第77話 再戦

 ジーンが手紙を届けてから三日が経っても、俺達はまだ武闘殿にいた。

 キリエスで行う隠密行動のために、パルス自治領の通行手形を発行してもらうためだ。

 アイラの武闘特使の名目では、当然、隠密行動など出来ない。

 だから、気は急くが、発行手続きを待つより他はなかったのだ。


 それでも、明日の昼にはようやく手形が出来上がってくる。

 ジーンが、三人の娘と旅行をする……、と言う設定のニセ手形が……。

 ジーンはトニーと名前を変え、三人は身長の高い順に、アイラが長女、ヘレンが次女、エイミアが三女とすることで話はついていた。


 話はついていたが、その設定を最後まで嫌がったのは、アイラであった。

「どうせなら、あたしを長男にしてくれよ……」

と、ダダをこねたのだ。

 この発言の真意は、単に、

「スカートを履きたくない……」

と言うアイラの私情によるものだったが、ヘレンの強硬な反対に遭い、敢えなく却下された。


 ただ、あまりにもアイラがスカートを嫌がるので、普段身につけている武闘用の稽古着の上から、オーバースカートを履くと言う妥協案がエイミアから出され、結局、それが採用されることとなった。

 確かに、俺が見ても、オーバースカートを履けば、アイラでも一応普通の女の子っぽく見える。

「まあ、これくらいなら仕方がないか……」

などと、アイラは言っていたが、エイミアの妥協案は明らかにアイラ寄りの意見であるので、ヘレンの渋い顔とは対照的に、アイラはご機嫌であった。





 身支度をすっかり調え、もう、明日は手形をもらって出発するだけ……、となった今日の夕方、ちょっとした事件が起きた。

 それは、武闘殿の副館長であるサイラスが、アイラに再戦を申し出たことだった。

 

 サイラスは、アイラに下顎を撃ち砕かれて以来、ずっと治療に努めていた。

 何しろ、まったく喋れない上に、流動食しか食べられないという状態だったのだ。

 しかし、エイミア特製のムーの薬により、若いせいか劇的な回復を遂げ、昨日からは何とか喋れるまでに回復したのだ。

 もちろん、アイラが砕きすぎないようにキレイに骨を叩き割ったから回復が早かったのだが、それにしても、治ってすぐに再戦を申し入れるサイラスの気持ちは、俺には到底理解できなかった。


「あたしは、いつでも良いよ……。ただ、手加減はしないけど、それでも良いのか?」

「ありがとうございます。ジン様が回復するまで、アイラ様のような強い方と手合わせするチャンスは私には訪れません。一度負けた身でありながら、すぐに再戦させていただくなんておこがましいのは百も承知でございますが、何卒、全力にてお願いいたします」

「ああ、分かった。じゃあ、夕飯を食べてからやろうか」

「承知いたしました」

アイラは、何の気兼ねもないようで、あっさり再戦を受諾した。

 その気兼ねなさは、サイラスの必死さとはあまりにも対照的であり、両人の力量差を如実に表しているように俺には見えた。





「では、アイラ殿、よろしくお願いいたします」

「ああ……。何処からでもかかってきなよ」

アイラはそう言うと、両腕をダランと下げて、ステップを踏み始めた。


 サイラスは、先日と同じ、前屈の構えだ。

 やや遠い間合いから、今日はサイラスがジリジリと前に出る。


 二人のこの試合のために、屋外の試合場には四方にかがり火が焚かれ、アイラとサイラスを明々と照らし出す。

 武闘殿を追放されていた猛者達も、興味深そうに見守っている。

 きっと、

「炎帝を破ったと言うアイラ殿の腕は、どの程度のものなのだろう?」

と、思っているに違いない。


「……、……」

「……、……」

サイラスが間合いを縮めていたが、それが、急に止まる。

 もう、お互いの打撃が届くギリギリの間合いに到達したのだろう。

 あと数㎝もどちらかが前に出れば、仕掛けが可能になるはずだ。


 ただ、そこからサイラスは動けなかった。

 涼しい顔でステップを踏み続けるアイラを前にして、脂汗が、剃り上げた頭と額に吹き出ている。


 こういうとき、アイラは一体、何を考えているんだろうな?

 俺が看ても、明らかにサイラスが困っている。

 先日やられたから、サイラスはきっと何か策を考えていたのだろうが、それが功を奏すようには見えない。


 だけど、アイラはそんなに優位に戦いを進めていても、まったく仕掛けようとはしていない。

 俺みたいな武闘の素人は、優位ならさっさと終わらせたくなるように思うのだが、そんな気持ちは一切ないようだ。


 自然体……。

 俺の心の中に、ふと、そんな言葉が浮かんだ。


 アイラの姿は、その一語が相応しいように感じる。

 気負わず、驕らず、省みず……。

 ただ目の前の相手にのみ集中しているのだろう。


 ……ってことは、何も考えていないのかな?

 どうも、格闘技の経験がないので、その辺の事情が俺には分からない。





「ザッ……」

アイラが急にステップを止めた。


 ようやく仕掛ける気になったのかな?

 これって、何度か見てるけど、アイラが積極的に仕掛けるときのクセなんだよな。


 大抵、このあと、屈んだ状態で相手の脚を払うような回し蹴りを見せ、裏拳に繋げて行くんだ。

 だけど、それは剣を持った相手のときか……。

 じゃあ、今回は違うのかな?


 すーっと、アイラが一歩前に踏み出した。

 物凄く滑らかだけど、まったく速度感のない一歩を……。


 サイラスは、虚を突かれたのか、微動だにしない。


 えっ?

 これじゃあ、アイラが懐に入れちゃうよ?


 俺がそう思った瞬間、アイラが無造作に右掌を開いて、サイラスの顔の前に掲げた。


「勝負ありっ!」

大音声が、夕闇に響き渡る。


 見ると、それを発したのは、ジンであった。

 観戦していた僧侶達から、どよめきの声が漏れる。


 サイラスは、茫然自失となったのか、打撃も当っていないのに、膝から崩れ落ちる。

 その表情には、恐怖の色がありありと表れていて、目が充血しきっていた。


「再戦は、ちょっとまだ早かったかな?」

「……、……」

「この間、あたしが撃った正拳の残像が残っちゃってたみたいだな。まあ、これもしっかり精進すれば克服出来るから、頑張ってな」

「……、……」

アイラはそう言うと、呆然とするサイラスを残し、オリクに支えられているジンに歩み寄った。


「ジン……。次にここに来るときは、あたしと勝負してくれよ」

「ご教授ありがとうございました。はい……、次にお遇いするときには、必ず……」

「あたしは、父さんを越えたかどうかを知りたいんだ。だけど、それを量る相手に恵まれないでいる」

「……、……」

「ジン、あんたとなら、それが分かるかも知れない。だから、戦うときには、魔力を封じる小手も使わないよ」

「そうでございますか……。越えるべき人がジェラルド殿とは、志の高いことでございますね。しかし、アイラ殿ならきっと成し遂げられるはずでございます」

ジンはそう言って深くうなずいた。


 そっか……。

 アイラの目標は、ジェラルドを越えることだったんだ。

 道理で、誰と戦っても、さらに上を目指そうとするわけだよ。


 いつか、その目標を達成出来ると良いな。

 まあ、その前に、やらなきゃいけないことがいっぱいあるし、ジェラルド本人も捜さないといけないけどさ。


 かがり火は、戦いの余韻を残したまま、明々と燃え続けていた。

 それは、あたかも、武闘殿の再興の意志を表しているように、俺には感じられた。

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