第92話 決行直前

「コロ、まだだぞ……」

「……、……」

「あの、向かいの家の明かりが消えたら、撃ってもらうからな」

「……、……」

アイラが低い声でささやく。

 ただ、それでも物音のしない真っ暗な停まった馬車の中では、十分に声が聞き取れた。


「アイラさん……、向かいの家の明かりが、しばらく消えなかったらどうします?」

「いや……。さっきから、中で人影が動いてる。あれは、寝るための準備だと思う」

「……、……」

「こんな深夜に何かをするのに、動き回らなきゃ出来ないことなんて、そんなにないよ。大丈夫、じきに消える」

「……ですか」

「ほら、明かりが揺れているだろう? あれは、今、ランプに手をかけたところだよ」

アイラの言葉が終わるか終わらないかの内に、向かいの家の明かりが消えた。


「おおっ……」

「な、言った通りだろう」

ジーンが、思わず感嘆の声を漏らす。


 昨日まで、町娘風の格好でじれていたアイラは、もうそこにはいない。

 一つのことに集中し、結果を追い求める一流の武闘家の姿が、そこにはあるだけだ。


「さあ、ジーン……。 馬車を水の音に横付けにしてくれ。ゆっくりで良いから、なるべく物音を立てずに頼むよ」

「了解しました」

ジーンはうなずくとともに、月夜に照らされた御者台に座る。


 今日は満月なせいか、遠目に、あまり上等ではない建物が浮かんで見える。

 木造のそれほど広くない平屋……。

 あれが、目標の孤児院、水の音だ。

 一見すると、飲食店のようなたたずまいのその建物に、今、明かりは灯ってはいない。





「ふうーっ、何だよ、情報屋か。脅かすなよ」

「へへっ、そうやって驚いてくれるアイラさん、おいら嫌いじゃないですよ」

夕食を運んできた情報屋は、すっかりテーブルの上を調えると、アイラとジーンが座る前に着席した。


「こ、この人が情報屋なんですか?」

「ああ……。キリエスの湖畔で見たときと印象が違うだろう? ヘレンが言っていたけど、会うたびに人相風体が違うそうだ」

ジーンは、まだうさん臭そうに情報屋を見ている。


「へへっ……。ジーンさんとはお初にお目にかかりますね」

「あ、ああ……」

「ゴードン警備総長の片腕として、若くして警備副総長にまで上り詰めたのに、何故か警備隊を辞めて、今は宿屋の主人に収まった謎のお人……」

「どうして、私なんかのことを……?」

「へへっ……。意外と有名人ですよ、ジーンさんは」

「……、……」

驚くジーンを見て、情報屋は満足そうにうなずく。


「さあ、二人とも……。夕食にしましょう」

「おいっ……、何でおまえが仕切ってるんだよ? それに、ここはあたし達の部屋だろう?」

「へへっ……、そう硬いことを言わずに……」

「……、……」

「このスープの魚、おいらが釣ってきたんですよ。良い出汁が出てるんで、冷めない内に食べましょうや」

「……、……」

相変わらずうさん臭そうな目で見つめる二人に、情報屋は、座るように促した。


 そして、

「用は、すぐに済みます。情報は二つだけですから……」

と、呟くように言うと、何事もなかったかのように、勝手にスープに手を付けるのだった。





「明後日から三日か……」

「ええ、間違いありません」

「じゃあ、マリーが着いた直後が良いかな?」

「そうですね。急に、ダーマ―公に呼び出されるなんて可能性もありますから」

情報屋は、すっかり食事を食べ終わると、ようやく用件に触れた。


「どうも、水の音で問題が起こったようですよ」

「問題?」

「また、一人、倒れたとか。幼児らしいですが、痩せ細っちまって、もう、役には立たないようです」

「その子は、どうなるんだ? もう、水の音には置いておかないんだろう?」

「さあ……。その辺は何とも言えませんね。だけど、水の音を出た者は、もれなく行き方知れずになるそうですけどね」

「それって、もしかして……」

「ええ……。ダーマ―公のやることですから」

「……、……」

「その子を助けたかったら、早い方が良いかもです。マリーが判断をして、それから処分されるんでしょうからね」

「そうだな……。うん、じゃあ、明後日の深夜に決行にしよう」

アイラはそう言うと、ジーンの方を見た。


「私も、明後日で賛成です」

「じゃあ、決まりだな」

「それにしても、用なしになったとたんに処分するとは……」

「まあ、それは今のところ憶測でしかないよ。だけど、もし、想像が当たっていたら、あたしは絶対にダーマ―公を許さないっ!」

アイラは、冷静な口調ではあったが、決然とそう言った。

 そして、俺とジーンの方を見て、深くうなずくのであった。





「もう一つの情報は、アイラさんへです」

「父さんのことか?」

「良いお察しで……」

「何かあったか?」

「いえ、大したことじゃないです。だけど、ちょっと、マルタ港に着くのは遅れるようですよ」

「……、……」

「真っ直ぐにマルタ港を目指すと思ったんですが、どうも、進路からすると、炎帝に会いに行くようです」

「……、……」

「でも、炎帝に会えば、どうあってもマルタ港に行かなきゃいけないことが分かると思いますので、ちょっと遅れるだけですよ」

「……、……」

アイラは、それを聞いて、少し寂しそうな顔をした。

 しかし、すぐにいつもの様子を取り戻すと、ジーンと誘拐に向けて打ち合わせを始めるのだった。





「コロ……、良いぞ」

「……、……」

「おまえの緊縛呪で、すべて動き出す。自分で良いと思ったら、いつでも撃ってくれ」

「ニャっ……」

馬車を横付けにしたのに、水の音の方からは、何の物音もしない。


 どうやら、すっかり寝入っているようだ。

 街中だと言うのに、静寂が辺りを支配している。


「暗黒精霊の御名に於いて、オーブよ目覚め聞き届けよ……」

俺が何の合図もしないのに、アイラの言葉を聞いていたかのように、暗黒オーブが呪文を唱えだす。


 そっか……。

 暗黒オーブも、今か今かと、待ちわびてたんだな。


「……、精霊の意志によりて、緊縛の錠を召喚す。現れ来たり、力を示せっ!」

俺の中に闇が満ちる。


 頭の先からつま先まで、びっしりと闇が膨れ満たされていく。


 久々だな……、緊縛呪を撃つのも……。

 この前撃ったのは、武闘殿でだったかな?


 俺、思ってたんだ。

 このところ、少し、気持ちが緩んでいたかな……、ってさ。

 ヘレンの計画は万全だし、アイラはお父さんと会えそうだし、エイミアも今頃お父さんに会っているし……。

 皆、旨く話が進んでいて、これからもそれが続くと思っていたんだ。


 だけど、水の音で幼い子が殺されようとしているみたいだし、俺の周辺だけが旨く行っているだけじゃダメなんだよな。


 戦争って、いっぱい色々な人が関わっている。

 マサじゃないけど、当然、ギュール共和国の側にも人はいるんだよな。

 だから、自分たちだけが良い想いをするだけじゃ、戦争は止まってもそのあとは旨くいきやしない。


 なあ、暗黒オーブ……。

 俺が緊縛呪を撃つことによって、ギュール共和国でも胸をなで下ろす人がいたりするのかな?


「ニャっ!」

気合いを入れて発声すると、俺は尻尾を強く振るった。

 それとともに、闇は尻尾の先から体外にあふれ出す。

 そして、漏れた闇は、煙状になって立ち上り、頭上で漆黒の球となった。


「コロ……っ! 頼んだぞ」

「……、……」

アイラの声とともに、俺は、

「行けっ!」

と、心の中で叫んだ。


 これが戦争を止めるきっかけになれば……。

 と、念じながら……。

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