジワジワと変容を見せている。
そうだ、こないだの少年だってそうだ。
生きた人間が存在をまるごと忘れ去られ、この谷に訪れるなんて事自体があまりにも
バサバサと音を立てて何かが落ちてくる、先ほどゲートが興味を持っていた本と類似した特性を持つ本だ。
これも変容の1つ、ゲートが興味を示したモノ、或いはゲートが興味を示す予定になっているモノがこの谷に落ちてきやすくなっているのだ。
おや、この本は見た事のない言語で書かれているな、この谷のあらゆるモノより永くここに居るオレですら知らない言語があるとは……
やはり向こうの世界は魅力で溢れているな、と、オレは本の表紙を前足で捲ってみた。
大量のノイズと共に、様々な記憶が流れ込んでくる。
ゲートがやっているように、太陽にかざして見ればオレにもモノの記憶を見る事はできるのだが、こうして触れただけでこのようになるのは始めての経験だ。
それにしても──
「何だ……この記憶は……」
まるで、世界が──
* * * * *
「砂漠……?」
本に挟まっていた紙切れがヒラリと落ち、それを拾い上げて思わず口に出す。
写真だ、どこかの砂漠だろうか、広大に広がる空間、いつだったか拾った写真の中で見た建造物が遠くに見える。
しかしあの建造物の周りはこんな景色だっただろうか。
ふと浮かんだ疑問は煙のようにかき消される、俺はここに来てからの記憶を細かに覚えている、記憶が並べられた巨大な本棚から特定の記憶を引き出すように、膨大な記憶の中から特定のものを引き出すのには少し時間がかかるが、この谷で見た事や物を記憶から失ったことなどない、なのに何故かこの建造物に関する記憶がスッポリと抜け落ちているのだ。
全く思い出せない、その体験は、この谷で始めて目を覚ました時以来だった。
あの写真、あれ、写真だったっけ? いや、そもそもこんな建造物、見た事あったっけ。
まるでそこに存在しなかったモノかのように、記憶が霧散していく。
「ゲート、どうしたんだボーッとして」
後ろからクダに声をかけられる、ハッとして振り向く、手元にあったはずの本はいつの間にか消えていて、俺の中に残ったのは妙な違和感だけだった。
「小説はどうしたんだ、もう読み切ったのか?」
「いや、何か落ちてくる音がしたから様子見に来ただけ、でもあの小説はダメだな、全くストーリーが掴めなかった、俺には難しい」
そう笑い、先ほどの違和感を振り切るように歩き出す。
「フン、探し物が下手だなお前は。 面白そうなもの拾ってあのソファーに置いてるから、一緒に戻ろうぜ」
クダがニヤニヤとしながら言う、このどこまでも広がる谷でこいつに出会えたのは本当に幸運極まる事だったんだなとしみじみと思った。
俺はクダのお土産を楽しみに、失せ物が降り注ぐ谷を走り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます