第91話 情報屋、再び……

 焼き肉屋事件から、数日は、何事もなく過ぎた。

 あれから、アイラも反省したようで、比較的大人しく宿の部屋にいる。

 ……とは、言っても、マサが飽きないようにしてくれたお陰であるが……。


 マサは、アイラを度々宿から連れ出していた。

 ただ、連れ出された当のアイラは、その度に町娘風の格好をしなくてはならないので、それほど外に出たいわけではないようであった。


「アイラさんは、オッサン受けが良いんですよ」

「……、……」

「さっきも、一緒にお茶しませんか、って誘われてたんっすよ」

「……、……」

「相手の男は中年の紳士で、悪い人ではないように見えやしたが、あっしがいたんで断念したんでさあ」

「ま、マサ……。その話は秘密にしておけ、って言っておいたはずだぞ」

「へへっ……、そうでやしたね。だけど、その格好でいると、確かに清楚なお嬢さんにしか見えないっすよね」

「マサっ!」

マサに悪気はないのだが、アイラは町娘風の格好でいることを褒められるのが嫌らしく、すかさず、マサの尻を蹴っ飛ばした。


「あっ、いてて……。か、勘弁してくだせえ。アイラさんは軽く蹴ってるつもりなんでしょうが、あっしのような普通の奴には効くんですよ」

「ふんっ……」

二人が仲良くじゃれ合っているのを見て、ジーンは吹き出しそうな笑いをこらえている。


 ……って、確かに今の蹴り、良い角度で入ったよなあ。

 あれ、放っておいたらアザになって、座れなくなっちゃうぞ。

 なあ、エイミア……、ムーの薬を塗っておいた方が……。


 俺はそう思いながら、ふと、後ろを振り返った。

 しかし、そこには当然ながらエイミアの姿はなかった。





 マサは、

「明日は武闘の試合があるので、それを観に行きましょう」

と言い置いて、夕飯前に俺たちの泊まる宿から帰って行った。

 焼き肉屋が本格的に忙しくなるのは夕方からなので、それに間に合うように帰ったのだ。


「あのさあ……、ジーン」

「はい、何でしょう?」

「あたしさあ……、この間のマサの話を聞いてから、色々考えていたんだよ」

「……、……」

「あたしはさ、戦いなんてものはあって当然のものだと思っていたんだけど、普通はそうじゃないんだな」

「そうですね、戦いと言うのは、日常ではあり得ない、非日常の極みみたいなものですから」

「うん……。マサが、戦争に行きたくないのも、最初は単なる怠けだとしか思えなかったけど、言われてみれば、何のために戦うのか分からないで戦うのって嫌だよな」

「ええ……」

「だけどさ……。あたしには、戦いしかないんだよ。父さんも、祖父ちゃんも、皆、シュレーディンガー家の人間は戦うことを義務付けられてきた」

「……、……」

「それに疑問を持ったこともないし、あたし達が戦うことで、平和が訪れるんだと思ってるからさ」

「……、……」

「でも、ギュール共和国の戦争の仕方を見ると、考えちゃうよな」

「……、……」

「奴等の戦争は、戦うこと自体が目的のように感じるからさ」

「……、……」

「炎帝の話を聞いたときには、あまりピンとこなかったんだけど、マサの言葉を聞いた今なら、炎帝の気持ちが分かるような気がするんだ」

「……、……」

「確か、炎帝は、領民のためにならない戦争はする気がしない……、って」

「そんなことを仰られてましたか?」

「ああ……。言っていることは、炎帝もマサも同じだよな。大義は、国民のためであって、どちらも国民のためなら命も懸けるって言ってるんだろう?」

「どうでしょうか……。私には分かりかねますが。ただ、ある意味、私もロマーリア王国の国民のためにこうして働いてはいますな」

「……、……」

「デニス国王陛下のため……、とも思いますが、デニス国王陛下自体が国民のために気持ちを砕いて下さる方ですので、どちらにしても、同じことかと……」

「そっか……。じゃあ、あたし達ロマーリア王国の国民は、良い国に生まれたって言えるのかな?」

「そうかもしれません。ただ、私は他の国に住んだことがないので、良いか悪いかは分かりませんが……」

ジーンの応えは、アイラにとって十分な答えではないようであった。

 もっと、色々と聞いてみたいのか、想いを巡らすように宙を見据えている。


 しかし、

「アイラさん……。私は、ハッキリしたことを申し上げられませんが、ヘレンさんなら答えを持っておられると思いますよ。今度会ったら、お聞きになってみたらどうですか?」

と、ジーンは優しく諭すように、アイラに言った。


 アイラは、一言、

「ヘレンに……?」

と言い、それきり黙り込んでしまった。





 そっか……。

 俺もアイラも、エイミアやヘレンがいつもいるのが当たり前になっていたので、いなくなって初めて二人の存在を感じるんだろうな。


 エイミアの優しさや、いつも見守ってくれている気持ち……。

 ヘレンの、何物をも見通すような洞察力と賢さ……。


 俺が人間だったときには、こんな人、側にはいなかったよ。

 もちろん、アイラみたいな勇気の持ち主もさ……。


 だけど、三人は、生まれたときからずっと一緒にいて、他にはない存在を常に共有していたんだ。

 これ、良く考えてみると、とんでもなく凄いことだよな。

 俺は、あまり運命とかって信じない方だけど、誰かが仕組んだように、ホロン村で三人は生まれ育ったんだからさ。


 もし、人間のときに、俺の身近に三人みたいな存在が一人でもいたら……。

 そうしたら、俺は、この世界には来ていなかったのかな?


 なあ、暗黒オーブ……。

 どう思う?


 今の生活に満足しているけど、ちょっとだけ、もしも……、って考えてみたくなったよ。

 ……って、俺、エイミアがいないから、ちょっと感傷的になっているのかな?





「ドンドンっ!」

「……、……」

部屋の中の沈黙を破るように、ドアがノックされた。


「お食事をお持ちいたしました」

「……、……」

いつもは宿の小母さんが食事を持ってきてくれるのだが、今日のは男の声だ。

 少し甲高い声で、聞き覚えがない。


「失礼しまーす」

「……、……」

おどけたような口調で、食事を持ってきた男が部屋に入ると、後ろ手でドアを閉める。


「焼き肉屋と懇意だからと言って、毎日、肉ばかりじゃダメですよ……」

「……、……」

男は、手際よくテーブルに皿を並べると、持ってきた鍋からスープをすくった。


「それに、お茶くらい付き合ってやったら良いじゃないですか。まあ、焼き肉屋で酔っ払いに絡まれて、銅貨を曲げて脅かすようなアイラさんじゃ、無理かもしれませんがね」

「何っ!」

男は、口ひげを生やしており、一見すると粗野な風貌に見える。

 しかし、声は甲高いし、口調は親し気で、まったく風貌と発する言葉のイメージが一致していない。


 アイラも、ジーンも、この怪しげな男を警戒して、「ザっ」と席を立つ。


「おまえ、何者だ? 何故、あたしの名前を知っている?」

「へへっ……。そういう反応、おいら好きですぜ」

「えっ?」

「つい、十日ほど前に会ったばかりじゃないですか、覚えてないですか?」

「……、……」

「おいらですよ、おいら。情報屋ですよ」

今にも飛びかかりそうなアイラを、男は、笑いながら手で制した。

 そう言えば、いつの間にか今までの甲高い声とは、まったく違う声がしている。


 唖然とするアイラとジーンを見比べながら、先日とはまったく違う風貌の情報屋は、

「まあ、夕食でも食べながら、話しましょうや」

と、のたまい、勝手に自身の分も皿を並べるのであった。

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