第70話 要求は一つ

「どうした? 何故、要求を言わん」

「……、……」

「おまえのような賢い者が、獲得目標もなく戦いを仕掛けるわけがあるまい」

「……、……」

「それとも、俺の買いかぶりすぎか?」

「……、……」

炎帝は、ヘレンに尋ねながらも、心なしかそれを楽しんでいるように見える。

 自身の不利益なことを要求されようとしているのに……、だ。

 それとも、ヘレンが要求しそうなことに心当たりがあり、だから余裕を持っているだけなのだろうか?

 俺には、その何れとも判断が付かないが、戦いに敗れた者がこうもあっさりと負けを認めることに、少なからず驚いていた。


「望みを言う前に、幾つかお尋ねしても宜しいでしょうか?」

「ふふっ……、それも望みの一つとして答えてやろう。何でも言うが良い」

ヘレンは、ようやく口を開いた。


 尋ねる?

 何を聞きたいんだ、ヘレン。


「まず、ジン様の処遇なのですが……」

「そのことか……。それはアイラにも言ったが、本意ではないが俺の指示で治療を遅らせた。ジンの力は、他国にとって脅威だからな」

「それはまことでございますか?」

「うむ……」

「申し訳ございませんが、私はその答えに納得がいきません」

「……、……」

「もし、テイカー閣下がジン様とパルス自治領の力を削ぐつもりであったのなら、何故、風のオーブを取り上げないのでしょう?」

「……、……」

「もちろん、ジン様は風のオーブがなくても一流の武闘家ではあると思います。しかし、脅威を取り去ることを目的とするならば、まず第一にすることは、風のオーブとジン様を引き離すことではないでしょうか?」

「……、……」

「テイカー閣下……。あなたは、本当はパルス自治領とジン様を、護ろうとなさったのではないですか?」

「……、……」

今度は、炎帝が押し黙った。


 と、言うことは、ヘレンの言っていることは、当ってるってことか?

 それって、どういうことだよ。

 もう、俺には何が何だか分からないよ。


「ふふっ……、ヘレンと言ったな。おまえ、何者だ? どうしてそう思う」

「先ほど、テイカー閣下ご自身が仰られたからでございます。一つだけ拒むことがあるとすれば、それは、俺の領民に関わることだけだ……、と」

「……、……」

「ジン様が負傷している隙に、いくらでもパルス自治領はテイカー閣下の思い通りになったはずです。他国を侵略することは、即ち、自国の安泰をはかると言うことですから。しかし、テイカー閣下がそうなさらないと言うことは、パルス自治領とジン様が脅威ではなかったと言うことと、テイカー閣下の領民にとっての脅威は、他にあったと言うことに他なりません」

「……、……」

「つまり、パルス自治領がある程度の力を保ちながらも、テイカー閣下の意に従うという状態が、本当の脅威に対して一番都合が良かったのではないかと私は思うのです」

「だから、パルス自治領とジンを護ったと……?」

「はい……。一見、意のままにしているように見せながら、その実は護ると言う計略のように私には見えます」

炎帝は、ヘレンの顔をじっと見据えた。

 その内心に何を思うのかは、俺には分からない。

 ただ、先ほどまでの楽しむような雰囲気は消え、何か思い悩んでいるように俺には感じられる。


「ヘレン……、国とは、領民のものだ。統治者の俺がいなくても、国の名前が変わっても、領民が同じように暮らせば、国は安泰なのだ」

「……、……」

「では、何故、戦争をするのか……。それは、領民のためだ。領民が苦難から逃れるためだったり、領民が富を求めたりするからだ」

「……、……」

「今起っている、マルタ港を巡る戦争は、領民のためではない。ギュール共和国には、マルタ港と同等の港が、幾つもあるからな」

「……、……」

「俺は、領民のためにならない戦争をやりたくない。だが、ギュール共和国の選定候として、責任を全うせねばならぬ」

「それで、疫病の薬を断つと言う名目でパルス自治領に介入し、テイカー閣下ご自身は戦争に加わらなかったと言うことでございますね? ギュール共和国に最低限の筋を通したと……」

「うむ……」

「つまり、本当の脅威は、ギュール共和国の中にあるのでございますね?」

「……、……」

ヘレンは、キッパリと言い放った。

 しかし、炎帝のいらえはない。

 苦悶するような表情を浮かべる炎帝……。


 そうか……。

 一口にギュール共和国と言っても、内実は色々な考えの人が混ざっていると言うことなんだろうな。

 選定候はほかにもいるだろうけど、幾つかの派閥に別れているのに違いない。


 炎帝は、その中でも少数派なのだろう。

 だから、こんな手の込んだ策略を思いついたんだ。

 もし、ジンに負けたら、一緒に自治領としてやって行くくらいの覚悟があったのかもしれない。


 なるほどな……。

 それでアイラに負けても平然としていたのか。

 負けて要求されれば、ギュール共和国に何を言われても仕方がなかったと言える。

 相手が暗黒オーブの使い手とともにいたとなれば、言い訳も十分立つというわけか。





「ヘレン……。悪いが、これ以上は言えぬ。おまえなら分かるだろう? 察してくれ」

「テイカー閣下のご苦心、お察し申し上げます」

「ふふっ……。本当におまえは賢いな。一介の占い師だと報告があったが、そうではあるまい。ヘレン、おまえの本当の出自は何だ?」

「私は、孤児にございます」

「孤児?」

「はい……。ホロン村と言う、ごく小さな村の村人の情けで育てられた者でございます」

「ホロン村……? はて……、何処かで聞いたことがあるような気もするが……」

「……、……」

炎帝は、少し何かを思い出すような素振りを見せた。

 しかし、思い出せなかったのか、すぐに真顔に戻り、再び、ヘレンを見つめた。





「さて、ヘレン……。そろそろ要求を言ってくれ。俺は、まだ、これから兵士達の治療の算段をつけねばならぬからな」

「お言葉ですが、テイカー閣下。緊縛呪の治療でしたら、すでに手配はしております」

「ふふふ……。そうか、それもおまえの想定内のことであったか」

「はい……。武闘殿の元幹部の方々に頼み、三百人分の薬が明日の昼までには揃うことになっております」

「武闘殿の元幹部? そっちも手配済みか。まったく、何から何まで気がつく奴だな」

「お褒めいただいて光栄にございます」

「では、もう一つ聞こうか。ジンの火傷は、どの程度回復するのだ?」

「そこにいる薬屋の娘、エイミアの話によると、全快が可能だそうでございます」

「ふむ……。では、パルス自治領は元通りと言うことだな?」

「はい……」

ヘレンは、チラッとエイミアを見た。

 エイミアも、それに合わせてコクリとうなずく。


「ふう……、これで本当にもう聞くことがなくなったぞ。ヘレン、もういい加減要求を言え。どうせ用意周到なおまえのことだ、最初から決めてあるんだろう?」

「うふふ……。あまり買いかぶらないで下さいませ」

「ふんっ……。まだ若いというのに、俺と駆引きをしたがるとは……」

「では、申し上げます」

「うむ……、ようやくか」

「……、……」

ヘレンは、すねたような声を出している炎帝にニッコリ笑いかけると、おもむろに要求を言った。


「向こう三ヶ月の間、アイラとの戦いで怪我を負ったことにして、テイカー候領にてご静養願います」

と……。


 えっ?

 ヘレン、もしかして、これだけか?

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