第78話 国境を越えろ
武闘殿に別れを告げて、ギュール共和国との国境を目指し、ひたすらパルス自治領内を行く。
馬車はときにのんびりと、そして、いかにも旅行をしている家族の体で進んでいる。
ヘレンは、いつものように瞑想に入ろうとしたが、今回はそれをアイラに阻止されていた。
もし、誰かが見て、瞑想している奇妙な女が馬車に乗っていたら、変な噂が立つといけない……、と言うのがアイラの言い分であった。
これは、多分に、スカートの件の仕返しと言えそうで、俺からするとかなりこじつけ臭い気がしていたが……。
ただ、
「うーん、アイラさん、それは確かにそうですね」
と、御者台にいるジーンに言われてしまったので、ヘレンも仕方なく瞑想するのを止めている。
まあ、ギュール共和国に入ったら、敵地なんだし瞑想も控えないといけなそうだけど、パルス自治領内でそれをしてどうするんだろう……?
と言う、俺の素朴な疑問を口にした者は誰もいなかった。
……って、もしかして、一番のんびり構えているのが俺ってことか?
「エイミアさん……。ジンさんは、随分その猫に気を使ってましたね。特別に取り寄せた生ハムを、猫のエサ用にしてくれ……、なんて仰られてましたよね」
「は……、はい。こ……、コロがハムを大好物だと言ったら、わ……、わざわざ近辺で評判の店から取り寄せて下さいました」
「でも、生ハムなんて、宿屋の主人の私でも、年に数回しか食べないご馳走ですよ。それを猫にねえ……」
「こ……、コロは、ぶ……、武闘殿でパンしか食べさせてもらえなかったので。そ……、それでジン様は、か……、可哀想に思ったのでしょう」
そうなんだよ。
武闘殿は、肉食禁止でさあ……。
俺の食事は、いつもパンと水だけ……。
ミルクもないんだよ。
よくあれで武闘をする体力が保てるよな、武闘殿の奴等は。
主体が僧侶なんだから仕方がないのかもしれないけど、客人にまでそれを強要するってどういうことなんだよ。
あっ、客人じゃなくて、客猫か……。
エイミアが説明しても、ジーンはあまり納得しているようではなかった。
それもそのはずで、ジーンには俺が暗黒オーブの使い手であることは、まだ伏せられたままだったからだ。
ヘレンの口ぶりだと、ジーンから情報が漏れる恐れはないが、余計な気を遣わせるのもどうかということで、敢えて教えていないようであった。
ただ、俺には、
「何かあったら、ジーンさんの前ではオーブの力を使っても良いからね」
と、予め言っていたので、無理に隠す必要はなさそうであったが……。
それにしても、パルス自治領は、意外と拓けた国で、俺は正直驚いたよ。
ロマーリア王国みたいに、もっと延々と田園風景を続くのかとおもったけど、どの街もかなり繁華なんだよな。
それに、モル教の国なせいか、女性が働いている姿が目立つんだ。
手形を取るために訪れた役所なんかでも、役所内で一番偉い席に座っているのは女性だったし、さっき通った街の町長なんかも女性だそうだ。
それなのに、よくジンは女人禁制にしたよなあ……、武闘殿を。
この感じだと、アイラみたいな女豪傑とか、ヘレンみたいな女策士なんてのもいそうな気がするんだけど……?
そんな俺の印象が、今日の昼辺りから変わってきた。
国境が近づいたからか、急に田園風景が拡がりだしたのだ。
外で働いているのも、圧倒的に男性が増え、女性を見ることはまれになった。
いよいよかな……。
俺が、そんな予感を胸に秘めた頃、馬車は川に差し掛かった。
ジーンの説明では、この川を渡る橋のたもとに関所があり、川の向こうはギュール共和国内と言うことであった。
「宿屋のトニーと三人の娘か……。御定法通り、中をあらためる」
「は、はい……」
関所の役人は、歳は若そうだが厳めしい顔をしており、いかにも融通が利かなそうだ。
チョビ髭なんか生やしてるけど、きっと、人間の頃の俺と、年齢的にはあまり変わらないに違いない。
「娘の名前は……」
「アリに、ヘスに、エラでございます」
「歳は……?」
「十七、十六、十五でございます」
「……、……」
「な、何かご不審な点でもございますか? ウチの娘は、三人とも気だてが良くて、素直な娘ばかりでございますが……」
役人が、あまりにもジロジロと三人を見るので、ジーンが少し抗弁気味に尋ねる。
……って、三人とも確かに気だては良いけど、お世辞にもヘレンは素直ではないと俺は思うけどなあ?
「いや、各関所に回状が回っておってな、若い三人の女に気をつけるように上から申し渡されておる」
「三人の女でございますか? それは、一体どんな理由なのでしょうか?」
「何でも、ロマーリア王国の密使らしくてな……。一人は女だてらにとんでもなく強い武闘家で、もう一人はオーブを使う妖女だと言うことだ」
「もう一人の女は、どのような?」
「いや、もう一人は知らん。三人とも人相風体は定かでないが、とにかく、警戒を怠るなと言いつけられておるのだ」
「そうでございますか。ただ、ウチの娘達は、ごらんのように皆大人しいタチでして、そんな武闘家や妖女なんておりませんよ」
「うむ……、そのようだな。女武闘家については、熊のような体躯をしているのではないかと、わしも想像している。妖女も、ひねくれた性格の悪そうな顔をしていそうだと思わないか?」
「どうでございましょうか? 私には分かりかねますが、そう言えば、そんな気もしてまいりますね。その武闘家と妖女は、きっと猛獣のように鋭い顔つきをしているのでしょうね」
ちょ、ちょっと待ってよ……、ジーン。
お、俺、腹がよじれそうだよ。
見たか?
今、ヘレンが、ひねくれた性格の悪そうな顔をしていそう……、と言われたときの顔を……。
普段、ほとんど表情を変えないヘレンが、眉をひそめていたじゃないか。
その、さも心外そうな顔って言ったらなかったよ。
アイラも、熊みたいな体躯……、って言われて、笑い出しそうになっていただろう?
ダメだぞ……。
アイラは喋ったらボロが出そうだからな。
ほらっ、真面目にやれよ。
それに、拳を隠せよ。
アイラの拳には拳ダコがあるからな。
それが見つかったら、すぐにバレちゃうぞ。
え、エイミア……。
ダメだよ、そんなに俺に頬ずりしちゃあ……。
緊張しているのは分かるけど、役人が不審がったらどうするんだ?
大丈夫だよ。
人相風体は分からないらしいからさ。
エイミアについては、他の情報もなさそうだしね。
……って、かく言う俺も笑っちゃいそうなんだけどさ。
でも、俺は猫だからな。笑ったって、バレはしない。
アイラはダメだぞ、何度も言うけど。
「行き先は何処だ?」
「キリエスでございます。湖が綺麗なところらしいので、のんびりと観光などを……」
「そうか、行っていいぞ……」
「お勤めご苦労さまでございます」
「良い旅をな……」
「ありがとうございます」
役人はそう言うと、馬車の幌を下げた。
ふう……、ほっと一息ってところか。
まあ、この程度の関所でバレるわけもないけど、それでも一応回状が回っているんだな。
それにしても、ジーンって巧いよな。
さりげなく情報を聞き出したりしてさ。
任せて下さい……、って言うだけのことはあるよ。
三人の名前を聞かれたときだって、とっさのことなのに、よどみなく答えていたし。
まあ、安易な名前ではあるけど、一応、それっぽいしさ。
ただ、ヘレンが俺の正体を隠し続けている意味が、ようやく分かってきたよ。
暗黒オーブって、やっぱ相当脅威に思われているんだな、ギュール共和国側には。
だって、まだ、炎帝がアイラに負けたことも、緊縛呪で三百人からの兵士が戦闘不能になったことも、他の選定候には伝わってないはずなんだからさ。
それなのに、もう、警戒態勢が敷かれているなんて……。
うん……。
これは、俺もちょっと認識を改める必要がありそうだ。
もう、ここは敵地なんだからな。
いつでも緊縛呪なり、小手なりを発動できるように、心の準備をしておかなきゃいけない。
でも、一応、潜入成功か。
まあ、でも、これからが大事だよ。
なあ、暗黒オーブ……?
「……、……」
暗黒オーブからは、何のいらえもなかった。
しかし、どうしてだか分からないけど、俺は暗黒オーブが俺に賛同しているように感じていた。
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